住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

続々・無常なるかな-東北関東大震災に思う

2011年03月30日 12時10分00秒 | 様々な出来事について
桜のつぼみがそろそろ開きかけてきているのだろうか。境内の山桜の木が枯れ根元から切ったばかりで、時期遅れに咲くたった一つの桜も今年は見られない。毎年散った花びらを掃こうかそのままにしておこうか迷ったものだが、今年はそれもいらない。桜は直に散るからこそありがたく思い、花見をしようかという気にもなる。だからこそ、綺麗にも見える。それにしても今年はいつまでたっても温かくならない。被災地でもさぞ骨身にしみる待ち遠しい春となっているであろう。

「人として生まれたからには善きことをせよ」とお釈迦様はおっしゃった。他の生きものに出来ない人間だからこそ出来ることは善きこと。自ら考え行いうる生命として積善を勧められた。何をすべきで何をすべきでないか。おのれの利益のためではなく、真に他の者たち、生きとし生けるもののためになることが善であることは明らかだ。逆に悪は生きとし生けるものにとって害になるようなことであり、それを慎むべきであることは当然のことである。つまり、人間とは何が善で何が悪かが見きわめられてはじめて人としての価値が見出されるということになろうか。

被災地で避難所に避難している家で空き巣が横行しているとの報道も聞こえてきた。罰が当たるという言葉も死語になりつつあるのかもしれない。が、因果応報、自業自得はこの世の掟。お釈迦様の言葉を待つまでもなく、誰でもが分かっていることであろう。それはこと物に限ったことではない。身で行うものばかりではない。言葉や認識も当然のことながら正しく人々のためになされねばならない。特にそれが多くの人や生きものに影響を与える権威であればなおさらだろう。

ここ数年来国内、海外を問わず頻発する地震の検証、それに付随する各関係方面での検討はされていたのであろうか。今回の大震災は、1000年に一度、未曾有の大災害、マグニチュード9.0などと喧伝されて、「想定外」、それに、原発事故に関して言えば、「ただちに健康に害を与えるものではない」という空しい言葉が乱舞している。「ただちに」とはどういう意味なのか。

テレビに登場し、また新聞に掲載される専門家、大学教授らの中でそれらの言葉はマニュアル化しているかのようでもある。しかし、調べてみれば、三陸沖の地震はおよそ80年間隔で起きていたものだし、津波も当然ながら、今回よりも遙かに大きな、20メートル30メートルの津波を過去に何度も経験してきたことが分かっている。

そして地震の規模について、当初発表されたマグニチュード8.4というのが本来妥当な数値であって、その後改定された9.0というのは、モーメント・マグニチュードという別の単位での数値というのが専門家の見解である。気象庁はそのいきさつも何も説明せずに、ただ9.0と訂正し、その数値が一人歩きして、想定外という根拠にされている。

福島第1原発は、本格的な商業炉として初めての経験であったという。GM社の設計やコンサルタントのもとに製造され、誠に残念ながら、設計者自らが欠陥のあることを告白されていたものであった。寿命とされた40年という長期の稼働を続け、昨年にはそれをさらに60年に延長し稼働されていた。三号機には、それに反対していた佐藤前福島県知事を冤罪とも言われている微罪で逮捕し、原発推進の現知事のもとで推進されたプルサーマルというプルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料が使われていた。

さらには、昨年には、津波が過去にどの程度のものであったのか裏付ける資料をもとに福島原発の災害時の対応を再検討すべきとの専門家による答申もなされていたのに、まったく何も手を付けずに今回の被災となった。住めない土地、作物の出来ない土地、それによって多くの人たちが生きるすべを失った。未だに被爆の恐怖の中に全国民、全世界を巻き込んでいる。正しく当事者の責任を問う必要があるのではないか。適正な備えを故意に放棄して事故の被害を拡大した当事者の責任を問うことなく、被災被爆した国民にその代償を求めることはあり得ない選択と言えよう。善なる立場からの真摯な対応が然るべき立場の人たちに求められている。

まだまだ被災地ではたくさんの人たちが避難所で暮らし、住むところも食べることもままならないという人が殆どであろう。しかし、何とか生活設計をやり直す段階に早くも進んでいる人もあるようだ。津波の犠牲となり亡くなられた人たちは、身元も不明なまま、火葬にされたり、土葬にされたり。お葬式をしたくても出来ないという地域もたくさんある。誠に気の毒に思う。

生きとし生けるものには、みな死がともなう。生きている以上いつかは死ぬが、災害で突然の死に遭われた人たちの思いはいかばかりであろうか。亡くなられた人を思い、悲しみに暮れる人もあるかもしれない。当然のことだと思う。我慢することなく、泣いて欲しい。泣くことも一つの癒しとなる。しかし、生老病死、生まれることも、老いながら生きることも、病になることも、みな死と同様に苦なのであるともお釈迦様はおっしゃられている。災害から生還し奇跡的に助かった人も、よかった生きていて良かったと思うのはほんのつかの間のことであって、すぐに生きていくことの大変さを味わっておられるのではないか。

亡くなられた人を哀れに思い、悲しむこともあろうが、その人の生きた、たとえ短い人生であったとしても、その人生がとても意味のある、素晴らしい営みであったことは間違いない。私たちみんなで祝福し、よく生きて下さった、ありがとうという気持ちからいつまでも手を合わせ弔う心を持ち続けたいと思う。そして、亡くなられた人たちの死を無駄にせず、二度とこんな事を繰り返さないように、私たちはこのことを忘れずに何が足りなかったのかと考え続けることが大切なのではないかと思う。何事も水に流す、という日本人特有の忘却が今回の災害の最も大きな落とし穴であったのであろうから。

