まい・だいありー・ばい・えむ ~都わすれ~

振り返れば、まんざらでもない日々をめざす雑記帳。

15年前のみーくんの話

2023-06-14 23:07:13 |  animal
以前書いていたアメブロの記事です。




みーくんとの出会いは2008年8月の終わり頃でした。
私は、コンビニでパートをしています。
その日も暑い朝でした。

バイクを駐輪場に置きふと入口横を見ると
痩せたすこし小柄なネコがいました。
んー生後1年って感じかな?


このコだれかしらん・・・?

「ネコちゃん^^」

声を掛けるとさーっと逃げて行きました。
まぁ、のらちゃんだったら人間が怖いだろうから逃げるよねー


次の日、出勤すると また同じコがいます。

「おいで、怖くないよ。おいでよ」

小さな声でニャーと鳴きました。


店で売ってるカツオのオヤツを差し出すと恐る恐る口をつけました。


そして、次の日もいました。

「みーくんおいで」


ネコ缶を紙皿にいれて置くとガツガツと食べ始めました。
あっという間に空になりました。

「みーくん美味しかった?^^」


「ニャアーニャアー」


それから私の姿を見つけるとシッポを
ピンと立てて走り寄ってくるようになりました。


「みーくん♪」   「ニャアー♪」

一日の大半を私のバイクのシート上で過ごします。
爪も研ぐので、シートはボロボロ・・・(笑)

ダンボールを裏に捨てに行こうにも
私の姿が見えるとどこからか飛んできて、
足にまとわりつき人間スラローム状態になる(笑)
みーくんはとても可愛い。



それから毎日みーくんは現れて店に来るお客さんにも
愛嬌を振りまきネコ缶やちくわやお弁当のおかずを
もらってすくすく育ちました。 
寝床はマンションの2階の玄関先の
三段になったフラワースタンドの下にダンボールを
おいてもらい眠っているようでした。


暑い日が続きます。
数日間、体が痒いようでひきりなしに掻いています。
毛も抜けてきてみるみる可哀想な様相に・・・

どうにかしてやらないと・・・と思っていたところに
近所のネコ大好きおばちゃんが、
「このコは皮膚病よ、じゃけ、病院で薬もらってきたよ
私が治るまで薬と餌をやるよ。」 と・・・


・・・・・(T^T)  有難い。


おばちゃんは毎日毎日わざわざ餌に薬を混ぜて持ってきてくれました。
半月も過ぎると皮膚はとてもキレイに。 被毛もツヤツヤ。

季節は秋から冬へ。
相変わらずみーくんは店の前にいましたが
じっと寒さに耐えている姿が可哀想です・・。

店長や本部の人間がみーくんのことを疎ましく思っていること。
寒さで辛い思いをしていること。
連れて帰ってやりたい・・・ でも、トムとの同居は無理・・・
いろんな方にお願いをしました。
でも、いい返事はいただけません・・・。
私のしていることは無責任だ・・・

そんな日々が過ぎていき ある日みーくんが姿を見せませんでした。
でも、そこはのらちゃん 気が向かない日もあるのかなと思いましたが
次の日も来ません。  そして次の日も・・・

本部の人間がどこかへ捨てに行ったんだ・・・
いや、悪い方へ考えちゃいけない・・・
それとも誰かが連れて帰ったのかな・・?
まさか、事故に・・・?

ところがある日のこと。

「私、みーくんに似たネコみましたよ。でも、あれはみーくんですよ
名前を呼んだら返事をしたんです。」
と同じ職場のコがいいました。

その場所はうちから2km以上はなれたコンビニの前でした。
私も毎日探しに行きましたが見つけることはできませんでした。

それから数日後、そのコンビニの経営者を知る方から
みーくん(らしきネコ)はお客さんに「飼います」と連れて行かれたと聞きました。

何故2km以上離れた場所にいたのかわかりません。


その後、何人ものお客さんから
「ネコ、見ないようになったねー・・・ 淋しいね・・・」
といわれました。


そして、当然ですが異常に売れていたネコ缶ネコのオヤツは全く売れなくなり・・・
あのコは、 “まねき猫”でした。
今はもう会うことは出来ませんが・・・
みーくんの健康と幸せを祈ります。







たった一枚だけあった写真。
生きているなら16歳くらい?
生きていて欲しいなー、幸せに暮らしていて欲しいなー。
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君の名は・・・しまじろう

2022-11-24 23:33:29 |  animal
25年くらい前のお話です。
以前住んでいたところは3階建てで、うちは2階でした。
ベランダの前は神社のある小さな公園でした。
我が家と公園の間の道路幅は狭くて、本当に目の前が公園という感じ。


