トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

年の瀬の開花

2022-12-31 | 小父のお隣さん
 年内最終の水見回り。穏やかな日が続いているがトンボ池脇の陽だまりには既にトンボの飛翔は無い。25日以降の気温では最終日の記録達成かと期待したものの残念賞であった。
 とは言え上の池畔のウメの樹1本は開花していた。日当たりが悪い場所なのだがそれでも開花したと言う事はこの樹の個性なのだろう。挿し木で増やし日当たりの良い場所に定植すれば師走の梅見が出来そうに思えるものの、想うだけであって行動するほどの魅力は感じない。
 歳相応、世代相の出来事のあった寅年であったけれど「年々歳歳人同じからず」を改めて感じた年でもあったのだ。

       

**観自在菩薩

2022-12-31 | 番外編
     子宮から地球へ 地上から天上に
     星屑からいのち得た我ら
     塵は星に 星は微塵へ

     君は広大無辺の中
     望遠鏡で無限の虚空 顕微鏡で素粒子界の深淵
     深淵からは虚空 虚空からは深淵
     虚無を透してあなたが観える

     現在過去未来 悠久だけがそこに在る
     すべてを包み すべてを生ず空
     君は寂静となり 未来永劫いつも全てとなった

     父母知らずとも 良き伴侶を得
     星々を産み煌めさせた君
     すべてを呑み込み すべてを生み出す
     ブラックホールのジェットのようだ 
     われら山仲間もいつかはまたひとつ鍋           我が青春の友「おやじ」に捧ぐ
     
     

アレヨアレヨの落ち葉山

2022-12-30 | 今日は真面目に
 少年時代、吉葉山と言う横綱が居たように記憶しているが落ち葉山では関取にはなれない。思わぬ水域の作業で落ち葉掻きが遅れたものの年内には片付けが済みそうな塩梅でホッとしている。この日は風もなく日差しが優しい。前日まで日陰の水域で降霜の地面を踏みしめて作業だったから余計に日差しが暖かい。結局は上着を1枚脱いでの作業となった。

 クヌギが成木になって落とす落ち葉の量が半端ではなくチョコチョコと搔き集めれば手に負えない嵩になってしまうのだった。この日の集葉量で来季の落ち葉堆肥は十分に賄える量だけれどもう1日斜面の落ち葉掻きをして終わりとしたい。周囲を見渡せば間引きもしなければならない時期にもなったのが理解できるけれど急ぐ事ではないからまず年内は落ち葉掻きで余裕があれば窪地に土を運んで平らかにする。平坦にしておけばネザサの抑制刈り払いが楽になる。

       

仕事や始末の納め方

2022-12-29 | 小人閑居して憮然
 林道の落ち葉掻きと手入をしたつもりなのだろうが始末を見るたびに眉を顰める事になる。竹林の細竹処理もそうなのだが鉈の一撃で容易に処理できる相手だと鋸を用いて水平に切る事が無い。「人が立ち入らない」と思っての事かどうか知る由もないのだが危険極まりない切り口で保全行為は横に置くとしても危険を増やすだけでしかなく常識を疑ってしまう。
 それだけでなく裾群落とか袖群落とか言う範囲の事だとそれなりに環境的意味が大きくある。それも無視されて「綺麗にしましょう」が合言葉だ。

 刈り払いなども生物・環境保全のために敢て草地にしている範囲を刈り払いたがる傾向が顕著で、刈り払いに入ればスキンヘッド状態にされ生物的廃墟を量産されるし、刈り払わなければならない林床や斜面のネザサやヤマフジのシュート、勢力を広げているヌスビトハギやワルナスビの抑制・根絶に関心は全く向いてはいない。
 残したい樹種や草本、育てたい樹木や草本なども「オール雑草!」なので当然眼中には無く気楽に排除・切断する。枝の処理ひとつとっても選定の基本は知る事もしないし。切断位置が樹木にも人に対しても悪い位置である事も気にならない。
 つまりは他者に対する安全や保全とか多様性とか意中に無いのであって活動に首を突っ込み参加してきたからと言っても学ぶ姿勢も無いと断言できる。