今回の震災の後、「何かあって死んだら死んだとき、どうあっても仕方ない」という言葉を良く聞く。達観されたようなそのお気持ちにいささか同意する思いもありながら、本当だろうかという思いも重なる。真意を頑なに封じ込めて、思考停止状態の投げやりさならば意味がない。その人にとってはそれでよいかもしれないが、残された者の気持ちも考えねばならないことであろう。

さらにはそういう自暴自棄がかえって、この時代の無責任な体質を助長していることも知るべきではないか。「なるようにしかならない、何言っても変わらない」、そんな言葉も耳にする。私たちのこのような態度が今のこの震災の非常時にあってなお無政府状態のような無責任なこの国の体質を生んだのだとすれば大きな問題であろう。政府の記者会見を見ていても、まったく手厳しい質問がない、記者たちから寄せられない。どうしてだろうか。みんな馴れ合いのようなこの国の体質が現状を悪化させている。まずは一人一人が本当にどうあるべきかを自ら考え、自分の意見を持つことが最も大切なことであろうかと思う。

このことは、こと今回の震災に関してだけではない。政治の動向や予算のやり取り、経済界の意向、司法や検察などの様々な報道についても、ただ鵜呑みにすればよいというものではないことが分かる。その背景や思惑、目的、誰がその利得を得るのかなど。私たちにとって、何が自分たちのためになり、何が害になるのか。何事についても自ら調べ、考え、きちんと意見を持つということを、これを機会に習慣づけるべきではないかと思う。私たちがこの先も安心して生活するために不可欠なことでもあろう。そして、そのことは私たち人間がこの尊い命をより善く生きるために、いかにあるべきか、いかに生きるべきかと考えることにも繋がっていくことだと思う。

たとえ短い命でも桜の花のように惜しまれて散るために。


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現実を見つめて-チェルノブイリ原発事故10年目の環境問題[平成8年(96)6月記]

2011年03月24日 17時27分22秒 | 様々な出来事について
日本全体、いな全世界を巻き込む大事故に発展するかに思われた福島第1原発の事故は、その後、消防、自衛隊さらには外国の応援も受けながら放水し放射線を発し続ける使用済み核燃料の冷却を行い、さらには電源機能の回復によって劇的に終息に向け動き出しているかに見える。しかし事はそう簡単ではない、電気系統の爆発による損傷はかなりのものと言われその回復には時間がかなり掛かりそうだ。そして、現在大衆の関心を集める問題は既に発せられた放射性物質による食物や家畜さらには人体への影響に関心が向かっている。

しかしいつまた大地震が襲いかかるか分からないこの日本列島に未だ何もなかったかのようにたくさんの原発が稼働している。今朝の朝日新聞には静岡県知事川勝平太氏がソフトランディングとの軟らかい表現ながら原発依存からの脱却を唱えている。当然のことではないか。下記の文章は、今から15年前に、仏教雑誌『大法輪』の環境問題に関する特集のために書いたものです。チェルノブイリの事故の悲惨さが正に今私たちの所に降ってこようとしている。いや既に降りつつあると言った方がいいかもしれない。安全に運転していたとしてもとてつもない負の遺産を私たちは生み出しつつある現実を知るべきかと思います。



現実を見つめて-チェルノブイリ原発事故10年目の環境問題[平成8年(96)6月記]

(大法輪平成8年9月号掲載)               
                                        
 <原発事故十年目の現実>
1996年4月26日、旧ソ連・ウクライナで起きたあのチェルノブイリ原子力発電所の事故から10年を迎えた。日本でも様々な集会が開かれ、新聞やテレビでも10年目を迎える現地の様子が報じられていた。

NHKの特集番組「終わりなき人体汚染」を私も拝見した。チェルノブイリから400~500キロも離れた地域で子供たちの甲状腺がんや白血病がいまだに増え続けている。妊婦の染色体異常と新生児の先天異常、それに事故処理に当たった作業員たちの脳神経細胞の死滅も深刻さを増す。今も放射能を放つ土から栽培された作物を、それと知って食べざるをえない人々の心はいかばかりであろうか。その痛ましさ、恐ろしさに思わず映像に見入ってしまった。

そして遠く日本から8000キロも離れた土地の出来事。50年も前の広島・長崎で起きた放射能被爆が繰り返されてしまった。そう感じた人も多かったかもしれない。しかし私はこの番組を見終って、そこに日本に暮らす私たちの今の現実に何も触れられていないことに戦慄を覚えた。

はたして日本の老朽化しつつある原子力発電が、このチェルノブイリ原発の様に事故を起こさないと言い切れるのだろうか。はるかに狭いこの日本で、もしも同じ様な事故が起きたらどれほどの被害になるのか。大地震が原発を襲ったらどうなるのか。そのとき、私たちはどう行動したら良いのか。「もんじゅ」のその後も心配される。そうした同じ地球に暮らすものとして、同じ過ちを犯すやも知れない国の一員として、何も語られないことの怖さを感じずにはいられない。

そもそもチェルノブイリ原発の事故がどれだけ恐ろしいものであったかを、私たちは知らない。プルトニウム、ストロンチウム、セシウムといった放射性物質が死の灰として降り注いだと新聞などで報じられている。こうした金属の仲間が原子炉の暴走による爆発によってガスになってしまうほどの高温、摂氏三千から四千度に上昇して、膨大な死の灰となり1万メートルも上空に吹き上げ、全世界を汚染してしまった。

事故による直接の死者は阪神大震災の死者を上回る6千人以上に上るともいわれている。被曝した人は全体で1000万人を越え、この事故に直接起因するガン患者は数十万人に達する。そして避難者は立入禁止地区30キロ圏だけでも13万5千人にも及んだ。阪神大震災では地震後すぐ近くの学校などに歩いて避難できたが、チェルノブイリの事故では見えない放射能を浴びつつ、家族が散りじりとなりながらバスでの大移動になったという。

一瞬の原発内の爆発で、地球上の環境が見えない放射能によって計り知れないほどに汚染されてしまった。原子炉から吹き上げた死の灰は国境を越えて全世界に降り注いだといわれる。ポーランドでは牛乳の飲用が禁止され、スウェーデンの湖では食用に危険な程の放射能で魚が汚染された。そして遠く離れた日本でも母乳から放射性ヨウ素が検出されている。震災後の復興は次の日から始まるが、原発事故は10年たった今も、その被害状況すら正確につかむことができない。そしてこのチェルノブイリの影響がピークに達するのはあと10年も先といわれている。

<私たちの問題として>
こうした私たちを取り囲む環境の現実を、日常生活の忙しさに取り紛れ、はっきりと知らずに、または知ろうともせずに過ごしてはいないだろうか。原発や核の恐怖ばかりか、防災を無視した町作り、開発や事業という名で進められる自然破壊、大気や河川、海洋の汚染、資源やエネルギーの無駄使い、ごみ問題、有害な化学物質や電磁波の問題等々。

こうした生活環境について知れば知るほど不安になり、そんなことを真剣に受け止めていては実際の競争社会の中で生きていけないではないか、と思われる方もあるかもしれない。しかし、やっと40年を経て解決に漕ぎ着けた水俣の人々も、雲仙普賢岳の噴火で家を追われた人たちも、奥尻島や阪神・淡路の地震で家を潰されて避難した人たちも、その瞬間まで我が身に災難が降りかかるとは誰もが想像もしていなかった。私たちの町が、生活がこんなにも危険で脆いものだとは、誰もが知らなかった。いざとなっても警察も消防も役所も当てにはならない。まずは自分自身が、そして身近な人たちがたよりであるということを思い知らされたのではなかったか。

<現実に向き合う>
お釈迦様は、最初の説法において四聖諦[4つの聖なる真実]という実践に導く教えをお説きになられた。この教えを私たちのテーマに則して考えてみてはいかがであろうか。

[1]自分自身の心の現実に向き合い、移ろい悩み苦しむ心をありのままに知るべきであると教える[苦の真実](苦諦)は、私たちを取り巻く様々な環境の真実の姿をはっきりと知ることの大切さを教えてくれている。

今の私たちの生活を維持していくために地球上の環境が日に日に破壊されていく現状、多くのヨーロッパの国々がその危険性と非採算性から国民投票を経て脱原発に向け進み始めた中で、いまだに増設を進める我が国の原発行政、無目的な乱開発の現実などについて目をそらすことなくはっきりと知らねばならない。

そして私たちの行いの一つ一つが何によって成り立ち、どういう結果を招いていくのかも自ら尋ねてみる必要がある。大量生産大量消費される品物によって暮らす私たちは、末端で環境を破壊する担い手でもある。そして各家庭の、例えば電気の無駄づかいは電力消費を増大させ資源を浪費し、自然を破壊したり、日々増加する被曝労働者を抱えつつ稼働される原発を増設する理由の一つにもなる。この様に私たちの一つ一つの行いが、すべてに通じ関わっている。私たち自身がそうした現状を増長しつつある現実を知らねばならない。

<その原因は>
[2]苦しみの原因は自らの貪りの心であり、それを根絶すべきであると教える[苦の原因の真実](集諦)は、今の状況に至った原因が私たち一人一人の行いを生じさせる欲の心、貪る心にあると知り、改めるべきであると教えてくれている。

手軽さ、便利さ、快適さのために経済至上主義を許してきたのは私たち自身ではなかったか。そのためには資源やエネルギーの大量消費と環境の劣化を敢えて顧みずにきたのではなかったか。開発という名の自然破壊の陰に、利権を貪る構造が存在し、それを学歴、地位、権威を求める私たちの欲の心が支えてきたのではないか。私たちはこの欲こそを拭い去り、単に利便性のみを求める安易な生活を改めていく必要がある。

<理想の姿とは>
[3]苦しみを滅した心の平安を実現すべきであると教える[苦の滅の真実](滅諦)は、私たちの進むべき方向をはっきりと設定すべきであることを教えてくれている。

ごみとして捨てられ、この地球上に害を与え続けるような、使い捨てされるものに囲まれて暮らすことが私たちの理想ではない。限りある資源やエネルギーを湯水の様に使い、なおかつ一瞬の事故によって計り知れない被害を人と環境に与えるものであり、そればかりか日々排出される放射性廃棄物の処理に半永久的に膨大な資本を投じざるをえない原子力発電に頼るような危険と隣あわせの浪費型社会が理想でもあるまい。

