「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

花の詩「桜」

2013年03月24日 09時41分40秒 | 花の詩
 花言葉:心の美」

 「春雨に 争ひかねて吾が屋前(には)の 桜の花は 咲き始(そ)めにけり」(万葉集・詠み人知らず)

 桜の古木は、おおむね江戸彼岸や山桜などの自生のものであるが、現在は300種も超えるといわれている。各地に自生する原種を調べると、大島桜、山桜、蝦夷桜、霞桜、江戸彼岸、寒緋桜などがある。かつての品種は、奈良、京都の山桜から生まれたものがほとんどで、鎌倉幕府以後、伊豆半島南部や伊豆七島、房総半島などの限られた地域に自生する、大島桜の血が流れこんだらしい。大島桜は「桜餅」にその葉が使用され、大変香りが良いように、ほのか
な香りを放ち花も大きめが特徴である。

 万葉集にもみるとおり、もともと日本人は梅を好んでいた。それが武家社会になり、桃山期になると、パッと咲いて、パッと散る、その潔さが武士道に相通ずるものがあるとして好まれるようになり、徳川吉宗の時代、東京都北区王子にある「飛鳥山」に染井吉野を無数植え込み、庶民の花見に饗したということから、庶民も花見を楽しむようになった。

 「花を踏し 草履も見えて 朝寝哉」(蕪村)

 「東大寺 湯屋の空ゆく 落花かな」 (宇佐美魚目)
 
 枝垂れ桜は、自生種の江戸彼岸桜のなかで、枝が垂れ下がるように伸びることから、そう名づけられるようになった。紅色の強いものを「紅枝垂」、八重咲きで紅色のものを「八重紅枝垂」、染井吉野の枝垂桜を「枝垂染井吉野」という。この枝垂れ桜は各地で名木と呼ばれるものには、地名や人名を冠した固有名詞で呼ばれるものが多い。岐阜県根尾谷の薄墨桜、山梨県の山高神代桜、福島県三春町の「三春滝桜」は、日本三大桜と称され多くの人が訪れる。特に三春滝桜は絢爛豪華の一言につきる。

 「咲き垂るる 八重ざくら花ゆらぎ出で いや照りつつも重くしづまる」(窪田空穂)
 
 「夢殿の しだれ桜は 咲きにけり」(松瀬青々)

 
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花の詩「梅」

2013年03月08日 07時51分46秒 | 花の詩
 『梅 花言葉・高潔』
 「蓄えて 来る力に紅梅は くれないひらく 白に遅て」(浜名理香)
 
 日本人が古来から最も親しみ愛してきた花は、やはり梅であろう。万葉集にも萩の花と共に多く詠まれいるのも、そのあらわれである。

 梅は春の訪れを知らせる身近な花木であり、歌にもうたわれ、美術工芸品にも文様として使われている。日本の花と思われるところだが、原産は中国の中部山岳地帯とされている。日本に渡来したのは奈良時代以前で、遣隋使か遣唐使が持ち帰ったと伝えられている。梅は、中国では菊、竹、蘭とともに「四君子(しくんし)と讃えられている。梅は何とバラ科で、初めに渡来したものは白梅であり、紅梅は9世紀に入ってと言われ、「続日本書紀」にその名が見られ、「枕草子」には『木の花は、濃きも薄きも、紅梅』と讃えてある。

 早春の寒気のなかで咲く花は、奥ゆかしい美しさに満ちており、私もこよなく愛する花の一つである。我が家の家紋も、菅原道真にまでたどり着き梅の家紋。神棚にも道真公の小仏像と縁の鉄でできた牛の置物がある。

『東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて春をわするな』(菅原道真)
『わが宿に 盛りに咲ける梅の花 散るべくなりぬ 見む人もがも』  (大伴旅人)
 
  「梅」
   若き尼は 竹箒を握りしめて 姿をあらわしました
 童女の石仏は 梅の蕾を みつけたから 小首をかしげたのですか?
 今朝は 微笑むたびに 風に 梅の花の香りが 漂うのです
 夢の中で 訪ねて行った つつましやかな境内の 梅が咲いていたのでしょう
                                    (吉行理恵)

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