「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

もう一つのブログ紹介

2019年12月28日 11時26分20秒 | 古都逍遥「奈良篇」
古都逍遥「京都篇」「奈良篇」と綴り、このシリーズをひと段落として筆をおきました。
続いて「花の詩」として花にまつわる思い出や、その花の特徴や俳句・和歌・詩などをまとめてみましたが、これは1年に一度か二度しか更新しておりません。
このブログの他に私が運営している「和太鼓」チームの活動などを綴ったブログもあります。宜しければ、そちらの方もご訪問頂けましたら嬉しく思います。

URLは、http://s-wadaiko.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-2a70.html


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「花の詩」芙蓉

2019年06月30日 11時33分58秒 | 古都逍遥「奈良篇」
花の詩「芙蓉」
 夏が来れば想い出すという童謡があるが、それは「水芭蕉」をうたったもの。
作詞江間章子 作曲中田喜直
「夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬 遠い空
霧の中に浮かび来る 優しい影 野の小道
水芭蕉の花が咲いている
夢見て咲いている 水のほとり
石楠花色に黄昏る 遥かな尾瀬 遠い空」
--略

素敵な詩である。
 このように季節季節で想い出す光景・風景は、幼いころ、そして思春期、青春期、壮年期を通じて懐かしむものも多い。私の生まれたところには「百日紅の花」が、そして小学生の頃は「芙蓉」や「紫陽花」、思春期は父が愛した「バラ」が印象深く心に留まっている。

 今回の「花の詩」はその中の「芙蓉」を採り上げてみた。
 
 花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」で、しとやかで優しい印象をあたえる花の姿に由来したらしい。
 花名の由来は、学名の種小名「mutabilis(ムタビリス)」には変化しやすいという意味があり、花色が朝方のピンクから夕方には紅色に変わることに由来するといわれている。
「芙蓉(フヨウ)」は蓮(ハス)の美称で、芙蓉を「木芙蓉(モクフヨウ)」、蓮を「水芙蓉(スイフヨウ)」という。
中国、台湾、日本の沖縄、九州・四国に自生し、日本では関東地方以南で観賞用に栽培されている。幹は高さ1.5m~3mほどで、寒地では冬に地上部は枯れ春に新たな芽を生やす。7-10月始めにかけてピンクや白で直径10~15cm程度の花をつけ、朝咲いて夕方にはしぼむ1日花で、長期間にわたって毎日次々と開花するのが特徴。果実はさく果で、毛に覆われて多数の種子をつける。室町時代に観賞されていた記録があることから、古くから栽培されていたようだ。
 花木には「酔芙蓉」「アメリカフヨウ」「タイタンビカス」の3種類がある。
■酔芙蓉(スイフヨウ)
 朝咲き始めの花弁は白く、時間がたつにつれてピンクに変色する八重咲きの変種で、色が変わるさまを酔って赤くなることに例えて「酔う」の名が付けられた。
■アメリカフヨウ(草芙蓉)
 米国アラバマ州の原産で、7月と9月頃に直径30cm程の巨大な花をつける。草丈は50cm~160cmくらいになる。この種は多数の種の交配種からなる園芸品種でいろいろな形態が栽培される。なかには花弁の重なりが少ない芙蓉やタチアオイと似た形状の花をつけるものもある。多年草であるため一度植えつければ毎年鑑賞できる。
■タイタンビカス
 日本で品種改良して作られた園芸品種で、アメリカフヨウとモミジアオイの交配選抜種。6月下旬~10月初頭に015cmほどの花を多数つける。草丈は1~2mほど。ハイビスカスそっくりの南国風の花だが北海道等の寒冷地ふくめ、日本全国での屋外栽培も可能で越冬もできる。
【俳句】
「枝ぶりの日ごとにかはる芙蓉かな」(芭蕉)
「日を帯びて芙蓉かたぶく恨みかな」(蕪村)
「ほしのかげいだきてふけぬ白芙蓉」(青蘿)
「芙蓉さく今朝一天に雲もなし」(紫暁)
「松が根になまめきたてる芙蓉かな」(子規)
「露なくて色のさめたる芙蓉哉」(子規)
「秋の風芙蓉に皺を見付けたり」(蓼太)
「物陰に芙蓉は花をしまひたる 」(虚子)
「ゆめにみし人のおとろへ芙蓉咲く」(久保田万太郎)
「呪う人は好きな人なり紅芙蓉」(長谷川かな女)
「刈られても刈られても咲く芙蓉かな」(松崎鉄之助)
美しい芙蓉の花は美女に例えられ、朝に咲いて夕には萎んでしまうことから美人薄命の喩えとも。
【短歌】
「しろ芙蓉妻ぶりほこる今はづかし里の三月に歌しりし秋」(与謝野晶子)
「旅人は伏し目にすぐる町はずれ白壁ぞひに咲く芙蓉かな」(若山牧水)
【芙蓉の詩】
「夏芙蓉」(風花未来作)
「遠い、遠い夏の日
かなたに見える樹々が
風に揺れているのを眺めながら
夕暮れの静けさの中を
独り歩いていた
あの夕暮れは、明るかった
陽は大きく傾きかけているのに
不思議に、草も木も空も
明るく輝いているのだった
陽の光は
全部を照らしだそうとするのではなく
大切なものだけを
一心に照射しようとしていたのかもしれない
あの夏の日
私は自分の名前を想い出せないほど
憔悴しきっていた
それなのに、あの夕暮れ時は
帰りのことを気にせずに歩きつづけていたのだ
風がやんだことに気づいた時
私は足をとめていた
誰かに見つめられている気がして
後ろを振り返った
薄闇の中から、くっきりと浮かび上がり
私の眼を真っ直ぐに見つめていたのは
一輪の花だった
夏芙蓉
薄紅の花は、微笑んでいるかに見えた
その涼しげな眼差し
やわらかで、凛とした姿が
忘れたくないことだけを
鮮やかに想い出させてくれた
あの夏芙蓉に出逢った日から
数え切れないほどの季節がめぐっている
薄紅の花のことを想い出すゆとりさえなく
いくつもの夏を過ごしてきた
あの静けさの中に帰ってゆきたい
夏芙蓉のいる夏を
もう一度、迎えられたら」

