住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

はじめて比丘になった人- 釋興然和上顕彰2

2006年04月25日 17時13分27秒 | 日本仏教史、インド中国仏教史、真言宗の歴史など
興然和上は、幕末の嘉永2年(1849)島根県神門郡(今の簸川郡)塩治村に板垣家の次男として生まれた。日本の国造り伝説で知られる簸川(ひのかわ・斐伊川)がゆるやかに流れる出雲平野の農村地帯で幼少期を過ごしている。母方の叔父にかの有名な明治の傑僧釋雲照律師があり、板垣家一門からは5人の僧侶が出る仏縁深い家柄であったという。

10歳の時、叔父宣明に従い仁多郡横田村の岩屋寺にて剃髪得度。宣明は雲照の実兄に当たり、師の慈雲の後出雲で最高の寺格をもった松江千手院の住職になっている。興然はその薫陶を受け13歳のとき、250日あまりの四度加行を行った。これは、正式な真言宗僧侶となるための伝法灌頂に入壇する前行であり、十八道、金剛界、胎藏界、護摩の四度法を練行する。

そして、慶応2年18歳の時高野山に登山。その頃叔父雲照は、高野山真別処にあって別所栄厳和上より様々な伝授を受け、八千枚護摩供、求聞持法などを修しているから、叔父雲照をたよっての登山であったか。あるいは時あたかも幕末の騒然とした世情の中、山上の名利にふける僧風に対する粛正が叫ばれ、また先年の大火により焼失した伽藍の復興にも護法家の参集を必要とした時期でもあったから、叔父が招請したのかもしれない。

そして明治維新を山内で過ごした興然は、明治3年には22歳にして出雲国八束郡本庄村玉理寺の住職となり下山している。しかし実際にはこの頃すでに神仏分離令に端を発する廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、加えて高野山の女人解禁、「自今僧侶の肉食妻帯勝手たるべし」との布告に対する仏法擁護のために、叔父雲照は太政官をはじめとする各方面への建白に奔走していたから、興然も度々雲照と行を共にしていたのではないかと思われる。

明治7年興然26歳の時、雲照が山科勧修寺門跡となり、四年後の明治10年に門跡を辞退し勧修寺の門を出るとき従っていたのは興然一人であったというから、興然は雲照の身辺にあって所用を行う常随の侍者をしていたものと思われる。そして、明治9年教部省から少講義という僧階を興然はもらっている。

この時勧修寺を辞してから二人が向かった先が岡山県連島の宝島寺で、雲照が明治7年に住職していた。この間修禅に心身を凝らしつつ、雲照が香川県三谷寺などへ講演に歩いている間興然が宝島寺の留守を預かっていたという。江戸後期に宝島寺に住持し、慈雲、良寛とともに三書聖と言われる寂嚴の落款を興然は自分用に擦って拵えてしまったとも言い伝えられている。つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はじめて比丘になった人-釋興然和上顕彰1

2006年04月23日 09時31分06秒 | 日本仏教史、インド中国仏教史、真言宗の歴史など
 比丘(びく)とは、梵語のbhiksu、パーリ語のbhikkhuの音訳で、乞食者のことである。わが国で僧侶を比丘とは言わないが、お釈迦様直伝のパーリ経典を所依とする南方上座部の仏教国では尊敬を込めて比丘と呼ぶ。それは行乞に値する人。何の引き替えとしてではなく食を与えられるべき人ということであろう。

黄色い袈裟をまとい、持鉢をもってその日の食を乞い、その他の時間はただ仏陀の教説を学び、実践するだけの人たち。それ以外のことから解放された人たちでもある。お経を上げたり、説法をしたり、儀礼を行うから僧侶なのではなく、ただ自らの生涯を仏陀に捧げた人たちだからこそ尊い。

勿論自らの悟りにだけ専心しているわけではない。決して小さな乗り物などではない。そのはじめには慈悲の心があり、だからこそ施しを受け人々に功徳を分け与える。また教えを語りお釈迦様相承の瞑想実践を授ける。

