住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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備後國分寺だより 第60号(令和4年1月1日発行)

2021年12月28日 08時20分50秒 | 備後國分寺だより
備後國分寺だより 第60号


休み堂の『俳額』について

昨年八月二十日、東広島市からわざわざ國分寺の俳額(はいがく)をご覧に研究者の方々がお越しになりました。

俳額といわれてもピンと来ないかもしれません。休み堂正面上部に、細長い木に何か書いてあり、周りを雲の形に刻んだ枠が取り付けられた額が掲げられています。何か掛けられていることは存じていましたが、それがどんなものかも知らず、伝え聞くこともなかったため、大して気にかけて見たこともなかったのでした。

しかし、お話を聞くと、芸備地区の俳諧の研究に生涯没頭された広島文教大学下垣内和人(しもごうちかずと)先生の本に、備後國分寺のこの額のことが記されており、それも江戸時代中期の宝暦四年(一七五四)に奉納された貴重な文化財であるとのことでした。

ところで、今日俳句は盛んに愛好され嗜む方も多いのですが、この俳句といわれる文芸のもとは俳諧(はいかい)といわれるものだったそうです。その起こりは、とても古く、平安時代の古今和歌集に俳諧歌として収録されているのが原点であるとされ、平安末期の歌人藤原清輔は『奥義抄』に、「俳諧の本質とは、その場その場で歌を詠む即興性やその才能にあり、正しい系統としての連歌(れんが)に対し、自然や人間の本質に迫る文芸である」と記しています。

俳諧は、そもそも俳諧連歌(はいかいれんが)と呼ばれ、和歌から派生して中世に流行した連歌が内容的には和歌に近く雅な文芸であったのに対し、俳諧連歌は滑稽(こつけい)を主として、五七五と七七を交互に複数の人が連ねていく共同制作の文芸であり、主要な形式は百句を連ねる百韻(ひやくいん)といわれるものでした。その初めの句を発句(ほつく)といい、時処に応じた客人のあいさつに相当し、一句で完結し独立性が強かったために、それ以後の七七の脇句や第三句を予想ぜず単独で作られるようになり、近代になって俳句を生み出すことになるのだそうです。

俳諧は、江戸時代初期に和歌連歌の大家であった松永貞徳(まつながていとく)(一五七一-一六五三)という人が、和歌連歌に入門する準備として、手軽に普段人々が使っている言葉を用いた詩歌である俳諧を勧め、古歌などの古い文を専門的に学んでいない人々でも気楽に参加できる庶民文芸として流行しました。

これを貞門派(ていもんは)の俳諧といいますが、その後俗語のみならず流行語や奇抜な着想を取り入れ放埓な言葉遊びを得意とする談林派(だんりんは)と呼ばれる俳諧も生まれ広まっていきました。

さらに両派に学んだ松尾芭蕉(まつおばしよう)(一六四四-一六九四)が登場し、雅語と俗語の異質な言葉の組み合わせによる、それまでの通念を超えた新感覚の着想を楽しむ俳諧が生まれ、その門流を蕉門派(しようもんぱ)といいました。

備後地方には水野家二代勝俊侯の時代に、貞徳の門人野々口立圃(ののぐちりゆうほ)が慶安四年(一六五一)より勝俊侯に仕え、草戸明王院縁起『草戸記』などを著したのをはじめ、十年余りの間水野家との交渉があったということです。そしてこの間に、福山を中心に備後一帯に貞門派の俳諧が広まりました。明暦から延宝にかけて貞門系の俳書に多くの芸備の俳人、主に備後の人たちの名を見ることができるとのことです。

一方、談林俳諧の創始者である西山(にしやま)宗因(そういん)(一六〇五-一六八二)は慶安元年に広島に来遊したということですが、その後その門人たちによって、談林派の俳諧が広島や備後三原のほか福山鞆に広まりました。

また元禄七年、丁度國分寺本堂が再建された年に芭蕉が没し、その後その門人たちが安芸広島を訪れ、蕉風の俳諧が伝えられました。

蕉門十哲のひとり志田野坡(しだやば)が享保元年(一七一六)に福山にきて、門弟深津の醤油業今津屋達士・酒造業鍵屋由均らの支持を得て、風羅堂(ふうらどう)を創設。芭蕉を一世とし、野坡は二世と称しました。その後広島の風律ら有力な門人を持ったため蕉門野坡流と呼ばれて、芸備に門人百数十名、近世芸備俳壇の主流となったということです。