 
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【花の詩】「つつじ」

2016年06月21日 16時41分34秒 | 古都逍遥「奈良篇」

花言葉は、「自制心」「節制」
*(赤)「恋の喜び」
*(白)「初恋」
*(ヤマツツジ)「燃える思い」
 ツツジ科の植物ですが、ドウダンツツジのようにツツジ属に属さないツツジ科の植物にもツツジと呼ばれるものもある。春先にかけて漏斗型の特徴的な形の花(先端が五裂している)を数個、枝先につける。また花を上手に採ると花片の下から蜜を吸うことができた。子供の頃は戦争・戦後の混乱期、甘いものが無かったこともあり花が咲くのを待ち構えていた記憶がある。
 現在の自宅近くにある京都宇治市の名刹「三室戸寺」の躑躅は世に知られており、バスツアーで大勢の人たちが訪れる。
毎年、その風景を写真に収めるのが楽しみでドライブ方々出かけている。また、長岡京市にある「長岡天満宮」の霧島躑躅も見事なもので、こちらにもツアー観光でたくさんの人々が愛でに来る。
◇[俳句]
 正岡子規が詠んだものを列挙してみよう
「妹が門つつじをむしる別れ哉」
「餅くふやよしずに見すく山つつじ」
「馬引てつつじの小道帰り行く」
「紫の夕山つつじ家もなし」
「つつじ咲く厳の上に橋かけたり」
「大磯や庭砂にして松つつじ」
「燃ゆる如きつつじが中の白つつじ」
「つつじ野やあらぬ所に麦畑」(与謝蕪村)
{ひとり尼わが家すげなし白つつじ}(松尾芭蕉)
『万葉集』柿本人麻呂
「つつじ花にほへ娘子桜花栄え娘子」
◇[和歌]
『新続古今集』建仁元年影供歌合に水辺躑躅の一句が 
{竜田川いはねのつつじ影みえてなほ水くくる春のくれなゐ}(藤原定家)
『古今集』題しらず、よみ人しらずの句
「思ひ出づるときはの山の岩つつじ言はねばこそあれ恋しきものを」
『後拾遺集』和泉式部の句
「岩つつじ折りもてぞ見る背子が着し紅染めの色に似たれば」
『夫木和歌抄』 西行の句
「神路山岩ねのつつじ咲きにけり子らが真袖の色に触りつつ」
◇[詩集]
『金子みすゞ童謡全集』(JURA出版局)より
{つつじ}
小山のうへに
ひとりゐて
赤いつつじの
蜜を吸ふ

