まい・だいありー・ばい・えむ ~都わすれ~

振り返れば、まんざらでもない日々をめざす雑記帳。

6年という月日

2024-04-10 22:31:08 | 回顧録
今日は、お孫ちゃんの中学の入学式。

結局、夫はお母さん(娘)に言わされたお孫ちゃんからの
「じーちゃん、来て~」の電話があったようで
無事、出席しました(笑)

で、送られてきた写真。





背が伸びた。当たり前か。
同じようなアングルの写真、襖の引き手の位置が
胸から腰へと変わっています。





6年前、小学校の入学の時。

とおもったら卒園式のだった。
ま、いいか(笑)

初登校の日、
心配でついて行こうとする母に
「オレ、もう小学生じゃけん、ひとりで行ける♪」
と言い、大きなランドセルを背負い
テクテク歩いて行く後ろ姿に涙が止まらなかった。と
娘が言っていたことを思い出しました。

あれから6年、そのしっかりとした足元に私からはカッコいい、
よそ行きの?スニーカーを贈ろうと思います(笑)





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差し上げたもの、差し上げなかったもの

2024-01-05 21:29:08 | 回顧録
母が亡くなってほどなくして、母が使っていた車椅子を
居宅支援事業所に差し上げた。
あと、新品の肌着類も。

車椅子は、母が歩きにくくなって居宅支援事業所で借りたときに
数がまず少ない、あってもブレーキが利かないなど故障や傷みがひどい
乗る母も押す私も恐々だったので、少しでも台数を増やしてあげたかった。
実家は公営住宅で、近辺に住む利用者さんの中には経済的に厳しい状況で、
新しく肌着を購入するのも難しい方もおられるそうだ。

差し上げなかったものは、ポータブルトイレ。
他人の素肌が直接触ったものはどうなんだろう・・・と思ったのもあるけど
緊急時に利用価値があると判断した。
2階建てなどのお家ならトイレは2カ所あるのかもしれないけど
一般的なマンションなどは1カ所だけ。
家族にコロナ・インフル感染者などが出て別にしたいときにも助かる。


ポータブルトイレ。トイレまで行かずともベッドのすぐ横にあるのは
とても便利だった。
でも、最初の頃は、お小水をトイレに流して受けバケツを
お風呂で洗ってを繰り返していたけど、これが結構大変。
病院のように汚物処理室があるわけではない。
それに、ニオイがとても酷い。青い消臭剤をいれても・・・
で、ポイレットという処理袋なるものを見つけた。
受けバケツにセットしておけば、
内側が消臭効果のある吸水パッドになっているので
用が済めば口を閉じて燃えるごみで出せる。
ただ、値が張る・・・・
なので、我が家では厚地のビニール袋に尿取りパッドを数枚敷いて利用した。
介護、特に一人でするには体力がいるので、これでずいぶん助かった。

実家にはあるポータブルトイレも我が家には無い。
なので、私はパイプの折り畳み式簡易トイレを数年前に購入した。
ビニール袋と母のパッドも捨てずにとっている。

しかし、ふと思った。
今の子は和式トイレってあまり使ったことないよね。
デパートでトイレに行くと奥に1つ開いてるドアが、和式だったりする。
そこは誰も使わず、洋式が空くのを待ってる。
私は、逆に和式のほうが気が楽です。
うちの母もデパートで和式使ってたなぁ、膝が痛いって言いながら。

母の車椅子、現役で使ってもらえているかなー。










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昭和がやっぱり好き

2023-02-10 23:30:57 | 回顧録
昭和の時代、時間がのんびりだった気がするのは
私が子供だったせいもある。

近所のお姉さんのところに遊びに行くと
鏡台にニベアがあって塗ってくれたり
隣の食堂の2階には高校生のお姉さんが住んでいて
いつもGSが流れていたっけ。

お米屋さんが配達してくれるプラッシーを
飲みながら、流れる雲をぼーっと見たり。

母が作った小さな池の金魚がどんどんいなくなるのを
実は当時飼っていた犬が上手に獲って食べていたのを
知ってたけど犬が怒られてしまうから内緒にしておこう
私と犬は友達だからと思ったり

