工場で三月の実習を終えると、サキシアは自宅で作業を始めた。
染めの工程は把握出来た。
細かく刻んだ木の皮や、実や花を煮出した染め液で布を煮込み、触媒に浸した後、水で濯ぐのだ。
分量や時間や回数、細かいコツも、メモしてある。
サキシアが気になったのは、触媒だった。
錆びた鉄を煮立てた酢水の、濃さを変えるだけなのだ。
王宮で調度品を磨き上げる時も、様々な液体や粉を使った。
材質や汚れによって、使い分けるのだ。
選び誤ると、逆効果になることもある。
サキシアはまず、他の金属を試すことにした。
最初は銅だ。
錆びた銅は既に、用意してある。
竈の湯に木片を入れた時、ふいにメイの笑顔が浮かんだ。
さばさばとした職人が多い職場だった。
家柄で差別する者も、腫れ物に触るように扱う者もいなかった。
王宮より遥かに居心地の良い、楽しい職場だったのだ。
サキシアは苦笑して、首を横に振った。
孤独には慣れているはすだ。
サキシアは自分にそう言い聞かせ、手元に集中し、寂しさに蓋をした。
半月後、サキシアは仕立て屋にいた。
初めての定期報告だ。
早々に成果が出たので、意気揚々と扉を開ける。
店にはギャンとアルム、店主のバスまで揃っていた。
「やあ、いらっしゃい」
ギャンは遊びに来られたような気軽さだ。
「おはようございます。バスさん、アルムさん、ギャンさん。報告はどちらで」
「遠くて大変だっただろ?先ずは休んで。大丈夫。十日やそこらで結果が出るなんて思ってないよ」
バスが先に、奥へと入った。
そこは採寸所兼応接室になっている。
その隣の部屋は、お針子達の作業場だ。
「そうだよ。お菓子も焼いたんだから。中入って」
アルムがサキシアの手首を掴み、奥へと引いていく。
サキシアが困りながら付いていくと、卓の真ん中に大きなパイが乗っていた。
「座って座って。美味しいんだよ。はい、どうぞ」
そう言いながら、ギャンが一番大きな一切れを取って、サキシアの前に置いた。
「お茶ちょっと冷めちゃったけど、丁度いいね。ごくっといっちゃって。すぐ熱々のを淹れるから」
アルムがお茶を注ぎながら言う。
「有難うございます。では、遠慮なく頂きます」
サキシアはカップを持つと、香りを吸い込み、一口飲んだ。
「良い香りですね。喉もすっきりします」
サキシアの頬が緩んだ。
「やっとちゃんと笑った」
アルムがにんまりとした。
「いつも笑った顔まで堅苦しいんだから。もっと気楽にしていいんだよ」
「そうですか」
サキシアは驚いた。
仕事を変わって、随分肩の力が抜けたつもりだったからだ。
「申し訳ありません。以後気を付けます」
「ほら、そういうところだよ。あたしたちはあんたの母さんの知り合いで、ギャンの親なんだから」
アルムが片目をしかめてみせた。
「そうそう。こんな田舎のちっさい店で、畏まったって始まらない」
バスも両眉を上げ、同意する。
「有難うございます」
サキシアが照れたように話題を変えた。
「まず、見本を見て下さい」
そう言いながら、皮袋から小さな布の束を取り出した。
ピンク系と茶系、紅系に分け、が九枚づつ、左右と中央に置いていく。
他の三人が揃って短く息を吸った。
「今までとは触媒を変えてみました。染料一種類につき九本づつ、染料と触媒の濃度を変えて、染めてみました」
「たった半月でねえ」
アルムが溜め息をついた。
「工場で学ばせて頂いたお陰です。その間色々考えていました」
「ねっ、言ったでしょ?サキシアは頭も抜群で、その上努力家だって」
顔を紅潮させて、ギャンが言う。
「たいしたもんだ」
バスが唸った。
「お昼の前にどっか行こうよ。今日は市が立ってるよ?」
ギャンが上機嫌でサキシアに尋ねた。
「そうね。折角だから覗いてみようかしら」
「じゃ、右だ」
ギャンが先に歩き出す。
歩みは遅いが、スキップと同等の軽やかさだ。
「初めてだね。デート」
左を歩くサキシアを、嬉しそうにギャンが見つめる。
「えっ?そんなつもりじゃ」
サキシアが眉をひそめる。
「解ってるって。伯父さんと伯母さんに言われたからでしょ。いいんだ、理由なんてどうでも。大事なのは、これから二人で遊んで、お昼を食べるってことだよ。次からの分も了解取ってあるから、覚悟しといてね」
サキシアが力無く笑った。
「ところでギャンは、伯父さん伯母さんって呼ぶのに理由があるの?」
「ううん、別に。今までそう呼んでたからそのまま。変かな?」
「息子って言われてるんだから、合わせた方が良いように思うわ」
「そっか。そうだね。そうしてみる。気付かなかった。ありがと」
機嫌よく話をしながら、ギャンがゆっくりと歩く。
その歩調に合わせて、サキシアの足早に歩く癖が抜けていった。
「じゃあ・・・あれ?あれは何?」
サキシアが広場の人だかりを指す。
「ん?何が発表されたんだろ。行ってみよう」
高く掲げられた公示を見ようと、人が集まっているのだ。
近づくにつれすれ違う人が増え、会話の端々が耳に入ってくる。
ー新国王ー
ーダコタ様がー
他にも王族の名が、いくつも上がっていた。
群衆に混じり、少しづつ前に進むと、群れから出ようとしていた癖毛の男が、ギャンを認めた。
「ギャン、もう見たか?」
「ううん。まだ」
「ラウル王子は、昔亡くなったデュエール様の子供なんだってさ。そしてデュエール様の王位継承権を復活させるから、王になるんだって」
「ええっ?王妃様が不貞してたってこと?」
ギャンの目が真ん丸になる。
「うん。でも貴族の姫は王族の直系を拒めないって決まりがあるから、いいんだそうだ。まあ、王様も外に女の子がいたっていうから、なんかな。で、その姫とフレイア姫を殺そうとした罪で、ダコタ様とフォッグ様が王族追放。んで、フレイア姫がサス国に嫁ぐんだって。ま、そんなとこだ」
「苦しい言い訳。誰の入れ知恵よ」
サキシアが吐き捨てるように言う。
それは小さな声だったが、ギャンはぎょっとしてサキシアを見た。
その動きを追って、男がサキシアに気付いた。
「あれ?『青のサキシア』さん?」
「そうですが」
久しぶりにそう呼ばれ、サキシアが不審顔になる。
「俺、トーマといいます。覚えてないと思うけど、学校で一個下だったんです。青いバッチ沢山着けて、いっつも真っ直ぐ前向いて歩いてて。とっても格好良かったんですよね」
「そう見えたんですか」
自分の孤独と意地が、思いもよらない捉え方をされていたことに、サキシアは面食らった。
「うん。それでギャンも夢中だったんだ」
トーマがギャンに視線を移した。
「二十年越しで実らせたんだね。凄いねギャン」
ギャンが左手を顔の前で振った。
「ううん。そうなるように頑張ってるとこなんだ」
「じゃあ邪魔者は去るよ。サキシアさん、ギャンをよろしく」
トーマが手を振って遠ざかると、ギャンが真顔になって、聞いた。
「宮廷で、何があったの?」
一瞬の間があった。
「私が迂闊に信じた過ぎたの。もうみんな過去のこと」
サキシアはもう、いつものサキシアだった。
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