 そもそも刈り払い行為一つとっても「刈り払うための刈り払い」でしかない手太楽なので里山保全として望める事は無く「草地を破壊するな」と伝えても無駄であるのが小生の経験値である。
 当人たちにそのつもりはなくとも単なる保全行為に名を借りた破壊行為であって、かつまた「作業しました」と人目に触れる範囲を選んでいるとしか見えない。意識してそうしている事では無いにしても潜在心理としてあるのは間違いないだろう。
 竹槍状の切断や草に覆われ見えなくなる危ない切位置で切断した残りなどは結局は放置してはおけず、ついでの時に小生が処理する手数に入るのだが草地の刈り払いは元通りにするすべもなく今シーズンもまた環境をオジャンにされて終わった。

棚部の手入

2022-12-28 | 今日は真面目に
 二つ池の埋め立てはどうにか年を越える事なく終了したものの埋め立て用土の不足もあって「完了」とは言えず、浚渫土が溜まった頃合いで一輪車で10回程度は運ぶ必要があろう。「よし!」と思えるまでには20回は運ばなければならないけれど来期の浚渫量だけでは不足だ。
 とは言え一段落には間違いなく、この日は二つ池のある棚3の手入をした。平坦部への威之志士様の跋扈蹂躙の結果、表土が剥ぎ取られて固まった残りを棚の草地、地盤の沈下した範囲に運んで多少とも平らかになるようにしてから北側の斜面のネザサを刈り取った。

  ➡  

 密集しているとも言えない生え方なのだが生えている部分の植生は貧弱になっている。棚幅だけの斜面でもネザサを排除すれば有用な植生を誘導できる。一応は南面している斜面であるから期待は損なわれる事は無いだろう。刈り取ったネザサも草地の凹部に集積した。現在は役に立たなくても春以降の生物層に何らかのおもてなしにはなるのだ。

 帰宅するには少々早かったので用意してある種子を播いておく。踏み分け道になる範囲にはオオバコ、埋め立て部を含め湿潤な部分にはホトトギスとレンゲソウ、そのほかの草地に誘導する範囲にはクローバー、レンゲソウ、フジバカマなどを混合した種子を振りかけておく。今までの経験値から発芽率は僅少だろうけれどそれでも定着する株が出来れば構成種は増えるのだ。

 吾亦紅の種子も採種してあるけれど量が少なく直播するにはリスクが高い。早春にポット育苗で苗を作り水際に植え込む予定だ。ネザサを刈り取った斜面はイヌビワやイボタノキを定植する予定なのだが苗作りは来春からであるから数年は草地のままだろう。思いがけず実生の有用樹が生じればそれも良し。
 写真、奥の範囲にはイヌビワを育てイシガケチョウを誘い定着させ、イボタノキにはイボタガを産卵させエイリアンそのものと言いたい前衛的かつ傾奇者の姿を見たい、というのが目下の妄想である。池の中央部には絶滅危惧種のミズアオイを囲いの中で維持したいのだが用材が無いので設えは出来ていないものの発芽する頃合いまでには何とかせにゃならん。ホント「貧乏暇無し」とは誰が言ったのだろうか…「議員に誠無し」は衆目の一致する現象だろうが「暇だから貧乏」もまた真なり。

 まっ、それはともかくとして満水位が持続しオーバーフロー部から安定して排水されている池の様子を見ると早春のニホンアカガエルの産卵が待たれる。安定湛水を目的に埋め立てしたので期待は大だけれど、必ずしもこの池で産卵してくれる訳でもなくなったのも事実だ。水位の安定しなかった記憶でもあるのだろうか。
 池の濁りは作業の結果ではなく恐らくコガモの群れが夜間の塒にしている事から来ているのだろう。ここ数年は飛来しているから間違いないはずである。

  

形から入る…

2022-12-27 | 何よりの楽しみ
 昔より憧れていた帽子が利休帽と言うのか茶匠帽が正しいのかの判断も出来ないけれど見た目での違いも小生には不明で、どちらにせよどちらを被っても変わらない装いに見える。和帽子と言えるものの範疇だろうから板前が被る帽子も同じだろうと想像はしていても白色の帽子は「いくら何でも・・・」そう、イクラなんでも高い。

 利休帽とか茶匠帽の市販品は高価で年金生活の身分では銭こを出せない。欲を言えば亀田縞の生地で作った帽子が望ましいのだが当然市販には無し。生地を購入して作ろうにも結構高額になる。そこで似た感じの郷里の農作業衣「さんぱく」に使われる生地の残りを出してみたけれど寸法不足で断念した。これは「ドジョウ掬い」の衣装だったのだが既に踊る事も使う事も無い生地になっているのだった。