どこまで青い
春のそら
私は小さな
蟻かしら

甘いつつじの
蜜を吸ふ
私は黒い
蟻か知ら
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【花の詩】「サクラソウ」(桜草)

2016年03月25日 11時25分03秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 花言葉[編集]「青春のはじまりと悲しみ」、「早熟と非哀」、「運命を拓く」
春の訪れを告げるかのように白い水仙が可憐な花を開く、風が温み始めると梅が咲き杏子が咲き、そして染井吉野が咲く前に花開く野の桜、そうそれが「サクラソウ」(桜草)である。

 「桜草」は、日本の原野の湿地に自生するサクラソウの園芸品種で、江戸時代より広まり始めた。冬から早春にかけて園芸店に並ぶプリムラと同じ分類だが、家庭では栽培されることが少ない春の花「日本さくらそう」である。江戸時代中期頃、荒川の原野に野生するサクラソウから本格的な栽培が始まり、種子まきを繰り返すうちに、白、桃、紅、紫、絞りなどの色変わりや、大小さまざまな花形の変わり品が生まれ、名称が付けられたようだ。やがて江戸時代後半になると品種数も非常に増え、文化元年(1804)から新花を持ち寄り品評することが始まったと伝わる。愛好者は旗本など上級武士が多く、「連(れん)」と呼ばれる2~3のグループが成立し、新品種の作出を競い合ったという。文化から天保年代にかけて最も盛んなだったようだ。

 自生地では林間の湿性地や原野の草間に生え、ときに群生する。地中に根茎があり、春に発芽して5~6葉を根生し、高さ15~40cmの花茎を直立させ、5~10個の花をつける。葉柄は長く、葉は楕円形でしわが多く、縁に浅い切れ込みがあり、葉や茎に白い軟毛が生える。花は直径2~3cmほどで、花弁が5個に深く裂け、さらに各弁が半分近く裂ける。
淡紅色でまれに白花もある。花後、球形の果を結ぶ。新しい根茎は地際にでき、梅雨明けの頃、葉が枯れて休眠する。夏の暑さと乾燥には弱いが、日本の気候風土に合っており花は美しく清楚。

 埼玉県さいたま市桜区の「田島ヶ原サクラソウ自生地」は国の特別天然記念物に指定されている貴重な群落である(桜区の区名も桜ではなく桜草にちなんで命名されたと言われる)。荒川流域のこの一帯は、下流の戸田ヶ原、浮間ヶ原などとともに、江戸時代から桜草の名勝地として人々に親しまれてきた。しかし、治水工事や工場の開発などによって群生も範囲を狭められていったが、この群生を守るため、
大正9年(1920)に天然記念物に、昭和25年(1950)に特別天然記念物に指定された。
 一方、桜草に関する風習では、魔女や妖精の害を防ぐ役を果たすといわれている土地もあり、古くイギリスでは復活祭の協会の装飾に桜草が使われ、スッコトランドではその日に桜草を球形に束ね、その真ん中に6弁の白いアネモネを挿した花束を作る習慣がある。

【俳句】
「我が国は 草もさくらを 咲きにけり」小林一茶
「葡萄酒の 色にさきけり 桜草」永井荷風
「アルプスの 雪痕窓に 桜草」山口青邨
「咲きみちて 庭盛り上がる 桜草」山口青邨
「目離せば消ぬべき雲やさくら草」千代田葛彦
「夜の部屋に日向の色の桜草」片山由美子

【川柳】
「桜草きみはまだ見ぬ雲がある」神谷三八朗
「桜草陽は燦々とくるくると」川上三太郎
「姉の手にうなだれてよし桜草」山本磯駒
「わが胸に春がくるくるさくら草」松尾文代
「知り初めた恋恥じらうか桜草」船本ヒデ子
「あなたもですか私も好きな桜草」松田京美

【詩】小林ケン氏(福岡県)ブログ(http://ameblo.jp/ken1a4/entry-11501965239.html)
[桜草](2013-3-31)
 サクラの花が咲く丘に
 あなたは
 ひっそり咲いていた
 誰も名前を知らないけれど
 小さい花が桜草