その存在そのものがありがたい比丘たちに食や袈裟など修行に要する品々を差し上げることこそが自らのなにものにも替えがたい功徳なのだと思える人々とともに支え合う、この清浄なる関係こそが本来の仏教なのであった。

明治時代に欧州経由で近代仏教学がわが国に紹介され、それまでの中国経由の宗派仏教から梵語やパーリ語の仏教研究が喧伝された。戦前には南方上座部所伝の重要なパーリ典籍が南伝大蔵経65巻として邦訳され、原始仏教、初期仏教、根本仏教という名を冠して研究も盛んであった。しかしその後その教えが広く人々に浸透したとは言い難い。

そしてやっと戦後50年を経て、今日スリランカ、タイ、ミャンマーなど様々な仏教国から僧侶が来日し、長期に滞在して教えを説き、実践法を宣布している。またタイ、ミャンマー、インドなどには日本人で現地のサンガにおいて僧侶として修行に励む人も少なくない時代となった。いま正に上座仏教がより平易に、しかしその実践と教えを兼ね備えた教えとして広まる機運が醸成されつつある。

こうしたわが国の仏教の現状を最もよろこんでおられるのが今は亡き釋興然和上ではないかと私は思う。この人こそが知る人ぞ知るわが国で初めて南方上座部の伝統ある比丘になられた方であり、今から一世紀も前の明治という時代にわが国に南方仏教の僧団を移植せんと試みた方であるから。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無常偈について3

2006年04月14日 08時25分31秒 | 仏教に関する様々なお話
それではもっと簡単にこの無常偈を説くとしたらいかがであろう。「すべてのものは無常にして」だからあなたも変わっているのだということ。どんなに立派な肩書きがあろうと、職歴学歴経歴があろうと、それはその時のことであって、今の自分ではない。

それなのに自分が考えていることは絶対だと思う。正しいと思う。みんな分かっていないのに言いなさんなという思いをもつ。けれど本当に自分が正しいのかと謙虚に、あれこれ調べるということもしない。ただ漠然と自分はいいと思いがちではないか。

そして「生じては滅する性質なり」これはみんな死ぬのだということ。それなのに自分は死なないと思っている。いやいや死ぬと思っていますよと言う人も、結局はいずれはという思いでいる。明日にも死ぬかも知れない。だから今日を大切に、すべきことをしているかと言われれば、心もとない。そんなものではないか。

「再生してはまた滅していく」これは来世もあるということ。しかし、この世のことにしか興味はないのが今の世の中ではないか。前世占いなどといってもてはやされるのは興味本位の戯れ言に過ぎないだろう。この世でいい思いをして死んでしまえばよい。死んでいく先のことまで心配していられない。明日のこと、今年のことで精一杯だと思う。ひと頃話題になった臨死体験がその後の私たちの人生の捉え方に影響したとも思われない。

「その寂静は安楽なり」輪廻が終わること、つまり悟りが本当の幸せということ。幸せとは何だろう。したいことができ、欲しい物が手に入り、多くの人に褒められることだろうか。何事も移り変わるこの世の中で、いっときそんな思いが得られてもいずれは終わってしまう。

どんなに人気があり権勢を欲しいままにした人もその勢いは衰え、過去の人になる。亡くなるときには空しさばかりが残される。いつも心がほかほかと悦びにみち、楽しく明るく生きるためにはどうあらねばならないのか。それを見出すことが本当の幸せなのだということになる。そのためにはその理想を実現されたお釈迦さまに学ぶのが一番の近道ということなのであろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無常偈について2

2006年04月13日 09時00分00秒 | 仏教に関する様々なお話
次に、無常偈をもう少し私たちの身近な教えとして受け取ってみよう。

「すべてのものは無常にして、生じては滅する性質なり」

はたして、私たちはこのように見ているであろうか。頭では世の中のことは、そんなものだよ、と思えたとしても、実際には全く無常ということが分かっていない。そのように受け取れないのが本当のところではないか。

