デュエールは、いつもの曖昧な笑みを浮かべて、大広間の観覧席に居た。
広間には王族と有力な貴族が、集められている。
王太子夫人お披露目の舞踏会だ。
これでもう、四度目になる。
周りは、三十になる自分のことをとやかく言うが、自分は、妻帯しない。
デュエールは廃嫡を伝えられた日を、思い出した。
あの、屈辱と諦めと安堵。
覚悟を決める為に、先ずは赤毛を短く切った。
それからデザントを受け入れ、目立たぬように、一歩引き続けた。
計画的な木材の切り出し、植林。効率的な道の整備。納税方法の見直し。
政策の提案も、デザントを通している。
自分は王宮の隅で、民と王宮の為に、一生を終えるのだ。
王位を巡って、争いが起こらぬように。
その為にも、デザントには子が必要だ。
彼も必死なのだろう。
自ら選んだ今度の娘は、とても健やかそうだ。
挨拶に来る者達と次々に歓談し、物怖じする様子も無い。
楽団員達が楽器を手に取った。
そろそろ演奏が始まるのだ。
最初はいつものように、亡き王妃が愛したサス国の曲だろう。
皆で王妃を偲んでから、カナライの曲で踊るのだ。
すると、中央に空間が出来た。
デザントとダリアが進み出たのだ。
二人は両手を取り合い、互いを押しやった。
各々がステップを踏みながら右に回る。
その時。
曲が聞こえた。
十七年前に失った筈の『音』だ。
目が釘付けになる。
聞こえる。
やはり、聞こえる。
踊る彼女を見ている時だけ、確かに曲が聞こえるのだ。
手摺に身を乗り出すデュエールに、侍女達が驚いて目を合わせた。
その一月後、デュエールは丘の上の別荘に移ることを、願い出た。
沐浴から戻ってきたダリアは、藤の椅子にどかりと座った。
「お姉様も、来れば良かったのに」
そう言いながら、舞踏会の様子を早口で語る。
頬の紅さは、湯に浸かった為だけでは無いようだった。
時々相槌を打ちながら、フィリアはダリアの銀の髪を纏めた。
色々と思うことはあるが、自慢の可愛い妹だ。
似ているようでも、自分より美しい気がする。
幾分すっきりとした顔立ちをしているのだ。
その妹が、もっと美しく見える様に、そして眠りを妨げないように。
最後に四色の宝石が嵌め込まれた、花型の髪飾りを挿して、フィリアは満足気に微笑んだ。
「はい。出来上がりよ。凄く綺麗で可愛いわ」
「お姉様より?」
ダリアが鏡越しに問い掛ける。
ざらりとした感触があった。
「私はいつもお姉様と比べられていたわ。お姉様は淑やかなのに。お姉様なら出来るのに。お姉様、お姉様、お姉様!」
ダリアはぐいっと振り向いて、侍女達を見た。
「私はお姉様より美しい?」
侍女達は顔を伏せ、横目で互いを探っている。
フィリアの顔が曇った。
「勿論よ。だけれど皆さん、私の前なので気を使ってらっしゃる。こんな風に周りの方々を困らせるのは、大人のすべきことではないわ。それに、ここで大切なのは、王太子殿下に貴女が選ばれた、ということよ」
「そうね」
ダリアが左の口の端を上げ、前を見た。
「妻に選ばれたのは私。そういうことよね」
鏡に映る自分の、勝ち誇った顔を、点検する。
「王太子殿下がいらっしゃいました」
扉の外から声が掛けられた。
ダリアが立ち上がり、フィリアが椅子を納める。
フィリアと侍女達が、横に控えるのと同時に、デザントと侍従が中に入った。
視線を感じて、フィリアが僅かに頭を上げる。
目が合った。
あの男だ。
木の上で見つけた、見つけられた、あの男。
フィリアは鋼の糸で、体を巻き取られた気がした。
蜘蛛の巣に掛かった虫のように。
何も考えられない。
ただ、直感で覚った。
この男は、間違えたのだ。
フィリアはデザントを避け続けた。
早朝の雑用を買って出て、夜は早めに自室に戻るのだ。
それでも出くわしてしまった時には、俯いて視線は決して上げない。
それが礼に敵っているのは幸いだった。
無事に一年をやり過ごせば、待っている筈の、穏やかで伸び伸びとした暮らし。
フィリアは思い描いた日々にすがりつきながら、じりじりと時を過ごした。
宮殿を辞す挨拶は、もう済んだ。
ようやく明日、解放される。
フィリアは荷造りを終え、胸を撫で下ろしていた。
あの、私を呑み込むような視線から、やっと逃れられるのだ。
暦の日付を一つ一つ潰していく毎日の、なんと長かったことか。
ダリアは少し寂しがるかも知れないが、清々ともするだろう。もう、離れても良い歳だ。
少し浮かれて、知らずに歌も口ずさんでいた。
一応寝ようと、布団に手を掛けたとき、扉が開いた。
「王太子様!」
押さえた悲鳴が口をつく。
後ろ手に扉を閉めると、ほんの数歩で、デザントはフィリアの左手首を、捕らえていた。
「知っていたであろう」
押さえた怒りが言葉になる。
「初めて会ったあの時から、わかっていたであろう。私の思いは」
フィリアは答えることができなかった。
そう、分かっていたのだ。最初から。
この男の熱情を。
知っていた。気付いていた。
自分の中の熱情に。
そしていつか、こうなることも。
自分は既に知っていた。
だから恐れ、避け続けたのだ。
フィリアの靴が、床に落ちた。
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