 サクラの花が舞う丘で
 あなたは
 健気に揺れていた
 誰も気づいてくれないけれど
 紅紫色した桜草
 
 サクラの花が散った丘
 あなたも
 静かに散っていた
 誰も泣いてはくれないけれど
 春を夢見て桜草
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花の詩「石楠花」

2014年08月14日 10時13分16秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 花言葉は「威厳」「警戒」「危険」「荘厳」

若いころは夏になると登山も楽しんだ。男体山や白根山を経て奥日光(鬼怒川上流)へと通じるルートが特に好きだった。そして鬼怒川の上流の鄙びた温泉宿(登山者が多い)に宿泊し翌朝川治へと向かい鬼怒川を経て東武鉄道で帰路についたものだった。
 そんな夏になると思い出すのがこんな歌だ。

「夏の思い出」
江間章子作詞、中田喜直作曲

夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空

 新婚時代、勤務先の任務で東北の秋田で5年暮らした。その頃、親しくなった得意先の社長から「白山石楠花」の盆栽を頂戴したことがあり、以来、石楠花という花が好きになり、写真を趣味にするようになってから季節になると撮影したものだ。

 石楠花は、ツツジ科ツツジ属で、いずれも派手で大きな花に特徴がある。花の色は白あるいは赤系統が多いが、黄色の場合もある。
 葉はロードトキシンという痙攣毒を含む有毒植物で、摂取すると吐き気や下痢、呼吸困難を引き起こすことがある。葉に利尿・強壮の
効果があるとして茶の代わりに飲む習慣を持つ人が多く存在するが、これはシャクナゲに「石南花」という字が当てられているため、これを漢方薬の「石南(オオカナメモチ)」と勘違いしたためであり、シャクナゲにこのような薬効は存在しないとある。
 その昔、神に捧げる木、忌み木とされ、庭木や植栽にする類の花木ではなかったようで、西欧で品種改良が行われ、明治の末に「西洋シャクナゲ」が渡来し一般的になっていった。
 漢字の「石南花」は中国産の別種だが、誤ってこれを用いて「しゃくなんげ」となり次第に「しゃくなげ」になったという説や、背丈がやや低い姿から、「尺なし(しゃくなし)」から転じ「しゃくなげ」になったとの説もある。

 京都の奥山、雲ケ畑にひっそりと佇む古刹・志明院(しみょういん)がある。
 ここに天女の衣を覆い尽くしたように光輝く花、石楠花が自生している。
 市の天然記念物に指定されている境内の石楠花林は4月下旬から5月上旬が見頃。
 司馬遼太郎が好んだ山寺で、アニメ「もののけ姫」のタイトルもこの森から生まれたといわれている。

 「賀茂川をひたすら上流へとさかのぼってゆく。バスの車窓からはリズミカルに並ぶ杉の美林や、しだいにその川幅をせばめところどころに瀬をつくっている賀茂川の清流が見え、大自然の景色を楽しむことができる。そんな景色にもやがて飽きてきたころ、左右の山がひらけ民家が点在するようになる。そこが雲ヶ畑、中には茅葺きの家もありのどかな趣をもつが、かつて平安京造営の際、この地の材木を使ったといわれ、また皇室とのゆかりも深かったところである。志明院は雲ヶ畑にそびえる岩屋山の山腹にあり、終点の岩屋橋でバスを降りそこからさらに奥へと歩く。たどりついた志明院の境内はさすがに山の中だけあってひっそりとし、鳥のさえずりやせせらぎの音のみ聞こえていた。」(古都逍遥より)

【石楠花を詠んだ歌】
「石楠の谷ありいまだ雪をしき」青邨
「石楠花や谷をゆるがす朝の鐘」秋櫻子
「石楠花に三千院の筧水」蛇笏
「石楠花の紅ほのかなる微雨の中」蛇笏
「石楠花に馬酔木の蜂のつく日かな」石鼎
「石楠花に手を触れしめず霧通ふ」亞浪
「石楠の花にしまらく照れる日は向うの谷に入りにけるかな」赤彦
「ひかり染むやまふかくして咲きにけり石楠の花いはかがみのはな」茂吉
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花の詩「すみれ」