異常気象と言いながら、暑いの寒いのとつい口に出して言ってしまってはいないだろうか。生活の安定を求めない人もいないだろう。勤め人なら毎月の給料が多かったり少なかったりという一事にさえ、一喜一憂する。また、家族の誰かか不治の病に罹ったときの狼狽を考えてみただけでも、私たちは無常ということをただの言葉としてしか理解していないことが分かる。

そして何よりも、この無常であるが故に生滅する、ということを我が身のこととして捉えねばいけないのであろう。たとえば、自分がガンだと診断されたとしたらいかがであろう。ガンのおそれがあるなどとお医者さんに言われたとき、誰もが胸に杭を打たれたかのような重苦しい思いにとらわれるのではないだろうか。なぜ私なのか。何が悪かったのか。どうして隣の人ではなく自分なのかと。

そんな思いが堂々巡りを繰り返し、眠れない夜を幾晩過ごせば心にいくらかでもゆとりが出来るのか想像も出来ない。そんなものではないか。だからこそ、無常ということ、生じたものは必ず滅するという真理を私たちは心して受け入れることを学ぶ必要がある。

「再生してはまた滅していく、それが静まり止むことこそ安楽なり」

私たちはこの人生について、二度と無い人生などと言われ、死ねばそれで終わりと思ってはいないだろうか。どこかの宗教者の言うままに死んだら天国に行くなどと思っている人もあろう。だから、自分は死んだらどうなるのか、と改めて考える人もいないのかもしれない。勿論学校で教えてくれることもない。ただ漠然とそんな風に思う、そんな世の中になってしまったようだ。

仏教では、死ぬと輪廻転生すると教えられている。生前になされた業にしたがって転生すると。だからこそ何万回と繰り返されてきたとされるこの果てしない輪廻の苦しみから解脱するために、お釈迦様が出家され、苦行に励み、禅定に入り、真理を得て、悟りを開かれ、その悟りへの道筋を指し示す教えを説かれた。そのお蔭で仏教がある。

また、衆生は六道に輪廻するともいい、死後人間として生まれるとも限らない。行いによっては、次の生では地獄に生まれるかも知れないし、畜生なのかも知れない。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道のどこかに生まれるという。そうして何度も六道の苦しみの中に生きるということは、まったくもって不安な恐ろしいことなのだということを私たちは知らない。

殺生を好む人は来世では地獄に生まれ変わる。もし人間に生まれ変わったとしても短命となる。手や棒で人を叩くような人も地獄に生まれ変わる。もし人間に生まれたとしても多病となる。怒りを好む人はたとえ人間に生まれたとしても醜悪に、欲が深く他に施さない人も人間として生まれてたとしても、とても貧しい人になると、このように業と言われる行いの報いについて経典(パーリ中部経典135)に述べられている。

灼熱の大地に暮らすインドの人々、また政情不安の中で貧しい生活に日々追われる東南アジアの人々、いずれも人生は苦だと実感しているであろう。しかし私たち日本人だって、暮らしは遙かに贅沢ではあるが、働けど働けどわが暮らし楽にならずという状態に陥りつつある。失業して職に就けなくなってしまった人も多い時代である。また複雑な人間関係に神経を疲弊させてもいる。自殺する人が絶えない現実、凶悪な事件に巻き込まれる不安の中で生きてもいる。

いかにしたらこうした苦しみの現実から解放されるのか。そのことを説くのが仏教なのであろう。そして、そのことを自らの意思によって学ぶことができるのも、六道の中で人間界をおいて他にない。何気なく安逸のままに生きてしまっているが、こうしてなんでも思い通りにやろうと思えば出来る人間界にいるということが、本当は誠に貴重な得難い時間を生きているのだということを自覚すべきなのであろう。

誰もが幸せを求め、生きがいを探しつつ、短い人生を歩んでいく。気がつくと、既に人生の半ばにあることに、誰もが愕然とすることもあるだろう。残された時間は僅かであることを知りつつも、それまでに培った価値観を変えられずに時をやり過ごす。今際の際に、本当に納得し良い人生を歩むことが出来たと満足するには、どうしたらよいのだろうか。