野口五郎の「青いリンゴ」は酸っぱくて
とても食べられたもんじゃないと経験したり

明日は何して遊ぼうか。
そんなことばかり考えていた。

少し入った路地のいきどまりのところに
段ボールに入っていた子犬たち
そのすぐそばのアパートからいつもガロの曲が流れていた。


一枚の楽譜 - GARO


ガロ (GARO) 『君の誕生日』 1973年


GARO - 学生街の喫茶店


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ヒヤシンス

2023-02-07 23:44:15 | 回顧録
もう何年も思いながら忘れていることがある。
それはヒヤシンスを育てること。

このヒヤシンス。
多分私が生まれて初めて花の香りを認識した植物。


5歳の頃だったと思う。
保育園の部屋の中で色とりどりのヒヤシンスが水栽培されていた。
大きな窓から太陽の光がいっぱいに入る部屋で
何故か私一人だけがいた。
空気は冷たかったと思う。
そのヒヤシンスにも太陽の光が注がれていた。

「いい匂い♪」顔を近づけ嗅いだ。

多分、違う部屋でお昼寝の時間だったのだと思う。
だから、みんな部屋で寝ていて私は抜け出していたのだと思う。

先生の呼ぶ声がして、私は廊下を走って行って
角のところで、先生についてきた園児とぶつかり
額に大きなタンコブができた。

ワーワー泣く私に先生は、砂糖水をタンコブにつけてくれた。
当時の民間療法?だったのだろうか。
私は、顔がザラザラベタベタしてちょっと嫌だった。

私にとってヒヤシンスはノスタルジーを感じる香りだ。


画像お借りしました



ふきのとう/白い冬 ≪歌詞≫ (1974年)




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昔、ハマった朝ご飯。

2023-01-16 23:58:35 | 回顧録
とぉーいとぉーい昔のことです。
小学6年生、11歳頃のこと。
えっ・・・ほぼ半世紀前・・・( ゚Д゚)

ミッキーマウスの腕時計が欲しくて
夏休みから朝刊の新聞配達を始めたのです。
買うためのお金はひと月で目標を達成しました。
当初すぐにやめることができるのだと思っていたのですけど
世の中そんなに甘いものじゃない・・・と
11歳にして知りました(笑)

その頃、新聞配達をする子供はわりといて、
とはいっても皆夕刊で、さすがに女の子で朝刊を配る子は私だけ。
多分、5時頃に新聞販売所に行って自転車の前かごと後ろの荷台に
新聞乗せて、肩から脇にかけた新聞バッグにも新聞をいれて出発。
自転車に載せきれなかった新聞は、決まった場所に販売所のお兄さんが
持って行ってくれています。
130部くらいだったのかな、今考えると結構な部数だったのでしょう。
私は目覚ましが無くても起きられる子で、朝が早いのも全く心配のないタイプ。

始めたのが夏だったので、周りも明るくて楽勝なんですよ
それが段々と夜が長くなり、暗い中、配ります。
暗いと怖いわけです。子供ですから。
一度雨の日に、荷台に載せた新聞にかけたゴム紐が甘かったのか
角を曲がった瞬間に新聞を道路にばらまいてしまい
大泣きしたことがありました。
どうしていいのか分からず、泣きながら茫然と立ち尽くしていたら
そこへ偶然、販売所のお兄さんが車で通りかかって
めちゃくちゃ怒られました。
怒られたのは、新聞をダメにしたことではなく、すぐに販売所の大人の人に
助けてもらおうとしなかったことでした。

次第に季節は冬となり、雪が降ったりします。
最悪は霙だったりします。軍手も濡れて、手が痛い。
でも、心配ないです。小学生なので元気です。
お正月の元旦、これはもう異常にチラシが入っていて
1部が重いこと。なかなか大変で時間内に配り終えることが難しいと
助けてもらったと記憶しています。
今は定期的に休刊日がありますが、昔は滅多になかったような気がします。
一度だけ熱が出て休みました。
スゴイ!なんて健康優良児なの(笑)

で、
朝から一仕事した私は腹ペコです。
その頃ハマったのが赤飯。
スーパーにお餅屋さん?が卸してる透明なパックに入ったヤツだったのですが
それを永谷園のインスタント味噌汁あさげ(粉のインスタントじゃないとダメ)
の中に入れてぶっかけ?にして食べるのです。
母が昆布や鰹ぶしやらで出汁を取った由緒正しいお味噌汁じゃダメ。
でも、それでは足りず山盛りのコーンフレークに牛乳をかけて食べます。
それを飽きもせず毎日食べました。

だから・・・




すっごい太った・・・


というお話でした。着地点までが長い(笑)
しかし不思議なものにハマったもんです。
ま、時に子供は変なものを好む。


その後、新聞配達は中学生になり部活が忙しく
無事辞めることができました。
なので、実質9カ月という短い期間でしたが、
よい体験をしました(*^^*)









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表彰状詐欺?