ある日、ベランダの戸を開けると、
その公園の入り口のところに痩せたサバトラ白の猫が横たわり
のんびりとシッポをパタンパタンとしてました。
音で気が付き、ネコさんはこちらを見上げ
ニャーと一声鳴きました。
私もニャーと返しました。

いけないことだと解りつつ、手には鰹節。
ネコさんは逃げることなく「お!くれんの。ありがと」
って感じでペロリ。私の手をざーりざーり舐めます。
えらい懐いてくるので、どこかの飼い猫さんかと思いましたが
首輪をしていません。
そのうちどこかへとゆっくり歩いて行きました。

次の日。やはり公園の同じ場所でまったりとしていました。
私は人の目があるので、ちょっとおいでと手招きしてみました。
するとタマ(勝手に命名)は、スタスタと隣の住宅から屋根伝いで
うちのベランダに来ました。
カリカリをあげました。タマは私の膝に頭をこすりつけて甘えるしぐさ。
だけどしばらくするとどこかに消えます。
オス猫だと分かりました。

タマは、ほぼ毎日うちに来ては帰っていきます。
ある日のこと、タマの首にピンクのノミ取り首輪?が。
それには、油性ペンで「しまじろう」と書いてありました。

あー、「タマ」は「しまじろう」という名前なのね。
保護?されたのだろうか??
私は嬉しくなって小さなメモ紙に
「しまじろうちゃんってお名前なんですね。うちにも時々
遊びに来ますよ。かわいい猫ちゃんですね」と書いて、
タマの首輪に結びました。


次の日、タマが来ました。
もしかして、相手の方からのお手紙が着いていないかと
ワクワクしましたが、残念ながら結ばれていませんでした。


そして、その次の日から、タマは、ぱたりと姿を見せなくなりました。


1か月は過ぎたでしょうか。
私は、自治会の組長になったので会費を集めるために我が家の裏通りの
お宅を一軒づつ訪問していました。
通りの一番端の家の玄関先に猫のような影が見えました。
近づいていくとタマにそっくりです。
「タマ~」と呼んでみると「ニャー」と返事をします。タマです。
なでると目を閉じながらスリスリしてきます。
タマは細く長いリードで繋がれていました。
そして、去勢をされていました。

そのお宅、以前は空き家でした。
ご近所さんから「ちょっと近寄りがたい感じの人がはいった」と聞いていました。

きっと、タマは、その方に保護されたのでしょう。
リードで繋がれているのならうちに遊びに来れるわけもなく・・・。

私は、時々、タマの姿を見に行きました。
「タマ~」と呼んでも「しまじろう~」と呼んでも
ニャーと返事をしてくれました。
日を追うごとにやせっぽちだったタマはとっても大きなネコさんに成長しました。

一度、タマを触ってるときに飼い主さんが出てきて、
挨拶をしたのですが、何も言わず、タマを抱きかかえて家の中へと消えました。
イヤだったのでしょうね・・・

できれば、飼い主さんとお友達になりたかったなぁ。



にゃー



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7月7日の思い出は子猫との出逢い

2022-07-07 19:55:58 |  animal
この話は以前書いていたブログにUPしたものです。
手直しして再度UPしました。
すみません、超長編になります・・・(´Д`)



『二つの小さな命』

あれは、1996年の今日、7月7日の事だった。
時間は夜の九時過ぎだったと思う。その頃はまだエアコンを
取り付けてなかったので、ベランダの窓をあけて夫とTVを見ていた。
すると窓の外公園の方から鳴き声がした様な気がした。
空耳かと耳を澄ますと確かに小さいが聞こえる。
ミャ〜・・・・ミャァ・・・・と。
子猫だ。しかも、とても小さい子猫の鳴き声だ。

夫に「ちょっと見に行っていい?絶対に持って帰らないから」と言い
公園に探しに行った。公園の中は暗くてよく見えない。
一旦戻り、懐中電灯を手にもう一度探す。
いた!! 子猫!!
二匹いる。黒いコとハチワレのコ。
ほんとうに小さくて生後まもなくのようだ。
しかも、蟻が体にたくさんついて・・・。
近くにお母さん猫がいる様子はない。捨て猫?