人としての営みを無為に過ごすことなく、本当は時を惜しんで教えを学び、実践しつつ心を磨くことが、仏教徒として課せられた責務なのかもしれない。大恩教主であるお釈迦様が、灼熱の大地を裸足で旅をしつつ、人々に教え諭し、入滅するそのときまで説き聞かせた、その教えをたよりに私たちは戒名というブッディスト・ネームをもらってあの世に旅立っていくのであるから。

(余話)
しかし、日本の仏教では、発心即菩提、即身成仏、凡聖不二などといい、既に私たちは修行などせずともすべてが仏の現れなのだと自覚さえすればよいといった観念が植えつけられている。諸法実相と言い、山川草木悉有仏性、生死即涅槃また煩悩即菩提とも言われる。

しかしこれはインドやチベットの仏教では顧みられることのない考え方であって、中国や日本で展開され、特にわが国の天台宗を中心に発展し日本仏教の骨格となったものであろう。凡夫と仏との距離が限りなく狭められ、煩悩によってこの実相を見る目が曇っているだけなのだから、発心して凡聖不二を正しく認識するだけでよい。なぜならば、誰もが仏になる可能性・仏性をもち、自然界も私たちの日常の現実もそのまま悟りの現れなのであるから。

このような極端な思想が蔓延し、中世ごろには既に文学・芸術・芸能の世界にも影響を及ぼしたと言われる。しかし現実問題として体裁と対面を取り繕うことは出来ても、本来あるべき戒定慧の三学そのものを損なうものとなってしまっているのではないだろうか。

それがために、もともと仏教とは何か、何のための教えかということも分からなくなっているのが、今日の日本仏教の現実ではないか。無常偈は私たちにその仏教の原点を思い起こさせてくれる貴重な一偈ではないかと思う。そして、私たちは、この無常偈から、改めて学び始める必要があると思うのである。なぜなら日本仏教にとって人の死が最も身近な課題であろうから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無常偈について

2006年04月10日 16時54分35秒 | 仏教に関する様々なお話
anicca vata sankhara
uppada-vaya-dhammino
uppajjitva nirujjhanti
tesam vupasamo sukho
(Pali Digha-Nikaya Mahaparinibbana-suttaパーリ長部経典第16大般涅槃経)

諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
(漢訳)

すべてのものは無常にして、
生じては滅する性質なり、
再生してはまた滅していく。
それが静まり止むことこそ安楽なり。
(邦訳)

色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず
(この無常偈をかなにしたいろは歌)

ここに挙げたのは所謂無常偈といわれる偈文であるが、これは、お釈迦様がクシナガラで入滅されたそのとき、帝釈天が唱えた詩であるとされている。パーリ長部経典におさめられた大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)に、その時の様子が詳しく記されている。その経典には、お釈迦様が息を引き取られたとき、身の毛もよだつ大地震が起こり雷鳴がとどろいたとある。

と同時に、梵天が
「この世において生けるものはすべて身体を捨てねばならぬ、
この世において無比の人、力をそなえた正覚者、
かくの如き師、如来さえ入滅されたことゆえに」と唱え、

そして、同時に、神々の王である帝釈天がこの無常偈を
「諸行は実に無常なり、生じ滅する性質のもの、
生じてはまた滅しゆく、その寂静は安楽なり」と唱えられたという。

そして、またこれも同時に尊者アヌルッダとアーナンダも次のような詩を唱えたという。「貪りのない牟尼にして、寂静により去り逝ける、心安定のかかるお方に、
もはや呼吸は生起せず、動じることなき心をもって、感受に忍び耐えられた、
灯火が消滅するように、心の解脱が生起せり」

「そのとき恐怖のことがあり、その時身の毛のよだちあり、
あらゆる勝れた相のある、覚者が入滅されたとき」と。そして、愛着を離れていない比丘や神々の泣く声がこだまし、その場に倒れ、転げ、のたうち回ったとその時周りにあった者たちのあまりにも早く入滅されたお釈迦様への思いをそう書き記している。