享保の末、野坡は福山から広島に移り、医師であった渡部素浅(わたなべそせん)が四十五歳ころから野坡の教えを受け風羅堂三世となります。この素浅の序文を載せた俳書に、『櫻苗(さくらなえ)』(東西軒野橘・時々斎宜応・梅水堂沙鴎編・元文五年(一七四〇)刊)があり、この編者の一人、時々斎宜応(じじさいぎおう)こそ、備後國分寺に残る俳額『奉納俳諧五十唫(ほうのうはいかいごじゆうぎん)』の撰者であります。ただし、この俳額は残念ながらと言うべきか、蕉門野坡流の俳額ではなく、雑俳(ざつぱい)の分類になるのだとは言うのですが。

雑俳とは、江戸時代に行われたより通俗化した俳諧で、長編の本格的俳諧に対し、二句だけのつけあいであり、前句付(まえくづけ)の俳諧などが行われ、さらにそこから派生した一種の懸賞文芸を雑俳というのだそうです。点者(てんじや)が出題して、会所(かいしよ)と呼ばれる仲介者が広く句を募り、各地の取次者に集められた投句から、点者が優秀作を選び、入選句を刷り物にして賞品とともに投句者に配るという興行ものであったということです。万句寄(まんくよせ)、万句合(まんくあわせ)などとも言われ好評を博し、のちに川柳や狂句にいたるものだともいいます。

お越しになられた研究者の方からも、俳額に記された五十句の作品を奉納するためには、一万、一万五千の句から選ばれてここに書かれているのだから、一人十句としても、千人、千五百人の人たちが句を詠んでいるというお話でした。

江戸時代からこのような俳額が神社仏閣に奉納されるようになり、広島県下には昭和まで一二四箇所、江戸時代だけでも九四箇所に奉納された記録があるのだそうです。ここ備後國分寺に奉納された俳額(270×36cm、外枠含め285×50cm)は、その四番目に古いものだということです。

研究者の方に言われてから薄くなった文字を改めて見てみますと、右端には、「奉納俳諧五十唫 撰者福山時々斎」、左端には、「寶暦四年甲戌六月」と読めました。さらに、投句した人の俳号の上には小さく「胡町、長者町、笠岡町、吉津村、深津村・・」などの地名も読み取れます。またよく見ると、中ほどに、もう一人の撰者、「福山四角庵」という名も見えました。下垣内先生の著書には、南淵・梅保・柳枝・松露・雪子・菊水・不智らなどとも記されています。

この休み堂は近く取り壊される予定になっているのですが、研究者の方からその後電話があり、当日撮られた写真では今一つ文字を読み取ることができなかったので、改めて調査解読したいので、取り壊して額を下ろしたらぜひ連絡してほしいとのことでした。

誠に有り難いことです。二六七年の時を超えて、当時の俳人たちの投句が読み解かれる日も近いようです。そこに何が書かれているのか、何を題材にしたのか、楽しみです。遠路はるばるお越しくださり、新たな國分寺の文化財を発掘してくださった研究者のお二人に深く感謝申し上げます。

参考文献 「芸備俳諧史の研究 下垣内和人著」「俳句のユーモア 坪内稔典」
    「小学館 日本大百科全書」


「すみません」を口癖にしない 

『地球の最期のときにIn Deep』という情報分析サイトがあります。二〇一五年頃からサイトを立ち上げられ、科学的な新説を紹介したり、社会の変化についての秀逸な分析記事を投稿されています。一昨年の夏頃から、現在も世界中に展開するコロナ騒動についての深い見解、最新の情報分析と未来予測を常々参考にさせていただいてきました。

とりわけ、二〇二〇年の米国大統領選の少し前に、バチカンの大司教で、ローマ教皇フランシスコと敵対していることで知られるカルロ・マリア・ヴィガーノ神父がトランプ大統領に公開書簡を送ったという情報とその内容は、私にとり特に貴重なものでありました。

ここに紹介するのは、その『In Deep』で二〇一六年九月二六日に投稿され、二〇二〇年八月二〇日に更新された記事《「すみません」という日本語を口から発することをやめることについて》です。実は今日二一日は毎月朝八時から大師堂にて護摩の御祈祷を行っており、一時間ほどの護摩のあと、いつも参拝された皆様に短い法話をしているのですが、今日はこの記事を参考に話をさせていただきました。

この記事では、バランス力学整体院院長の山本浩一郎さんという方の『腰痛は心の叫びである』という本を紹介されて、その中で、慢性的に体の痛みを持っている人は「すみません」という言葉を口癖にしている人が多いというのです。

そして、この「すみません」という日本語には、自己否定の意味合いがあり、こんな自分にこんなにしてもらい申し訳ないという気持ちを表しているのだとか。さらには、自分が存在していること自体に謝罪している印象があるというのです。

私たち日本人は、なにげに、「すみません」と口にすることが多いわけですが、そのことについて、それがどういう影響を自分に与えるかということにもまったく無頓着に使ってしまっているのではないかと思います。「すみません、すみません」と、連呼すればその場が収まるとでもいうように、つい口に出てしまったり、何を頼むにも、「すみません」と言い、食堂で人を呼んだり、注文して料理が運ばれてきた時にも、「すみません」と言ってしまっていたりということがありがちです。

たしかに、人に何かしてもらって感謝の気持ちを表す時にでも、つい「すみません」と言ってしまったりということがありますが、それは相手にお世話を掛けたという気持ちの他に申し訳ないという気持ちも含めて言っていたりいたします。が、そこにはやはり、こんな私にという自らを卑下した気持ちも含まれているとされるように、知らず知らずのうちに私たちは自分を貶めているのかもしれません。

ところで、高野山の元管長で高野山大学学長も歴任された松長有慶先生の著作『訳注 声字実相義(しようじじつそうぎ)』を一昨年読ませていただきましたが、そこでは、私たちの五官にはいってくるものや心の中で思ったり考えたこと、仏教の言葉では、六根(ろつこん)(眼耳鼻舌身意)に入る六境(ろつきよう)(色声香味触法)という世俗的なものが、現実世界に存在するままで、絶対の真実なのだと教わりました。そこには諸仏が充満しているのだということです。

つまりは、すべての声(音)も言葉も法身大日如来の説法なのであるとするのですから、私たちの耳に入る自分の声さえもが、真実のものとして仏の声として、私たちの身にも心にも反応し染み入っていくということでしょう。だとするならば、自己を否定するかの言葉を吐き続け自分の耳にも入れているということは、当然のことながら自己の身体も心も自ら痛めつけていることになるのであろうと思います。

私たちは、言葉を発する時には何事も意識的に、プラスになることを、良いことを、自分自身も周りの人たちにも善くあるように言葉を発する必要があるということです。『In Deep』にも書かれていたのですが、これからは「すみません」ではなく「ありがとう」、人を呼ぶ時には「お願いします」、謝る時には「ごめんなさい」と言うべきなのでしょう。

まだまだ毎日寒い日が続きます。つい口から出る言葉は「寒い寒い」と、さらには不平不満の言葉が口から付いて出がちになるかもしれません。が、冬なのだからあたりまえなのだと諦めて、少し風が吹いたら冷たい風と冬を味わい、日が差したらその温かみを感じ、身体を休めつつ、おかしなコロナ騒ぎにも動ぜず寒い冬を乗り切りたいものだと思います。


煩悩について 仏教懇話会の話題から

煩悩について①

月例行事仏教懇話会では、現在仏教伝道協会発行の『さとりの知恵を読む』を少しずつ読んでいます。

その中の「仏のたとえ話6粗金のたとえ」を読んでいたら、『首楞厳経(しゆりようごんきよう)』の一説に「心の粗金を溶かして煩悩のかすを取り去るとどんな人でも、みなすべて同一の仏性を開き現すことができる」とありました。

そして、その解説には、「迷い悩み苦しむ私たちではありますが、それは煩悩が邪魔をしているからで、その一つ一つの煩悩に気づき、これを取り去っていけば、仏になる性質・仏性を現し、それを発揮させて生きていけるのです」と書いてありました。
すると早速に、「煩悩を取り去るにはどうしたらよいのですか」との質問がありました。

そこで、煩悩について、まず煩悩とはいかなるもので、どのような心かを述べ、それを取り去るにはどのような方法があるのかということを考えてみたいと思います。

煩悩とは何か

貪瞋痴の煩悩と言われたりするわけですが、もちろん貪瞋痴はあくまでたくさんの煩悩を集約するものとしてあります。一口に煩悩といっても様々ですから、そもそも煩悩とはいかなるものかと考えてみたいと思います。

煩悩は、生きとし生けるものの身と心を惑わし、問題を起こし、苦しみをもたらすものと捉えたらよいかと思います。それによって性格を暗くしたり、悪業をつくり、ありのままにものを見られなくすることで、正しい智慧を妨げ、私たちを悟りから遠ざけていくものです。

そうして、生きることに執着させ、何度も輪廻を繰り返していく潜在力ともなります。煩悩は、また表面には現れず、心の奥底によくない性格や性癖として潜在し、外界からの刺激によって表面化するので随眠と言われたり、これに対し表面的な煩悩は纏といったりします。

お釈迦様は、煩悩をどのように考えられていたのでしょうか。般若心経にも、「色受想行識」、「無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至無意識界」などと登場する根本教説五蘊十八界(ごうんじゆうはつかい)は、私たちが外界から受けとった刺激に反応し執着して、煩悩を生じさせていくものと捉えられていました。

また、「無無明亦無無明尽、乃至無老死亦無老死尽」とある十二因縁(じゆうにいんねん)は煩悩である無明(むみよう)や渇愛(かつあい)、取(しゆ)(執着)は苦を生じさせるものと教えられています。「無苦集滅道」とある四聖諦(ししようたい)は、苦の原因となる煩悩を滅するための実践法をさし示しています。

『一切煩悩経』に学ぶ

次に、お釈迦様の説かれる煩悩の取り去り方について見てまいります。ここでは、パーリ中部経典第二『一切煩悩経』から、あらゆる煩悩を防止する具体的な方法について学んでみましょう。

コーサラ国の首都サーヴァッティ(舎衛城)の祇園精舎(ぎおんしようじや)にてお釈迦様が比丘たちに説いた内容です。邪な思惟をする人々は、煩悩が生じ増大するけれども、正しく思惟する人には煩悩は新たに生じず、生じている煩悩は断たれるとあります。そして煩悩を防止する方法として、見ること、防護、受用、忍耐、回避、除去、修習の七種あるとしています。

①見ることにより断つ

まず、見ることにより煩悩を断つというのですが、これは智慧の眼で見ることですと注釈にあります。煩悩が生じない思惟すべき法を見る、という意味だそうです。

思惟すべきでないことを考え、思惟すべきことを考えないでいると、過去未来現在において、自分の存在や自分が何であるか、どうあるか、どうなるかと疑念を持ち妄想し、そこから永遠不変の自己が存在するとかしないとかと、間違った見解を生じます。

そうなると諸々の苦や憂い悲しみから解放されることがなくなってしまいます。そこで、欲の煩悩、生存の煩悩、無明の煩悩と三種の煩悩が生じないように、増大させないように思惟すべきであるとあります。

では、欲の煩悩とは何かというと、②に述べる防護にも該当することなのですが、私たちの五官と心、つまり、眼、耳、鼻、舌、身(皮膚)と心である六根に入る刺激に反応して、好ましいものに対して起こす欲や貪りの心のことです。

次に、生存の煩悩とは、ここでは、死後来世の生存では善きところ(善趣、色界・無色界)において快適な環境に生まれ変わりたいという欲を起こす煩悩です。

そして、無明の煩悩とは、全ての煩悩のもとになるものではあり、とくに四顛倒(してんどう)(常・楽・我・浄)という、ものの見方で考えることで生じる煩悩であるとあります。

欲の煩悩については、②に詳しく述べるとして、生存の煩悩については、色界(しきかい)・無色界(むしきかい)に転生(てんしよう)する、よほど修行が進んで、人間界の上にあるとする死後天界に逝くことがわかるほどの瞑想修行に打ち込んだ人の煩悩ですから、私たちには少々縁遠いものです。そこで、ここでは、無明の煩悩についてのみ立ち入ってみてみましょう。

無明の煩悩を起こすもとになる見方とは、四顛倒とありますように、無常の命であるのにそれを常と見たり、苦しみの世の中であるのに楽と見る。無我なるものを我・実体あるものと見て、不浄なる身体を浄と見る。そういう見方考えによって私たちは、自ずから煩悩を掻き立てているのだということなのです。

無常と見る

まず、無常ということを考えるならば、私たちは生れ出てより、一瞬一瞬心がコロコロと移り変わり、そして一刻一刻歳を重ね、老いています。いつの間にか病となり、いずれは誰にでも死がやってくるのは必定のことです。

一瞬たりともその営みはとどまることがないのに、いつまでも私たちは、このままに生き続けられることを前提に生きています。病気にならないようにサプリメントを飲み、早期発見といわれ定期的に健康診断を受けてみたり。健康維持のために、毎朝歩いたりしている人も多いようです。

勿論健康に気づかい生きることは当然のことですが、例えば身近な人が亡くなり泣き叫んだりすることがあるなら、それは自分の命を度外視して、亡くなった人の命はかなきことを嘆き、関係が閉ざされた自分を悲しんでいることになると、あるスリランカの高僧に教えられたことがあります。

一日一日私たちの寿命も過ぎていきつつあることを思えば、亡き人を前に慄然とわが身のはかなきことを思い、何をすべきか、残された時間にどう生きるかと奮い立つ心境にもならねばならないのかもしれません。

みんな移り変わっていくんだと、何かあった時にさっと思えるように、そういう心持で生活するならば、貪りの心も争う気持ちも驕った心も失せてしまうのではないでしょうか。

苦と見る

次に、苦ということを考えるならば、この世は娑婆の世界と言ったりいたしますが、娑婆とはインドの言葉サハーを音写した言葉で、忍耐を強いられるところという意味であることを知らねばなりません。そして、私たち衆生はサッタといい、これは執着せる者という意味です。

もともと生きることそのものが苦であり、思い通りにならない、忍耐を強いられています。そういうものだと思って生きていたら、何があっても、多少大変なことがあっても、そんなものかと思えます。ですが、たった一度の人生だからと夢の実現に向けて努力するのはよいのですが、この世は幸せにならねば意味がないなどと考えると、毎日が地獄になります。

