トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ミズアオイ復活の兆し・・・

2023-07-31 | 水辺環境の保全
 竹で枠を作りミズアオイの生育範囲とした部分の3割ほどが食害を受け「どうなるものやら」と観察していたのだが久しぶりに訪れたら復活しているではないか。オンブバッタの大好物とS先生から伺っていたものの今期周囲の刈り取りは弱く草丈は必要量だけ伸ばしているから虫の発生量は多い。故に捕食者の数も多くなっているはずで「おっつけバランスは取れるだろう」と期待していた通りに今のところ見えている。

 食害されレース状になり枯れた葉に代わり新しい葉が展開したから株は小さ目だけれど「生育遅れ」の様に見えるだけである。葉の上にはオオカマキリだろうかまだグリーンの体長70mm程度の個体が散見される。捕食者はカマキリだけでなくカエルやトカゲなども加勢しているはずなのでこのままミズアオイが開花まで行ってくれれば設えたテスト植生は満足できるだろう。
 健全な食物連鎖系が成立できていれば食害で全滅なんて事も無いはずだ。開花そのものより「食物連鎖系の成立」による無事な結果が試行の楽しみなのだ。

 周囲の水稲も順調な生育ぶりだがこれは「環境植生」であり8月に入れば「青刈り」される運命である。小生は植え付けだけの手間で青刈りも乾燥も注連縄づくりも行わない。


今日のトンボ「コシアキトンボ初見」

2023-07-30 | 小父のお隣さん
 体感的には猛暑日が半月も続いておりこの先半月も続くかのような予報だし台風の進路から雨模様も期待できないようではいつまで続くこの暑さなのだろうか。さすがに年齢を考慮するとこの気温の中でのフイールド作業は救急隊員に迷惑を掛けない為にも遠慮する。
 それでも水見回りは欠かせず水位や漏水を点検しつつ上の池に立ち寄ったら気になるトンボが飛翔中だった。時折はシオカラトンボに追い立てられているので「シオカラトンボではない」と見当はついたものの池中央で飛翔しているのではっきりと撮影できないのだった。

 他に急ぐ用事もないので「枯れ爺も山の賑わい」とばかりクヌギにもたれて追視していたら池に挿した竹に止まってくれたのだ。しかしながら何時もの事でタフカメラは望遠側が弱く特にデジタルズーム域に入るとピントが大甘になるのだ。このカメラを購入する時、販売員は「タフカメラはお勧めいたしません」とアドバイスしてくれたけれど鏡胴のトラブルは必至の携行カメラなので撮影品質は二の次にしたのだがやはりブツブツと苦情は出て来る。

     

 それはともかく「コシアキトンボ」らしいから撮影したがやはりピントは悪く、それでも種の判断は出来たのだった。棚田部の草むらに居たメスのトンボを「コシアキかオオシオカラか⁉」と判断がつきかね写真と図鑑とを比較したらどうもオオシオカラトンボらしい。改めて眺めるとメス同士はよく似ている。フイールドで小生は判断できかねる相違である。

リンゴ色付くお爺はつかない・・・

2023-07-30 | 感じるままの回り道
 庭の紅玉だったか国光だったか品種はとうの昔に度忘れしたけれどひんしゅくを買うような事でも無し、すでにどうでも良いのである。「ひんしゅく」を漢字変換したら「顰蹙」と出たのだが翌日には自分で読めなかった。わが身にひんしゅくせねばなるまい。このリンゴ、摘果はするけれど施肥も薬剤散布も袋掛けも省略した成り物だから良果が出来るはずも無いのだが時期が来れば色付いてくる。
 ちなみにと言っては何なんだけれどお爺は色付かないものの頭頂部の輝きは中年の頃より増した。アグネスだったか「頭頂の輝き」なんて歌を歌ってくれたのは私の為です・・・。早朝のラジオから流れていたのだがアグネスにしろ小柳ルミ子にしろデビュー当時の歌は何とも幼く一唱懸命な歌いぶりに感じる。まあ、こっちが歳を喰ったからなのではあるが今時の歌は難解すぎるし聞き取れない。

 さて昨季もその前もだから例年、と言って良いのだがグンバイムシが食害するようになり落葉甚だしく当然更に不良の結果をもたらしてくる。今年も気配に気が付いて薬剤散布を行ったから落葉は防げたものの新たな発生が観られるからもう一度散布しなければならないだろう。
 実が熟しても大半は落下して蟻の餌になってしまう。ジャムにすると酸味が爽やかなので子どもたちがいた頃はジャム作りに精を出したものの今ではジャムなど不要な生活であるため1果か2果ほど味見すれば満足なのだ。果実は小さく酸っぱいし蛾の吸汁跡から腐りが広がったりしていてとても他人様には分けられないリンゴなのである。
 若い頃、八甲田山と岩木山登頂のおり弘前市郊外のリンゴ園を見た時があった。品種は異なるけれど大玉がたわわに着果していたのを思い出す。「リンゴを植えよう」の動機は弘前と全く関係が無い訳でも無いが「恥ずかしながら青春の1ページ」でたわわに実る事は無かったのだ。てなもんや三度笠。

      

*飲茶は麦茶

2023-07-29 | 小父のお隣さん
           翅ちぢれ羽化しトンボは草場なり

           露玉を虹に蜘蛛の巣朝日映え

           雨突いてイソヒヨドリの恋宣言

           雨避けてイソヒヨドリの巣立ちかな

           肩で息猛暑の屋根でヒヨの親

           野の昼餉キリギリス鳴くけだるさよ

           朝捕りを籠に入れ聴くスイッチョン

食欲増進材⁉で猛暑に対抗

2023-07-28 | 何よりの楽しみ
 連日の猛暑寸前とも言うべき昼夜、就寝する頃でも室内は33℃は当り前である。熱帯夜なんて言われる25℃超えの気温なんぞ涼しく感じられる今日この頃なのである。そんな折だからこそ大切なのは食事と休養だけれど休養は身も心も欲するままで構わないとしても摂取する食品はそうはいかない。喉越しが良いからとて素麺や冷や麦だけでは体がもたない。
 かといってまあ、「蚊!」と言うのも「まあ、痒い!」というのも室内外で日常茶飯事なものの身体によい事はひとつもなくかえって煩わしいだけである。

 そんな折に食欲増進に卓効を及ぼした食材が「キムチ+糀」なのだった。キムチ好きではあるものの辛さが少々苦手なので和風のキムチを購入していたが、やはり美味しさには違いがある。なんとか辛みを押さえたくて戻し再発酵糀を加えてみたのだがこれが想わぬ「美味しい」のであった。加熱しスライスした椎茸を加え熟成させてみたらこれはこれでシイタケの感触が新しい。てなもんや三度笠で再度か再再度になるのか今回も残り少なくなった糀キムチの後続を用意した。

 量販店で1kg入りのサイズが安いのが分かって今回は別メーカーの商品である。とりあえず冷蔵庫に残っていた乾燥糀100gを前夜から加水保温させて戻しておいたのを早朝に加えなおしたのである。都合がつけば糀とシイタケの購入を済ませ追加仕込みすればよい。前回のキムチそのものの賞味期限は過ぎてしまったものの他人の口に入れる物でも無く極めて個人的嗜好の範囲に留まる食品であるから意には返さない。
 この余人には眉をひそめさせるであろう構成食材なのだがご飯の上にてんこ盛りはもとよりサラダ・素麺・スパゲッティ等々思いつくままに加えて食べると相性も良いのだった。こんな混ぜ合わせ試食でもしてみるとやはり「旨い!」この場合「美味い」より「旨い」が字ずらでも相応しく思える・・・。
 早朝の室内気温は30℃を示している。クマゼミがかまびすしいがためかガビチョウの鳴き声は聞こえない。お山へは時折見回りして来るだけのこの頃でネタが切れそう…なんとか増量して持ちこたえようぞ。

        

