「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

次の仕事にかかる前に紫陽花を

2021年05月31日 17時54分53秒 | 紫陽花
 本社へ出稿したばかりだとうのに次の発行の準備だ。
 次は各社からのリリースも少ないため、独自取材を多く載せなければならないようだ。
 昔は、リーダーシップや営業のありかた、こぼれ話し等も掲載したが、そのすべてを私が草稿していたので徹夜も覚悟だったが、もはやそれに耐えられるほど若くはなくなった。ということで、第一生命経済研究所アナリストやニッセイ基礎研究所レポート、富国生命財務部経済分析などを掲載させてもらっている。
ほぼタブロイド版の一面全紙を埋めることができるので助かっている。次号は多分それを載せなければならないだろう。
 割付構成の準備が整ったところで、運動がてらにマンションを一回りしながら開花した紫陽花をウッチング。
マンション内を一回りすると約1㌔ほどで1450歩というところ。手ごろな運動だ。
そして我が家まで階段をつかって上る。最上階なのでかなりの運動量となる。


















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あの日に戻りたい

2021年05月31日 09時16分12秒 | 日常のこと&写真
 花の詩「卯の花」を綴り、そしてまたブロ友のshimaさんのこれに関する記事を見ているうちに「昔に戻りたい」とふと思った。
私は過ぎし日のことにはあまり関心をよせない性質で、今から未来志向が強い。だから同窓会とか県人会とかそういうものには参加した経験が少なく、同級生や幼友達にも会いたいという気持ちもさほど強くない。そういう意味ではいささか変人かもしれない。
妻にいわせると「あなたはお酒が飲めないから、そんな席に行くのが苦手なのよ」という。言いえて妙なりで、確かにそれはあるかもしれない。旧交を温めるには「酒」は絶好のツールでもある。
 全くの下戸だが、会社員時代は営業の世界をひたすら歩んだ自分、酒はたえず付きまとった。「飲んだ振り」演技を習得するかたわら、太鼓持ちに徹し座持ちを良くする演技を身につけたしカラオケ練習にも励んだ。
 話はそれたが、過去はどうでもよい自分だったが「過去があるから今がある」を否定するものではない。

 「昔に戻りたい」という心境は、思春期の初恋の思い出、青春期の恋の思い出、そんな経験が自分にはなかったから、その思いをしてみたいという単純なこと。
 小学生の頃は感染症に罹患したため生死をさまよい学校にもほとんど行っていない時代。
 中学生では、ようやく元気になり遅れを取り戻すため勉強ばかりしていたし、体力をつけ健康増進のためのテニスに熱中。甘い体験には縁がなかった。
 高校時代は生徒会や青少年赤十字部と文芸部を創部し、その活動に夢中になって女友達もいなかった。青春映画によくある高校生ラブ物語など自分にはなかった。
 大学生時代、「神田川」のような経験すらなくグリークラブと勉強とバイトに明け暮れた。
 それもこれも人見知りが激しいほうで、人付き合いも下手だったことが大きく影響したのかもしれない。
大学時代、短大の女性に声を掛けられてデートしたことがあるが2回目は無かった。会話が成り立たないのでつまらなかったのだろう。
 社交的となったのは就職してからのこと。金融機関の事務職として採用されたが、その後、営業に配置転換されたとき絶望し退職を考えたが「逃げるは卑怯」と思い社交術を学んだ。
 赤坂にあった日本催眠科学研究所というカルチャースクールに通い人格改造に取組んだ。講師は明治大学の心理学助教だった。1年通って人見知りがなおった。
そしてデールカーネギの「人を動かす」と出会い、昔の自分から変革することができた。
 そんな思春期、青春期だったので「初恋」をしてみたい。甘い青春を味わってみたいと老いらくの目覚めが・・・。
 もちろんそんなことが出来るわけがないが。
 