2022-11-08 23:30:43 | 回顧録
小学6年生の時のこと。
虫歯0のコが表彰される「歯科コンクール」というのがあって
私も表彰された。

が、何十年も疑問に思っている。
その虫歯0は、その時点で虫歯0なので、治療が済んでいれば0ということだった。
私もその一人で、治療済みの虫歯が3つくらいあった。

「本当の虫歯0とはちょっと違うのではないか?」
「私はニセモノではないか?」

と思ってる。
というのも、多分、数か月前に告知があって、
私もこの表彰状が欲しくて急いで歯医者さんに行ったから。

表彰状。
すごく素敵な響きだ。

私がもらったことのある表彰状は絵画コンクールで金賞をもらった1回のみ。
受賞を知った瞬間、耳まで真っ赤になったであろうほど顔が熱く
死ぬほど嬉しくて、すごい笑顔で思わず走り出したのを憶えている。
失礼・・プチ自慢・・・です(笑)

冬でも半袖で体育をする児童は元気。
「無遅刻・無欠席」で表彰される。
私は程遠い。
少しの熱で直ぐ休みたがる貧弱なコ・・・



冬に縄跳びが素足に当たると超痛かったんよね・・・



誰かを助けて警察や消防に表彰される出来事と出合わない。
(救えるかどうかわからないし・・・)
いや、表彰はされないけど、私の目の前で色々起きるんよ。
この件はまたいつか。

とにかく表彰状に飢えていた(笑)
でも、47年経っても心のどこかにヤマシイ気持ちを抱えてるのです。

ん?待てよ・・・
もしかして、目的は、「歯医者で虫歯治療をさせること」??

あれれ・・・
大人の策略に見事にはまった純粋な小学生??

えー?  そうなん??( ゚Д゚)
47年目にして真実が?!なのかしら??



そうそう、昨夜お兄ちゃんに電話してみた。
安いビジネスホテル素泊まり??よくわからんけど
朝食はついていないので、夜コンビニでパンとおむすび買ったって
部屋にはもちろんのことフロント?にも電子レンジがない。
食べ物は冷蔵庫にいれるので、この季節に朝からカチカチの
冷たいおむすびを食べるのかと思ったら・・・切ない・・・( ノД`)エーン
昨日今日のホテルはフリーWiFiがあるけど明日から泊まるホテルには
無いらしい。もっと安いホテルにかわるんだって。
もうね、私がお金出すから、せめて電子レンジくらい置いてるホテルに
泊まらせてあげたいよー。





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実印

2022-10-13 12:09:43 | 回顧録
30年くらい前のこと
車を買うわけでも家を買うわけでもないのに、
何か勘違いをして実印を作った。

普段意識していないのに
金運を願い、黄色をチョイスする。
(こんな時だけ風水を頼るヒト)
それまで、既製品の認印しか買ったことがなかった私、
実印はとても高かった。そして、とても小さい(短い)3cm?
なぜ、小さい物を選んだか憶えていない・・・

そして、未だに一度も使われていない。
使うことはあるのだろうか?



結婚して銀行印が変わるときに名前で作り登録した。
名字でも良かったけど、この先離婚することがあっても
面倒でないようにと・・・(*`艸´)ウシシシ

いやいや、実は私は自分の名前が気に入っている。
父方の祖父がつけてくれた。

ここに本名は書けないけど、
旧姓で名前を見ると「花を育てる的な」フルネームになるのです。


母は、「早苗」と付けたかったらしい。
そのことを聞いた当時「イセキのさなえ」という田植え機のCMがあり、
田植え機の名前じゃなくて良かったと思った。



↑さなえちゃん(ご参考に)

もし、早苗ちゃんになると「お米を育てる的」な名前になっていた・・・?