*立夏の頃

2023-07-27 | 感じるままの回り道
              明け早し眠れぬ耳は音を追う

              夏の朝窓を移した日差し避く
           
              外見れば暮れかぬ刻の冷や夕餉

              鼻毛刈る穴涼しけり梅雨の冷え

              ミソハギを抜けば眩しき白根なり

              山青葉枯葉舞う舞う竹の秋

              夏草や雑兵バッタはバッタバタ

秋でも無いのに何故か植えたくて・・・

2023-07-26 | 今日は真面目に
 「秋でも無いのに云々」の歌いだしの歌、澄んだ歌声が好きだったのにほどなく引退全く別の路へ進んだんだとか。この頃の放送で聞こえてくる歌は詩は聞き取れないし歌唱力も無いような歌ばっかりで小生には雑音としか聞こえない。まあ、カエルの声やセミの声、はてまた木の葉のざわめきさえ「煩い!」と苦情を申すご仁がいる浮世であるから立場を替えれば小生も「煩い!」という範疇になるのだろうか⁉。

 それはさておいてヤマツツジの根巻き苗が届いた。この暑さだしいつまでも先送りする訳にもいかず都合がついた日は苗が届いてから三日目だった。萎れ具合が心配だったもののさほどではなく、とりあえず水に漬けて吸水させておく。この間に植穴を掘ったのだが今回は体験学習と称し夏休みに入った孫を連れだした。
 まずは孟宗竹の混み入った部分の小径竹を選ばせ5本ほど除伐させ処理を済ましてから植え付けをしたのだ。この処理で竹の杭を5本用意の手筈だったものの蚊の襲来に恐れ入り蚊取り線香を腰に結んでいたもののやぶ蚊の煩わしさが止まず半分は投げ出して退散したようなものだった。で、支柱の添い竹は無しとなったのである。

 さて植え付け場所はヤマツツジの一画を想定していたもののこの暑さと日照りで作業する方も熱中症の危険もあるし定植後の衰弱も可能性は高いと読んで直射光の当たり難い山蔭に列植した。これはこれで通り沿いなので活着し開花すれば人の目も楽しませるだろう。暑さ負けの心配は薄れても今度は「抜き盗り」の可能性が増した。指差呼称し人目が無ければ抜き盗りそのまま車中へは容易な場所である。
 それはそれで防止の手立てはないから蛇足であって、その時はその時なのだ。考えてみるまでも無く「その時はあの時」とは言わないが言える時もあるのが人生や言葉の妙と言えば妙かい・・・。

 植え付け場所の固い地面は小生がツルハシでほぐし孫にスコップで植穴を広げてもらう。そこに水浸けしておいた根巻苗を投じバケツで池の泥土を掘り取りぶちまける。更に掘り上げた土を戻して水決めして終了した。泥土を投入したのは根巻の周囲を湿潤にしておきたいからなのだが空気の通りが悪いから過湿と高温で悪い結果も想定されるけれど、今回は「水分大目」の手当てだ。

       

**猛暑追笑

2023-07-25 | 感じるままの回り道
           草木満つ汗は滴のこの身では満つは臭きの加齢汗臭

           山笑う年の総計夏に在り出ものハレの日ところかまわず

           半月の命も人世の刻のよにトンボもチョウも浮世なりける

           行き通う小道もあらで夏草に蔽われ昨日の踏み跡見えず

六根消耗お山は晴天…宿根残根おいらは残念

2023-07-24 | 今日は真面目に
 「ヒッツキムシ」と呼ばれる植物は幾つかあるのだが繁殖力の強いのがヤブジラミとヌスビトハギである。アメリカセンダングサも引っ付くと難渋するけれど生育範囲に拘りがあるらしく前者二種ほど蔓延していない。ヤブジラミとヌスビトハギは周囲の植生より花穂一つ分抜きんでて結実して来た。これをそのまま発芽する状態にまで実らせれば来期は更に繁殖域を広げてしまうだろ。連日の猛暑日中ではあるけれど先に延ばせば発芽力が伴ってしまいかねず除草する事にした。

 理想的には根こそぎが最善策であることは承知なものの宿根草だし1本抜くのも結構な力を要する。そんな事で不承不承密集部は刈り払い機で、拡散域は造林鎌で地際から刈り取った。写真の部分は密集部で刈り払いした部分、撮影はしてないけれど造林鎌で個別撃破した範囲は一見して踏み荒らしたようにも見える。個別撃破を適用する範囲でも刈り払い機で済ませるのだが暑い盛りに重いのとエンジン音が煩いのを敬遠して造林鎌にしたのだった。
 とは言え鎌による刈り取りは刈り払い機より動作量が多いはずで刈り払い機は重いしまあ、どっちを選んでも身体的にはさほどの負担差はないだろう。
 本来は草刈り鎌で対応するのが確実に地際を攻められるのであるものの中腰の作業が続くので多少は雑になるけれど造林鎌で行ったのである。これだと立ち位置そのまま生え際向こう側に刃をあてがい引くだけで良い。本数があれば撫で切りで済む。ただこの場合、鎌を地際水平に置けないから「ロスもあるかなあ…」ナンチャラカンチャラお山は晴天。


**猛暑伴笑

2023-07-23 | 感じるままの回り道
         初記録なれば果報と思いきや失うものの増えし恐れよ

         葉の上に顔近づけてハナグモの威嚇の手ぶりしかと観しかと

         赤とんぼ我が肩袖に止まる見て紅筋おもう久しき昔

         永らえて姥捨て山の孤爺でも憂しばかりなる青き日笑みし

二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「オンブバッタの食害」

2023-07-22 | 感じるままの回り道
 ミズアオイはオンブバッタの好物だとS先生から話を聞いていたものの実際に被害が露わになるとミズアオイにとっては花期を迎えるのに回復不能にも思える惨状になった。元エコトーンの突き出し部をミズアオイの試作域に改変したのだが日当たり良好の先端部から被害が広がっている。
 最初は被害の葉を観ても虫の姿も無く糞はあったけれど加害者の確認が出来なかった。しかしたまたま水域に立ち入って健康な部分を眺めていたらオンブバッタを見つけたのだった。葉を丸々食害して失わせてしまう様な食べ方ではなく表面をなめとるように食べていたので最初はナメクジかカタツムリだろうと思ったものの食害の現場で現行犯撮影できたのだった。

 とは言え薬剤散布する意思など毛頭ないしオンブバッタ目当てにカマキリなどの肉食性昆虫が訪問してくれればそれはそれで下手なテレビドラマより面白い。食害されてしまった株には既に光合成する力もないだろうが新たな葉を出してくれる可能性はあるだろう。まあ、どちらにしてもミズアオイを播種から開花まで観察するのは初めてでもあるから先行き不透明でもある。
 播種に先立ちチェックしたページには「その昔、食用にしていた」との記述があったので葉の表面をしげしげと眺めてみれば刷毛で描いたようなスジがありこれはこれで美しいのだった。植物体そのものは大株になってはいるが水分の多い体質の様にも思え、さっと湯掻いてお浸しにしてみても美味しいのかどうか、葉が食害された株の葉柄を試食しても良い気はするものの軟らかいズイキのような食感なのだろうか。さーてどうしたもんか・・・。

 ここで思い出して自己回想療法だ。早く言えば単なる妄想なのだが九州への修学旅行時、バスが土産物店に立ち寄った際にM君がズイキ製のブローチみたいな物を眺めていた。からかうつもりで「この地方の特産で珍しいナンチャラカンチャラ」と講釈を垂れたら「彼女への土産に…」とリング状の物に手を出したのだった。
 慌てて種明かしし購入を止めさせたのだが密やかな使い道を知らなかったのだった。昨今ではどうなのか現実はどうだったのか知る由もない小生ではあるがズイキは「随喜」に掛けたのかどうなのかまあ、あまり話題には出来ない内容であるけれど高校生で知ったのは勿論、小説からである。使った事は無いが食べた事は多い。


装飾花でも判らん・・・

2023-07-21 | 小人閑居して憮然
 連日の猛暑振り、少しは涼しいかと何十年ぶりに富士山の水が塚まで行って見た。後日、混雑しなければ宝永山まで歩いてみるつもりもあったので早く言っても遅く言っても「下見」みたいなものである。駐車料金は1時間以内なら無料なので長居する訳にもいかず食事だけ済ませ無料の駐車場に移動したのだ。

 高度差は100mあるかないかだから気温も植生もさほど変わらない。若い頃はアンズ茸やヤマブドウを捜して彷徨した高度だけれどその当たりは当時の面影も無くなっていた。駐車場の周囲に「アジサイ」に見える花がぽつぽつと見えている。装飾花もあるしアジサイと思って観たのだが葉の形状が違う様な気もする。とは言えそれほど関心があった訳でも無く撮影対象も無いので写して帰宅したのだが「さーて、こまった」。

