トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

F1愚乱振り

2009-09-30 | 小人閑居して憮然

Photo『組み換えは種の貧困化愚弄張る』

『F1と組み替え席捲土は死す』

『夢燃えた貧者のF1灰も消え』

『鳴り物の希望のF1手を返し』

『組み換えが侵す遺伝子多様性』

 先日のニュース欄に「土手の菜から組み換え遺伝子を確認」という記事が小さく載っていた。F1(一代交配種)や遺伝子組み替え種子が世に出る頃「管理されるから遺伝子の伝播は起きない」などという論調で擁護されていたことを思い出した。

 風媒や虫媒をどうやって管理するのか素人目にも嘘臭いと思っていたのだが・・・・・・・・・・。

 植物も昆虫も外来種との雑種が増えてきたとの報告がみられるが遺伝子汚染には違いない。それはそうと掘りの亀にもミシシッピーアカミミガメが目立ってきたが在来種の駆逐や交雑の心配は無いのだろうか。

 詰まんないことで四時に目覚めてしまった。雨なのに…。


セオリーは大事

2009-09-29 | 今日は真面目に

Photo_7  30個ほど製作した知恵の輪のうち半数が割れてしまった。理由は簡単だ。乾燥不十分の部材をくみ上げたから・・・。

 時間がないから大まかに電子レンジで乾燥して加工したのだが、30度近くにもなった日に朝からコンクリートの上で直射日光に当てたのが更に歪を増幅させてしまったのだ。

 夕方にはいくつかひび割れが現れ、翌朝には破断したものまで出る事態となった。考えてみれば輪切りの部材の収縮方向は円周方向(横)で間に挟んだ板は縦方向の繊維だ。

 よく考えなくても収縮率が異なり、応力に対する抵抗力もその繊維の方向からして全く比較にならないくらいの違いがある。これは割れてしまってから気がついたことで「祭りの前」だが「後の祭り」となってしまった。

 工作などはこの頃ご無沙汰なので、こういう基本的なことを失念して失敗してしまうこととなった。この教訓は次に生きるのだろうか。

 ちなみにこれはオリジナルで、3種類の遊びが出来ると自慢の逸品だったのだが。次の懸念は生存率だ。


役者は台詞

2009-09-29 | 勢子、雨毒に侵されて呻く

Photo『禿頭青尻が言う国起こし』

『願わくば生権後退無き様に』

『算盤と期を見るに敏官無僚』

『官僚に公僕いくつ混じりたる』


栗拾いも終了

2009-09-28 | 今日は真面目に

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 ボーイスカウトとカブ隊が引率されてツリーハウスを作りにやってきた。栗はほとんど木には無かったが大型ペールに取り貯めた毬のままの栗を木の下に撒いて拾ってもらった。利用する当てのなかった栗だったが役に立った。栗拾いは初めての児童もいたのだ。

 これで今シーズンの栗拾いは終了。団体で3グループ、小人数では何人入ったか・・・。不作の割には長持ちしたといえよう。早速お礼肥えを施さなくてはならない。

 栗は秋の食欲を満たす味覚ではあるが、食欲を満たしながら芸術も行っている器用な虫も近くに居た。いわゆる「絵描き虫」だ。喰い進んだ結果とは言え、遠くからでもわかる葉を白く見せて作品つくりに余念がない。

 作品ではないが「?????」と思ったのがタテハの産卵だ。オオバコなど地表面の葉やゴミにまで尾端をこすりつけている。よほど産気づいて切羽詰ったのかとおかしかった。立派な体格だった。しかし産卵しても一匹も成虫にはなれないから悲しい。

 そういえば、カラスザンショウには尽きることなくアゲハ類の産卵が続いているが、まだ一匹として終令幼虫になったのを見たことが無い。ここにも食欲の秋が垣間見える。

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        『栗を取りニギリ食べれば竹ボラの響く谷あい童賑やか』


早速に拙速

2009-09-28 | 合混で闘作すれば

 新政権が 色気を出せば

   知らぬを知らぬ 拙速じゃ ハァ コリャコリャ        弥生姐さん 

 芋煮鍋素性わからぬ闇煮鍋それしか喰えぬ民は哀しき  薄秋

 つむじ風枯葉病葉一騒ぎ                     一風

 夏の陣一匹刑場塚祭りそろた永田で仕事忘却       疳虫

 番記者もエンタメ記者も同じ色                 双一


ウラギンシジミ

2009-09-27 | 小父のお隣さん

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 護岸作業で掬い上げた泥にウラギンシジミが吸水に来た。久しぶりの出会いだが、羽根を閉じて止まるのでなかなか発見しにくい。

 でも一旦飛び立つと鮮やかなオレンジ色が目を刺激する。飛び方も敏捷だから追いかけるようなことは始めからパスである。羽根を開いて止まってくれないかと思うのだが今日は僅かに羽根を開いてくれたので覗き見ができた。

 刷毛でサッとオレンジ色を塗り放ったデザインがなんとも美しい。タテハの類も美しいと思うが、そろそろくたびれた個体が目に付くようになる。今日の個体は羽の先端が千切れていた。それでもアザミの蜜を吸っている彩が綺麗に思えてカメラを構えたが、紫の花が見えないうちに飛びたってしまった。「飛びタテハー」だ。「アザミー!」

 

 