 亀田縞風の生地を街の生地屋で購入し作務衣を作った残りがあるから広げてみたけれど生地が厚すぎる。折り返す側面の厚みは冬ならともかく春夏秋のシーズンには被りたくもない暑さになってしまうので断念した。結局、手元にあった端切れの中から寸法が間に合う青色の生地で作る事にした。
 頭囲は58cmだったから60cmと仮定して横幅と前後幅を計測し発砲スチロールの薄板で型どりをした。切り取った空間に頭部を嵌め込めば丁度良い。外した楕円形を型紙として使う自分で行うオーダーメードだ。こうすれば「Oh、駄目だ!」には決してならないであろう。

 後は断ち目かがりとアイロンを滑らせて縫うだけになる。とは言え筒状の端を塞ぐように縫い付けるには手数を要した。そうだけれど晴れの日でも季節風が強くて気温も低い日ではフイールド作業も喜び勇んでいく陽気でも無し。埋め立て作業で腰に負担をかけた結果、階段を降りる時にストレスを憶えるようになった腰の状態では休腰日は必須であろうと、てなもんや三度笠でソーイング爺と相成ったのであった。

 やはり円周を縫い付けるのが面倒くさく、待ち針を多用し寄り皺を均しつつ縫いあげて一件落着したのだ。被ってみればなかなかよろしい。色合いが興ざめではあるものの、これで一句吟じたり一歌詠じたりすれば自己満足の極致である。年金生活者の懐は周年極地ではあるもののしばし一茶に成ったり山部赤人に成ったりするのも一興ではある。
 茶道や華道は全く知らないけれど稽古事は「形から入る」程度の記憶はあるのでこの帽子と作務衣で気分だけは迷人に成れる・・・。
 しかし、しかしである。どう贔屓目に見ても鏡では「キョンシー」にしか見えないが「絶対キョンシーではない!」と断言できる事は腰に響くからぴょんぴょん不可能なのであって、やはり生まれも育ちも雅な百姓である小生であったピョンピョン。

       

 

雖覆一簣、進吾往也 完

2022-12-26 | 水辺環境の保全
 泥浚いから始まってほぼ十日間を費やしてようやく漏水多発部の埋め立てが終わった。埋め立て用土を調達できる環境ではないので出っ張りや浚渫土の塊をスコップで剝ぎ取りながら集めた結果の埋め立てである。見た目は埋め立てられた様に見えても立ち入るとユサユサ揺れこんにゃくの上を歩いている感じである。
 時間の経過で沈むのは必至でありそうなればまた水域化しないでも無いけれど、その時はその時で新たな浚渫土で対応するしかないのだ。それでも今回の埋め立てが功を奏し下棚の出水部の水が止まった。この結果、水抜きに導水に使っていた50φの塩ビ管3本が不要になって外せたのだ。さらに乾燥してくれれば歩きやすくなるだろう。





 作業はもっこの代わりに一輪車、箕の代わりにスコップと言う手太楽であるがアナログ作業である事は三千年前の頃と変わりはあるまい。埋め立ては終了したがこの棚の手入はもう1日か2日必要だ。猪に剥ぎ取られた草本のマットを地盤沈下した範囲に集め多少なりとも土を置きたいし北側の斜面のネザサも刈り取って草本の育成も行わなくてはならないし、今回の作業で出来た裸地部分には植生回復のために既に集めてある種子も蒔きたい。

 最終作業日の採土場所は下棚の浚渫土だけである。最初の頃は一輪車を採土場所まで下ろせたものの途中からは軟弱な地盤では車輪が埋まり移動不可能で上棚に置いた一輪車へスコップで土を運んで盛る事を繰り返せざるを得なく埋める水域は小さかったけれど手間暇時間を喰ってしまった。それでも無事に終わって祝着至極・執着仕事であったわい。
 既に水域の水面は薄氷に覆われてはいるが長らく水位が回復せず役無しだったオーバーフロー部と下降水路に水が戻っている。チョロ水だけれどこんな環境を切望している生物もいるので「こう来期!」である。