 図鑑対照しようにも写真からの情報が少ないので決めかねる。ヤブデマリなのかヤマアジサイなのか、はてまた別種なのか判断がつきかねる。まあ、判断できなくとも困る事ではないけれど、こうしてアップすれば馬鹿さぶりを公開する様なもので、こういう場合は「炎上」は無く「凍結」になるのだろうて。
 装飾花も花弁?3枚があり4枚もある。花序が盛り上がるタイプもあれば平たいタイプもあって写真では葉の付き方や鋸歯の様子も判然としない。まあ、どうでも良い範疇であるけれど「気になってしまった以上、未消化物は胃に悪い」のだった。

                    




二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「庭の空蝉」

2023-07-21 | 小父のお隣さん
 何時頃からかネズミの額程度の庭から蝉が羽化するようになっている。庭木に吸汁する様な樹も無いのだが恐らくリンゴの樹に産卵したのだろう。
 空蝉を採取して孫に見せたのだがさしたる興味も示さず爺としてはいささか落胆したのだった。「子供はみんな昆虫好き」なのは単なる妄想であった。それはともかくたかだか二本の樹で根を張れる表土の厚さは40cm程度しかない。決して環境が良好とは言えない場所でも蝉が発生してくれるのは薄い表土に耐えているリンゴの樹様々なのである。
 せめてものお礼に道路わきに溜まる土砂や枯葉を周囲に置いているので長年の間に「高植え」状態になってきたのだが今度はフジバカマやキャットテール、ホトトギスなどが生い茂ってまあ、こんな環境も蝉の幼虫を育む一助になっているのだろう。

 さて空蝉に限らず空蜻蛉も対象に何とか壊れない抜け殻を作りたくてマニュキュア液や木工ボンド水溶液などを塗付したりしてみたが強度は上がらない。空洞の中にシリコン剤などを充填出来れば申し分ないけれど脚や触覚などは充填出来る訳もなくS先生ならば解答をお持ちかも知れないと思っているものの夏場は講師に引っ張りだこで四本しかない手足を全て握られている現実ではそうそうフイールドで小生の無駄話には付き合えないのも熱い現実なのだ。

              

今日のトンボ「オニヤンマ初撮り」

2023-07-21 | 感じるままの回り道
 水見回りで三日月池に立ち寄ったところヤンマが飛翔しておりシオカラトンボに追われていたりしている。場所柄、ヤブヤンマかと思ったのだがオニヤンマだった。池の中に倒れ込んだクワの枝に止まってくれたから初撮りとなったものの数枚をズーム倍率を変更しながら撮影したけれどものの見事にピントが甘い。
 ピント合わせはスポット焦点に設定して半押し後の合焦音と焦点枠の合焦色に変わったのを確かめたのだったが意思に反した結果だった。まあ、鏡胴式は塵による繰り出し障害を起こして3台が廃棄となってしょうがなくタフカメラに変更したものの今度は性能と言うべきか能力不足と言うべきかあの「右を向いても左を見ても筋の通らぬ事ばかり」と青筋立てるしかない。

 オニヤンマは飛ばなかったが話は飛んで「神さび立てる宮の森」で始まる母校の効果、作曲は中山晋平氏なのだがものの本によれば「当時、頼まれて全国津々浦々の校歌を作った」のが仕事だったとの事。事情を知らない長姉は「有名人が作曲した校歌」と効果抜群でいるものの実態は知らせないままである。
 さてまあ、全く関係は無いけれどオニヤンマは縦止まりでさしずめ「オニヤンマ立てる爺の森」なのだがたたない爺もいる。「朝っぱらからなんて内容!」と御怒りの向きもいるかもしれんで申し添えれば高齢化による「立志のこころ」なのであって・・・てなもんや三度笠は連日の猛暑のせいでごわす。

     

オオカナダモの抜去は今期四回目かぁ⁉…

2023-07-20 | 小人閑居して憮然
 冬期の短い間しか水が澄んだことが無い池なので冬期はともかくとしてもシーズン中は濁りがあって水中の様子は定かではないのだ。それでも水底に根を張り成長を続けるオオカナダモは水面近くまで育てば存在の確認が取れる。昨季晩秋に抜去し今期の春の再萌芽を確認し水の冷たい頃に抜去開始したのだが恐らく今回で今期四回目にはなっているはずでもしかしたら五回目だったかも知れない。