2匹を手に急いで家に戻った。
夫に「どうすればいい?」と聞くと「お尻を刺激して排尿、排便を
させろ」と言う。よし、上手くいった。
次はミルクだけどこんな時間じゃペットショップは開いていない。
仕方ないので、私の勤めてる薬局に行き、人間の赤ちゃん用の粉ミルクの
サンプルをもらいスポイドで飲ませる。あまり上手くいかなかったが
とりあえずは少し飲んだ。
次の日、夫に「このコ達どうしよう?」と聞くと
「うちで、飼えるわけない、公園に置いてこい、誰か拾って
くれるよ」と言う。
私は「嫌だ」と言ったが、この日仕事は絶対に休めなくて
それに、夫に歯向かうことは出来ない。
朝、かなり迷ったが家にあったダンボールにタオルを敷き雨に濡れないように
青いビニール袋で軽く覆い窒息しないように工夫し
人目のつきやすいところ二匹をいれへ置いた。
「どうか、誰かに拾ってもらえますように・・・」祈った。

仕事から急いで帰って、私がダンボールを置いた場所を見に行った。
ダンボールが無い。
「あ〜・・・良かった。誰か優しい人がつれて帰ってくれたんだ。
有り難う・・・。」
淋しかったが仕方ない。ホッとした。
家に帰ろうとして向きを変えたときに、ふと少し離れたゴミ置き場の方に
目がいった。

ん?
えっ?!
あれは!!

青いビニール袋の中にダンボールのようなものが見えた。
「まさか、まさかね・・・違うよ。きっと中に子猫たちはいないよ。
でも、いたら?・・・・・。いたら、・・・きっと死んでる・・・。」

生まれて日がたっていない、ずっとミルクも飲んでない。
袋の口は縛ってあるように見える
どうしよう・・・。
確かめなくちゃ。でも・・・・怖い・・・。
勇気が出ない・・・。
私は家に帰ってしまった。
ベランダからずっと公園を見ていた・・・。
どうしよう・・・動けない・・・

そこへ、ちょうど友達が来た。
1階から呼びかけてくれて気がついた。
私は意を決した。「よし、見に行こう。もし、いや多分死んでる。
せめて、埋葬してやらなくちゃ・・・。」

友達に昨日からの経緯を話し、付き合ってもらった。
手にスコップを持ち、ゴミ置き場に向かった。
公園内に入りあと、二、三歩というところで音がした。
音というより声。かすかに聞こえる!鳴き声だ!


私は、急いで袋を破った。いた!二匹とも弱っているけど生きてる!!
良かった!良かった!!!
私は二匹を手に家に戻った。
「ごめんね。ごめんね。捨てたりして。もう、大丈夫
何があっても私があなた達の事、助けるから!育てる!」
黒い男の子を「クロ」ハチワレの女の子を「ミー」と
名付け子育てが始まった。
動物病院に子猫用の粉ミルクと哺乳ビン買いに行った。
ちゃんと煮沸消毒をした。上手く飲んでくれるか不安だったがその心配は
すぐに消えた。目はもちろん開いていないが、哺乳瓶を口元にもっていくと
吸い付いてきてミルクを飲んだ。感動して涙が出た。
そして、自分の行動を悔やんだ。
一度出逢ったのに捨ててしまった自分はなんて奴だ・・・最低だ。

夫が仕事から帰ってきて「やっぱり・・・」苦笑いをした。
クロの方がミーよりも一回り小さかったがミルクはたくさん飲んだ。
仕事も昼休憩には自宅に戻りミルクを飲ませた。
夜は2〜3時間おきにミルクをやるために毎晩起きていたので
日中眠たかったが私の手をオッパイを押すようなしぐさをして
ミルクを飲むこのコ達が愛しかった。
ミーの方が便秘になったので病院に連れて行くと
マルツエキスを処方された。これならうちの店にあるのに・・・
でも、とてもよく効いた。勉強になった。

毎日、料理用のスケールで体重を測りメモした。凄い早さで大きくなる!
すくすくと育っていって目が開き愛くるしくなっていった。
離乳も上手くいき、トイレもすぐに覚えた。猫って賢い。
二匹で、仲良くケンカした。家の中がとても賑やかで絶えず笑いがあった。
と同時に別れの時が近づいていた。

最初の約束で離乳が過ぎたらここでは飼えないから手離せと夫に言われていた。
私は、別れるのが嫌で里親を探さずダラダラして時間をかせいだ。
もしかして、夫が諦めてくれるかもしれないと思ったから。
だけど、夫は「お前が手放さないのなら捨てに行く」と言い出した。
二匹を無理やり抱きかかえ出て行こうとする夫。
「やめて!!やめて!!ちゃんと探すから!!捨てないで!!」私は泣いた。
ヘタクソな手書きで里親探しのポスターを書いてあっちこっちに張った。
暫くして電話がかかってきてミーの里親が決まった。