名月でなくとも

2009-09-27 | 感じるままの回り道

 『半月に足らず目を射る今日の月』

 『ドリンクを干して眺める雲間月』

 『おぼろ月人影淡く鈴高く』

 『群雲に由りて濃淡影は行く』

 『長月とあればしばしば月仰ぐ』


悲願右岸護岸

2009-09-26 | 水辺環境の保全

Photo  家での竹細工も指が痛くなってきたし、朝食前から暗くなるまでの手作業は思いのほかくたびれる。

 30度前後の暑い日を二日やり過ごしたので、今日は気になっていた護岸作業に出かけた。左岸の護岸は既に終了していたので右岸の護岸作業とその水流の上部は落差があってえぐれるので、丸太を敷き詰めて段差工を施した。

 しかしやっぱり暑かった。とは言え、ここの水流保全は何年も前からの懸念事項でようやくすっきりした思いになった。

 浅い水辺と水溜りを確保したことでトンボの種類を多く見れるようになったのは楽しい。今日はヤンマは飛来しなかったが、サナエトンボが縄張りを張っていて「馬鹿だなあ」と思ったのはアカトンボにも突っかけていたことだ。

 アカトンボも負けてはいないが、そこは体格の差で最後は逃げる。サナエトンボを撮影しようと思っても停止しないので、待ち伏せてシャッターを押した。どうしても画面の中央に持ってくるのは難しい。反射神経の問題ではない、と断定している。

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今はもう秋

2009-09-26 | 感じるままの回り道

Photo_2『どこまでもゆきあいの空胸を張る』

『秋桜稲穂へ揺れし棚田かな』

『コスモスの原で迷えば青き天』

『花すすきイナゴよそこは硬かろに』

『網架けし稲穂海原群れスズメ』


メビウスの輪

2009-09-25 | 性向有毒の翁なれば

 『籍二日一年喰える凄い額』       Photo

 『敬老は鶏老に似て振り分ける』

 『民人は牛尾にもなく蹄の跡』

 『もう恋し利以満蝕苦いつの事』

 『渡り盗り見ぬし聞き捨て話題せず』


ウスバキの群れ

2009-09-24 | 小父のお隣さん

 谷あいをウスバキトンボの群れが飛行している。このところ連日だ。今日はたまたま三匹が仲良く羽根を休めているところをキャッチした。止まり易い条件でもあるのだろう。

 ウスバキはアカトンボとはまた別の美しさがあるが撮影しても背景に紛れてしまい対象としては意欲を減ずるトンボだ。そうは言ってもはるばる海を越えて飛来し、日本の里山を代表するトンボでもあるから今日は敬意を込めてページを提供してみた。

 ショウジョウトンボやアキアカネなど、赤色の目立つトンボは見つけ難くなってきた。ヤンマやシオカラトンボはまだ飛行する姿がある。

 近くではキクイモの花が鮮やかだ。花は鮮やかだが姿が崩れてうっとおしい。一時期、畑に芋を漬物で食べたくて導入したことがあった。地下茎を縦横に伸ばして芽を出すので、駆逐するのに何年もかかってうんざりした。

 ここの菊芋も畑から逃れた末裔だろうか,芋は貧弱だった。

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三食ろくなものゴチ

2009-09-23 | 感じるままの回り道

 『柴栗も枯れて早落つこの秋は奥山の者ひもじかろうぞ』Sn3d0227

 『実り無きアケビの茂み見上げれば空点々と実のごとき色』

 『渋柿をカラス突いて落としけり枇杷も西瓜もおのれは仇』 

 『高鳴きのうるさき朝に何事と窓を開ければ今日も快晴』


ミドリヒョウモン

2009-09-23 | 小父のお隣さん

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 近くの畑にコスモスが咲いてきたが、黄花コスモスだけにミドリヒョウモンが群れていた。花色と似ているからカモフラージュそのものだ。蜜の美味しさが異なるのか蜜が多いためか知らないが壮観だった。ざっと数えても二十匹近くが集まっていたのだから。

 スズメガも飛来していたのだが花に止まってくれないから撮影が出来なかった。ホバリングしながら管を伸ばして次々と花を替えて行く。管は結構長くて体長ほどもあったように見えた。呼気が届く眼前の近距離で見ていると別世界だ。

 ところで見た目は綺麗なコスモスの株に訪れるのはセセリの仲間だけで少々寂しい。どちらも園芸種だが黄花コスモスのほうが野生に近いためだろうか。花の品種改良が進むと花粉も蜜も少なくなる、という話を読んだことがある。

 


栗拾い

2009-09-22 | 小父のお隣さん

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 今年もいつもの顔ぶれが栗拾いに来た。作柄はやや不良だから拾い貯めしておいたのを林床に撒いておいた。

 子ども達も何回目かの体験だから、当方も手を出さず道具も竹竿だけにして自由にやらせたのだが、始めはしり込み、そのうち競って落としたり奪ったりして騒いで楽しんでいたが、少女達は堅実で丹念に探しては剥いて収穫していたのだ。

 子ども達が来る前の竹の集積場所を移動していた時、小蛇を見つけた。シマヘビかとおもったが色合いも違うようだし確定は出来なかったが毒蛇ではないので子ども達に持たせてみた。結構喜んで触れていた。ちなみに小生は触っていません。

 蛇もそろそろ冬眠に入る時期が近づいている。そういえば季語にそんなのが有ったなあ。


句聖、ごめんなさい

2009-09-22 | 温故痴新

 『飲み白け馬の威張るやお膝元』

 『髪乱れ抜け残りても光るだろう』

 『夏虫や殻に風巻く野のさらし』

 『夏ごろも未だ知らずに架けさらし』

 『死にもせず蟷螂哀れ秋の暮れ』