 斯様にオオカナダモの根絶は難しく除去するたびに取り残しや千切れた部分が浮遊沈降して新たな場所で生育をするのだろう当初の抜去範囲よりも広がりを見せつつもあるのだった。数種のヒッツキムシの抑制をしたかったけれどオオカナダモの環境への悪影響が大きいのでオオカナダモの抜去に入った。身支度は胸までの胴長にゴム引き手袋、腰には必須の蚊取り線香を装着である。ようやく煩わしいメマトイのストーカーが去ったと感じる時期になると今度はウシアブの出番になる。
 駐車場に降り立てば直ぐに数匹のウシアブが車体やタイヤに飛びついてくる。温度を感じて寄ってくるのだと理解はしているがいつ何時わが身にまとわりつくか知れないので捕虫網で捕らえて間引く。まあ、数匹程度を間引いたところで何の役にも立たない言わば気分的行為であるが捕まえたアブは蟻の巣穴近くに置くと早速アリたちにより巣穴に消えていく。その様子を爺っと眺めているのはファーブル少年なのであった。

 さてオオカナダモの抜去も体験的に論じれば「歩いても歩いても小舟の様にナンチャラカンチャラ…」に似て「抜き取って抜き取ってタライに入れてもまた同じ日がウンザリサンザンナンャラカンチャラ…」はお約束だ。さて装備品はタライにロープを結わえ真竹の杖をロープで括る。その中には長柄の貝掘り熊手を入れ水域に立ち入るのだ。杖とタライを結びつけておくのは必須でそうしないとタライは遥か太平洋に流れ出すかも知れないし真竹の背丈を越える杖が無ければ深い泥の中で脚を運ぶのに難渋しあえなく沈しかねない。杖を使っても膝近くまである泥の中では不用意な動きをすれば容易に沈は発生する。いくら生まれも育ちも南魚沼の雅な米作農家出身の朕とは言え沈は願い下げなのだ。

 さて抜去は濁った水中に手を入れてオオカナダモの根元をまずは確認しその周囲に貝掘り熊手を突き入れユサユサと遊動させつつ泥から引き抜く。短気を起しざっくりとやろうものなら茎や根はは千切れ更に拡散させることになりかねない。まあ、根気根気・辛抱辛抱・短気は損気と言い聞かせつつの四つ這い作業である。
 水中に素肌を晒すのには一抹の不安もある。ゴム引き手袋は装着していても手首から二の腕までは露出している。この部分にセルカリアによる皮膚炎を発症する恐れは多分にあるのだ。今期の棚田部に青刈り用・環境植生として育苗バッド2枚分の水稲を植えつけたのだがその時に軽微ではあったものの手首から指先までの軟らかい部分に赤色丘が発生した。受診はしなかったもののネットの画像と比較すれば紛れもないセルカリア皮膚炎だったのだ。

 そんな一抹の不安はあっても長いゴム手袋では指先の感覚が鈍る。それでなくても高齢化は日々進行し低年金化も止む事が無い。ゴム引き手袋も結果的には外しての作業になった。時間にしては小一時間足らずなのだが沈と感染リスクを抱えての真夏日の作業は何とか無事に済んだのであった。それでも秋風が立つ頃にはまた抜去に入る必要がある。どこの阿呆がこういう種の投入を行ってくるのか確認の仕様が無いのが更にシャクの種でもある。尺取虫の動きは優雅でもシャクの種は枯れる事が無く不愉快極まりない。個人が特定出来たら泥の中に引きずり込みたいのが正直なところである。
 とにかくまあ、そんな事で冷静にはなれない抜去なのであるが視点を変えれば尺取虫と同じ動きだ。「一つ取ってもう一つ」の繰り返し。人生は尺取虫だ!。それも泥に脚を取られた尺取り虫である。アンガーコントロールで「泥中麗花」と自己認識させようと思いつつも全身汗水泥まみれでの孤爺ではのう…身の程はまだまだ知っておるわい。