この地球に暮らす一つの種として、人間らしく将来にわたって安心して暮らすことのできる生活環境を子供たちに残してあげるにはどうあるべきか、が私たちにとっての火急の課題である。出来得る限りのものをリサイクルして、資源としてのものを生かしてあげる。太陽や風力による自然エネルギーやコジェネなど、より多く実用化されることも期待したいが、大切なことは、今の増え続ける消費量に合わせて供給を膨らませていくのではなく、無理のない供給量に合わせた、より自然を育む生活習慣に切り替えていく冷静なる認識が求められているのではないだろうか。

<いかにあるべきか>
[4]苦しみを滅する方法として偏らない清浄な生き方を実践すべきであると教える[苦の滅への道](道諦)は、その理想を実現するために私たち一人一人の日々の生活そのものの改善を促すものである。

自分一人が気をつけてもどうなるものではないと、ものを無駄づかいし電気や水を使い放題使う生活。また、このままでは地球の自然が崩壊する、この世に未来はないと今の社会生活を放棄してしまうこと。そのどちらも極端な生き方だといえる。これまでの日々の積み重ねが今の状況を作り出してきたように、自分自身の行いの一つ一つについて自ら判断し改善していく必要がある。私たちの生活環境を守るという観点から様々な問題に知悉するとき、どう物事をとらえ考え行うか、どのように生活し生業に努めるべきかを知ることができる。

そして、時として日常の生活を離れ、自然の中で静かに目を閉じ瞑想するとき、自分と回りのものたちとのつながりや自然との関わりにも気づくであろう。互いに関係し、それらが在ることによって自分が今あることを実感するとき、地球上の様々な出来事、現象が自分と決して無関係ではないと知ることができる。人間中心の発想を改め、人と自然との調和を模索しつつ、生きとし生けるものを友として、その平安を願う、慈しみの教えの大切さをも実感するであろう。


ほんの20年程前に、川でざりがにやおたまじゃくしと遊ぶ子供の姿を見ることの出来た東京都下の町でも、都市化が進み、河床はコンクリートに固められ、電線が張り巡らされて、すっかり生き物たちの姿が失われてしまった。過密度を増し、それだけ災害時の危険は増大していく。家の中には電気製品が溢れ、増大する電力需要をまかなうために全国17か所に50基もの原発が稼働し、毎日放射能を大量に放つ廃棄物を吐き出している。どの国もその高レベル廃棄物を処理する処分法すら確立できないまま、世界中で400基を超える原発が稼働している。この事実に、私たち人間の愚かしさを思うのは私だけであろうか。

お釈迦様は、若き日に栴檀の香りたつ王宮にあって、カーシー産の瀟洒な衣をまといつつも、人の老い衰え、病み苦しみ、死にゆく現実を他人事とすることなく、自分の身に引き当てて、自らの若さ、健康、寿命に対する慢心を捨て、出家なされた。私たちも、身の回りの現実をありのままに見つめ、我が身に引き当てて今に目覚めることから始めなければならない。そしてそのことは、漠然と不安や苦しみを感じている心の現実を探究する、仏教の実践にも通じることなのではないだろうか。

   参考文献・危険な話 広瀬隆著(八月書館)
         ・脱原発年鑑 原発資料情報室編(七つ森書館) 

なお、この度の原発の事故並びに放射能汚染について関心のある方は下記動画を是非ご覧下さい。

http://www.ustream.tv/recorded/13509353


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続・無常なるかな-東北関東大震災に思う

2011年03月21日 19時57分34秒 | 様々な出来事について
日に日に亡くなられた人が増え続けている。その中で、9日目にして八〇歳の女性とお孫さんが救出されたというニュースも伝わっている。避難所の態勢もまだ整わないところが多く、まったく取り残されている人たちも居られるようだ。政府は何をやっている足りないものばかりだという声も漏れ伝わっている。確かにその通りなのであろう。しかしそう言うのは簡単だが、このような事態で全てが上手いように進むことを望むのもいかがなものか。おそらくそれは、被災者と自治体、政府を結ぶ中間にいてそれらの手配をすべく努力している人たちから漏れ出た言葉だと思う。実際に被災して避難している人たちの声はまた違うのではないか。

毎日被災地での様子に心痛めながらも私たちの生活は進行していく。お彼岸になり、また通常の仕事も当然のことながら進めていかねばならない。そうしていながらも誰もが被災地を思い、またそれが自分の身近で起こることを考え、様々なことを考えさせられることであろう。すべてのものは無常であり、苦しみは突然やってくる。この世の中はそんなものだと頭では分かっていながらも、突然の場面では誰でもがとてつもない苦しみを感じる。しかしその苦を何とか長引かせることなく、また出来れば軽いものとして受け取ることはできないものだろうか。

私たち誰にでも、いつそのような苦しみがやってくるか分からない。それは今回のような天災かもしれないし、災害かもしれない、また、病気や、身近な人の不幸かもしれない。とにかくそうしたことごとが今回の地震や津波の被害のように、それらがいくつも重複して起こる事態に追い込まれないとも限らない。日々、私たちは心構えとして、この世は無常なのだという真理を心の片隅に、頭の隅に留めておくことが必要ではないかと思う。

