「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「勝龍寺」(しょうりゅうじ)

2008年10月07日 00時12分20秒 | 古都逍遥「京都篇」
 平安京の前に置かれた「長岡京」、その長岡京の南部からサントリーの工場がある大山崎にかけて、いまから400年以上も前に、本能寺で討たれた織田信長の仇を撃とうと、備中松山から昼夜走り続けて挑んだ明智光秀との「天下分け目」の山崎の合戦が、この一帯で繰り広げられたとは想像もつかないほどの静かな住宅地・田園地帯が広がっている。
 長岡京市の勝龍寺公園の南、狭い道に囲まれた住宅街の一角に隠れるように勝龍寺がひっそりと佇んでいる。

 真言三宝宗「勝龍寺」は、平安時代初期の大同元年(806)空海(弘法大師)を開基として建立、寺名は空海が唐長安で学んだ「青龍寺」の名を付けたと伝えられている。応和2年(962)の干ばつの際、当時の住職・千観が雨乞いをしたところ雨が降り、村上天皇から「龍に勝り雨を降らせた」として勝龍寺という寺号が与えられる。以後、付近一帯の地名になった。
 
 本尊は十一面観音立像で重要文化財に指定されている秘仏、木造素地で鎌倉時代の作という。ほかに聖観音像、持国天像、多聞天像が安置されており、いずれも鎌倉時代の木像。毎年8月18日と11月第2日曜に十一面観音立像がご開張される。
 本堂階段の右につやつやと輝きをはなっている坐像が置かれている。「おびんずる様」と仏の名が紹介されているが、通称、「なでぼとけ」と言われているようで、「おびんずる様」の神通力で、自身の身体の悪いところを、「おびんずる様」のその部分を触ると、不思議に治るとの言い伝えがあり、さっそくご利益にあずかろうと病んでいる胸(心臓)を撫でさせていただいた。お賽銭を入れ忘れたからご利益はないかも知れない。

 ここの鐘楼は数奇な運命があり、1615年、家康が実質的な天下人となった大坂夏の陣の戦いのとき、どさくさまぎれに誰かに持ち去られ、後に源八堤(旧淀川、造幣局の上手)に捨ててあるのを能勢の伊豫守頼次が発見、地元の布留神社に奉納、その後、転々とし現在大阪豊能町の真如寺に現存、大阪府の文化財に指定されているという。
 2代目は第2次大戦末期に供出されている(初代の鐘の返還交渉も行われたようだが実現されなかった)。現在のは3代目で、大晦日の夜は、長岡京市の人たちの厄を払って鐘がつかれている。
 訪ねたころは猛暑の夏、参拝者は誰もおらず、本堂前に咲く蓮の花が私を出迎えてくれた。
 
 所在地:京都府長岡京市勝竜寺19-25。
 交通:長岡京駅下車徒歩7分。
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