11日午後、今まで体験したことがない大きな地震が起きた!
想像を越える大きな揺れ!根岸交差点そばのロイヤルホストでLunchを食べ終え珈琲を飲んでいる時に地震が起きたのです
揺れが止まらず、次第に強くなってテーブルの下に身をかがめたけれど、食器が落ちて壊れる音、叫び声がして、パニックでした。
ご自身も立っているのがやっとのはずなのに、女性店員さんが大丈夫ですか?と声をかけてもくれました。
娘がジャック、チョコと家に残してきたワンちゃんの名前を呼び、早く帰ってあげなきゃと犬を心配して泣き出すし
ところが、テーブルの下の私は、泣いている娘のほうが、私の肩を抱き寄せかばっていたのです。
長い揺れに、外に避難するよう指示が出て、駐車しておいた車は小舟のように揺れ、地面は揺れるし、とにかく怖かった。
揺れが弱くなったところで、会計を済ませて、一刻でも早く帰ろうと店内に戻ると、店内は散乱していて、会計はいいから
避難するようにいわれました。
車に乗り込み家路を急ぐのですが、地震は続き、電気が消えた交差点の信号に車は混乱し、建物から外に避難した多くの人々の姿
が沿道のいたるところにみられ、頭上の揺れる信号機や電線、煙の出ている電気設備、とにかくパニック状態で家にたどり着けるか
不安でした。
ようやく家に着き、玄関を開けると、2匹ともすぐ外に出てきて、その足は震えていました。
どんなに怖かったことか・・・・
玄関に入った途端、倒れている雪かきや位置がずれている物、リビングに入るとカップボードからグラスが飛び出し、割れたガラスが
床に散らかっていました。
犬達が踏まなくて幸いでした。
飾り棚からもトールペイント作品が落ちていたり・・・
壁に飾っている方は無事だったのですがね
神棚のろうそく立てや何やらも落ちていました
2階に上がってみると、ずれている物が多かったですね。
冷蔵庫、ステレオ、本棚など
これまで岩盤が強いから、強い地震でもビクともしなかったこの丘の上の住宅地ですが、今回はその凄さにただ事ではないことを
知らせていました。
余震は続いていましたが、グラスの破片だけは片付け、小さな破片を掃除機で吸おうとしたら、電気はストップしていました。
今思うと、その頃もう大津波が襲ってきていたのですね・・・・
いつも癒されていた太平洋の広く青い海、仙台の街並み、景色が一変しました。
無数のサイレンの音、立ち上る煙り
電気が消え、携帯も電話も通じず、情報源はラジオだけ。
ロウソクを用意はすぐに出来たけど、ラジオを探す。
ラジカセを見つけても、電池が入っていないし、単1が6個も必要で力が抜ける・・・・
いつか夫がもらってきた非常用セットを思い出した。
その中に、暖をとるアルミマントだったり、懐中電灯を兼ねた携帯ラジオが入っていました。
そのラジオつけて初めて、三陸沿岸の広範囲で大津波が襲ってきて、被害者の数が甚大だと知ったのです。
想像を越える大きな揺れ!根岸交差点そばのロイヤルホストでLunchを食べ終え珈琲を飲んでいる時に地震が起きたのです
揺れが止まらず、次第に強くなってテーブルの下に身をかがめたけれど、食器が落ちて壊れる音、叫び声がして、パニックでした。
ご自身も立っているのがやっとのはずなのに、女性店員さんが大丈夫ですか?と声をかけてもくれました。
娘がジャック、チョコと家に残してきたワンちゃんの名前を呼び、早く帰ってあげなきゃと犬を心配して泣き出すし
ところが、テーブルの下の私は、泣いている娘のほうが、私の肩を抱き寄せかばっていたのです。
長い揺れに、外に避難するよう指示が出て、駐車しておいた車は小舟のように揺れ、地面は揺れるし、とにかく怖かった。
揺れが弱くなったところで、会計を済ませて、一刻でも早く帰ろうと店内に戻ると、店内は散乱していて、会計はいいから
避難するようにいわれました。
車に乗り込み家路を急ぐのですが、地震は続き、電気が消えた交差点の信号に車は混乱し、建物から外に避難した多くの人々の姿
が沿道のいたるところにみられ、頭上の揺れる信号機や電線、煙の出ている電気設備、とにかくパニック状態で家にたどり着けるか
不安でした。
ようやく家に着き、玄関を開けると、2匹ともすぐ外に出てきて、その足は震えていました。
どんなに怖かったことか・・・・
玄関に入った途端、倒れている雪かきや位置がずれている物、リビングに入るとカップボードからグラスが飛び出し、割れたガラスが
床に散らかっていました。
犬達が踏まなくて幸いでした。
飾り棚からもトールペイント作品が落ちていたり・・・
壁に飾っている方は無事だったのですがね
神棚のろうそく立てや何やらも落ちていました
2階に上がってみると、ずれている物が多かったですね。
冷蔵庫、ステレオ、本棚など
これまで岩盤が強いから、強い地震でもビクともしなかったこの丘の上の住宅地ですが、今回はその凄さにただ事ではないことを
知らせていました。
余震は続いていましたが、グラスの破片だけは片付け、小さな破片を掃除機で吸おうとしたら、電気はストップしていました。
今思うと、その頃もう大津波が襲ってきていたのですね・・・・
いつも癒されていた太平洋の広く青い海、仙台の街並み、景色が一変しました。
無数のサイレンの音、立ち上る煙り
電気が消え、携帯も電話も通じず、情報源はラジオだけ。
ロウソクを用意はすぐに出来たけど、ラジオを探す。
ラジカセを見つけても、電池が入っていないし、単1が6個も必要で力が抜ける・・・・
いつか夫がもらってきた非常用セットを思い出した。
その中に、暖をとるアルミマントだったり、懐中電灯を兼ねた携帯ラジオが入っていました。
そのラジオつけて初めて、三陸沿岸の広範囲で大津波が襲ってきて、被害者の数が甚大だと知ったのです。