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あ~~~ぁ 立ち入り禁止になってた

2021年05月30日 17時13分51秒 | 日常のこと&写真
毎年、紫陽花の時節になるとカメラ片手に訪ねるところがある。
一つは洛西の「吉峰寺」で桂昌院ゆかりの寺院だ。
次が宇治市の「三室戸寺」で、ここはツアーバスも出るほどに有名。紫陽花のほかに石楠花、ツツジ、蓮なども美しい。
そしてわが市内にある「正俊寺」で、無数の羅漢が据えられていて羅漢像と紫陽花を取り合わせた写真が愛好家に喜ばれている。しかも入場料100円、駐車場は無料となると行かずにはおられない。
 最後は歌にもうたわれた大原「三千院」だが、ここは我が家からも遠くなり、毎年通うというには「よいこらしょっ」と気合を入れねばならない。車で2時間半。
 そしてこれより遠くなるが福知山「観音寺」の紫陽花。これは壮観。そして鶏が解き放たれていて伊藤若冲の世界を見せてくれる寺院だ。今年はいきたいなぁーーー。
 ということで今回、「まだ早いかな」と思いつつ「正俊寺」へ出向いた。車で25分と近い。
 駐車場には3台の車だけ。紫陽花園に行くと「入場禁止」の看板が冷たく拒否。まだ緊急事態宣言中からだからろうか?
 しかし寺院はそのような最中でも解放しているところが多い。先日出向いた「吉峰寺」は全開放だった。
 しからばと第二紫陽花園へと進む、ダメ。一番見どころの多い第三紫陽花園へと進むがやはり、ダメ。
 止むをえないので涅槃像を撮って、楓や草花を撮りながら駐車場へ。









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花の詩「卯の花」

2021年05月29日 21時17分17秒 | 花の詩
「花の詩」を前回綴ったのは昨年の6月だった。ほぼ一年ぶりの掲載となる。
 ようやく一年の中でシンドイ保険会社の決算記事の編集を終えて本日本社へ出稿したので「花の詩」を一気に整理した。
 暇な時間を見計らいながら、資料集めから裏どりまでかなりの月日を要してしまう「花の詩」だけに半年、一年とかかるときもある。
 今朝、本社送りしてから、集めた「花の詩」の資料を整理し書き上げた。