 下棚の水際に上げた浚渫土を回収する  ➡   剥ぎ取った厚さは20cm程度なので大きな変化は見られない

今日のトンボ「お爺へXmasプレゼント!」

2022-12-25 | 小父のお隣さん
 フイールドは一面の霜だった。今期一番の降霜量で水域は全面凍結している。到着した時の気温は1℃になったかならないか程度でトンボを確認した11時の時点は写真の温度である。

 5日間の空白があってその間にマイナスも記録し21日に2匹の飛翔確認出来て23日は風が強く4℃程度で「既に消えた」と承知していたつもりなのだが水域の埋め立ても完了し、この日の落ち葉掻きも順調だったから「いつも通り」でアズマネザサの細い稈を1本携えトンボ池の陽だまりに行ったのだ。

 既に消えたと思ってはいたもののネザサの稈で立ち枯れているミソハギをチョンチョンしながら移動していたら2匹飛び上がったのである。そのあと着地したところを撮影し一件落着したのだが飛び立った一匹が小生の腿の当たりに止まってしまった。追い払う訳にもいかず好機とみて撮影したのだがマユタテアカネの眉状斑が薄い。アキアカネかと思い直してみたものの腹部の色が赤すぎる。
 まあ、どっちにしたところで12月25日にトンボの飛翔を見たのは変らん.


雖覆一簣、進吾往也 5

2022-12-25 | 水辺環境の保全
 この日の最低気温は遂に氷点下まで低下したのだが季節風も弱くて有難い日和に感じる。朝一番、と言っても9時半頃だが胸部X-P撮影で近所の会場に言って済ませるにジャージの上着でなくスリーフの上着にお出ましを願った。そのままフイールドへ直行したのだがやはりフリースは暖かい。谷間の日陰で気温2℃程度でも寒く感じなかった。

   
 さて、無駄話は横に置き悩みの採土場所は二カ所めの少しだけ高くなった場所を削り取って一輪車6杯を確保したのだが足りる訳もない。それでも棚の一画が平らかになり草叢として再生するにしても灌木を植え付けるにしても管理が容易になるだろう。
 写真の草地は地下に農耕牛が腰まで落ち込んだほどの空洞がある場所で、小生も出水で陥没した折に土嚢を投入しながら足元から崩れ、あわや行方不明者となりかねなかった場所である。結果として初期の段階で水域から外したのだが地盤沈下が進み窪地になってきている。
 凸面部を削り取っていると昔々、田んぼだった頃に水漏れ対策として使っていた波板の残骸が現われて来るから削った部分は畔や堤の上端面だった事が分かる。
 そんな場所なのだが今回埋め立てを進めている場所と合わせれば棚の半分ほどが草叢として維持できる広さになる。これはこれで第一次食物生産地と位置づけられるので全体としてはプラスに働くだろう。

 さてさての本題、棚からの用土調達はもう浚渫に由るしかなく何とか下棚から浚渫土を上げ埋め立てる算段とした。一輪車で押し上げて運ぶのは地盤が緩いし過去、泥水池造成時にその行為でアキレス腱裂断した事もあるからバックで引いて上棚に上げてみた。1回で40~50cm程度の移動でもスコップ1杯分を往復しながら運ぶより早い。
 そこでこの手法で運び始めたのだが、これはこれで「後ろが見えない」という別のリスクがある。平坦地ならともかく不整地での上り斜面を後ろ歩きするのは経験値が無いのだった。なにせ年取ってから新たな運動を体験するのは厄介なのだなあ・・・。
 それはともかくもう1日踏ん張れば水溜りを消せそうだ。しかし用土が十分ではないから下の泥土まで用土を詰める事が成らず今のところ、こんにゃく地面を歩いている感じになっている。それはともかく漏水多発部が消えれば今回の目的は達成なのだ。変え歌だが若き日を思い出して歌おうぞ!
              頑張ろう!突き立てる鍬に
              老骨のお爺の拳がある      
              燃え上がる紅葉のコブシが散る
              埋め立てはここから 埋め立てはまだまだ     元詩 森田ヤエ子「がんばろう」

          ➡   埋め立ては遅々として進まず、ほんとに一簣一簣運んで投入するそのものだ

二点位置流「昆虫すこいぜ!」

2022-12-24 | 小父のお隣さん
 初霜・初結氷だったこの日、トンボの確認に行った折りにシロチョウが目の前に降りて止まった。どうもモンシロチョウに見えたのだが翅を閉じていると判別が出来ない。
 モンシロチョウはこんな頃まで飛翔しているかどうか関心も無かったしモンシロチョウの好む植生や環境を用意してきた訳でもないし、ありふれたチョウだけに真剣に観る事も無かった対象である。スジグロシロチョウに見えなかったのだがさーてどっちだ。デジカメを忘れたからスマホで撮影してみたけれど安い機種だけにこの大きさが精一杯で画像を図鑑対照し確かめようにも情報不足で無駄だった。
 まあ、はい!モンシロチョウの判別も出来なくなった小生、人生の旅路・・・。もう真っ白。

   

雖覆一簣、進吾往也 4

2022-12-24 | 今日は真面目に
 この日は二回目の氷結だ。最低気温は初回よりやや高めなものの地温や水温の低下もあるだろうから水域は全面結氷に近くなった。それでも表土は凍結には至らず熱体積量はまだまだ残っているから埋め立て作業が続けられる。
 
 「3」と「4」の間に多少の埋め立て作業が出来たのだが1ページを割くほどの量でも無くて書かなかった。

 始まり ➡  ここまで
 ようやく半分ほど埋め立てできたものの用土が無い。採土出来る場所も無いフイールドであれば浚渫泥土を用いるしかないのが通り相場ではあるけれど浚渫も無制限に出来る訳も無し。深くても長靴で立ち込める水深が限界である。そもそも全体として「浅い水深の泥地」が理想なのであるからむやみな泥浚いは禁物だ。

 であるからして前回と今回は棚の北西隅の瘤を削って用土としたものの「無いよりはまし」のお茶を濁した、いいえ水を濁した程度の埋め立て量で終わったのだ。残りはまだおおよそ半分が埋めたてられていない。周囲を見渡せばもう少しだけスコップで削り取れる場所があるから次回はここから採土するものの一輪車にして5杯程度だろう。
 絶対量が不足しているのは明白になったので下棚の浚渫土を運ぶ必要が出て来たのだが段差をいかにして走行させるかの地形的要因よりも体力的・肉体的要因にリスクが高くなった。それはともかく瘤を削り整地できた事で植生の再構成が可能となった。既にオオバコ・フジバカマ・チカラシバ・ネコジャラシ・ワレモコウ・イボタなどの採種は済んでいて、これにシロツメグサとクローバーを混合し播種する用意も整っている。
 どれが定着するかあるいは全て無駄となる可能性もあるけれど裸地のまま植生の復活を見るより人為的ではあるものの早く被覆したい思いが強い。

       

今日の素労風努「三度目の正直は十七穀のしょうゆの実」

2022-12-23 | 何よりの楽しみ
 郷土の「ご飯の友」と言うべきか「バッカリ食の範疇」と言うべきかはともかく自分的には美味しいし好みなので三度目の「しょうゆの実」に手を染めた。食材の整理をしていたら1月で期限が切れていた「十六穀」半袋と「もち麦」一包が出てきたから両方合わせてお粥にして米糀を加え「十七穀の甘酒」を仕立て、これに大豆と塩を加えて再度発酵させるのである。
 「しょうゆの実は腹合わせ」と義姉からしっかりと伝えられてはいるが残り物の始末でもあるから糀の部分を雑穀の甘酒で代用してみるのだ。塩分は1%減じて2%で作ってみる。

 十七穀の甘酒の仕込み。雑穀のお粥に米糀は等量。これを50℃24時間発酵させ大豆と加える事にした。

 大豆は250gを廃フライパンで炒ってからそのまま木のブロックで押しつぶしながら甘皮を外し二つ割にする。ブロックでゴリゴリするだけで薄皮は外れ豆は分割されるからネットの解説より簡単に出来た。
 割れた大豆は2カップ。この量の3倍の水で15分圧力鍋で煮て豆は出来上がり。指で軽く潰れる軟らかさになっている。圧力鍋で蓋をしないで沸騰させ「アクを取る」作業を入れてある解説もあるけれど昨今の大豆はアクが少ないだろうと勝手解釈でアク取りは無し。

 用意してある雑穀甘酒と大豆、塩を混ぜ合わせヨーグルトメーカで40℃48時間の発酵タイムだ。出来上がりはどうなるだろうか。雑穀が入った事で栄養価は断然高まったと結論付けているが、さーて出来上がりは五郎次郎・・・。

 保温発酵させながら折に触れて撹拌しついでにひと匙味見をする。保温発酵中は塩味の角が取れていくのは3%の前回より早かった。予定の時間終了時の味見では塩味より甘味や旨味が勝った感じに仕上がっている。実質、麴が半分では無かったので心配はしていたのだが杞憂で済んだようだ。
 次の仕込みは食べ終える年明け頃になるだろうが、その時は余っている麦糀で仕込んでみたい。沖縄の「おみき」を試作したくて麦糀一升を購入したが美味しくなかった。生麦糀そのものを咀嚼してみても好む味わいとは異なるから出来上がりの心配はあるのだ。とは言え余っている麦糀の仕込み先は「麦みそ」くらいだろうし,さーて如何しよう…。


二点位置流「昆虫すこいぜ!」

2022-12-22 | 小父のお隣さん
 12月も後半に入ってアサギマダラを撮影出来るなんて思ってもみなかった。作業を終え習慣的にトンボ池に足を向けて食草園の脇で見つけたのだ。地上に降りていてツッツモッツ脚を動かしているから「もう飛べないのか⁉」と思いつつ翅を見るとやはり傷みは大きい。
 しかし撮影をして更に接近し写そうとして動いた瞬間に飛び立ってしまった。翅の破れは酷いけれど飛翔は素早かった。そうだとしても渡りを終える可能性は少ないだろうし、どこかで捕捉されエネルギーに取り込まれるのだろうが、それも輪廻の中の事象に過ぎない。このあと5日ぶりにマユタテアカネも観たのだ。埋め立て作業も無事終えたし今日は良い日だ。
 それにしても水域は氷結したままだし吸蜜する花とて欠けたフイールドではエネルギーの補給さえ出来ないはずなのに「死ぬまで活きる」という遺伝子は立派で百獣の王は獣のまま考えの足しも出来ん。




雖覆一簣、進吾往也 3

2022-12-22 | 水辺環境の保全
 16日、この日の最低気温は1.8℃で前日より僅かに上がったものの体感的には似た様な気温で水域は前日のまま氷結している。埋め立て作業が続くものの埋め立ての用土に事欠いて老いたベルテルの悩みは其処にある。水底の泥土を浚うとしても水域には立ち入りたくない気温で、結局は埋め立てた後には不要となる現在の堤を削る事にした。
 とは言え十分な体積を確保できないのは見た目で判断できる状態でもあるからやはり悩みは継続したままなのだ。

 スコップで掘り取ると深く採り過ぎるし鍬で削るのも打ち込むたびに軟土なので鍬先にくっついたままで落とす手間がストレスになる。結局はスコップで薄く削りながら採土となった。タイトルには「一簣」とあっても実際はスコップで削いで埋め立てるのであった。まあ、この水商売は剥離多排、自転車操業である事に変りはなかった。
 昼近くになってトンボのお出まし時間にもなったからこの日の作業を終えたのだがまだ半分が残っている。埋め立てる用土をどこから調達しようか「無い物ねだり」は承知だけれど、やはり池に立ち込み泥浚いで調達するしかないようだ。

 ⇩
          

今日のトンボ「まだ飛んでいた!」

2022-12-21 | 小父のお隣さん
 今期のトンボの見納め日がオオアオイトトンボで16日、マユタテアカネは15日と記録したのだがまだまだ元気でアタックする個体が二匹もいたのだ。びっくり仰天玉手箱スチャラカチャンチャントンボ飛ぶ、である。マユタテアカネは前回に見た日より5日も見ていなく、その間は初結氷があり昨日はマイナス0.3℃まで最低気温が下がったのだ。
 居るつもりは毛頭頭に無くても、現実問題として禿げ頭であるから毛頭頭にない事になる気安さからついつい陽だまりに立ち寄ってアズマネザサの長い稈を片手に虫追いしたのが功を奏した、というより今日はようやく二つ池の埋め立てが終わった安堵感で日向に出向いた格好なのだが、まだまだ天も神仏もアッラーも見捨てなかったのだ。わざわざご褒美を出してくれたのが何よりの証拠で「論より証拠」ではない「ロン!より証拠」だった。しかしさすがにくたびれて温泉に浸かりたい。