そして、楽を求めるが故に逆にどれだけの忍耐、つまり苦を強いられているかということに思いいたることも必要です。ですが、そのおかげか、たくさんの便利な電気製品や機具が製造改良され快適な生活や作業を享受しているわけですが、そのために高額な代金をあがなうために日夜余計に働かされているのではないでしょうか。

私たちは、楽や簡便を求めて、かえって苦を作り出していることに気づき、多少の不便や苦労にも泰然としていることが必要なのかもしれません。

無我と見る

そして、無我ということを考えるならば、すべてのものが無我であって、変化していく実体無きものなのに、自分や自分のもの、考えや思いに執着して、悩み苦しんでいることを知らねばなりません。

人と比較して、自分をより優れたものと思い驕ってみたり、逆に劣って見えると嫉妬や卑下したり。自分の考えや思ったことが絶対であるかのごとくに思い込んでみたり。

私たちが何かにつけ思い悩むというのは、自分という思い、自我あっての苦しみです。自分という思いがなくなれば、一瞬のうちにそれまでの悩み苦しみは雲散霧消してしまいます。

たとえば自分のことを棚に置き相手のことをあれこれ、うつうつと考えている状態は、まさに自分が正しいと思って、自己中心にものを考えてしまっている状態です。そうした時には、自分という自意識過剰がそうさせてはいないかと立ち止まって考えてみる余裕が必要かもしれません。

不浄と見る

不浄ということを考えるならば、まずは自分をこの身の私と見ていることを修正することが必要でしょう。身体は今生での着物に過ぎないと仏教では考えます。来世に逝くときには着替えなくてはならないものです。
ですから、心の清らかさが問題になるのであって、どうかすると身の清らかさ、というよりも美しさや清潔さばかりを求めがちではないでしょうか。

ですが、私たちの考えるこの身の自分は、汗をかき、臭いがして、鼻や唾など汚物糞尿を垂れ流す五尺のくそ袋に外なりません。それがゆえに毎日体を洗い、着替えが必要になるわけです。わが身は、もともと不浄そのものであると認めることが必要なのかもしれません。

余談になりますが、感染対策により、今ではどこの入り口にも手指の消毒剤が置かれていますが、除菌のためと思って過剰に使用すると薬剤が体内に入り、本来持っていた免疫の役割をしている細菌類をも殺してしまうことで、かえって健康被害が起きてしまうそうです。

そして心も、それこそ「懴悔文」にあるように、様々な貪瞋痴の煩悩にまつわれて身と口と心に、たくさんの罪とがをなしつつある、心の不浄も知らねばなりません。

そうして、「これは苦である、苦の生起である、苦の滅尽である、苦の滅尽に至る道である」と正しく思惟すると、徐々にではありますが、煩悩が断たれると説かれています。… つづく


【六大新報令和三年七月十五日号掲載】
松長有慶先生著『訳注 吽字義釈(うんじぎしやく)』を読んで


松長有慶先生の新刊、訳注シリーズ第五巻『訳注 吽字義釈(以下『吽字義』と略す)』(春秋社刊)を拝読させていただいた。

実は昨年からこの時期に本書が発刊されることを承っていたので予習にといくつかの解説書を手にしたのではあったが、どれも難解で理解するに至らなかったのである。しかし本書を拝受し、その概説に続き本論特に【現代表現】を中心に読み進めてみると、私のような初学者にもとても分かりやすく、一日で最後まで読み通すことができた。

表紙の帯には、「文字と真理の密接な関係性を解き明かす、空海思想の代表作!」とある。早速頁をめくると、まず「『吽字義』の全体像」が説かれ、『吽字義』とは何かを簡潔明瞭に知ることが出来る。

『吽字義』は、言うまでもなく『即身成仏義』(以下『即身義(そくしんぎ)』)『声字実相義』(以下『声字義(しようじぎ)』)とともに三部書の一つとされてはいるけれども、大師の多くの著作の中で、題名の最後に「論」ではなく「義」とするのは三部書に限られ、そこには何らかの意図があるはずであるという。

ところが近年の解説書には、『吽字義』に序文がないなどの理由から、『声字義』を補足するものであるとか、また三部書全体を即身成仏の書ととらえ、五大と識大の六大について述べる『即身義』のうちの、五大については『声字義』において、識大については『吽字義』において、それぞれの意義を明らかにしているとする説もあるという。

しかし先生は、三部書はそれぞれが別個の著作目的があるとされ、日常の言葉や文字がそのまま真実なる実在、宇宙の根源的な存在と
直接的に繋がっているとする密教独自の言語観について論じるにあたり、特に「声」の問題について取り上げたのが『声字義』であり、視覚的な特色を持つ「文字」を主題に撰述されたのが『吽字義』なのであると解説される。

その文字とはなにか。そもそも大師は密教経典に綴られた文字や言葉では了解し得ぬものを感じ、唐に渡られ恵果阿闍梨(けいかあじやり)に出遭い灌頂壇に上られて両部曼荼羅を拝した。そして、密藏の要点は曼荼羅の中に象徴的に表現されると考えられた。しかしその後、密教の核心を身体的に会得した結果、文字や言葉の中に込められた真実に気づかれ、文字それも悉曇文字(しつたんもじ)の中に大自然の道理が凝縮されて存在していることに目覚められたのであると推察されている。

では、なぜ多くの悉曇文字の中から吽字(うんじ)が取り上げられたのか。サンスクリット文字は阿字に始まり吽字に終わる、その最後の文字だからではあるが、常用経典である『般若理趣経(はんにやりしゆきよう)』の総主である金剛薩埵(こんごうさつた)の種子(しゆじ)が吽字だからであるとされる。人間の欲望の積極的展開と利他行を主題に金剛薩埵の瑜伽(ゆが)の境地を説く『般若理趣経』の、その利他行と瑜伽を一体化して説く独自の考えを説くものとして、この『吽字義』は大師の著作の中でも特別の意味あるものであるという。

そのことは、本論の最後に、金胎両部(こんたいりようぶ)の大経は三句の法門に集約されるとしてその一体化を説き、大小乗それに顕密の一切の教説も三句を超えることはないと説くことで、それらが最終的に利他行に帰すことを解き明かしていることからも、『吽字義』の実践的主体性を問題とする姿勢を読み取ることができるとするのである。

撰述の年代については、これまで確定的な見解がないとのことではあるが、『吽字義』本文中に十住心に関連する箇所があり、その内容から未だ十住心思想の形成段階にあり、また本文の最終箇所において金胎両部不二の立場を明確にされた記述のあることから、弘仁末頃の撰述と推定されている。

そして本編に入ると、現代語訳にあたる【現代表現】は現代人の私たちが容易に理解できるよう簡潔な解説を補足した文章となっている。所々【読み下し文】や【原漢文】、【用語釈】などを参照しながら読み進めていける。【用語釈】においては参考文献の略記号に該当する頁数が記され、解釈の異なる重要箇所では多いところで十三もの文献を比較検討されているところもある。

『吽字義』は序文がなく、本文が「一つの吽字を相義二つに分かつ。」という一文から始まる。表面的な意味である字相と文字が含み持つ本来の意味である字義に分け、吽(hūṃ)字は賀(訶ha)字、阿(a)字、汙(ū)字、麽(ma)字の四字の意味を含め持っているとして、字相としてこれら四字のそれぞれの表面的な意味を説き、それから『大日経』『大日経疏』等を典拠に、字義として四字の本来の意味が説かれていく。

次に、それら四字一体の字相字義など吽字の総合釈が説かれる。

吽字を四種の仏身(阿字は法身・訶字は報身・汙字は応身・麽字は化身)にあてはめると現実存在のあらゆるものが含まれ、そればかりか吽字を四字に分けると各々の字が、それぞれすべての、真如、教え、行、その成果を包摂しており、吽字には理・教・行・果が悉く含まれると説く。

そして、両部の大経である『大日経』『金剛頂経』の教えは、ともに「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とする」という三句に集約されると説かれるが、これは金胎両部の一体化を意図するものであるという。さらに諸経論に説かれる真理のすべてもこの三句の法門に収まるとされ、この三句をまとめると吽字一字になり、さらに、その他すべての悉曇文字に含まれた教えも同様であると結論している。最後に吽字解釈の総括として六種の利他行について述べられる。

先に記したように、先生は『吽字義』を利他行と瑜伽を一体化して説くものであるとされるが、私どもにとっての瑜伽とは日々の修法に他ならない。修法において特に該当するのは道場観、字輪観であろうか。 

先生は、ご著書『祈りかたちとこころ』(平成二六年春秋社刊)の「付録・阿字観の基礎知識7文字に含まれるそれぞれの深い意味」の中で、「インド人は仮名や漢字やアルファベットを使う人々とは違って、文字を見ただけで、その文字に含まれている深い意味を直感的に把握することができます。言語に対する感性の違いといっていいでしょう。このような言語に対する特別な感性を持ち合わせない、サンスクリット語圏外の人は、字輪観の中で、一々の文字に言葉による説明を付け加えながら観想する必要が生まれます。」(一六八頁)と記しておられる。

