住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

「ブッディストという生き方」出版記念講話

2012年09月12日 16時52分57秒 | 仏教に関する様々なお話
(懇意にさせていただいているお寺様が本日(24/9/12)法話の機会を下さいました。以下にこの法話にあたってとりまとめた草稿を掲載します。このような機会を設けて下さいましたことに対し、ここに改めて感謝御礼申し上げます)


エンゲージドブッディズムということ

○従事する仏教、行動する仏教 社会参加仏教、大乗南方上座部に関係なく今日世界的に注目されている。スリランカのサルボダヤ運動、インドアンベードカル氏の被差別民解放運動、ダライラマ師による非暴力によるチベット開放運動、タイの農村開発など。

今日はこれから四つのことをお話しします。

拙著『ブッディストという生き方―仏教力に学ぶ』について

○大法輪閣について 昭和9年に創刊 平成8年から執筆。50代で坊さんよく死ぬ 早く原稿まとめよとの求めに応じ編纂した。
○表紙のこと 白い後ろ姿 タイトルのこと 漢訳仏教ではないということ。
○帯・仏教徒という生き方が現代人を救う 仏は救う存在ではなく私たちに悟りを願う存在であるということ。
○世界の仏教徒の常識 8か月前に提出した初稿の「はじめに」(前回投稿参照)より。仏教とは何かが分からない日本仏教、世界の仏教徒が理解できる世界基準の仏教であるべき。

輪廻について
 
インド語で、サンサーラ、英語でrebirthリバースないしreincarnationリインカーネーション。 
○輪廻とは何か、生まれ変わるということですが、ミャンマーの仏教徒の言葉。「私たちは死んで終わりではない・・・。」本書67ページにあり。

○私がお通夜の席などでお話しするのは、「今故人はどこにおられますか。私たちはからだと心一つにあわさり生きている、五蘊という言葉があるように心と体は別のもの、身体の寿命が終えると遺体から心が抜け出る。死んでも終わりではない。心は消滅せず、だから今この上の方から皆さんをご覧になっている。

49日の間この世界にとどまり、来世に逝く、この世での行いによってその時の心がありその心に応じた来世に逝くと、六道に輪廻するという言い方をして、地獄餓鬼畜生修羅人天と六つの世界があるが、故人のようにこうして立派に仏教徒として生きて下さった方は勿論人間界以上の世界に逝くのです。が、人間界も様々ですから少しでも善い世界に逝くように共に功徳を回向して下さい・・・。

○つまり、死は心と体の分離であり、臨死体験と同じように死後身体から心は抜け出る、みんな生きることを諦められないから、次の身体に転移する。本書100ページ註に解説あり。

○前世の記憶は普通みな無い、だから輪廻はないという学者もいるが、前世の記憶は神通力によって知られるもの。宿命通。(他に、神足通、他心通、天耳通、天眼通という超能力を、仏教は説く) 

○輪廻ということも世界の仏教徒の常識の一つ オックスフォード出版の本「BUDDHISM A Very Short Introductoin」から 「お釈迦様はさとる晩にいくつもの過去世をご覧になった、命ある者はさとりを得るまで永遠に六つの世界に再生を続ける」とある。

○大事なのはそれを単なる知識として、インド世界の話、科学文明前の迷信と片付けてしまうのか、それともお釈迦様の語られたオリジナルな真理と捉えるかで大きく仏教の捉え方が変わってくる。他国の仏教徒それは真実と受け取っている。チベット仏教も同様に考える。

○「大サッチャカ経」に説く仏教の肝心要。輪廻していく様子に業をご覧になり因果を悟られたことを説き明かす経典。お釈迦様は苦行の後、体力を回復されつつ、禅定に入り、ご自分のいくつもの過去世をご覧になられた。その後、衆生の生まれ変わりが各々の業によっていることをご覧になり、そして、煩悩をつぶさに見て、煩悩の因と滅とその道を見て解脱されたのだった。輪廻は単なるインドの古い言い伝えでもなく、迷信でもなく、近代科学文明に反するものではなく、お釈迦様がそこに業というものによる輪廻転生する生命のあり方を発見なされたと分かる。仏教の教えの根幹をなす思想であること。大蔵出版「中部経典」根本五十経篇二、片山一良訳、参照。

○次に「小業分別経」より、人の優劣はどうして起こるのかを業から説き明かした経典を紹介。殺生を好む者は地獄に堕ちる、もしも人間に生まれ変わったとしても短命になる。怒りのある者悩みの多い者は醜い者になる。・・・。私たちの今すべて自分が作り出したもの、自業自得、因果応報であるということ。もちろん過去は変えられないが、これからの生き方でよく変えていけるものでもある。良い環境と、良い人との出会いを大切にし良いことをしていると今世もよく来世もよくなるということ。大蔵出版「中部経典」後分五十経篇二参照。

○輪廻の簡単な理解の仕方。今私たち生きていますが、何故生きていると言えるのかと言えば少し前にも生きていたから。生きていると分かるのは心があるから。心も今あるのは少し前にもあったから。だから私たちが生まれる前にも心があったと言える。前の身体が死んで心が身体から抜けて、今の身体に移ってきただけと考える。古くなった着物を脱ぎ捨てて新たらしい着物を纏うようなもの。(A・スマナサーラ長老「ブッダの実践心理学第五巻より」)

○「子供は親を選んで生まれてくる」池川明著(日本教文社)みな自ら親を選び自らの課題を果たすべく、また何事かを知らせるために生まれてくる 

○「前世療法」ブライアンLワイス著(PHP文庫)アメリカの精神科医、様々な精神障害は過去世の因縁による。催眠療法によって過去世を知ることで改善される。何回も何回も生まれるべくして生まれ何事かを学ぶために生きている。キリスト教にも4世紀くらいまで輪廻転生が聖書に書かれていたが、その後6世紀に第2回宗教会議で輪廻転生は異端であるとされ正式に削除されたという。

○キリスト教では人間は万物の霊長、自然や生き物は人間のためにあるとする。だから動物や幽霊のようなものと人間が同じように行き来するのは認めがたいという。だが、仏教は人間とは完璧でない、心と体は別のものと考える。動物のような心の人は次に動物に生まれる。餓鬼のような人は餓鬼に生まれる。神さまのような人は天界に逝く。たとえ人間に生まれても完璧でないから、常に不安不完全不満がある だから煩悩のままに考え妄想する エネルギーを浪費しているから消耗し疲れ本来の力が発揮されない、考えないと、妄想しないと(これが仏教の実践修行)、智慧がそこに現れると考える

○今ここにある私とは何か、私たち、すべて過去の経験の集積、因縁、因果、業。過去があるから今がある。自業自得、因果応報の結果が私。放生寺での雑巾がけでの特殊な体験。私の仏教との縁は、ある大学の門前で友人と会ったこと。本書59ページにあり。

○みな、あるべくしてあるのだが、沢山の過去の業を抱えて生きている。良いことをしていると良い人たちとの縁が出来るのと同じように良い業が報い、悪いことしていると悪い業が降りかかり、より過酷な人生となる。

○今が次の瞬間を作り未来となる。だから今よく生きることが大切。そのために仏教の教えが必要だし、大事な、かけがえのないものになる。

○私たちみんな「たった一度の人生だから」という言葉に迷わされている。享楽主義、総花的人生を模倣、花を咲かせてなんぼという人生観。人生とは素晴らしいもの、幸せでないと生きていないようにと勘違いさせている。また今だけ良ければいいという刹那主義に陥らせていないか。だけれど、みんな大変な苦しみの現実の中に生きている、上手いことばかりではない、だからちょっと何かあると自殺したり、閉じこもる。

○人生とは大変なことばかりだと、それこそが人生だと教えないからいけない。大変だけど頑張ることが意味あることなんだ、そうしてこそ幸せになれる、人生なんだと教えなくてはいけない。心は来世に繋がっていくと考えると責任ある生き方となり、いい人生が送れる、仏教とはこういう教え。

○お釈迦様が語られた輪廻というこの世の真実はとても大切な重要な教えであり考え方。.

現代のインド仏教を紹介

○なぜインドか 
○インド仏教近代史 ベンガル仏教徒と新仏教徒
○ベンガル仏教会にて 
 ブッダ・ジャヤンティ、雨安居、カティナ・ダーナー(本書157ページ)。
 布薩ウポーサタ(新月、半月、満月の月4回ほど)。お葬式 サンガダーン ニマントラン

大切なこと

○自分の頭で考え納得すること 疑問を持つ 好奇心 本来いかなるものかと発想

○仏事、仏壇、お墓、必要大切だから存続してきた 
ラフカディオハーンの「神国日本」がマッカーサーの日本統治のバイブル そこには日本は紀元前に他民族が捨てた先祖を崇拝する民族とあった それが天皇崇拝の根源 それをこそ壊すべきと考えた。現在、マスコミこぞって時代の風潮として 葬式せず墓を造らず先祖の墓を海に投棄する それは日本人のルーツを分断する蛮行。
 
○では、仏壇とは何か、先祖が残してくれた最高の物、だから上に祀られ大事にされてきた。
○では仏とは、自分の人生にとってどういう意味あるものかと捉えて思索していくことが大切。

○仏様とは私たちの人生の最終目標。だから亡くなった人の成仏を私たちは念じる。そこがとてもいいところ素晴らしいところだと知っているから。そこに至るために死んでから遺族に願われる前に今からそのことをわきまえ励む、それが仏教の修行ということではあるけれども(こう考えると供養も修行も一体のものだと言える)、仏教徒はとにかく何度も生まれ変わりながら一歩でもお釈迦様の悟り、つまり仏様の所に近づいていくのだと頑張る。何があっても、それらもみんなそのための一里塚だと考えて生きると、いやなこと大変なことが起きてもそれも些細なことと捉えてへこたれず、しっかり生きていける。ご先祖様方は私たちにそうした大切なことを教え伝えるために仏壇にその思いを込めて継承してこられたのではないか。

○すべてはかくあるべくしてある 因果必然 三信条「因果必然の道理を信じ自他の命を生かすべし」。


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コメント (6)
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