「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

20年前の今日 シンポジウム「命を守る」

2022年07月31日 22時52分30秒 | 日常のこと&写真

綴ることもないので、20年前の今日の日記を紐解た。
シンポジュームに取材だった。

『「命を守る」2002,8,31 
 今日は朝から暑い陽射しとなった。午前10から大阪「国際交流センター」において、日本生命財団主催の2002年ニッセイ財団シンポジウム「高齢化社会を共に生きる」ー介護保険と痴呆性高齢者ケアでまちづくりーをテーマに開かれる。朝食とり、マイクロテープレコーダーとカメラをカバンに押入れ、身支度を整えて駅へと急いだ。
9時2分発の淀屋橋行きの急行に乗れた。天満橋で降り、地下鉄・谷町線に乗り換え、谷町九丁目で下車し、千日前通りに出て、ひたすら歩いた。プレスの受付で名刺を渡し、最前列のプレス席に着くと司会者の開会の案内が流された。
 日本生命財団の小林幹次理事長の挨拶から始まったが、つい先ごろまで日本生命で重役の任にあった人だ。
 正午までの2時間は、二人の講師による講演が行われ、それぞれ持ち時間1時間となっている。
  最初に京都大学大学院教授・外山 義氏が「人生を最後まで耀かせるために」ースエーデンの高齢者居住福祉から何を学ぶかーについて話された。

 スウェーデンと日本人との気質は似ているところがあるという切り口から話が進んだ。似ているがしかし、日本人は問題が発生しても、「気をつけましょう」ということで、とりあえずその場を収めてしまうが、スウェーデンは、問題の本質を探り、原因を追求して、具体的にその原因となるものを取り除く。とうのだ。確かにわが国は、政治家にしても企業にしても、一般人の我々にても、後回し、先延ばしにしてしまうことが多多ある。このようなことから具体的な高齢者に対するケアのありか方、住居や介護病棟のあり方など等、縷々話が展開され、大いに参考になった。
  最後に介護する者のあり方について、「あなた方の親は、あなたが生まれてからというもの、お乳をあげ、オムツを取替え、這えば立て、立てば歩めの親心で、あなた方の命を育み守ってきてくれたはずである。今度は親が赤子同然となり、食事を与え、オムツを取り替えて上げなければならなくなったとき、あなたがしてもらった親の愛を思い出し、命を守って介護して欲しいのです」と締めくくられた。
 午後昼食を摂ってから、引続き講演と実践報告。最後にパネルディスカッションが行われ、閉会したのが4時30分。いささかくたびれた。
 
 今、わが家では、私の母と家内の母がそのような状態になってきている。親に受けた愛と同様な愛を親に返すときなのかも知れない。』



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日課となった妻へのマッサージ

2022年07月31日 11時48分40秒 | 日常のこと&写真

 連日の猛暑で閉じ籠りの日々。
そんな毎日が続くとちょっとその辺りを一回りしても足腰が辛いなることが。これは足腰の筋肉弱ってきたことが原因。
日々ストレッチはするものの、実際に運動をしなければストレッチだけでは筋肉、というより筋膜が硬くなり動きにくくなるのとあわせて足腰がピリピリ痛む。
筋膜が硬くなり足腰の神経を圧迫することが原因ともいえる。
 妻はこの症状に襲われており、風呂あがりにオムロンの低周波治療器を当て、足腰の筋膜を和らげるツボマッサージをして就寝させる。
マッサージは毎日のように父にしていたことから指圧の親指が90度に折れ曲がり、筋肉を押しても痛がらない。
 妻にしてもらうと指が折れ曲がらないので、爪を立ててしまい痛い。
「ホテル」という歌の歌詞に「あなたの肌に爪を立てたい」という色っぽいのがあるが、それではなくて痛くてマッサージにはならないからだ。

 妻へのマッサージはもう2年を過ぎようとしている。
始めたのは右足の踵の背の部分で、靴べらを差し込むところで骨があるが、その辺りに激痛が走りレントゲンをとってもらうと骨が突き出ているような感じだったという。痛み止めの薬を飲んでいたが肝臓に異変が起こり飲むのをやめた。そこで私の治療がはじまった。
 整骨院の先生と仲良くなっていた時代があり、好奇心の強い私はあれやこれやと質問し施術の指導もしてもらった。その経験がそこそこ役に立っている。
妻の踵の痛みは約1年の吾のマッサージと低周波で、今では全く痛みがないという。
 だけどその後、おしりから膝の裏側を通り踵のところまで痺れたような痛みが走ると言い出した。
 とっさに「梨状筋症候群」と思った。
 いわゆる「座骨神経痛」に分類される症状で、特に女性に多く発症する。
 女性の骨盤は男性より開き気味になることが多い。そのため歩行の姿勢が内股から外股歩きになることが多いようだ。お産の影響もあるようだ。
妻の歩き方を後ろから見ていると、右足が外向きに出てしまっている。左足はほぼ真っ直ぐなのに比べて。
 そこで妻には、ファッションモデル歩きをさせ、直線方向に足が出て行くように努めさせているが癖というものはなおらない。
 ストレッチをさせて臀部の筋肉、膝裏の筋肉、アキレス腱にある筋肉の筋膜が硬くなっているので、それを毎日ほぐして低周波をかけている。
治療すると和らぐのだが、次の日にまた痛むという繰り返しで1年も経った。
 とにかくじっとしていない妻で、買い物にもチョコチョコでかけ、ウォーキングと行ってその辺りを歩き、マンションの階段を数度上り下りするし、40年近く続けているストレッチも若い時と同じようにやっているので、「ちょっとやりすぎだよ。適度にしないと乳酸菌が溜まって逆効果だよ」と云っても、やめず続けている。
「毎日やることが大切なのよ」と頑固なもんだ。
 だから毎夜、われのマッサージ師の出番となる・・・。トホホ。


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今日も暑い

2022年07月30日 17時11分07秒 | 日常のこと&写真

 朝食後に服用した各種調剤薬と頸椎狭窄症の鎮痛座が、体調のせいか頭がボンヤリする。
眠気が生じる。これで鎮痛を抑えているからだろう。
記事原稿が捗らず、駅前まで歩いてきた。往復10分程度だが、銀行へ行き通帳記入を。
今月の仕事の経費明細を作成するため出し入れをチェック。
 体感気温では37度くらいだろうと・・・。帰宅すると汗びっしょり。
 少し横になり気分が高揚するのを待って仕事を再開した。

 涼しくなる画像を。

             京都三条大橋の川原で



               嵐山大堰川


              府立山田池公園



              京阪奈記念公園

             大阪長居植物公園

             京都東本願寺渉成園

             静岡富士川から富士山

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なにをおっしゃる兎さん

2022年07月29日 21時56分50秒 | 日常のこと&写真

 ここのところ病院通いが続いている。歯科医院、整形外科、そして来月早々、主治医の定期検診に続き眼科の半年後検診、そしてその日の夕刻に歯科医院へ、義歯の型取りを済ませているので調整する。
  そんな憂鬱なことに追い打ちをかけるように、我が社の営業担当部長がチョンボをし得意先の支店長が激怒しているという。それで社長から電話が入り、私に菓子折りでも持って謝りに行って欲しいという。営業担当部長は岡山支局にいて体調を崩しているという。仕方がないので謝罪に行ってくるが、支店長に面会できるかどうかも分からない。
 トラブル処理は保険会社時代さんざんやってきたのでお茶の子さいさいだが相手のことを全く知らない。初対面なのでどんな切り口から入っていったらよいのか分からず困ったものだ。
 そんなところに来て何を思ったのやら突然社長が、「来年、君に社長を委ねたい」という。 突然「なにをおっしゃる兎さん」であっけにとられたが、「断る」と切り返した。今更、引受けたくもない。社長より私の方が1歳4か月年上、引退を思案している時期に、とんだトバッチリみたいなものだ。「断じて受けない」と強く断った。


             嵐山「大堰川」


嵐山に至る川は、保津川下りで知られる「保津川」から、堰を作りダムのように水が貯え
られてできた「大堰川」、そしてそこから流れ出る川が「桂川」となり、やがて淀川と
なって海へと。

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20年前の日記から

2022年07月28日 10時03分59秒 | 日常のこと&写真

 頸椎狭窄症による首の痛みを和らげる薬を飲んでいるが、今朝はいつもと違って効き目が強いようで眠気を誘っている。
 コロナ感染後の後遺症ではないが脳に霧がかかっている症状の「ブレインフォグ」ではないが、いささかボーっとしている。
これでは仕事に取り掛かる状態ではないので、昔の日記を紐解いていると、20年前の明日29日にこんなことを綴っていた。
 今年も36度、37度という猛暑だが、それを超えた暑さだった。
【全国一の猛暑を記録】
2002年7月29日

『我が家、と言ってもマンションの一室だが、西に淀川が流れ、その向こうに天下分け目の戦があった「天王山」が望める。 東に国宝指定の「石清水八幡宮」が祀られている男山がこんもりと位置して、川風、山風が通り抜ける所でもある。 いつもは風が部屋を吹き抜けて涼しいのだが、土・日の連日は無風状態で、熱せられた空気が街ぐるみ包み込んでいた。 日曜日はそんな暑さの中で、お年よりの方々を集め茶話会を催した。不自由なことは無いか、何か手助けして欲しいものはないか等を、茶をすすり、菓子を口にしながら親しく話し合って、一人暮らしの不自由さや寂しさをいろいろと聞いた。 少しでも楽しい暮らしができるように、そして生きていることが素晴らしいと思ってくれるほどの、奉仕活動ができるようますます努力しなければならないと感じた。  午後からは別の集会所で2時間、太鼓チームの新人会員への指導を行った。もうグッタリとしてしまった。 なにせ、気温38.2度を記録し、全国一の猛暑となった日である。体感気温は、これをはるかに上回っていた。 九州育ちのわたしには少々の暑さには耐えられるものの、湿度の高いことが加わると、人並みにこたえる。とうとう、夜半になるまで仕事が手につかず、午前零時を回る頃、やや風が書斎を吹きぬけ始め、重い腰をあげて仕事にとりかかった。 こんな猛暑の夏は秋が早く訪れることが多く、8月の盆ころには涼しくなるだろうか。』






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市民の森 花盛りは終わりに

2022年07月27日 12時30分01秒 | 四季の花

 来週発行の最終ゲラのチェックも終わり降版に。金曜日に納品となり全国へ発送する。
ひと段落だが次号の記事原稿を本社へ発送。郵便局から市民の森へ足を伸ばした。
もう夏の花も盛りを過ぎて、作業員の人達が剪定や株の抜き取りをし秋の準備に余念がない。
残骸ではないが、咲き残っている花たちが「まだ綺麗なのよ」と精一杯アピールするかのように、私に視線を向けていた。
 「はいはい、綺麗に撮ってあげるからね」とは云ったものの、昨今とみに目が衰えてきてマクロだとピントを合わせにくくなっている。
 福田こうへいの歌ではないが「かんべん(勘弁)な♫」と呟いてシャッターを切った。 
 公園を一回りしただけで下着までびっしょりとなり、帰宅するとシャワーを。
もう若かりし頃のようなマッチョな身体ではないが、太鼓を叩いているせいで筋肉はしっかりついている。
サッパリして麦茶をゴクリ。「う、まっ!!」。 めでたし目出度しでした・・・。

























 

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コロナ第七派 拡大中

2022年07月26日 22時09分05秒 | 日常のこと&写真
猛暑、猛暑、「嫌になっちゃうね」♫♬
 1日閉じ籠りで記事原稿を書いていた。昼間はあまり冷房を入れないのだが、今日は仕事をガンガンしたい日、13時ころからスイッチを入れた。
 コロナ、大阪で予測どおり2万5千人を超えた。3万人に達するのもそう遠くないだろう。罹患した症状が出ないこともあるようで、それだけにウィルスが拡散されていくのだろう。
 マスク、手洗いというが、エアゾール感染である以上、インフルエンザ同様「うがい」を忘れてはならない。
 軽症でも後遺症がきついとか。仕事をやめなければならないほど倦怠感も強く、頭に霧がかかったようにボーっとして思考力も低下するとか。
 BA.5 は感染より後遺症のほうが重篤のようだ。気を付けねばならない。
 我が市は25日発表で528人と感染者上昇中。府同様、なんの対策もうたないようだ。 用心肝心。
 我が市のコロナ感染者数
7月25日 528人  5183人(うち重症者1)
7月24日 780   5094(うち重症者1)
7月23日 968   4752(うち重症者1)
7月22日 710   4198(うち重症者1)
7月21日 818   3884(うち重症者1)
7月20日 934   3455(うち重症者0)
7月19日 359   2872(うち重症者0)
市内感染者の発生状況


     京都府立大学精華キャンパス
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弱り目に祟り目

2022年07月26日 10時32分25秒 | 日常のこと&写真

「弱り目に祟り目」 
 頸椎狭窄症でリハビリ無しの投薬だけで痛みを抑える治療を続けているが、薬は100%痛みを抑えられず、首・肩から頭頂にかけて痺れるような痛みが走る。
腰は蹲踞(そんきょ)運動で改善に向かっていて楽になったと思えば、下顎の左奥歯に腫れが出て義歯を装着できない。義歯を外していると痛みはこないので、歯を指で動かしてみると少しグラグラしている。
 春に定期検診に行ったとき、先生から「近いうちに抜けるかもしれませんよ。」と告げられたとおりになった。
自分の歯はこの歯とあと2本だけ。この奥歯を抜くと上の歯1本と、顎の右奥歯1本のみとなる。歯抜け爺さんだ・・・。
 下顎の奥歯を抜いて義歯を作り直さねばならないが、義歯を咬ませる歯はインプラントの歯になる。ここに咬ませるとこの歯がテコになるので次第に弱り、骨に埋め込んだ部分が浮いてくるのではなかろうかと不安。インプラントの耐久性は名医で15年から20年というが、私のインプラントはどこの歯医者でも「優れもの」と云わせるほどしっかりしているようだ。もう27年ほど耐えている。
 この一部に義歯を咬ませるといよいよ最後の頼みの綱というものだが、インプラントの歯の一部がぐらつくと全体に影響してくるだろう。それでもいいがせめて10年耐えてくれたらもう天寿を迎え父と同様「老衰」ということになるだろうから、それでもよい。
 今週前半は忙しいので週末に掛かり付けの歯医者へ行く予定。
私曰く「先生は神の手です」と言わしめたほど優れた技巧をお持ちだ。私より少し若いが、先生がお元気なうちに治療を済ませてしまいたいと思っている。