「花の詩」
 わがマンションの各棟の窓辺の地上に卯の花や紫陽花、イヌツゲなどが植えられその周りは芝生となっている。
マンション上階からの落下による衝撃を緩和する目的なのだが。
 若葉の頃になると歌にあるように、「卯の花の、匂う垣根に・・・」と香りが漂ってくる、そう、「夏はきぬ・・・」だ。
 花言葉は「古風」「風情」「秘密」。誕生花は6月3日、6月30日。
 卯の花はウツギ(空木)と称され、学名では「Deutzia zrenata」というようで、アジサイ科ウツギ属の落葉低木でユキノシタ科で分類される場合もあるとのこと。花弁は5枚で細長いが八重咲きなどもある。
 樹高は2~4mほどで、新しい枝は赤褐色を帯び星状毛が生える。
 和名のウツギの名は「空木」の意味で、茎が中空であることからそう名付けられたとされる。
 花は卯月(旧暦4月)に咲くことから「卯(う)の花」とも呼ばれ、古くから初夏の風物詩とされ、清少納言の随筆「枕草子」に、時鳥(ホトトギス)の鳴き声を聴きに行った清少納言一行が卯の花の枝を折って車に飾って帰京する話がある。
 また「卯月」の語源になっとされる『神まつる 卯月に咲ける 卯花は 白くもきねが しらげたる哉』(凡河内躬恒/おおしこうちのみつね)に詠まれ、「神祭の卯月に花開く卯の花の白さは、巫女が杵で搗(つ)いたようだ」と解説されていて「卯月」の語源とも。
 ウツギの木は丈夫で小木であることから、田畑や家など境界となる境木として植えられ、そのことから昔から境界をあらわす「クネ」という名がウツギの方言として使われたとある。
 そのため、花期が田植えの時期と重なるため、ウツギには田植えに関わる「タウエバナ」「ソートメ」(早乙女)といった方言もあり、収穫を願って田の水を引く水口に、ウツギの枝を手折って立てるといった習俗も知られている。
【和歌】
◇「卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴きわたる」
 (大伴家持)
◇「卯の花もいまだ咲かねば霍公鳥佐保の山辺に来鳴き響もす」
 (大伴家持)
◇卯の花を腐す長雨の始水に寄る木屑なす寄らむ子もがも」
 (大伴家持)
◇「ほととぎす我とはなしに卯の花のうき世の中になきわたるらむ」
 (凡河内躬恒)
◇「夕月夜ほのめく影も卯の花のさけるわたりはさやけかりけり」
 (藤原実房)
◇「霍公鳥鳴く峰の上の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ」
 (小治田広耳)
◇「鴬の、通ふ垣根の卯の花の憂きことあれや、君が来まさぬ」
 (作者不明)
◇「卯の花の咲くとはなしにある人に恋ひやわたらむ片思にして」
 (作者不明)
◇「時ならず玉をぞ貫ける卯の花の五月を待たば久しくあるべみ」
 作者不明)
【俳句】
◇「卯の花も白し夜なかの天の川」(言水)
◇「梅恋ひて卯の花拝む涙かな」(芭蕉)
◇「卯花も母なき宿ぞ冷じき」(芭蕉)
◇「卯の花やくらき柳の及びごし」(芭蕉)
◇「卯の花をかざしに関の晴着かな」(會良)
◇「卯の花は日をもちながら曇りけり」(千代女)
◇「卯の花や茶俵作る宇治の里」(召波)
◇「卯の花や盆に奉捨をのせて出る」(夏目漱石)

 そして誰しもが知っている、耳にしたことがある唱歌「夏は来ぬ」を最後に綴って閉じよう。
佐々木信綱作詞、小山作之助作曲。1896年5月、『新編教育唱歌集(第五集)』で発表。
2007年に日本の歌百選に選出。
*『卯の花の、匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ
*さみだれのそそぐ山田に 早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)ぬらして 玉苗(たまなえ)植うる夏は来ぬ
*橘(たちばな)のかおる軒場(のきば)の 窓近く蛍(ほたる)飛びかい おこたり諌(いさ)むる夏は来ぬ
*棟(おうち)ちる 川べの宿の 門(かど)遠く水鶏(くいな)声して 夕月(ゆうづき)すずしき 夏は来ぬ
*五月(さつき)やみ 螢飛びかい 水鶏(くいな)なき 卯の花咲きて早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ』

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「いつも今が始まり、一瞬懸命 」(その13)

2021年05月29日 11時56分25秒 | いつも今が始まり(生き方論)
 久しぶりに「いつも今が始まり」を綴ってみました。
Z世代との付き合い方「褒め言葉の効用」
「人間は称賛を渇望して生きている動物」といわれています。褒めてもらうことを期待しているのです。
そしてまた褒められて嫌な気分になる人はほとんどいません。
 褒め言葉は人間関係(商い)の潤滑油と申します。
誠実な褒め言葉は命の息吹のように人の心を明るくし、幸せな気持ちにさせ、時には萎えた心を元気づけ、勇気をも与えてくれます。
 褒めるということは、こちらから褒めちぎらなくても、相手に自慢話をさせて、自分で自分を褒めさせてあげるということでもよいのです。
そのきっかけとなる褒め言葉は用意しておかなければなりません。
会話の中で褒めるべきところをすばやく見つけ仕掛けることも人間関係づくりの秘訣なのです。
褒めるということは「相手」のことを認めてあげるということでもあります。
「Z世代との付き合い方」
 認めてもらえる、信じてもらえる、期待され任されているという思いにさせ、見守りながら育てていくというのがZ世代の教育法、人間関係づくりの秘訣。
我々戦中派や団塊世代には考えられない世代がZ世代といえよう。
Z世代は否定されることを嫌がる。「ダメ」「言われた通りにヤレ」「どうして分らんのだ」等など頭ごなしに否定される育ち方をしていない世代なのだ。「叱れば」パワハラと嫌われ、すぐに辞めて行く。
ひどい時には「ブラック企業」などと風潮してしまう。企業戦士の我々世代には理解しにくいことなのだが・・・。
子供を育てるとき、子供の気持ちになって考えてみる。
自分の子供時代の事を思い浮かべ、親から叱られたとき「どうして僕の気持ちがわからないのだろう」と思ったことも多いのではなかろうか。
 誉め言葉の効用は“うまく動かすために”「相手の気持ちになってみること」ということでもあるのです、特にZ世代には。


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気分転換でマンションの花を撮りに

2021年05月28日 15時20分01秒 | 日常のこと&写真
 来週発行の記事の編集に追われていて、例年の通り一面トップに生命保険・損害保険各社の21年3月期決算報告を掲載するが、各社決算内容の諸表をチェックし経営内容を記事に仕上げていかねばならず、細かい数字に目が疲れてしまい、気晴らしにマンションの各棟の花壇の花たちを撮りにぶらりと外へ。
雨上がりで陽射しの照り返しも少なく撮り易かった。
 「卯の花」が盛りと咲いているのと紫陽花がチラホラと。立葵が見ごろだった。
 40分ほどブラブラとすると気分も変わり座骨も楽になった。
 さてさて、夜までに仕上げよう。




































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卯の花の匂う季節になって

2021年05月26日 00時15分59秒 | 日常のこと&写真
 「卯の花の、匂う垣根に 時鳥、早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ・・・」
 わがマンションの桜が散って新緑の季節になると、白い卯の花が咲き誇り匂う垣根が心を満たしてくれる。そして紫陽花が共に咲き始めるのだ。
 昨日仕上げたタブロイド版新聞の原稿と割付表を新聞印刷へ宅配便で発送(記事はPDFにて添付メールで発信済)した帰り道、市民の森へ立ち寄った。ウォーキングをかねて池泉回遊式の公園を2周すると約4000歩ほどとなる。とうことで高齢者には適当な散歩コースとなっていて、晴れた日にはお年寄りたちが楽しんでいる。森林区域ではお弁当を広げてピクニックを楽しむ人たちも。
 私は写真を撮りながらの散歩なのでマクロと標準レンズ、それに300mmの望遠も持参した。
 紫陽花はようやくガクを開き始めたところで誕生したばかりの花をフレミングしてみた。一週間後にまた行ってみよう紫陽花が見ごろになっているだろうから・・・。
 1時間半ほどひと段落した仕事休暇を楽しんだ。
 明日は初ゲラが午後から入るので自宅待機だ。














































 
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編集作業に没頭

2021年05月24日 09時27分11秒 | 日常のこと&写真
 土曜日に来週発行の校正原稿が本社から送られてきたため、せっかくの晴れ間だったが、この編集と紙面割付に掛かりっきりとなりコロナ自粛と同じことになってしまった・・・嗚呼。
 土曜日から今朝まで没頭してようやく今しがた完了。一休みしもう一度ミスがないかを確かめ印刷所へ配送する。
 お天気が良ければぶらりと写真でも撮りにでかけたいが、どうも空模様は怪しげだ? 
 さて、3日間もデスクに張り付いていたので雨が降る前にその辺りを少し歩いてくるとしよう。
 脊椎管狭窄症というか左腰に腰痛が。65歳頃に発症した狭窄症が再発か。
 数日かけて長時間座卓のパソコン前に座って仕事をすることから、腰を圧迫し続けるためだろうジワジワト症状を重くさせてしまった。
 今、低周波治療器をお風呂上りに当て湿布薬を貼って抑えているが治りが遅い。
 少しでも座骨への圧迫を軽減しようと盛んにテレビで宣伝している無重力ハニカム構造「ゲルクッション」をAmazonで購入。
 夢グループで購入するより安く、昨日朝に注文したのに当日の16時に配達された。
 さっそく敷いてみると、なるほど圧迫感は軽減される。だが、やはり一日中座り込んでいる私には100%快適というわけにはいかなかった。
 しかし効果があることは認めれたものの、やはり時折、立って腰を伸ばすとかストレッチが必要だ。