 私たちは、この無常偈を前に、単にこの無常偈だけの字面を追うことなく、この時の正に私たち仏教徒にとって、最も記憶に留めておくべきこのときの情景から解すべきなのであろう。お釈迦様というこの世のすべてのことに精通され、転生輪廻の呪縛から自ら解き放たれ、その真理への道を生涯有縁の者たちに説き聞かせ多くの弟子らを阿羅漢という悟りの極みに導いた聖者の最後を、その有様をまざまざと思い浮かべつつ、この偈文を読み味わう必要があるのではないかと思う。

そして、ここにあげた入滅直後の四つの偈を一つに解してはいかがであろうか。なぜならば入滅時にそれらが各々二人の神と二人の仏弟子から同時に唱えられたとしているのであるから。

つまり、「諸行は実に無常なり、生じては滅する性質なり」というのは、正にこの比ぶべき者のない無上の力あるお方であられるお釈迦様でさえ入滅し、恐ろしいばかりに地がふるえ雷が鳴り響いて奇瑞が起こり、無常のことわりに従われたのであるから、一切の衆生も誰一人としてこのことわりから逃れることなどできない、みな生じたるものは身体を捨て、滅するときが来るのである、と。

そして、「生じてはまた滅しゆく、その寂静は安楽なり」とは、お釈迦様は正に灯火が消え入るかのように生存の因を消し去られ、転生輪廻の束縛から解脱なされたお方であり、肉体という過去の業の報果をも離れた完全な無苦安穏の涅槃にお入りになられたのであるから、このお釈迦様の般涅槃parinibbana無余涅槃こそが最上の理想の安らぎなのである、と解釈したい。

そして今もって、スリランカ、タイ、ミャンマー、インドなどの南方上座部の国々では、仏教徒が亡くなると、葬送の儀礼にはこの偈文がパーリ語で唱えられ、火葬される。この偈文とともにお釈迦様の入滅を思い、お釈迦様の教えを奉じた者としてそのお徳を改めて思い起こし、来世にあっても、また仏教にまみえ、さらに心の浄化に励むべく、そのはなむけの言葉として唱えられるのである。

この無常偈をわが国にいろは歌として伝えられたお方が弘法大師空海、お大師様であると言われる。勿論この説には色々な説があるようではあるが。撰者が誰かはともかく、いろは歌はこの無常偈をわが国のかな文字で記した名句であろう。

いろは歌は、この世の移り変わる様の哀れを情感たっぷりに嘆き悲しみ、しかしその行き着く先の安らぎを思うという日本的情緒をかき立てる。がしかし、無常偈は本来もっと理性的に私たちの生きるということの際限を見つめる営みではないかと思う。

自らお悟りになり、多くの人々を教え導いて悟らせ、完全なる悟りに入られたお釈迦様を慕い、決してそのお釈迦様にすがるなどという安易な態度ではなく、その聖者たちの流れに付き随うべしという仏教徒としての厳然たる姿勢を差し示した誠に厳しい教えとして受け取るべきではないかと思う。であるが故にこそ、2550年もの間大切に唱えられ、護り伝えられているのではないかと思えるのである。
(文中「」にて記した部分は、中山書房仏書林刊原始仏教第8巻片山一良訳より)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホームページのアドレスが変更になりました

2006年04月08日 08時27分44秒 | ナマステ・ブッダより
ここ広島県東部神辺町にもやっと光回線が引かれることになり、早速光接続いたしました。昨年の8月に申し込んだのですが、この3月末になってやっと開通です。(なお、3月には深安郡神辺町が福山市と合併して福山市神辺町となりましたことも併せて御通知いたします。)

これにより、当「住職のひとりごと」の元ページである「ナマステ・ブッダ」並びに「備後国分寺ホームページ」のアドレスが変更になっています。リンクを貼って下さっている皆様には誠にお手数ですが、設定変更してくださいますようにお願い申し上げます。

仏教を学ぶ人のためのナマステ・ブッダ 
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zen9you/