そして、何かあったとき、それがこの世の習いとすることであると、誰にでもやってくることであると思うことが出来たなら、絶望したり、パニックになったり、自暴自棄にならずに済むのではないか。今回の東北関東大震災で被災した人たちの多くが冷静な対応が取れたのも、多くの人たちがそのような思いをお持ちであったればこそ、大きなトラブルもなく粛々と行動されたのであろうかと思う。それをおそらく海外のメディアは日本人はみな水を汲むのにも取り合いにならずパニックを起こすこともなく列を作り冷静であると称賛しているのであろう。

そして、前回も書いたとおり、無常だからこそ、そのどん底にあるような思いから必ず回復していける、立ち直っていける、よい方向に変わっていけると信じられる。それは運命などでないと。これからの行い、考え方次第で換えられるのだと思える。それが大切なのではないかと思う。

同じような境遇にあっても、生と死を分けることがある。それをその人の持った功徳である、行い、つまり業なのだと言う人もある。すべてのことに原因ありとも言い、生き残れた方にはよいが、亡くなられた方には誠に無礼な冷酷な物言いに聞こえる。しかし、それほどこの世の中の現象は単純ではないだろう。一人一人の今生での行い、その方たちの過去世の因縁、それがこの天災とどう関係しどう結果していくのか、そんなことがお分かりになられるのはおそらくお釈迦様だけであろう。安易に言うべきことではない。

しかし、増一阿含経の中にある『業道経』という経には、同じ事をしても地獄に行く人と行かない人がある。それを分けるのは、その人の日々の行い、心を修め、智慧の教えを学び、功徳豊かであったかどうかにあると書かれている。人として生まれたからには善きことをせよとも教えられるように、行い次第によってよくあれるのは私たち人間だけなのであるから、たくさんの善いことをしておいて悪いことはないとも考えられる。仏を拝むことも大切かもしれないが、それよりも行いが大切なのだとお釈迦様もおっしゃられていることにも通じる。

五歳の女の子が家族が皆亡くなり、家も流され天涯孤独になった。避難所でインタビューに応じたその子は、「それまでの生活がいかに幸せであったかが分かりました」とコメントしたという。だから私たち被災しなかった者たちは今こうしてつつがなく暮らせることに幸せを見出すことが大切だという人もある。漫然と何もかも当たり前、不満ばかりを言うことに対する反省の弁として聞くことは出来よう。

しかし、事はそれほど簡単ではないというのが本当のことであろう。何もかにも整い、なんでも当たり前の生活をしている天人のような生活に興じている人たちにそのありがたさを思えと言っても、簡単にそう思えるものではない。この世の中はそんなに生ぬるいものではないだろう。やはり苦しみの現実を身をもって体験して初めてそのありがたさが分かるものではないか。幸福を食べて生きる天界の住人がやはりこの苦楽ある人間界に地獄の苦しみを味わいつつ降りてきて、やはりそこで努力しなくては悟れないというのはそうした意味でもあろうと思えるから・・・。



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被 災 者 の 声-阪神大震災から得たもの

2011年03月19日 18時16分13秒 | 様々な出来事について
(今この未曾有の東北関東大震災にあたり、被災地でたくさんの人たちが悲痛の声を上げつつあることに心痛みます。なにも出来ずにこの場に留まっている居心地の悪さを感じます。全国の多くの人たちがそうした思いで、人ごとではなく自分のこととして見つめておられることと存じます。以下の文は、16年前の阪神大震災の折に避難所に駆けつけ感じたことを綴ったものですが、少しでも被災地で、またこれからボランティアに駆けつけようと思われる方になにかのご参考になればと思い掲載します。)

被 災 者 の 声-阪神大震災から得たもの

[平成7年(95)3月記]
                                                
二月一日から二週間、神戸市東灘区の市立本山南中学で約八百人の被災者の人たちと生活をともにした。(東灘区は六万七千人という最大の避難者をかかえる自治区であり、大小あわせ百十もの避難所がある)

地震直後から何かできることがあったらしなければと思い。とりあえず食料だけ自分なりに梱包したものを神戸市の災害対策本部宛に送ってはいたが、何か物足りなさがあって申し訳ない思いが続いていた。そうしたところに、芦屋の友人からの連絡で、カウンセラーという精神面のケアーをする人が足りないのだが、という話に早速現地に赴くことにした。

<避難所へ>
JRの芦屋駅に降り立ち、友人と会い初めて地震の被害を被った町を歩いたとき、建物の倒壊したすさまじさに比べ、ものものしい様相で歩いてはいるものの道行く人が意外と落ち着いていると感じた。小雪のちらつく中、瓦礫を避けたり、上から垂れ下がっている電線に気をつかいながら阪神芦屋駅まで歩き、二つ目の青木駅へ。大阪方面の電車を使う人の終点ということもあり、駅の周辺は 大きな荷物を持った行き交う人であふれていた。

青木駅から本山南中学のある田中町まで、普通に歩けば約二十分なのだが、途中瓦礫で道が分断されていたり、水道の工事などで通行止めになっていたりと、地図にある道が通れず、歩道に広がった瓦礫で車道を通らざるをえないようなところも多くやっとの思いで一時間以上もかけて本山南中学にたどり着いた。

<避難所の様子>
本山南中学は当初から、被災住民の自治が確立し、それを駆けつけてきたボランティアが支援していくという体制が取られた。本来あたり前のようなこのことが、意外と他の避難所ではできていないことを後から他の避難所を回ってみることで知ることができた。現在、体育館には床に布団や毛布を敷いて寝ている人たちが三百人、そのロビーで寝ている人五十人、各教室が四百人、校庭に特設のテントを作って生活している人や倉庫に寝泊まりしている人が五十人。

