「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

醫王山「光福寺」

2008年02月13日 18時32分36秒 | 古都逍遥「京都篇」
 鳥居を通り境内に入ると大木の茂る森にであう。楠や椎が明かりをさえぎり、桜はすでに葉を落としている。
 光福寺は、平安時代の天暦9年(955)に開かれ、平安時代には都の西南の裏鬼門の鎮護を担い、室町時代から江戸時代には近郷の人々の信仰拠点として発展してきた。開祖の浄蔵貴所は、平安時代の文章博士として著名な三善清行を父とし、幼少から非常に聡明であった。伝説に残っている逸話を紹介しておくと、父の葬儀に遅れ、一条堀川の橋の上で父を一時的に生き返らせて会話をしたという逸話は有名で、安倍清明でも有名な「一条戻り橋」の名の由来となっている。このほかにも、傾斜していた「八坂の塔」を一晩で元に戻すなどの多くの伝説を残し、役行者と並び称される修験者として知られている。

 入口の仁王門には南北朝時代の金剛力士像があり、境内には、蔵王堂、弁天堂、薬師堂、子守勝手社がある。始めに弁天堂、それから薬師堂、次に子守勝手社を拝し、その後蔵王堂に礼拝するという浄蔵貴所の教えは、現在も受け継がれている。

 また、国の重要無形民俗文化財に指定されている「久世六斎念仏」の発祥地としても知られ、現在も、毎年8月31日の八朔祭の日に開催され、多くの人々で賑わう。このような「芸能六斎」系は、太鼓、鉦、笛を使って、謡曲や長唄などから取材した曲や獅子舞、祗園囃子なども演じられ、民衆の娯楽として発展してきたもので、「壬生六斎念仏」が全国的に名高い。一方、「念仏六斎」系は、鉦を叩いて念仏を詠唱する、踊り念仏の流れを継ぐ本来の念仏主体の六斎念仏で、鉦が主体で、「鉦講」とも称される。一部に太鼓が入るが動きは少なく、笛はまったく使われないのが特長で「円覚寺六斎」や「空也踊躍念仏(六波羅蜜寺 かくれ念仏)」等が知られている。この他、「空也堂」系や「干菜寺」(ほしなじ)系、一遍上人の「踊り念仏」などがある。

 所在地:京都市南区久世上久世町826。
 交通:市バス「北上久世」下車、徒歩徒歩5分。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする