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保坂俊司先生著『インド宗教興亡史』に学ぶ

2022年07月20日 13時16分20秒 | 仏教書探訪
保坂俊司先生著『インド宗教興亡史』に学ぶ



中央大学国際情報学部教授で、比較宗教学、比較文明論、インド思想を専門分野とされる保坂俊司先生の新刊、ちくま新書『インド宗教興亡史』を拝読させていただいた。保坂先生の著作については、これまでにも何度か紹介させていただいてきた。前回は『梵天勧請思想と神仏習合に学ぶ』と題して紹介させていただいた。

梵天勧請として語り継がれるエピソードについて、それは、ブッダの覚りが仏教となるためには他者からの働きかけが不可欠であったことを示すのと同時に、それは他宗教と対立するのではなく融和融合共生を計ろうとする仏教の根本的な姿勢を表しているとされた。仏教は他者を自らの定着や発展に役立てるという神仏習合思想ともいえるこの根本構造をもつがゆえに、インドにおいては、イスラム教徒の侵攻に際しても融和共生を模索し歩み寄ったことが、結果的にイスラム教に改宗し飲み込まれてしまったのであると推論された。

そしてこの、異なる他者を受け入れ自己犠牲を厭わずに平和裏に共生関係を持とうとする仏教の特質は、現代の様々な宗教間の確執によって抗争する国際間の諸問題を解決し、世界を平和に導く原動力になるのではないかと提唱された。

そして、今回は、今まさに既存の世界構造が崩れようとしている国際情勢にあって、つまり近代以降日本が模倣するモデルとしてきた欧米の優位が大きく揺らぐ現実に、日本人は何をなすべきか。そのヒントとして、インドがあるといわれる。近い将来その存在が一層重要となるはずであるインドの、その文明について理解を深めることは、混迷する世界情勢を乗り切るために重要であるというのである。

ところで、インドについて考えるとき、まず一貫して最重要な要素として宗教の存在があり、様々な民族の交錯する坩堝の中で、それらが相互に影響し合い、総括的にインド文明と呼べる共通性を形成したのだという。

インド宗教を概観すると、まず先住民ダーサの宗教があり、そこに中央アジアから来てインドを支配した異民族アーリア人のヴェーダの宗教が入り、それらが融合してバラモン教となる。そして、その時代にダーサの宗教的伝統に強く影響された仏教やジャイナ教が新たに起こり、それらとバラモン教が並立する時代にイスラム勢力の侵攻があった。その後、インド仏教がバラモン教に併呑されてイスラム教と対抗すべく今日のヒンドゥー教になったと説明される。

第一章「ヒンドゥー・ナショナリズム」では、現在のインド亜大陸における各宗教の人口比からヒンドゥー教徒とイスラム教徒がともに、広大な国土を奪われたという思いをいだいていると分析される。そして現代にもその両者の抗争は継続している。

第二章「ヴェーダの宗教、バラモン教、ヒンドゥー教」では、ヴェーダの宗教からヒンドゥー教に至るインド土着の宗教の変遷が語られる。そして、その底流にある、被征服民が長い間培ってきたダーサの宗教を起源とする「出家と修行」という宗教形態こそが、インド亜大陸に普遍的な宗教の伝統ではないかと指摘される。仏教やジャイナ教ばかりか、シク教、外来宗教であるキリスト教、イスラム教、ゾロアスター教にもその伝統の影響がみられるという。

第三章「バラモン教とインド仏教」では、インドにおける仏教は、ヴェーダの権威を認めず、ブッダ自らの体験に基づく宗教的確信を自らの言葉で説き続けた、理性重視の開放型の宗教であったと分析される。その後仏教を支える民衆がバラモン文化の構成者なるが故にアートマンに準ずる存在原理を認める部派が生まれ、それに対抗するブッダの精神への原点回帰運動として大乗仏教があり、それはインドに定着した異民族の受け皿として機能する諸文明の要素を融合したハイブリッド仏教であったと定義される。

そしてグプタ朝の復古主義に抗えずバラモン教との共生へ転じた仏教は、さらにイスラム勢力のインド侵攻にも強く影響され密教化するにいたる。そして、バラモン教と融和共存関係を構築した仏教教団はバラモン教に併呑され、反バラモン教的集団はイスラム教に改宗し溶解していった敗北の歴史とみなされるという厳しい見方をされている。

仏教教団はヒンドゥー教の中に融解してしまったが、その後もブッダの教えは確実に伝わり、二十世紀の中葉、インド共和国憲法の草案作成者で、被差別階級出身の偉人アンベードカル博士(1891-1956)が、その独自性に共感し仏教に改宗、新たな仏教の再興運動を起こし、再び仏教はインド社会に開花した。それのみならず、ブッダの平等と平和の教えは、インド民衆の共感を得て大きなうねりとなっているという。

第四章「シク教の理想と挫折」では、十五世紀末に大乗仏教が栄えた西北インドに、ヒンドゥー教とイスラム教の融和を目指して生まれた小さな世界宗教であるシク教について解説される。開祖ナーナク(1469-1539)は、この世にヒンドゥー教もイスラム教も区別なく、「唯一の神の教えのみであり、それは真理を御名とし、真理こそ神である、真理以外に神はない」と語り、神の意志の実現として、日常生活において、利己的自我を制御して他者への奉仕を推奨したという。

そして、神はすべてに遍在するとして、常に神を意識して教団内にて倫理的な日常生活を実践することこそ救いであるとした。そして神の意志によって生まれた人間の平等を説き、宗教や出生における差別、性別やカーストなど一切の差別を否定するなど、大乗仏教にも通底する教えを説いたという。しかしその後、ムガル帝国の皇位継承争いに巻き込まれ軍事教団化して多くの悲劇を生むことになるのだが。

第五章「ジャイナ教、ゾロアスター教、キリスト教」では、独自の宗教の形態を維持して伝統を遵守してきた三つの小さな宗教について解説される。筆者にはそれら、小さな宗教なるが故の生き残り方に、これからの日本の国際社会での生き方がぼんやりと目に浮かぶ思いがして誠に興味深く読ませてもらった。

禁欲と死をも厭わない苦行を基本とする出家者とそれを支える在家信徒の伝統を守り通したジャイナ教。ゾロアスター教(インドではパールシーと呼ばれる)も独自性を維持したが、出家修行は重視せず、世俗の社会的役割を誠実に果たすことに救いを求める宗教理念により近代化を率先して受け入れ、インドの西洋文明化に貢献した。一方キリスト教は、南インド・ケララ州に多く居住し、コショウ貿易で莫大な利益をもたらすことでイスラム王朝時代にあっても弾圧されずに済んだという。

第六章「イスラム時代のインド」では、世界一律の普遍宗教を建前とするイスラム教のインドならではの多様性を明らかにしている。イスラム教は政教一元であり、多くのイスラム化した地域は短期間にイスラム絶対優位の環境を形成できたが、インド亜大陸にあっては、いまだに少数派であり、その状況に合わせたイスラム思想が発展したのだという。

八世紀初頭から始まるムスリムのインド侵攻には当初から二つの流れがあり、インドの巨万の富を略奪することを目的に攻撃して領域拡大に成功した侵略者としてのムスリムと、それと別にイスラム神秘主義を実践するスーフィーによる地道な布教者としてのイスラムの、この両者によりイスラム拡大がなされた。スーフィーはイスラムの基本を維持しつつ、多神教徒と共生する可能性を見出したという。インドのスーフィーの多くが、かつて仏教が盛んだった中央アジア出身者とその子息であったこともまことに興味深い。またアショーカ王と並び称されるムガル帝国第三代アクバル帝(在位1556-1605)は、自らもスーフィーの行者としての宗教体験をもち、宥和政策を積極的に実行。それから百年もの間、スーフィー的寛容精神によるイスラム・ヒンドゥー融合文化が大いに隆盛したという。

第七章「仏教盛衰の比較文明学的考察」では、比較宗教学、比較文明学の視点からインド仏教の衰亡について語られる。一切衆生の平等を説く仏教は、教えの上では、一般民衆さえも覚りを求めれば得られるとし、社会的には、バラモン教の階級差別により疎外された下層の人々や女性、外地から侵入し定着した異民族などを受け入れ成長したが、それによりバラモン教と社会的競合関係が生じて仏教盛衰の要因にもなったとされる。

インド・イスラムの最古の史料『チャチュ・ナーマ』(インド亜大陸へのイスラム教初伝の地でインダス川下流部のシンドの七~八世紀の事績を記述する歴史書・原典ペルシア語)からの内容を要約されて、六世紀にグプタ朝を衰退させ激しく仏教徒からの略奪を繰り返したフン族の支族エフタルが七世紀にはパキスタン中部一帯を支配する間に仏教に帰依して穏やかな民族に変わっていったこと、また七世紀頃西インドでは密教的な呪術によって藩王の護持僧となった仏教僧がいたこと、現在のパキスタン・ハイデラバード近郊の仏教寺院でイスラムに集団改宗した事例などが詳述されている。

また、宗教が国家社会の中心に位置付けられていれば当然のことながら政治にかかわらないはずはないのに、近代以降日本における仏教理解において仏教と国家の関係を論じることをはばかる風潮があるのは、明治政府の神道重視と廃仏毀釈の偏った宗教観、敗戦後の政教分離の弊害であると指摘されている。

以上、読み進めるほどに知的興奮を掻き立てられた。比較宗教学、比較文明学からの視点によって論述される内容に、多くの新たな知識を得ることができた。冒頭に述べた、他宗教と対立するのではなく融和共生を計ろうとする仏教の思想は、大乗仏教が世界宗教として成長を遂げた西北インドや中央アジアに縁をもつシク教、イスラム教神秘主義者たちの中に、今も生きているように思えた。

さて、本書の序章冒頭に説かれるように、眼を現今の国際情勢に転じると、この分断された国際社会を、私たち日本人はどう乗り切っていけばよいのか。インドはヨーロッパほどの国土の中に、はるかに多くの民族と宗教とを抱える、いわば国際社会の先駆者ともいえよう。三千年にも及ぶインド宗教の興亡の歴史は、これからの人類がいかにあるべきかを教えてくれている。そこから将来の日本の生き残り方も見えてくる。なぜ衰亡していくのか、繁栄するにはいかにあるべきか、是非本書に学んでほしい。



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松長有慶先生著『空海』を読んで

2022年07月15日 11時13分20秒 | 仏教書探訪
【六大新報令和四年七月五日号掲載】
 松長有慶先生著『空海』を読んで



松長有慶先生の最新刊・岩波新書『空海』を拝読させていただいた。岩波新書として、三十一年前に発刊された『密教』、八年前の『高野山』に続く三部作の三作目である。

読み始めてしばらくすると、さてこの本は何の本を読んでいるのかと不思議な感覚をおぼえた。それは、「あとがき」にもあるように、本書は弘法大師空海の生涯について歴史的に叙述されたものではなく、その生涯にわたる特徴的な思想を十の主題に分け、大師の全体像を著書、詩文、書簡類も合わせて総合的に把握せんと試みられた著作だからであろうか。

あるいは一般読者にも理解できるように、それぞれのテーマの説き始めが古代インド、ないしインド文化についてであったり、サンスクリット語の語彙や釈尊からはじまるからであろうか。それぞれに先生の幅広い見識が示され、仏教や密教の基本的な考え方から、大師の著作の本質的な意味に至るまで多岐にわたりわかりやすく解説しつつ論を展開されている。

十章に及ぶ主題は、まさに、十方から大師に光を当て新たなる大師像を多面的に現代に浮き上がらせているようだ。そしてそれは、「あとがき」にもあるように 間違いなく近代科学文明の危機を突破する糸口としての思想的役割があるはずであると思われた。

第一章は「果てしない宇宙と有限世界」と題して、大師の思想と生涯の活動の基底に瑜伽(=禅定・瞑想)が存在すると説く。若き日の大師が室戸の崎で真言を念誦して瞑想に励んでいたとき、明けの明星の鋭い光を全身に浴びた異次元体験から説き始められ、日常の現実世界から宇宙的規模で広がる無限の世界に入る唯一の手段は瞑想を措いてないとされる。それは、仏教でいう禅定のことであり、一般読者にも理解できるように三学、止観、四念処、マインドフルネス、そしてインド密教にまで話が膨らみつつわかりやすく解説される。私たちもその瑜伽を人生の根底に置くことが必要だと諭されているように思われた。

第二章は「自然観」と題して、大師は現実世界そのものである大自然の中に仏の教えを聞き取ることを教えていると説く。インド密教の伝統である瑜伽を山林において実践せんとする大師は、平安初期の律令体制下に新来の密教を定着させるため都において活動される一方、山林に入り瑜伽観法に耽ることを常に模索されていた。そして弘仁の末頃からは、俗事を避け深山に籠り、修禅に専念することを求められたという。それを『性霊集』の詩文や『高野雑筆集』の書簡を紹介しつつ丁寧に読み解いていかれる。

第三章は「対立と融合」と題して、その自然と人間、カオスとコスモス、聖と俗というような対立する概念も、本来融合し一体であるとする考え方について説く。仏と人について大師が解明した即身成仏思想について『即身義』の二頌八句を解説され、大師は、対立する存在ももともと大宇宙の一つの真理の両面に他ならず、仏も人も、物と心ももともと一つなのだと主張したという。現代の環境問題について考えるとき、生きとし生ける者の成仏を願い、一切のものは仏の三摩耶形と捉える大師に学び、植物や小動物、山や土の苦痛を感じとれる感性をもてと先生は諭されている。

第四章は「自と他」と題して、自と他の密教的な関係性について説く。日常生活を成立させるために欠かせない自他の関係について、代表的な五つの関係性を挙げて説明され、同化や排除ではなく、個体Aと個体BがBの個性を保持しつつAがBを包摂して一体化する密教的なあり方を解説される。大師が『三教指帰』に示すように、儒・道・仏の三教は最終的に一致すると捉えるその関係性も、また『十住心論』において、第九住心までの各段階も第十住心の秘密荘厳心から見ればすべて密教に外ならないとする関係も、ともに包摂的な関係と捉える。相手の宗教的信条、価値観、社会観が異なっても、異質な面を見て排除するのではなく、こちらからは欠点と見えるものの中に逆にかけがえのない長所を見つける目を育てることが大切であると諭される。

第五章は「読み替え」と題して、大師の著作について、いたるところに施された文字と文章と思想の読み替えについて述べられる。それらについて古くから、文書の写し間違え、語学能力への疑念などがあったというが、一見不合理な記述の中に、独特の見解や密教眼からなされた真実の読み取り、解釈が含まれているとされる。これも瑜伽観法の体験から来る自らの見解への確信によるものと言えまいか。

第六章は「仏陀の説法」と題して、釈尊による初転法輪から説きはじめられ、大師の仏身論について説く。顕教の三身説から、その中の法身を四種に開いた密教の四身説などについて丁寧に解説される。そして、大師は法身のうち自性身と自受用身は時空を超えて説法し続けているとされ、私たちはいつでもどこでもそれを受け取れるという。しかしそれはそう簡単なことではない。無限の宇宙からの「声なき声」を受け取るためには、宇宙から発信されるものを受信できるよう瑜伽の行を積む必要がある。大師はこうした五感でしか捉えきれない感覚文化を巧みに把握する装置を全身に備えていたに違いなく、そうして隠されている永遠の真実なるものを日本に移植し定着させようとしたのだと説かれる。

第七章は「教育理念」と題して、綜芸種智院の開創から筆を起こされ、大師の思想の核心について述べられる。二〇一〇年、先生が全日仏会長時代に「世界経済フォーラム」年次総会に招請され、その時に準備された講演要旨の日本語版が全文掲載されている。その内容が現代社会に対する大師の教育論になっていたとされるが、そこには現代社会の危機に対し有効と思われる提言が三つあげられている。①生きとし生けるものが相互に関連し、もとより一体として存在していること。②地球上に存在する各々の文化は影響を与えつつ独自の価値を持っていること。この二つは、グローバル化によって価値観が単一化されつつある今の世界にあっては正に不可欠の視点であると思われた。また③現代社会に生きていること自体が地球環境の破壊に関与しているという意識から社会のために何が出来るのか、環境保存のためにどのように寄与できるかを考える事態が到来していると指摘されている。

第八章は「国家と民衆」と題して、大師の国家との関わりについて説く。ともすると大師は歴代天皇に親近し国家に奉仕した封建的な人であったと評価されるが、『性霊集』の上表文などを引いて、あくまで天皇とは私的文化交流に過ぎず政治関係の話はなかったとされる。また四恩説について解説され、本来大師の考えられる四恩は中国や日本で古くから認識されていた生きとし生けるもの全体を漠然と指すものだという。そして、大師はよりスケールの大きな宇宙的な規模での目に見えぬ恩恵を享受して生かされていると考えられていたであろうとされ、それに対する密教的恩返しは無限に継続する利他行によってつぐなうことではないかと説かれる。

第九章は「生死観」と題して、人の生死について、大師はどのようなお考えをお持ちであったかを『性霊集補闕抄』から噠嚫文や願文を参照して説く。病や死をもたらすのは、その人の過去の業によって引き起こす鬼神の仕業とされながらも、古来仏教の説く無常を覚ることによって死を越える、あるいは真言密教の教義を深く説き訴え成仏を祈られたのだという。 

第十章は「入定信仰」と題して、入定とは何かその意味について、それから入定留身説の宗教的伝承の意味について説かれる。そして、今なお高野山の奥の院に生きて御身を留め人々の救済に尽力されているとされるのはなぜか。それは、その根底にある非合理な表現によってしか真実の意味を伝えることの出来ない宗教的表現なのだと論じ、その主な理由に二つあるとされる。その内容に、これこそ正に大師の大師たる所以と納得した次第であるが、それは実際に読んでお確かめ願いたい。

以上、一章一章、まことに濃く深い内容が凝縮している。まさに六十数年に亘る先生の丹精を込めた研究の結晶とも言えようか。来年には、弘法大師御生誕千二百五十年の記念すべき年を迎える。この機にあたり、改めて大師の思想と足跡について現代的な意義を学び直す格好のテキストとなるに違いない。是非手にとってじっくりと味わいつつお読み下さることをお勧めしたい。


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