インド人のような文字に対する特別の感性を持ち合わせていない私どもに対し、大師は懇切にその深秘を『吽字義』において教示して下さったということであろう。そして、宇宙の根源的な真理と直接的に繋がるものとして言葉や文字をとらえ、感応道交するために、いかに工夫を凝らし観想していくかということが問われているように思われる。

『吽字義』は、悉曇文字が私たちの想像を遙かに超える奥深い意味あるものであることを教えつつ、それを心中に観ずるとき、そこにはすでに真実実相の世界が開けてあることを直感せよと迫っているようにも思えた。

大師の深淵なる思想を、現代に生きる私たちにもわかるように学ぶ機会を与えて下さいましたことに感謝申し上げます。皆様には御一読下さることをお勧めいたします。


大法輪平成二六年四月号掲載
阿含経典(あごんきようてん)を読む⑥


◎泡沫(ほうまつ)

今回も、阿含経典第二巻・蘊相応(うんそうおう)から、「泡沫」と題する経典を読んでまいります。
 
前回、私たちは生まれたときからの感覚に育てられ、私という意識が生まれ、私の身体、感覚、知識、意志、認識に執着するが故に悩み苦しむのです、と述べました。しかし、お釈迦様は、もともとそれら常ならざるものが、私とか、私のものと言えるものではないと正しい智慧をもって観察すべきである、と教えられていることも述べました。

今回紹介する法話の舞台は、現在のウッタルプラデーシュ州の州都ラクノウから東に一二〇キロほどの、アヨッジャーという、ガンジス河沿いの古い町です。その町の近郊で、ガンジス河を眺めながら、聚沫(しゆうまつ)、水泡などに五取蘊(ごしゆうん)それぞれを喩えながら分かりやすく教えを説く、所謂、譬喩(ひゆ)説法と言われる経典です。

それでは、早速読んでまいります。
「比丘たちよ、たとえば、このガンガーが大きな聚沫を生ずるようなものである。眼ある人々は、それを見、それを観察し、その性質を見抜く。彼は、それを見、それを観察し、その性質を見抜いて、それは、見掛けだけのもので、実体もなく、本質もないことを知るであろう。比丘たちよ、どうして聚沫に本質があろうか。

比丘たちよ、そのように、あらゆる色(しき)(肉体)は、それが過去のものであれ、未来のものであれ、現在のものであれ、あるいは、内外、精粗、勝劣、遠近の別をとわず、比丘は、それを見、それを観察し、その性質を透見する。彼は、それを見、それを観察し、その性質を見透して、それは見掛けだけのものであって、実体はなく、また本質もないことを知るのである。比丘たちよ、どうして色に本質があろうぞ。」

お釈迦様は、このように、なんの前置きもなく、目の前に流れるガンジス河の水が織りなす、現れては消える波のしぶき、水のとばしりを眺めながら、つぶやくように語り始められています。

智慧の眼を持つ人々は、それを眺め、その性質を見抜き、私たちのこの色(しき)(肉体)は、過去、未来、また現在のこの身体も、様々な別を問わず、聚沫を生ずるようなもので本質がないのだと説かれています。

私たちは、どうしてもこの身体が自分であり、自分のもの、実体あるものとの思い込みがあります。ですが、身体内部の細かな現象を捉えてみれば、古来仏教で説く三十二の身体構成要素(三十二身分)にあるように、皮膚、筋肉、骨、内臓ばかりか血液、胃の中の食べ物、汗、脂肪、唾、鼻汁、関節滑液、尿などが流れ、行き来することによって維持機能しています。正に流れるものが行き交う、聚沫の如き存在によって、私たちの身体が支えられていることが分かります。

また、視点を換えて、何万回となく輪廻して来た衆生として、悠久なる生命の営みというスパンでわが身を捉えてみたらいかがでしょうか。八十年余りの生涯も、それはほんの一瞬のことに過ぎず、正に、しぶきの如きいのち、現れては消えゆくこの身と思い至ることもできるでしょう。

次に、受(じゆ)(感覚)については、「たとえば、秋の季節に大いに雨が降り、水の上に泡が立つようなものである。」と喩えられ、色と同様な考察がなされて、実体なきもの、本質なきものと説かれています。

受(感覚)は、前々回学んだ、眼耳鼻舌身意の六根に外部から刺激が入ることによって起こります。それは丁度、雨期に降る大雨で水面全体で水が跳ね、泡が立つさまの如くであると喩えられているのですが、眼に入るもの、耳に聞こえるもの、鼻に感じるものなど、沢山の刺激に次から次にさらされている私たちの感覚とは、そのように沸き立っているということでしょうか。外から飛び込んでくる対象に翻弄されつつ対応する感覚は、正に泡のようなもので、そもそも実体などないと分かります。

次に、想(そう)(表象)については、「夏のおわりの月、真昼の日盛りに陽炎のただようようなものである。」と喩えられ、同様に実体もなく、本質もないことを知らねばならないとあります。

想(表象)は、外から入る刺激、見えるものや音や匂いがどのようなものかと主観によってイメージすることです。それは、水蒸気に包まれて柔らかく霞んで見える月や、強い日差しに地面から炎のように揺らめく陽炎のようなものだと喩えられているのですが、私たちが心に作り出すイメージというのはそもそも曖昧模糊(あいまいもこ)としたものだということでしょう。心の中の映像、印象は、月が風に漂う雲に隠れてみたり、陽炎も日差しが変わればたちまちに断ち消えてしまうようなもの。そこにはもとより実体も本質も見て取ることはできません。

そして、行(ぎよう)(意志)については、「人があって、堅い材木を欲し、それを捜し求めて、利(するど)き斧をもって林に入ったとする。彼は、そこに大きな芭蕉の木が立っているのを見た。・・・樹皮をむいてもむいても、その随をすら見つけることができなかった。ましてや、その樹心においてをやである。」と、樹心のない芭蕉に喩えています。

行(意志)は、例えば人の話を聞いて自分もしたいと思うように、心にとらえたものに反応して何かをしようとする意志のことです。そのように、外からの刺激に反応して欲求する行為は、その場その時の刺激に、次々に重なり合うものに過ぎず、そこに核心となる確固たる意志など見つけることはできません。

最後に、識(しき)(意識)については、「魔術使いか魔術使いの弟子があって、大道の辻において魔術を現ずるようなものである。」とあり、人を幻惑する魔術に喩えられています。

識(意識)は、認識する作用ではあるのですが、六根に入る対象を認識するだけでなく、それを私の感覚として受け入れ、さらに主観でイメージすることで身勝手に、私はこう思うというように、私的認識を作り出します。それが魔術のように自らを幻惑することになるのです。ですが、それはその本人にとっての認識に過ぎず、みんな思いが違うのであり、絶対的なものではありません。幻想することなく、その実体、本質などないのだと智慧の眼で見抜くことを教えられています。

この経典は、私たちに、五取蘊(ごしゆうん)それぞれを、聚沫、水泡、陽炎、芭蕉、魔術のごとしと見抜いて、それらは、私と言えるようなものではないし、私のものと言えるものではない、私があるとも言えないと、なんとか頑張って、そう悟ることを教え諭されているのです。

「(五取蘊を)厭い離れて貪りを離れ、貪りを離れて解脱する。解脱すれば、既に解脱したとの智が生じて、わが迷いの生涯はすでに尽きた。清浄の行は既に成った。作すべきことはすでに弁じた。このうえは、もはやかかる生涯を繰り返すことはないと知るにいたるのである」

お釈迦様は、このように説き終わり、数行の偈文を補足して、この経典は終わっています。

「もしも
 くまなく思索して
 あるがままにぞ
観るならば
 その実もなく質もなく
 この身において
見るごとく
 我もわが所有(もの)も
あらじとか
 大慧(だいえ)の人は説きたもう」


【國分寺通信】 謹賀新年

 朝夕に わがなすわざを思いしれ
やすきをもとの心とはして (慈雲尊者和歌集より)


「善」と題して、とあります。安らかな穏やかな心を本来の心としてみて、朝夕に今の心はいかがであろうかと自問してみることを勧めています。喜ばしい幸せな気持ちであればよいのですが、何か刺々しい心持ちになっていないか、落ち着かない心になってはいないか。もしもそうなら、そうした心になる原因をつくった自分の身と口と心の行いを思い知らねばならないことだよ、と諭してくれています。いつも落ち着いた平穏な心でいられるよう、一日一日努めてまいりたいと思います。

〇昨年十月二十九日と十一月二十二日に、福山市の文化振興課の皆様方が美術工芸品実態調査のためお越しになりました。徳島文理大学教授濱田宣先生ご指導のもと、本堂の本尊様はじめ日光月光菩薩像、十二神将、弘法大師像など全仏像の由緒像様寸法など調書を作成、写真撮影をして現状を記録して下さいました。後世のことも考慮して地域の実態を把握しておきたいとのことでした。写真撮影にあたりましては、職員の方々が丁寧に仏像の埃をふき取ってくださり、仏さま方もお喜びのことと存じます。改めて御礼申し上げます。

月例行事
  ◎ 薬師護摩供   毎月二十一日 午前八時~九時
  ◎ 坐禅会    毎月第一土曜日午後三時~五時
  ◎ 理趣経読誦会 毎月第二金曜日午後二時~三時
  ◎ 仏教懇話会  毎月第二金曜日午後三時~四時
  ◎ 御詠歌講習会 毎月第四土曜日午後三時~四時
どなたさまもお気軽にご参加ください。一月四月の坐禅会は第二土曜日に開催します。


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