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娘の音楽教室の発表会

2022年07月25日 21時52分01秒 | 日常のこと&写真

 今日は堪えられないほどの暑さだった。蒸すし日照りもきついし風もない。
気象庁発表では33度というが、体感温度は体温まで上がっている感じだった。
扇風機と自然の風で過ごすことが多いが、仕事に障りが出てきたのでクーラーのスイッチを入れた。
暑くてイライラすると頭の回転もわるく原稿がはかどらないので、26度まで冷やした。
冷えたサイダーを飲みながらワードを手も軽やかになった。
 娘の音楽教室の生徒さんたちの発表会まであと一月ほどに迫った。
 娘は毎晩遅くまで教室に残りあれこれと考え込んでいるようだ。
今回も講師演奏はやらないという。開業当初3年間ほどはやっていたが、その後全くやらなくなった。
生徒さんとのアンサンブル演奏では、ピアノを弾いたりエレクトーンを弾いたりしているが、単独演奏はしない。
 ある年、「保護者も生徒も先生の演奏を聴きたいだろうに、どうしてやらないのか」と尋ねたことがあった。
すると娘は「うちは講師で演奏家じゃないよ」という。分かったような分からないような答えだったが、私に似て頑固なところというか依怙地な所があって、思い込むとテコでも動かないというか応じないところがある。
 私たち親が教室に行ってリクエストすると演奏してくれて楽しませてくれるのだが、録画してYouTube等にアップすることを拒否する。
 それだけに生徒さんたちへの指導は定評があるようで、保護者からも感謝されている。
 今年は3部にわけて発表会をするという。午前が1部、午後を2回に分けて2部と3部に。相当疲れるようだ。
 アシスタントに門下生第一号の生徒さんにしてもらうようだ。娘の指導を受けて音大へ行き、音楽家になるのかと思ったら「先生のような先生になりたい」と言って、音大卒業後、地元の学校で音楽教師をしていて、娘の教室にチョコチョコ立ち寄ってお手伝いをしてくれている。
いずれこの子に教室を譲るつもりだという。
 娘も50の大台の乗った。
「こんなはずではなかった」と時々零す。
エレクトーンを楽しんで弾きたいだけだったのに、こんなになっちゃってという。
こんなに、というのは教室を持って先生になるつもりはなかったということ。

 娘にピアノではなくエレクトーンを始めさせたのは父親である私で、ピアノはいずれ部屋の大型ゴミになってしまうことが多い。
親はピアノを習わせたいのだが、子どは必ずしもそうではない。いずれ飽きてしまうことが多く、その事実を多く見ている。

 そもそも娘にエレクトーンをやらせようと思い始めた動機は、私の大学の先輩がヤマハでエレクトーン開発に携わり、グリークラブ定期演奏会で特別演奏をしてくれたのが強烈なインパクトとなり、子どもを持ったら絶対エレクトーンを習わせるとその時思った。ピアノはその後、習わせればよいと。
 娘が3歳になったときエレクトーンを買い習わせた。将来プロ演奏家になることを夢見ての支援だった。
 その事に娘は感謝しているという。
 そして離婚し幼子3人を抱えて介護の仕事をしながら、音楽教室をやり始めた。生活のためだった・・・。

 

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「忘れじの奥嵯峨野」

2022年07月24日 20時47分28秒 | 日常のこと&写真

昨年の今日、こんな詞を作っていた。
あれからとんと作詞をしなくなった。仕事が多忙を極めるようになったことも原因の一つでもある。
また、何となくその気になっている

昨年のfacebookより・・・

嵐山で鮎の塩焼きがたべたいなぁーと思っているのだが、暑いしコロナだし出そびれている。
鮎料理と云えば奥嵯峨野の「平野屋」が名店で、池波正太郎の「鬼平犯科帳」にも登場する。
だけどいささか敷居が高く、羽振りが良かった時代は接待でもプライベートでも利用したものだ。
だが年金暮らしの侘しい身となると、ランチでお値打ちな鮎丼を食べさせてくれる「つたや」へ行くようになった。
この隣が「平野屋」で愛宕神社への参道につながっているし、化野念仏寺や五百羅漢の愛宕念仏寺にもほど近い。
 そんなことを考えていると、ある光景が頭に浮かんだ。
 一気に綴ってみた、今度はまさしく演歌だ。

「忘れじの奥嵯峨野」
作詞 yama
あなたの嘘と気づいても
騙され続てけていた私
鞍馬の火祭に燃えた夜
紅さし指の寂しさは
愛した私の未練な心
もうあの日は帰らない
ああ、忘れじの奥嵯峨野

愛宕山が茜に染まり
化野(あだしの)の鐘の音(ね)侘し
あなたとの暮らし夢見てた
思えばつのる儚さよ
もうあの日は帰らない
ああ、忘れじの奥嵯峨野

嵯峨菊かおる大覚寺
愛を信じて夢みたの
別れも告げず去った人
涙ひとすじ月見の池 に
もうあの日は帰らない
ああ、忘れじの奥嵯峨野
ああ、忘れじの奥嵯峨野
















 

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