結婚した今、「自然を守る的な」名前になった。


でも、
紗那絵・・・・
これならカッコいい(*´∀`*)

一気に都会っぽい感じになったわ。


実印の話のつもりが名前の話になっとる~((´∀`*))ヶラヶラ










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切なくなるエンディングソング

2022-09-15 22:42:21 | 回顧録
母は、時代劇が好きだった。
中でもお気に入りは、中村吉右衛門の鬼平犯科帳。
入院中は、とても楽しみにしていた。
私は忙しいので、一緒に観ることはなかったけれど
エンディングの曲がとても好きで、聞き入ったものです。

夫が時代劇が好きだなんて、最近知った。
やはり、鬼平。
そして、今もやはり観ないのだけど、エンディングの曲だけ聞く。


なんだか、哀愁というか、儚さというか切なくなるのです。






INSPIRATION / GIPSY KINGS ジプシーキングス インスピレーション
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昭和59年9月18日 

2022-09-13 15:55:32 | 回顧録
私はこの日に原付免許を取得した。20歳だった。
もう40年近くも前だ。

うちの母は保守的で、女の子は車の運転をするもんじゃない。
みたいなことを言って車の免許を取らせてもらえなかった。
ま・・自動車学校に通うお金もなかったけれど。
せめてバイクに乗りたい・・・いいじゃんバイクぐらい、大人だし。
でも、本当はバイクの方が何倍も危険な乗り物だけど。




実は、最初は不合格、2回目で合格をした。
思いっきり嘗めてかかっていた。
「交通標識?余裕でしょうー♪だいたい分かるもん」と
全く勉強などせずにトライ。
いざ始まると「ん?」と思う問題もある。ひっかけも。
案の定で不合格。合格率は約50%らしい。二人に一人か。

私はバカなのか?恥ずかしいやら悔しいやら
本屋に行き、「あなたも原付免許がとれる!」みたいな
本を手に取り、立ち読み(笑)
買うのはもったいないと思うところがなんでだろう?(笑)
とにかくざっと目を通す。
数日後、二日酔いだったけど行かねばならぬ。
というか毎日、仕事で二日酔いなので・・・
試験場の朝は早い。普段は昼過ぎに起きるのだから
私にとって朝8時は真夜中だ。

眠いけど、絶対とったる。

立ち読みしたおかげで、「ん?」がない。楽勝じゃん。
と思いつつも合否を知らせる表示板の前でドキドキして待つ


003だ。ついてちょうだいよー。



お!  ついた! バンザーイ♪
003から点いたので、001番002番は落ちてしまったということだ。


続いて技能講習。ふと周りを見ると試験場にいた数より
かなり人がいない。あーやっぱり50%なのねーと思った。
私は技能講習があることを知らずにパンプスで行っていたから
そこで、上履きに履き替えさせられる。服もヒラヒラのワンピースだったけど
ま、許してもらえた。今はきっと駄目でしょう。

私はバイクに乗るのは初めてではないので、スムーズに運転すると
無免がばれるとドキドキした。何か言われるかと思っていたけれど
言われたのは、癖でどうしても指をブレーキに添えてしまうので
それを数回、注意された。

即日交付で手にした免許証。とても嬉しかった。




お兄ちゃんが自分のバイクを売って、私のバイクを買ってくれた。
スズキのラブⅢ。これが、私のファーストバイク。
当時はヘルメットの着用義務も無し。

速度違反で捕まりもせず、事故もせず、40年間も乗れたねー。有難い。
今じゃ、のんびり乗る人になりました。
ほんの数年前まで、抜かされると熱くなって勝負してましたが、
命が大事。免許が大事。だってやっぱり自転車よりも楽に遠くまで行ける。

昨年、買い替えたバイクのオイル交換をした。
1年間の走行距離は、たったの450km
これまでの私は、1年間で10000kmだった。
母がいなくなって全く外に出なくなった証拠だな・・・。

これから、バイクに乗るのには気持ちの良い季節。
風が本当に気持ちいいんだから。ちょっと乗りましょうかね。

ホントは、普通自動二輪を
取りたいんだよねー
後ろなら、死ぬほど乗ったんだけど
やっぱり自分で運転したいよねー
無謀かしらねー

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