2014年05月28日 11時54分10秒 | 古都逍遥「奈良篇」


 [花言葉]は小さな愛。温順・謙虚・謙譲・謙遜・・控え目・無邪気な恋・愛・思い・純潔・誠実・小さな幸せ・つつましい幸福・貞節、慎み深さ・ひかえめなど多岐にわたる。
◇紫:「貞節」「誠実」
◇白:「誠実」「謙遜」「あどけない恋」「無邪気な恋」
◇黄:「牧歌的な喜び」「慎ましい喜び」

 すみれと言えば、自然とこんな歌が口からこぼれ出す。

 「春 すみれ咲き春を告げる
  春 何ゆえ人は汝を待つ
  たのし悩ましき
  春の夢甘き恋
  人の心酔わす
  それは汝すみれの咲く春
  
  すみれの花咲くころ
  はじめて君を知りぬ
  君を想い日ごと夜ごと
  悩みしあの日のころ
  すみれの花咲くころ
  今も心ふるう
  忘れな君われらの恋
  すみれの花咲くころ
  忘れな君われらの恋
  すみれの花咲くころ」
  (作詞 Fritz Rotter 白井鐵造
   作曲 Franz Doelle)

 宝塚歌劇団のシンボル曲というかテーマソングとなっているこの曲、甘く切ない歌である。
 “すみれ”ってそんな抒情的な香りを醸し出す可憐な花。野に群生するすみれも良いが、
 小さな花鉢に一輪という“すみれ”も愛おしい。
 宝塚歌劇団創立100周年を迎えた今年、いろんな記念行事が繰り広げられているが、そこに流れるこの「すみれの花」の歌は人々の心を虜にしまた癒してくれる。

「菫(すみれ)」
 開花時期は、3月初旬から5月上旬で、花の形が大工道具の「墨入れ」に似ていることに由来する説があり、「すみいれ」が「すみれ」へと変化したという。

 すみれは古来から愛されていた花で、万葉集にもみられる。
 「春の野に菫つみにと来(こ)し我そ
   野をなつかしみ 一夜寝にける」(山部赤人)


花は独特の形で、ラッパのような形の花を横向きかやや斜め下向きにつける。5枚の花びらは大きさが同じでなく、下側の1枚が大きい。花茎は根際から出て立ち上がり、上からうつむき加減に下を向いて花を開いている。
 昔から山菜としても重宝され、葉は天ぷらにしたり、茹でておひたしや和え物になり、花の部分は酢の物や吸い物に。しかしパンジーやニオイスミレなど有毒なものがある。

こんな話がギリシャ神話にみられる。
「美しい娘イオには羊飼いのアティスという許婚がいた。しかし、太陽神アポロンがイオに恋し追いかけまわしていた。すると、女神ディアナがアポロンから守るためイオの姿をスミレに変えた」。
 また、有名な話に、ゲーテの詩にモーツァルトが曲をつけた歌曲「すみれ」が知られている。
 
 和歌や俳句にもすみれは多く登場している。
 「しばしとて出こし處もあれにけり 蓬のかれ葉董まじりに」(藤原定家)
 「古郷の昔の庭を思出でて すみれつみにとくる人もがな」(西行)
 「こよひ寝て摘みて帰らむ菫さく小野の芝生は露しげくとも」(中納言国信)
 「故郷の志賀の都のすみれ草 つむ人なしに花やさくらん」(綱吉)
 「春の野にさけるすみれをてに摘みて わがふるさとをおもほゆるかな」(良寛)

 「山路(やまじ)きて なにやらゆかし 菫草(すみれぐさ)」(松尾芭蕉)
 「玉透のガラスうつはの水清み 香ひ菫の花よみがえる」(正岡子規) 
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花の詩「土筆(つくし)」

2014年04月28日 10時10分43秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 花言葉は「向上心」「意外」「驚き」「努力」

 「くれなゐの 梅ちるなべに 故郷(ふるさと)に 
    つくしつみにし 春し思ほゆ」(正岡子規)

 東北に住んでいたとき、春の訪れが待ち遠しく思う気持ちが強いということを初めて知った。
 九州で生まれ育った私には数か月もの間、鼠色の厚い雲に覆われ、来る日も来る日も降りしきる雪、そして絶え間なく積る雪の雪かきをしなければならない、冬の暮らしの厳しさを体感した。
 そして弥生の半ば過ぎ、凍りついた雪をスコップでかき出したとき、雪の下に埋もれていた雑草の緑がまぶしく目に差し込む。春、春が来た。春をこれほど感動的に感じたことがなかった、と思った。
 梅が咲き、根雪が溶け、野草の中にまじって土筆が芽をだし、袴をつけてすくと青空に伸びていく。そんな風景は不思議と故郷と結びつく。