水を含めた生活物資の搬入と分配。炊き出しの準備と実施。災害対策本部の受付事務。これらがボランティア側の当初の仕事であったが、避難している住民は日に二度のパンやおにぎり、牛乳などの食料の配分やトイレ、廊下の掃除などが割り当てられている。

私がうかがったのは地震発生二週間が過ぎ、それぞれ厳しい状況の中で、大分その生活にも慣れてきたという頃だった。私も、一人で話だけしているわけにもいかず、とにかく給水車が来れば、ポリタンクに水を移し、食料などの物資が届いたら搬入の手伝いをするというように、この避難所の仕事を一通り経験することにした。そして、空いた時間には体育館に入って行ったり、教室を歩いて出会った人と話をするというようになるべく多くの人と話をし、気安く話をしてもらえるような雰囲気を作っていった。

この避難所に生活する人の名簿から一人だけの世帯やお年寄りだけのリストを作り一人一人当たることもしてみた。また、保健室に来る人の中で精神的に弱っている人を教えてもらい訪ねてもみた。そうして、午前中と夜は、この本山南中学の中の人たちの様子を見ることを中心にし、午後は周りの避難所の様子を見て回ることが私の日課となった。
                                           
<地震直後のこと>
はたして、何人の人と話しができたのだろうか。話し込むと、すぐ一時間二時間があっという間に過ぎている。話している人も我を忘れて夢中になってしまう。地震の話から脱線して若いとき活躍していた話や家のことに話の向かう人も多かった。中には地震によるショックで自閉症が更に悪化し、かなり重傷と思われる方も中にはいたが、おおかたの人たちが肉親を亡くした人も含め、この地震を乗り越え次の人生に向かって積極的に取り組み始めたという印象であった。

話を始めると、一様に皆堰を切ったように地震のときの自分の体験を話してくれる。箪笥が仏壇の上に重なったことで押しつぶされずに済んだ人や、 二階のベランダの縁が倒れて来たとき、その丸く開いた切れめに自分の顔が入ったので助かったという人。大きな箪笥の倒れる寸前に無意識に体が反対側に滑り込んで助かった人。

毎日五時にジョッギングに行っていたのにその日初めて行くのをやめたおかげで、自分も助かり、箪笥にはさまれた奥さんをすぐに救出できた人、阪神高速を普段使っている長距離の運転手さんが、その日はどうしてかすいていたので下を走って帰ってきたところ橋脚の倒れたあたりで地震にあったという人など、話してくれた多くの人がそうして助かったことが奇跡だと感じている。

<避難所が出来るまで>
そして、地震後明るくなるのを待って男の人たちは周りの倒れた家々で生存者がいないかどうか生き埋めになっている人たちの救出に時間を忘れたという。それから、中学校に家を失った人たちが集まり、はじめは千二百人もの人たちの避難生活が始まるのだが、初めは電気も水もなく、食べるものもなく。異様な暗やみの中で寒さと余震と空腹に苦しむ三日間を辛抱された。

初めて来たおにぎりのありがたさ。数が十分ではなく、一家族にひとつという割り当てではあったが、騒ぎも起こらず、そのひとつのおにぎりを分け合って食べたのだという。その頃はただ生きていて良かったというたったひとつの気持ちがみんなの中にあって、だからこそ不平不満も出ずにただ我慢できたのであろう。仮設トイレも当初なかったため、校庭に垂れ流しの状態が続いたのだという。

昼間は壊れた家から少しでも衣類や寝具を取り出し、夜はみんなで身を寄せあって寒さをしのいだ。救援物資が届くようになり、その分配方法や管理をめぐってお世話役ができ、リーダーという人が取り仕切るようになっていった。そしてボランティアが現れ、より快適な環境を作るためにみんなが力を合わせていくこととなった。

<気持ちの変化>
こうして、ただ生きていて良かった、一口でも食べられてありがたいという一念だった人たちも一週間二週間が過ぎ、だんだんともっといい物が食べたい、もっといいところに寝たい、という気持ちも一部現れて来た。そして他に住むところのある人は移って行き、電気が通じたことでひびのはいった家に戻る人も出てきた。

しかし、してもらうことに当たり前だ、行政はけしからんと思っているような人には誰一人として会わなかった。ボランティアに対しても、送られてくる救援物資に対してもみんな感謝の気持ちで一杯であった。毎日同じようなパンとおにぎりの配給に対しても。

ごてごてに回る行政の対応に対しても、おおかたの人がこれだけの惨事にすぐ対応できるほうがどうかしている。いろいろな面で対応が遅れたのは、行政のせいではなく、この地震を見に周りの県から押しかけて来た人たちのせいで必要なものが届かず、必要な作業が遅れた。これは我々住民の側の責任なのだ。ある人がそういわれたことが印象に残っている。決して人に責任をなすりつけるのではなく、すべてのことを自分たちの問題として捉えようとしている。

ほとんどの人が身近な人を亡くしたり、家屋をつぶして悲しみ、これからの将来に不安をかかえている。しかし、その多くの人たちはこのような否定的な感情を自ら乗り越えようとしている。どうしてこのような大震災が神戸で起こったのか。これまで、しゃにむに働いて来るだけだった人たちが我が身を振り返り考え出した。これには多くの人が神戸市株式会社という言葉を使って説明してくれた。

神戸の人にとって神戸市はお金の亡者という印象があり、自分たちも当然そうした影響の下に何よりも儲けることを第一に生きて来た。この地震は贅沢に慣れ、ほかして無駄にすることを反省することすらしない今という時代への警鐘であると受け止めている。多くの人がこうした風潮への罰が当たったのだと考えている。

<連帯感が生まれる>
これまで自分の人生の大半をかけて築いて来た家が一瞬にして倒壊した。育てて来た会社が、店が全壊し再開のめどもつかない。そうした悲惨な目に会った人たちが、本当に大切にするものはそんなものではなかったんだと語りだす。この世のものはどんなに立派なものでも頑丈なものでも簡単に壊れてしまうものなんだね。それなのに、こうしてこの命を助けてもらったこと、みんなと一緒にいられることに感謝しなきゃ。あのときのひとつのおにぎりがありがたいと語る。

みんな一緒という気持ちが芽生え、全然知らなかった人と声をかけ励まし合い、助け合い、語り合う喜び。いくつもの心の絆が生まれた。ある中年の奥さんは結婚してこんなに旦那さんと一緒にいれたのは初めてだと嬉しそうにいう。若い人たちがこんなにありがたいと思ったことはない、いつもは最近の若いもんはと言っていたのに若い人たちを見直しました、という声も多くの人から聞いた。贅沢は言えません、家を無くして来ているんですから、でも何でも若い人たちがしてくれて、また沢山の救援物資をいろいろな方からいただいて本当にありがたい感謝の気持ちで一杯です。

生かしていただいた人は何かそれまでにいいことをしていたんでしょうね。こうして生かしてもらったからには、そのことを忘れることなく、何かこれからも人様のためになることをさせてもらって決して自分のことばかり考えて譲ることをしないような人にだけはならないようにしなければいけないと思っているんです。と話してくれたご婦人もいた。

<少しづつ問題の芽が>
地震によって一人一人何かに気づき出した。それまで当たり前と誰もが思ってきた価値観が崩れ、人と人の暖かいふれあいの中に限りない大切なものを見いだしているように思われる。校庭のストーブに体を温めるおじさんたちも驚くほどの哲学者然とした言葉を語り出す。家の壁が吹き飛んで、心の壁も無くしたようだ。誰とも自然に声を掛け合い、友情の感情を持つ、何でも助け合ってやろうという気持ちが芽生えた。慈悲にあふれた空間が生まれた。本山南中学校にはとても明るい雰囲気が満ちている。

しかしだからといって、誰一人問題が無いというとやはり片手落ちだ。夜になるとお酒が入り物資を分けろと押しかけて来るような人も三、四日に一度はいるし、やや乱暴な人たちもいて、それなりに問題はある。しかし、それは普通の状況下でも起こりうるものであって避難所に特有のものでも無い。これから大切なのは、避難所生活が長くなることによる疲労、無気力。だから盛んにイベントを計画しているところが多い。

それに、精神面のケアー。このためには本来から言えば、避難者同志で語り合える場の設定が大切であって、専門的な処方の必要な人はわずかであるという感触を得ている。そして、家族別々に暮らすことを余儀なくされている人も多い。何よりも早く仮設住宅、公共住宅の入居を進めてあげたい。

いまだにプライベートな空間が無く、風呂は近くの学校の自衛隊の仮設温泉に入り、洗濯もできない毎日を避難所の人たちは送っている。先に帰って来てしまう後ろめたさを感じつつ、私は帰路についた。新幹線の中から眺める建物がなぜみんな地面に垂直なのか。神戸の風景のほうが自然なのではなかったか。一瞬そんな幻想が頭をよぎった。倒れた建物があり、瓦礫があることのほうが普通なのではないか。

何でも表にあるものはきれいに整理されていなければいけないということのほうが不自然なのではないのか。新しく作られるものがあるなら壊れるものがあって当然で、そうした中から何かが生まれて来る。神戸は多くの人や建物を無くした代わりにおそらくそれを失わなければ得られなかったとてつもない財産を一人一人の被災者が獲得したであろうと思える。その財産を少しでもお裾分けに預かったのが全国からまったくの善意で被災地に駆けつけたボランティアたちではなかったかと思う。

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無常なるかな―東北関東大震災に思う

2011年03月16日 07時00分28秒 | 様々な出来事について
ご存知の通り、大変な事態に陥っている。日本の国はこれからどうなっていくのだろうか。様々なことが取り沙汰される中で、多くの善意ある人々によって被災した人たちの心が少しでも癒され、また、この国に降り注いだ危難が好転して行くことを願いたい。

何をもってもまずは、今回の地震、津波で亡くなられた方々にお悔やみを申し上げるとともに、未だに家族の行方さえ分からない方々、家も財産も暮らしの糧もなくした皆様に何とか早く様々な対策が講じられることを、さらにはその上に原発の放射能の恐怖におびえる人たちも含め、一刻も早く心落ち着き、安らいだ気持ちになれるようにと願いたい。

