「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

嬉しい贈り物

2023年01月31日 14時55分37秒 | 日常のこと&写真
 誕生日の今朝早く、チャイムの鳴る音が。
 玄関を開けると太鼓メンバーだった。
「お誕生日おめでとうございます。これ心ばかりですが」と、紙袋を渡された。
 お見送りして、居間で包を開けてみると、手作りのクッキーと素敵な言葉を添えた写真立て。それに手作りのお味噌も。
 この方が作るお味噌は格別美味しい。出身は岐阜、郡上八幡の近くだという。田舎味噌なれど最高に美味い。
 妻の誕生日の時も訪ねてこられ同様なプレゼントを頂いた。有難いお志。ここに添えられてある言葉に恥じぬように、これからの人生も生きて行きたい。

そして今日は妻がご馳走してくれるといので和食の店へ。
 糖尿病の治療をしていることもあり遠ざかっていた「すき焼き」を頂いた。有難う。
 加えて、こっそりLINEに誕生日祝いの言葉を発信してくれていた。
 「また一つ誕生日を無事に迎える事が出来、ほんとにおめでとう。🎂✴️💕
身体を大切にして毎日夫婦仲良くこれからもよろしくお願いいたします。
いつも誠実で優しくてまっ正直、そしてとても信頼出来るあなた、
愛しているよ💑出会えて本当に私は幸せ者です。」
 信頼してくれる妻のために、これからも妻の尻に敷かれて仲良くしていきたい。




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ラストシーンは見たくない yama&yuko

2023年01月29日 23時55分03秒 | 歌のアルバム
 「ねぇーカラオケ行かない?」と妻から誘われた。
 新年我が家の紅白歌合戦をしようというのだ。
 若かりし頃、大晦日に我が家の一年を振り返りながら、今年流行った歌をカラオケで吹き込みMCは私。そんなことを7年ほど続けたことがあった。
 「行こう!!」ということになり、昼前に出かけ2時間歌い、帰りにモール街でランチをして帰宅した。
 二人で歌うのは12月に行っているので一カ月ぶりとなる。
 録画した歌を改めて聴きなから「来月も行こう」ということになった。


 ラストシーンは見たくない カバー歌 yama&yuko


「ラストシーンは見たくない」
歌:渡哲也・松坂慶子
作詞:水木かおる 作曲:杉本真人

(男)泣くのはよせよ
(男)責めるのはよせよ
(男)ほほえんで 見せてくれ
(男)いつものように
(女)グラスに浮かぶ
(女)ふたりの姿
(女)とじ込めて しまいたい
(女)いついつまでも

※(男)あゝ運命まかせ
(女)あゝ愛をつなぐ
(男女)おろかな二人になりました ラスト
(男女)ラストシーンは見たくない
(女)明日を知るのが怖くて
(男女)ラストシーンは見たくない
(男)言葉さえ
(女)時間さえ
(男女)止まればいいものを※

(女)あなたも酔って
(女)わたしも酔うわ
(女)夢うつつ ゆれながら
(女)いつものように
(男)夜更けの霧に
(男)涙をかくし
(男)かりそめの楽しさに
(男)心そらして

(※くりかえし)
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アーカイブ 祇園の門飾り

2023年01月28日 18時35分33秒 | 日常のこと&写真
 京、大阪に珍しく3日も雪が降り続いた。
雪景色の写真を撮りに行きたくてうずうずしていたが、割付やゲラ校正と続いていたことから止むをえずデスクに張り付きとなった。
次の機会を待つことに。
 以前撮り歩いたときの京都祇園、宮川町界隈の風景などをアップしてみました。
















          京都の南「城南宮」で開催された「湯立て神事」
















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雪化粧の朝

2023年01月25日 10時54分01秒 | 日常のこと&写真
雪の朝となっていた。昨夜から台風並みの突風が吹き荒れ、マンションの窓ガラスに何か飛んできて破れるのではと恐怖を感じながら床についていたが、そのうち熟睡したようだ。
 起床すると北側も南側のサッシ窓が水浸しになるほどの結露。雑巾で丁寧に水拭きをした。壁の内部もさぞ結露していて断熱材もグショグショになっていることだろう。
 外をみると白銀(?)の世界、チョット大げさだが久々の雪化粧の景色。
 今日が最終ゲラ校正の日でなければ京都へ雪景色の撮影に出かけているところだが残念。




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孫娘、朝ドラの「ちむどんどん」になっちゃった

2023年01月24日 18時30分49秒 | 日常のこと&写真
沖縄にある離島のリゾートホテルでヨガのインストラクターをしている孫娘が、その役目を終えて、同島にある沖縄料理店に就職。そのため一時帰省したので今日顔を見せに来てくれた。誰にでも愛される優しく気遣いのある子なので未知の離島での生活も、何不自由なく暮らせた。そしてチョコチョコ行っていた沖縄料理店のオーナーにも気に入られ、スライド式に就職したという。大阪の大学では栄養管理士の勉強していることもあり、人当たりの良さも買われ料理店にしても願ってもないことのようだ。
 喧噪の都会生活より自然豊かな沖縄の離島生活が自分にはあってると云っていた。大自然の中で心豊かな人格を形成しているようだ。
 新聞の仕事を辞めたら一度、沖縄の孫娘の所へ行ってみようと思っている。孫娘、朝ドラの「ちむどんどん」になっちゃった。