 「土筆」は木賊(とくさ)科の仲間で、学名を「杉菜(すぎな)」という。
 呼び名の由来を調べてみると、ラテン語の「馬」と「刺毛」に源を発し、輪生するスギナの細い枝の形を馬のしっぽに喩えたとある。そして土から出てきた胞子茎は、伸びきる前は先端まで「袴」に覆われ、その形状が「筆」に似ていることから「土筆」という字を当てられるようになったそうだ。また一説では、「澪標(みおつくし)」(船が港へ入る通路を示した杭)のつくし」で、突き立った杭のように見えるからともある。

 春の七草は、冬場の栄養不足を補うために「七草粥」にして食する習慣があるが、私は七草より土筆料理の方が好きだった。袴を取って茹でて灰汁を抜き、「玉子とじ」「茶碗蒸し」「吸い物」などにして味じあう。また、「天ぷら」は水洗いして、よく水を切ってから衣を付けて油で揚げるとよい。
 生薬栄養茎の全草を乾燥させたものは生薬名を問荊(もんけい)といい利尿作用がある。生薬としてのスギナの効用は古くから伝承されていたが、近年、花粉症対策としての効能があるとも聞く。

[俳句]
「まゝごとの 飯もおさいも つくしかな」(星野立子)
「つくつくし ここらに寺の 跡もあり」(千代女)
「古草に うす日たゆたふ つくしかな」(芥川竜之介)
 
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花の詩「仏の座」

2014年03月21日 11時07分29秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 

 花言葉:「調和」

 暑さ寒さも彼岸まで。春の陽ざしが燦燦と輝き始めるころ、先人たちは冬の栄養不足を補う生活の知恵として、田畑に生える草、「七草」を摘み「お粥」にして食べて滋養をつけた。その風習は現代にも脈々と受け継がれ、今ではスーパーなどで七草をパックして売っている。私は毎年食べることはないが、ふと思い立ったように「七草粥」を食べたくなることがある。

 凍てつく寒さもゆるみはじめたころ、咲きはじめる紫紅色の筒状の唇形の花をつけるのが「仏の座」、何とも優しく可愛い花だ。
 
 『君がため 春の野に出でて 若菜摘む
   我が衣手に 雪は降りつつ 』(古今集 光孝天皇)
 
 春の七草は平安時代に四辻善成左大臣が詠んだと言われる『芹なずな 御形はこべら仏の座 すずなすずしろ これぞ七草』という和歌があまりにも有名で、緑の少ない初春、土筆と共にこれらの草花が春風にささやかれるように芽をふく。この和歌は左大臣の作と言われる一方で「詠み人しらず」とされている。

 仏の座はシソ科とキク科の2種類がある。
 一般的に知られているのがシソ科のようで、高さ10~30cm。畑地に多い二年草で花は紫色をしている。茎を取り囲んでつくようすを蓮華座(れんげざ)に見立てこの名が付いたという。子供のころは花びらを抜き取り、蜜を吸ったことがある。また、ギリシャ語の「laipos(のど)」が語源で、葉の筒が長くてのど状(喉仏)に見えることに由来するとの説もある。が私は前者を支持したい。
 この草は見つけることが容易でみんなこれが春の七草と思っているようだが、実のところ七草として食用にしている仏の座は、高さ10~20cmほどで、田畑に多くなる二年草で花の色は黄色。呼び名は「コオニタビラコ」(小鬼田平子)といいキク科で、これが春の七草で言う「仏の座」である。若い葉を食用としている。ロゼット状の葉が地面にへばりつくように生えていることからなかなか見つけられない。花が終わると果実は丸く膨らみ下を向く。
《俳句》
◇「犀川のほとりに沿へば仏の座」(鷹羽狩行)
◇「七草のひとつ足らぬは仏の座」(小林輝子)
◇「夜は海が近づくといふ仏の座」(中尾寿美子)
◇「日のひかりひとときとどき仏の座」(山口 速)
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花の詩「サンシュウ(山茱萸)」