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大雨のなか

2021年05月22日 21時11分07秒 | 日常のこと&写真
 昨日、強い風雨のなか久しぶりに娘の音楽スタジオへ行った。オープン以来のことだ。
エレクトーンの配置換えをしていた。西側に2台並べていたものを2台のピアノの間に置いていた。
それまでは西側の窓辺だったので、長く西日にさらされる位置は良くないのではないかと指摘していたのを受けて北側に面する位置に移動させていた。
 そろそろ暑くなる季節なので、大型の冷房機は据えられているのだが、冷気の循環と換気のために扇風機をプレゼント。
 その扇風機を持ってスタジオに。オープンさせるまでにかなりの経費がかかっているため親としてそれなりの援助したのだが。
 少し雨が小降りになるまで娘にエレクトーンとピアノ演奏を聴かせてもらった。
 30分ほど演奏を楽しませてもらって帰宅。
 7月に発表会をする計画になっているので曲作りに専念しているようだ・・・。



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チョット疲れてきたのかな

2021年05月20日 09時50分13秒 | 日常のこと&写真
 梅雨入りして大阪では珍しく毎日、梅雨らしい雨が降り続いている。
ここ数年梅雨入りといってもシトシトと降り続く雨はなく、ザァーっと降っては晴れ間が続き、梅雨らしくもないのに「梅雨の中やすみ」等と報じられていた。
しかし今年は雨が続く。九州にいた頃はこのような降りしきる日が続き水災を被っていた。そんな昔を思い出すような梅雨となっている・・・。
 コロナ騒動で閉じ籠りの日々ではあるが夕刻からは学習塾の仕事があり夕食を早めにとってから出かけていた。
一昨年から毎日勤務から週三日に減らし、この春からは週二日にしてもらった。だが授業が終わるのが21時50分で、それから指導報告書を記載して塾を出ると22時30分を回る。就寝時間は若いころから習慣的に遅かったから22時台など宵の口というところだが、それでも老いが進むにつれて辛くなってきた。
 いよいよ引退を・・・と考えるようになっていて、その決断をした。
 コロナ禍の影響で塾生たちも減少、新入塾生も例年に比べて少なくなっている。それで、もう私が居なくてもやり繰りできるだろうと。
 九州の同郷の後輩が営む塾で、「手伝ってくれませんか」という誘いを受けたのが始まり。
子供たちと接することは嫌いではなくむしろ子供たちに好かれる性質だった。
「責任ある受験生は担当しない」という条件で手伝うことになった。小学生と中1年までを担当。中2年になるとやはり受験対策に突入するからだ。
お陰様で子供たちには慕われた。お爺ちゃん感覚で何でも相談できるという感じだった。
 16年間楽しく勤められた。だが「疲れた」が本音・・・。
 新聞社の編集責任者という仕事もあり、これは辞めずに生涯現役でいたいと思っているが、だがあと2年、3年というところだろうか、自分なりのゴールが見えている。

 父は医者だったが83歳まで働いた。体調を崩し止む無く引退したが倒れるまで続けたかったようだ。そして95歳の天寿をまっとうした。
 私も父のようにいつまでも現役でいたいと思うが・・・休みたくなったという揺れる気持ちも。
 学習塾は夏期講習に突入するまえの6月末日で退くことを塾長に伝えた。
 残念がっていたが高齢を考慮してくれた。何よりも塾経営と講師たちの相談役として助けられたと感謝してくれた。
 あと一か月余りのこととなったが寂しい気持ちも。



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