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いいじゃないの幸せならば カバーyama

2023年01月23日 13時11分26秒 | 歌のアルバム
 気晴らしに歌ってみたのですが、やはり歌い込み不足だったことと、音量調整もまずかったし、キーも少し低かったので声も聴きとりにくい。また時間があるとき歌い直してみます。

いいじゃないの幸せならば カバーyama
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今年一番の寒気

2023年01月23日 11時31分35秒 | 日常のこと&写真
 一昨年も京都にかなりの雪が降った。勇んで雪景色の撮影に出かけ「下鴨神社」や高野川、賀茂川の風景を震えながら撮ったものだった。
 そして2年ぶりに大雪の気配。だけど今年は「猫は炬燵で丸くなり」となりそうだ。2歳年をとるだけでこれほど意欲に変化があるものだと恐ろしくなるほど。
 気持ちを奮い立たせて仕事には精を出しているが、外出は買い物くらいかな・・・。嗚呼。
 原稿と割付を新聞印刷に送ったが、今日の午後に初校が入る予定。それまで少々のんびりと。
 
 妻の足腰の治療を始めて足かけ4年目に入った。
 マッサージと整体とオムロンの低周波治療を続けて長くなったものだが、マッサージをしながら会話もでき、冗談も交わせるので悪い習慣ではないな、とむしろわずか20分ほどの時間を楽しんでいる。お陰で歩くのも痛がっていた右足踵とアキレス腱付近の痛みはすっかりおさまり完治といえるほどになった。
だが座骨神経痛はやっかいなもので、低周波では治癒できない症状。マッサージと骨盤一体の整体を施している。ストレッチもさせているが徐々に改善しているものの、老化し硬くなった筋肉や筋膜は整形外科においても改善しにくい部位だ。 
 4年目に入り「楽になったわよ」と言ってくれるだけでも嬉しいもので、完治しにくいだけに今後も長い付き合いになりそうだ。
私が逝ったあとで「マッサージしてくれたわねぇー」と思い出してくれて、「いきるお葬式、典礼会館・・・」のCMのように子供たちと懐かしんでくれればと・・・。
 












 
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国宝 石清水八幡宮へ初詣

2023年01月19日 12時45分06秒 | 日常のこと&写真
 初詣が遅れていた国宝石清水八幡宮へ妻と共に参拝に行った。今日は丁度「どんと焼き」催事を行っていたところなのでジャストミートだった。
 八幡さんをお参りしたのち、毎年、洛中の社寺に参拝にいくのだが、今年は旧正月も過ぎてしまったので諦め、京都に出かけたおりに八坂さんと菩提寺の知恩院へ参拝しようと思っている。
 氏神さんで毎年奉納太鼓を奉じている二ノ宮神社、石清水八幡宮と2社参りができて気持ち的には安らかになっている。










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鎮魂の日 阪神淡路大震災から28年

2023年01月17日 10時25分20秒 | 日常のこと&写真
「鎮魂の日」
 阪神淡路大震災から今年で28年迎える。その時、私は兵庫県姫路市に単身赴任していおり、その日、妻がたまたま私に会いに来ていた。
 午前5時46分、ドーンという地鳴りと同時に眠りこけていた私の身体が突き上げられて宙に浮いた。家が激しく揺さぶられ、「家が崩れる」と叫んだかと思うと、妻の手を取り寝ぼけ眼で娘の名を呼んでいた。いるはずがない、娘は大阪の住まいにいるのに。
 頭を布団で覆いながら妻をかばった。随分長い時間揺れていたように感じた。そして咄嗟に娘に電話を掛けた。幸い回線が混乱する直前だったので娘と繋がった。無事だった。自宅の高層マンションも大揺れしサイドボードからテレビも落下、茶碗類も散乱したという。幸い家具類には地震に備えて倒壊防止策を講じていたので倒れずにいたことが娘を救った。
 「お姉ちゃんのところへ行きなさい」と非難を指示した。嫁いだ長女も近くのアパートで暮らしていた。
 頭のパニックも治まり冷静さを取り戻した私と妻。無事であったことにホットした。すぐに帰宅の用意をさせ駅へ送ろうと車を走らせたが、鉄道は当然動かない。高速道路は倒壊し閉鎖。
 国道2号線も入れず、丹波篠山へと抜けデカンショ通りを亀岡へと走った。JR亀岡から汽車で京都へと。私は亀岡から再び姫路へと戻ったが、車は大渋滞、大混乱で姫路へ戻ったのは夕刻近かった。
 管轄の神戸支社のことが気になったが行くに行けず、1週間ほど心配ばかりしていた。姫路港からメリケン波止場までの船便が開通し、神戸支社の支援に向かった。そのとき、あまりの悲惨さに本社報告のための写真を撮るのも被災者の方々に気が引けるほどだった。
 それから震災の支援と後始末がどうにか治まった9月末、私は会社を辞めた。その春、3月末で退職するため退職届を出していたが、震災の始末の目途がつくまで待ってくれと社長に依頼されその責務をはたすため延ばしていた。神戸の従業員、お客様の中にも亡くなられたかたもいた。東日本大震災においても福島に赴任していた時代の社員やお客様も亡くしているし、未だ行方不明の部下もいる。忌まわしき地震。

 17日は大震災のほかに、若くして亡くした弟の命日でもある。今日この日はお線香をあげ鎮魂の時を送る日としている。








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知らなかった名作曲家・貴志康一:交響曲「仏陀」

2023年01月14日 22時21分27秒 | 日常のこと&写真
 今朝、驚きの発見をした。
 音楽にはかなり詳しいと思っていたが恥ずかしながら、我が国に18世紀に名を連ねる天才作曲家と肩を並べるほどの天才作曲家であり名ヴァイオリニストが居たのだ。
 我が国のクラシック作曲家といえば、知るところでは滝廉太郎、古関祐而、伊福部昭、芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎などが頭に浮かぶ。だが、大阪生まれの夭折作曲家「貴志康一」がいたのだ。
 「貴志康一」はウィキペディアによれば、1909年3月31日生れ、1937年11月17日(28歳没)。甲南高等学校高等科中退(1926年)、ジュネーヴ音楽院卒業(1928年)、クラシック音楽を専門とし、作曲家、指揮者、ヴァイオリニストとして活躍したとある。
 今朝、BSテレ東(8時30分~)放映「エンター・ザ・ミュージック」で、貴志康一作曲の交響曲「仏陀」を関西フィルハーモニー管弦楽団が演奏。朝食をとりながらだったが箸が止まった。モーツァルトらが活躍した18世中期の名作曲家にも劣らぬ、4楽章からなる本格的交響曲「仏陀」の演奏。
 食事の手を止めて聴き入った。現代クラッシックは、理解しにくい前衛的なアングラ的なものが多く18世紀時代のクラシックをどうして作曲できないのだろうと落胆していたところがあった。
《ウィキペディア》
 貴志康一氏は、母の実家である大阪府三島郡吹田町(現在の吹田市)の仙洞御料屋敷西尾邸に生まれる。父方の祖父は代々式部卿を務め、後にメリヤス業で成功した裕福な大商家である貴志彌右衛門(松花堂弁当の考案者)という環境で育つ。小学校5年生の時に、芦屋市に転居、14歳より、神戸市の深江文化村でミハイル・ヴェクスラーに直接ヴァイオリンを師事。音楽理論と作曲法を当時、宝塚交響楽団の指揮を務めていたヨーゼフ・ラスカより学ぶ。16歳の時に、大阪で、ヴァイオリニストとしてデビュー。旧制甲南高等学校を2年生の時に中退後、ジュネーヴ音楽院に入学し、優秀な成績で修了。19歳より、ベルリン高等音楽学校でカール・フレッシュの教室に在籍。1929年、1710年製のストラディヴァリウスを(当時の3000円=現代の6億円で父親貴志弥右衛門が)購入。三度のヨーロッパ留学の中でも、特に1932~35年のベルリン滞在時に作曲家・指揮者として活躍し、1935年3月、ドイツテレフンケン社に自作作品19曲を貴志自身の指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と録音。またフルトヴェングラーとも親交があったことで知られる。ヴァイオリニストから作曲・指揮者に転向したと言われるが、作曲・指揮活動で多忙になってからもヴァイオリニストとしての活動も諦めてはいなかった。1935年に帰国した後は指揮者などとして活躍するが、1936年に虫垂炎をこじらせ、1937年11月、腹膜炎の為、28歳で死去した。
 1936年には3回日本でベートーヴェンの第九を指揮している。その内の1回は新交響楽団(現NHK交響楽団)2月19日146回定期演奏会におけるものである(日本初の暗譜指揮による「第九」演奏)。
 湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞の後の晩餐会の時に、貴志康一の楽曲「竹取物語」が流れたと伝えられている。
《代表曲》
 交響曲「仏陀」(4楽章)、大管弦楽のための「日本スケッチ」(市場、夜の曲、面、祭り)、大管弦楽のための「日本組曲」(春雨、祈り、道頓堀、淀の唄、花見、戦死)、ヴァイオリン協奏曲、舞台音楽バレエ曲「天の岩戸」(全2幕)、オペレッタ「ナミコ」(シュレーダー・シュロムの脚本による。全3幕)、室内楽曲「ヴァイオリンソナタニ短調」、ヴァイオリン曲「竹取物語」「黒船」「スペイン女」など10曲以上。歌曲「かごかき」「赤いかんざし」「八重桜」「富士山」など14曲以上。自作の詞による作品が多い。


小松/都響:貴志康一:交響曲「仏陀」
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