備後国分寺公式ホームページ
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zen9you/pada/bkoku1.htm

今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天寿を全うするために 「病気にならない生き方」を読んで2

2006年04月08日 07時10分18秒 | 様々な出来事について
ガンを含めどんな病気もその原因があり、薬に頼りきることなくその原因こそ取り除く必要がある。どんな薬も基本的に薬は毒であり、症状を抑えることは出来ても、薬で病気を根本的に治すことは出来ない。食事の量や質、時間やストレスなどその病気の原因そのものが除かれない限り根本的に健康を回復することは出来ないと断言される。

では私たちは何を食べるべきなのか。先生は動物の食性を表す歯に注目される。人間の場合、肉を食べる歯が一なのに比べ植物を食べる歯が七あるということから、植物食を85パーセント、動物食を15パーセントにすべきであると言われる。

つまり、穀物を50パーセント、野菜や果物が35から40パーセント、動物食は10から15パーセントとし、穀物は玄米など精製していないもの、他のものもなるべくエンザイムを沢山含む新鮮な物がよい。動物食は人間より体温の低い魚で摂るのがよく、牛乳、乳製品、マーガリンは避け、揚げ物もなるべく摂らないこと。

そして、一口に50回程度よく噛み、消化されやすくする必要がある。なぜならば腸壁で吸収されなかった場合、過剰に食べた場合同様に腸内で腐敗、異常発酵が起きるため、その解毒にエンザイムが浪費されるからだという。

よく噛むことで食事に時間がかかり、その間に血糖値が上がり食欲も抑制され、食べ過ぎを防ぐことが出来る。つまりダイエットにもなり、腹八分目でも満腹感が得られる。小食を心がける必要がある。出来れば子供の時からこうした食習慣を身につけるのが良いという。

なぜなら、病気は遺伝ではなく、その生活習慣の継承にあるから、といわれる。良い食材、良い水を摂り、規則正しい生活をして薬は極力飲まない、そうした体によい習慣を受け継げば子供は苦労せずに健康を維持し続けることが出来るであろう。

そして、糖分、カフェイン、アルコール、添加物が細胞や血液から水分を奪い血をドロドロにしてしまうジュース、ビール、コーヒーやお茶を水代わりに飲むことなく、血液の流れを良くし新陳代謝をスムーズにするためには、よい水を毎日1500から2000cc飲むのが良いのだそうだ。先生は、朝起きがけに500cc、昼食と夕食の一時間前に500ccずつあまり冷たくない浄水を飲まれているという。

良い水はダイオキシンや様々な環境汚染物質、食品添加物もちゃんと体外に排出し、バイ菌やウイルスが侵入しやすい気管支や胃腸の粘膜も良い水によって潤っていると免疫細胞の働きが活発化してウイルスの侵入しにくい場所になるともいう。

そして、食事以外のことで必要なのが、3、4キロを歩くなどの軽い運動と、十分な睡眠、また昼食後の昼寝なども大切なこと。それから、副交感神経を刺激して精神の安定を促し免疫機能を高める深呼吸を暇さえあればすること。そして、ストレスのない愛情に充ちた幸福感を感じる生活をするならば天寿を全うできるであろうと結論される。

勿論これら総てをすぐに実行することは難しいかもしれない。家族もあり、一人だけ食べ物を替えることは簡単なことではない。しかし出来ることから実行することで少しでも良い方向に変えていけるのではないか。特に持病に悩み薬に頼ることに疑問を感じ始めている人には朗報であろう。

ここで紹介できなかった諸々の健康に生きる智慧がこの本には凝縮されている。所々大事な部分が太字になっている。そこだけを読んでもかなり役に立つだろう。是非手に入れて、ご一読願いたい。

最後にこの本で記された仏教に通底する部分を紹介してみよう。体の一部のダメージが体全体に影響を及ぼすということは、仏教でいう縁起にかなう考えであり、病気は薬で治ることはなく、まずその原因を知りその原因こそ取り除くことが病気を治すというのは正に仏教の四諦の教えに、また、私たちの今ある体は生涯の食歴生活習慣の積み重ねによるとするのは、業論そのものであった。医療の最前線で活躍する新谷先生の到達した教えには、正に仏教がその正しさを裏付けているようだ。