引渡しの日がきた。相手の方はお父さん、お母さん、小学生の姉弟の4人家族だった。
「優しい良い子です。少しお腹が弱いです。気をつけてやってください。
それから、砂は固まるタイプが好みです。それから掃除機が怖いです
それから・・・・。・・・・・・。どうぞ・・・、どうぞ宜しくお願いします・・・。」
あとは涙で言葉にならなかった。

クロの方も程なく、勤務する薬剤師さんの自宅近所のお宅が里親に決まった。
クロをそのお宅まで連れて行った。先住猫のいるおじいさんの一人暮らしだった。
可愛がってくれると感じた。ミーの時よりも落ち着いてさよならができた。
しばらくして、クロの近況を聞いた。クロはおじいさんとお風呂に入り
先住猫より威張っていて、だけど仲良く暮らしていると。安心した。
ミーは近所の方だったからあえて詮索しなかった。

あれから、26年。ミーもクロも虹の橋かな・・・
でも、猫は長生きさんが多いからもしかしたら。
ほんとうに楽しかった。子猫を育てたことは貴重な体験だった。

有り難う、ミー、クロ。







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イソヒヨドリ に会いたい

2022-03-01 16:52:05 |  animal
昨年の春頃だっただろうか。
とても大きく綺麗な声で鳴く鳥と出会った。

その声は、初めて聞く鳴き声で
本当に美しい。

声の主を探し回ると駐車場にいた。

ん?ヒヨドリ?青い??
大きさはヒヨドリぐらいだけど知ってるのとは違う。
すぐに逃げるだろうと思いながら少しづつ近づいてみた。
意外なことに逃げない。
人慣れしているのかと思うほどだった。
2mくらい近づくとやっぱり逃げた。
でも、少しだけ離れたところにとまった。

そして、美しく鳴いた。

それから数日間の間、奏でてくれた後いなくなった。
また、会いたいなー。


イソヒヨドリの歌声 song of Blue Rock-Thrush
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犬のなまえ

2022-01-30 20:43:17 |  animal
小さなころから犬を飼っていた。
昭和40年代は、ちょくちょく子犬が捨てられていた。
これは、犬を放し飼いにする家庭が多かったのと
野良犬が多かったせいだろう。
私は犬が大好きな子供だったので、年小さんの頃から
子犬を拾っては連れて帰っていた。
連れて帰るのだが、いつも朝にはいない。
母は、「お母さん犬が子犬を連れて帰った」などと言っていたと思う。
私も小さいので「そうなんだ・・・」と思う。
そんなことを繰り返していた。

家にはすでに犬がいた。
茶色いので「チロ」
しばらくしてチロは死んでしまった。
昔の犬は寿命が短かった。
それから数年して母の里に遊びに行ったときに神社で
兄と私が仲良く遊んでいた野良犬を飼うことになった。
黒いので「クロ」
クロは父の車を追いかけていって行方不明になった。
ほどなく我が家に来たのがシェルティーの女の子
コロコロと丸かったので「コロ」
コロは父が何故か虐めるので仕方なく二週間ほどで
私のピアノの先生のところにあげることになった。
そして、数年後兄に友達ができないので可哀そうに思った母が
貰ってきたのが紀州犬だった。
白いので「シロ」
とまぁ、
「チロ」「クロ」「コロ」「シロ」と
なーんにも考えずに、見ためのニュアンスで名前を付けていた。


私はクロが特に好きで
小さな庭に大きな犬小屋を大工さんに作ってもらった。
その犬小屋で私は何度もクロと一緒に寝た。
クロはくさかったけど温かかった。

久しぶりに犬を飼うことになった。
母が更年期で体調が悪くふさぎ込むのでトイプードルをプレゼントをした。
知り合いのトリミング屋さんから紹介されて一般家庭で
生まれた子犬。血統書がついていても確か3万程度だったと思う。
名前を付けるときに母が「あいちゃん」というので
私が英語で「ラブ」にしてくれと言って名前が決まった。

私は家を出た。犬を飼うことになった。ロングコートチワワ。
夫が名前を決めろというので、ゴルフにちなんで
「バーディ」とつけた。
母に見せるために実家に連れて言ったら
母が、「呼びにくい。トムとジェリーのトム。トムがいい」と言って
1日で名前が変わってしまい「トム」になった。
自分が飼う犬なのに、どうして素直に変えたのか
今でもよくわからない・・・

ラブが高齢のため死んでしまった。
2年しても母がペットロスから立ち直れないので犬を飼うことにした。
マルチーズの女の子、マルチーズのブリダーを私が見つけてきた。
果物の名前を付けると長生きをする。とどこかから聞いてきた
ココナッツから「ココ」と名付けた。
ココは17歳まで生きた。
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