2014年02月27日 21時42分51秒 | 古都逍遥「奈良篇」
花言葉:「持続」「耐久」「強健」

 うららかな陽ざしになると、九州生まれのせいだろうか、ふとこんな歌が口をついて出てくる。
『庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて ヨーオー ホイ 鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ
鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ ヨーオー ホイ 駒に水くりょと 言うて出ましょヨ…』
(宮崎県椎葉村民謡「稗つき節)

 早春の花木として、庭や生け花などに重宝されるサンシュユ、小粒の黄色い花が
ほんのりと可憐で綺麗だ。花の色のためか別名は「ハルコガネバナ(春黄金花)」とも呼ばれている。
 秋になると赤い実が成り食べられる。もともとは薬用として渡来したもので、漢方薬としては
干したものは強壮薬になると言われている。また、果実酒にもなり初めは赤色だが時間がたつに
つれ飴色になる。
 
 民謡「稗つき節」に唄われたサンシュウの木は実は、椎葉村に沢山生えていた「山椒」の木だと
もいう。サンショが訛ってサンシュウになったという説がある。
 この唄は、壇ノ浦の戦いで宮崎に逃げた平家の鶴富姫と源氏の那須大八郎との禁じられた恋で、
人目を忍ぶ愛を歌ったものと言われ、サンシュの木に付けた鈴が鳴れば「今日は会える」という
合図だった。
 唄の4節、5節、6節にその物語がつづられている。
『おまや平家の 公達(きんだち)ながれ ヨーオー ホイ おどま追討(ついと)の 那須
(なす)の末ヨ
 那須の大八(だいはち) 鶴富(つるとみ)捨てて ヨーオー ホイ 椎葉(しいば)立つと
きゃ 目に涙ヨ
 泣いて待つより 野に出て見やれ ヨーオー ホイ 野には野菊の 花盛りヨ』。

 サンシュユ(山茱萸)の原産地は中国、朝鮮といわれ、日本に伝わって来たのが、享保年間(江戸
時代k1720年)と伝わっている

《俳句》
 「三椏の花雪片の飛べる中」(山口青邨)
 「三椏の花のうす黄のなかも雪」(大野林火)
 「三椏の花の光陰流れ出す」(森 澄雄)
 「雨やさし三椏三つに咲くことも」(安住 敦)

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花の詩「雪割草」

2014年01月15日 20時49分49秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 花言葉:「はにかみや」「高貴」「自信」「内緒」「信頼」「忍耐」「優雅」「期待」「和解」など多く表現されている。

 私はこの花が好きである。可憐な花だからという理由からではなく、長い根雪の下にじっと耐えて春を待つ、生きる希望に命をしずかに育んでいるその健気さが好きなのだ。
 寒気がゆるみ、大地をおおう雪の下からかすかな雪解け水のささやきが聞こえてくるころに、草花がそっと様子をうかがうかのように芽をのぞかせる。
 早春の太陽の光をいっぱいに受けて、いち早く花開く山野草の一種が雪割草です。この仲間はキンポウゲ科ミスミソウ属の多年草で、園芸的には総称して雪割草として親しまれているが、正しくはサクラソウ科サクラソウ属の一種で、高山植物で日本全土の亜高山帯から高山帯に自生する。
山地の湿った岩場に生育し、高さは10cmほどで、葉はだ円形、表面は緑色でしわが多く、ふちには波状のゆるい鋸歯があり、やや裏側に曲がる。また、葉の裏面は淡黄の粉がある。
 初めてこの花に接したのは、越後の山々がまだ深い雪に覆われている3月。日本海を見下ろす柏崎市西山町大崎の小高い丘に咲き誇った約30万株の雪割草の群生だった。
 花弁数6~8枚の一重咲きの花で、花茎は2~3cmのものですが、紅色から白色まで多岐にわたり自然交雑による多様さに加え、覆輪、中透け、拭掛け、絞りなどに加えて雄しべ、雌しべの色彩にも変化が見られます。
 
俳句にこのように詠まれています。
 「雪割草 雲千切れとぶ 国上山」(朝妻 力)
 「雪割草 佐渡がもつとも 純なとき」(中嶋秀子)
 「雪割草 垂水の滝は 巌つたふ」(山口草堂)

和歌
 「雪割草 けなげな力 受け止めて 凍える風も 痛き言葉も」(大原鶴美)
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