最後に先生は臓器別医学が医者をダメにすると主張されている。一部の症状を回復させるために命を落とすことが平然と行われていると指摘する。これなどは、僧侶の世界で言えば宗派別の学問ばかりを優先する今日のあり方が仏教をダメにするということに該当するようにも思われた。新谷先生のひと言ひと言が私には納得できる、誠に心に響く名著であった。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天寿を全うするために 「病気にならない生き方」を読んで1

2006年04月07日 14時24分50秒 | 様々な出来事について
新聞の広告欄で度々目にした方もあろう。アメリカで活躍する日本人医師、新谷弘実先生の新刊(サンマーク出版刊1600円)である。新刊と言っても、昨年の7月に初版が発行されているから、読まれた方もあるに違いない。はじめネットで注文したが、後日手配できずとの連絡があり、福山まで足を伸ばしたときに立ち寄った書店で手に入れた。その書店では平積みになっていたのには驚いた。

ところで、やっと手に入れ読んだ健康法の伝授書ではあるが、書いてある内容は所々仏教の教えに通じるものがあり、かなり新谷先生ご自身が仏教の教えに通達されているのか、それとも元々医学も仏教も根本的には同じ事を導き出すものだ、ということなのかもしれない。

新谷先生は、アルバート・アインシュタイン医科大学外科教授として、普段ニューヨークに住まいし、一年に数ヶ月日本に戻り診察もされているという。俳優のダスティン・ホフマン、ロック・ハドソンはじめ、日本でも政界財界の著名人を診療されている。

先生は、胃腸内視鏡外科医という肩書きで、この40年の間アメリカと日本で30万人以上もの胃腸を診てこられた。内視鏡を使って人々の胃や腸を検査し、胃腸内の様子でその人の健康状態が分かるようになったという。胃相・腸相という表現を用いて、胃相・腸相の美しい人は心身共に健康で、逆に悪い人は、体のどこかにトラブルを抱えていたという。

そして、診察の際に患者さんに答えてもらったアンケートから、この胃相・腸相に大きな影響を与えるのは食歴と生活習慣だということが分かったという。それではよい胃相・腸相を保ち、健康で長生きするためにはどうしたらよいのか。それがこの本の内容である。

先生はここで、エンザイムという言葉を使われる。エンザイムとは体内酵素のことで、動物でも植物でも生命があるところに必ず存在して物質の合成や分解、輸送排出解毒など生命を維持するために必要な活動をしてくれるタンパク質の触媒のことである。

人間は五千種以上のエンザイムが生命活動を担っており、その原型となるエンザイムをいかに補う食事をし、逆に浪費しない生活習慣を身につけるかが胃相・腸相を良くすることに繋がるという。

お酒やタバコ、食品添加物、農薬、さらには薬やストレス、環境汚染、電磁波などの影響をいやが上にも受けてしまう現代社会に暮らす私たちは、それだけでもこのエンザイムを著しく消耗させている。このことを思うと、私たちは新谷先生のいわれる食習慣、生活習慣を心して受け入れることによってしか病気をせずに天寿を全うすることが難しいのかも知れない。

先生は言う。健康のためと言われてかなり間違った健康法を私たちは頭に詰め込んでいるようだと。それは一つの場所だけでよい働きをする成分があるとして推奨されるからであり、体全体として人間の体を診ていない医学のあり方が問題であると。

そこで、世間で健康のためと思いしがちな所謂食の常識を斬り捨てる。緑茶やコーヒーを含むお茶を常飲している人の胃は胃の粘膜が薄くなり萎縮性胃炎となり、胃ガンになりやすい。肉食は成長を早める、がそれはつまり老化を早めることである。牛乳は脂肪分を均等化するために攪拌する過程で乳脂肪分が過酸化脂質、つまり錆びた油になり、さらに殺菌のために百度以上の高温にするためタンパク質を変質させ、エンザイムも死滅した最悪の飲物だと言われる。