この世は無常である。とおっしゃられたのはお釈迦様である。その真理を本当に理解していれば、この危機的な状況もごく自然なこと、自然の営みに起こるべくして起こったこととして受け入れることも出来るのかもしれない。しかし、私たちはまったくこのことを自然のこと当たり前のことと受けとることなど出来ない。何とか生き延びた方々は奇跡だった、運が良かったと思われるであろう。本当にそのように思えるものだと思うし、その実感はよく理解できる。かつて阪神大震災の折、ボランティアとして現地にあって、多くの被災した人たちの話を聞かせていただいたが、皆さんそう語られていた。

だが、仏教では、何事もいろいろな原因、条件によってこの一瞬成り立っているに過ぎないと考える。私たちの立っている地面も本当はいつどうなるかも分からない、だから無常なのだけれども、普段はみな今までの安定した状態がずっと続くものと考えている。少しずつ変わり、変化していることに気づかない。それが今回のように急激な変化を伴うと突然すべてのことが急転直下変化したと感じる。青天の霹靂、そう誰でもが思うであろう。が、正にこの言葉は私たちが無常ということを本当には分かっていない証拠になるものなのかもしれない。何不自由なく暮らしている人たちにとっても、今は奇跡的な一瞬なのである。

何事も移り変わる、常に変化しつつある。私たちは、そんなことは当たり前のことだと思っている。ただ、おそらくそれは頭で理解しているに過ぎない。本当は無常ということを私たちは受け入れようとはしない。ずっとこの安定した状態が続いて欲しい、続くものと思って生きている。だからこそ、今回の地震は青天の霹靂なのである。

普通、私たちは誰でもが安定したこの状態がずっと続くものと思う。だから、毎日の普段の生活が成り立つのであろうし、そう思っているからこそ家族を持ち、将来のためにいろいろなことも出来る。しかし、それも変化していく、無常だからこそ成り立つことでもある。歳を重ね様々な体験から家族ができ仕事が進み経験を積んでいくのも変化していくからであろう。健康に生きていられるのもこの身体が無常なるものだからである。

安定し変わらずにあって欲しいものと、変化していって欲しいものとが自分にとって望ましい状態である間は、何の不思議も感じずに普段の生活を送っている。それなのに、そのどちらもが本当は無常だからこそ成り立っているということには気づかない。しかし、それらが自分にとって望ましくない方向に変化していくと、途端に無常ないしは無情だと感じるに過ぎない。

この世は無常なるが故に苦であるともお釈迦様はおっしゃられた。誰もが苦を体験しつつあるのに、それに気づかない。何かあったときだけ苦しみを感じているように思う。そして今、こうなって、被災地の人たちとともに私たちはその苦しみを、レベルの違いこそあれ感じつつある。痛みを共感している。無常なるが故にこの世は苦なりということを、正に私たちは学びつつある。

ところで、今私たち国民を不安のどん底に陥れているのは余震もさることながら、福島第一原発四基の状態であろう。高レベルの放射能にさらされながら、現場ではどれだけの作業が出来ているであろうか。どのような人たちがその作業を担わされているのであろう。それを監督する人たちはどこでその指示をしているのであろうか。技術と知識を併せ持つ人たちが現地できちんと状況を把握しているのであろうか。心許ない限りである。

原子力、放射能、それを最も危険なものと知っているはずの日本で、原発がこの狭い国土に、地震国に、何故これほどまでに作られてしまったのか。チェルノブイリ、スリーマイル島の世界的な原発事故があってもなお、建設予定地の住民の反対で作られにくくなっているとは言え、今日まで54基を数えるほどに増設されてきた。福島原発の現地の状況は、おそらくこの人知を越えた恐怖の中で、思い通りの作業が出来ない状況なのではないかと危惧される。

原発は、正常に稼働していたとしても、高レベルの放射能を放射し続ける廃棄物を膨大に排出し続けている。それを安全に半永久的に保管していかねばならない。一万年という果てしない時間で濃度が半減するという数字もどこかで見た記憶がある。それもガラス固化体に入れた上で地下深くに埋められての話だ。一万年もの時間何事もなく保存できるとする科学的な見識は、どうやってこの地震国で保証できるのか。さらには国内にその最終処分場さえ決められない現状の中、無謀に稼働されているのが我が国の原発なのである。

そしていま、高濃度の放射能が放出されている現状において、どうやってその放射能の害から私たちを守れるのか。おそらく何も科学者たちは語ろうとさえしないであろう。正に科学の過信によってもたらされた人災と言えるのではないか。放射能は国境をまたいで飛散していく。人知を越えた無謀なる冒険のために全人類を危険にさらしている。これこそ、この世の無常という真理をまったく分かっていない人たちのなせる業(わざ)なのだと言えまいか。が、ともあれ、まずは現場で必死にこれ以上の被害が拡散しないためにいのちを張って作業している人たちの健闘を祈りたい。


無常とは、ただ私たちに今あるこの悲惨な現状を甘受せよなどという教えではない。天罰などと言ってそれを被災した人たちだけにその悲惨な現実を受け入れよというような教えでもない。無常だからこそ、これからの展望も開ける。苦しみも癒される。家族を亡くし、何も考えられないような心境であったとしても、明日の生活さえどうしたらよいのか何のあても無いとしても、家が無くなり家族と別ればなれになってしまったとしても、必ずそのつらい思い悲しい思いどうしていいか分からない今の心は変化していく。必ず、よい方向に向かっていける。だからこそ、この世は無常なのでもある。どうか希望を失わず、これから少しずつ変わっていける、たくさんの人たちが助けてあげたいと思っている、みんながやさしい思いでいることを忘れないで欲しいと思う。

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