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「猿沢の池」(さるさわのいけ)

2010年09月09日 11時38分16秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 『手を打てば 鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池』(詠み人知らず)

 「猿沢池」は奈良公園域内にある「興福寺」の放生池で、大仏建立に尽力した行基が遷化した天平21年(749)頃に印度の仏跡「瀰猴(びこう、大猿のこと)池」に模して築造した人工池で、周囲約360mの小さな池で、海の無い奈良にもかかわらず彼方の竜宮に通じているとされ、昔から龍神伝説が語られてきた。
 これを基にした芥川龍之介の短編小説「竜(大正8年5月/中央公論)」に、日頃先が赤い大きな鼻をからかわれていた恵印法師が、池の畔に「3月3日この池より竜昇らん」と書いた立札を立てたら、十丈余りの黒竜が空に舞い昇ったとある。

 「猿沢池」は、昔から「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙はわかず藻は生えず、魚が七分に水三分」といわれている不思議な言い伝えがある。

 池畔の枝垂れ柳越しに望む興福寺五重塔は昔も今も変わらぬ絵はがきの画題になる名勝で奈良八景のひとつとなっている。池には、毎年4月17日の興福寺の放生会(万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式)に鯉が放たれる。最近はカメの名所としても知られるようになったが、岸に立てば、緋鯉、真鯉がエサを求めて寄ってきて観光客を楽しませている。

 毎年中秋の名月の夜に催される祭りがある。
 二艘の管弦船が、優雅な雅楽が流れる中、流し燈籠の間をぬって池を巡り、王朝を偲ばせる幻想的な「采女祭」(うねめまつり)で、奈良時代、帝(みかど)の寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池に入水した采女(後宮で帝の食事の世話などに従事した女官)の霊を慰めるために始まったものと言われている。

 采女を哀れんだ天皇は猿沢池に行幸して、歌を詠んでいる。
 『猿沢の 池もつらしな 吾妹子が たまもかづかば 水ぞひなまし』
  (猿沢の池までも恨めしくてならぬ。いとしい乙女が池に身を投げて水中の藻をかつ(被)いだ時に、水が乾けばよかったのに)「日本古典文学大系『大和物語』」より。

 また、お供した柿本人麿も詠んだという歌がある。
 『わぎもこの ねくたれ髪を 猿沢の 池の玉藻と みるぞかなしき』
  (このいとしい乙女の寝乱れた髪を、猿沢の池の藻として見なければならないのは、まことに悲しいことだ)「同上」

 10世紀中頃に成立した『大和物語』に始めて登場し、また『枕草子』に取りあげられ、謡曲『釆女』の題材にもなった伝説である。池の東の堤には、釆女が入水するとき衣を掛けたという「衣掛柳」の石碑があり、西北には釆女神社が池に背を向けて鎮座している。

 所在地:奈良市登大路町猿沢49。
 交通:近鉄奈良駅より徒歩7分。
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