そして、カルシウムを補給するためと推奨され牛乳を飲む人も多いが、飲むと血中カルシウム濃度が急激に上がり、その濃度を体は通常値に戻そうとして恒常性コントロールによって逆に体内のカルシウム量を減らしてしまうので、本当は骨粗鬆症のためにもマイナスであるという。

さらに腸整効果があるとされるヨーグルトを常食している人の腸相も良くない。そして、植物油だからと多用されるマーガリンも。市販されている食用油の多くは溶剤抽出法という原材料に化学溶剤を入れて抽出される。この油は悪玉コレステロールを増やしガン、高血圧、心臓疾患の原因になる。この油を用いた代表選手がマーガリンであり、またスナック菓子に使われるショートニングであるという。

またガン患者の食歴から、肉、魚、卵、牛乳など動物食を沢山摂っていた人はガンになりやすく、特に早い年齢でガンになる人ほど幼い頃から頻繁に肉、乳製品など動物食に偏っていたことが分かっているという。つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国遍路行記9

2006年04月01日 09時19分34秒 | 四国歩き遍路行記
早速お風呂に入る。立江寺さんの歩き遍路に対する歓待に感謝しつつ、昨晩のことを思うと嘘のようであった。自転車置き場にこそこそと入り込み横になる晩もあり、またこうして勿体ない宿坊に接待を受ける日もあり、その日その時の境遇を素直にありがたく受け入れねばならない歩き遍路の心構えを早くも学ばされた。
 
泊めていただいた楓の間には「妙應無方」と書かれた掛け軸があった。どんな意味なのか、どんなところでもそのままに応じて受け入れよ、とでもいう意味なのか。近づいて見ると戦後まもなくに高野山の管長にもなられた八栗寺の中井龍瑞猊下の書であった。

真言密教の坐禅である阿字観(あじかん)を多くの人に勧められ、以前私も「密教の一字禅」という本を読ませていただいたことがあった。その晩は足の痛みも忘れて坐禅にいそしんだ。

翌朝、6時半頃玄関に行くと、Aさんがいて、私のことを待っていてくれたのか昨日と同じように一緒に歩き出された。昨日は夕暮れで気がつかなかったが、境内には人の丈の三倍はあろうかという立派な修行大師像がそびえ立っていた。山門で振り返り、丁寧に一礼して歩き出す。

20番鶴林寺への道は、細い舗装道路が続く。途中飛ばす車によけられながら進む。大きな夏みかんの木のある集落から山道に入る。山の道に何段もの石段が現れた。12時頃山門を入ると鶴の彫像が出迎えてくれて鶴林寺に到着。

庫裏から石段を登ると徳島県最古の三重塔が美しく、その上に地蔵菩薩を祀った本堂があった。鶴林寺は山号を霊鷲山と言う。霊鷲山(りょうじゅせん)とは、インドのかつてお釈迦様が説法された場所と言われる山のこと。山の頂が鷲に似ているからと言われるが、鶴林寺の山が鷲に似ているとは思えなかった。

太龍寺への道は宿坊脇の道を降りていく。ひたすら山道をあるく足が心地よい。次第に足の痛みも和らぐような感じがする。それでも相変わらず右足首の痛みは残り、かばいつつの歩みであった。

大井あたりで鶴林寺の住職に出会った。法事か何かだったのだろう黒い改良服姿で、温和ないい顔をされていた。道案内を受け、先に進む。太龍寺山に上がる道の横に小川があり、Aさんには先で休んでもらい、一人裸になり水を浴びる。

さすがに冷たかった。だが、体が凜として、着込んで歩き出すと五日前に歩き出したときの、はつらつとした感覚が思い出された。山の遍路道を上がると太龍寺山門が突然現れる。もうすでに夕刻が迫っていた。

てくてくと お前も遍路か かたつむり

行けども 行けども ツツジが香る

こらこら車 そんなに急いで いいことあるか

太龍寺へ 道案内か トンボたち
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする