丘の上日記

趣味は読書、ヨガを楽しみ、おしゃべりや
庭づくりが好き。大きな犬2匹と娘との暮らしを気の向くままに

何ができるだろう

2011-03-31 19:42:36 | 日常
今日で3月が終わり、明日から4月
この3月は生涯忘れることがないだろう。
3月、スポッと抜け落ちたような、辛い月となった。
カレンダーを見ながら 3月って何があったんだろう?と思い起こすと
1日に高校の卒業式があったっけ・・・
そして運転免許取りたての娘と、毎日練習に付き添っていたなぁ・・・・

3月11日
大地震、津波・・・・
あの恐ろしさ、心細さ・・・

続いてやってきた停電、断水、ガス停止

「荒浜に200~300体の遺体浮いている」とラジオから流れたとき、ただならぬ事態だと悟った。

何もかもが経験したことがない時間の中にいた・・・・

ただ毎日ラジオに耳を傾け、窓から街の様子を眺めるだけで
日が暮れるとロウソクに火をともし、2晩は湯たんぽ3個を入れたコタツに、洋服のまま寝た。

携帯も電話も通じない世界

地震の翌日からは生活用品を求める人の長い行列、ガソリンスタンドに並ぶ長蛇の車と
ジッと並んで待つことが、日課となった。

あの時ガソリンを満タンにしていたら・・・・もっと犬のエサを買っておけばよかった・・・
トイレの便座カバーを捨てないでおけばよかった・・・・・
電池の買い置きしておけば・・・・反射式ストーブを捨てずにおけばよかった・・・
エコキュートに変えていればよかった・・・などと
何度も後悔することが起きた。

先の見えない生活が不安で仕方なかった。

わずかの食べ物を手に入れるのにも、数時間、寒さをこらえながら並びもした。
クレジットカードが使えず、すべて現金だったり・・・
3時間半並んでわずか2000円分しか給油してもらえなかったり・・・・

被害状況がわかるにつれ、亡くなった多くのかたや、家が流され避難所にいる人達からしたら、
そんな不安な生活も、家が無事でこうして生きているだけで有難いことなのだと思うようになった。

すれ違う多くの支援車両を見るたび、ほんとうにありがたかった。
次々にライフラインが回復し、その速さには驚くものがあった。

ご近所さんとも声を掛け合い、お互いこのぐらいの不自由なんてなんともない、と励ましあいながら
毎日を過ごした。
いろんな方が夫の実家のことを心配してくれた。

実家の母はデイサービスに通っていたので、施設の方が集団避難させてくれていて無事だったということ、
妹は車で避難中に渋滞で車が動かず、車を捨てて気仙沼中央公民館に避難。
津波から逃れたものの、一帯でおこった火事が迫ってきてもう駄目かと思ったそうです。
煙を吸わないよう体を低くして、恐ろしさの中で二晩過ごし、その後ヘリで救助され自宅に戻ったと
4日目に連絡が来て、あの時は泣きながら無事を喜び合いました。
救出されてから、喉がカラカラで、泥の中から高校生が缶コーヒーや栄養ドリンクを拾い集めて
いたところに出会わせ、差し出してもらった缶コーヒーが命の水だったと話してくれました。

親戚縁者 みんなが無事だったことに感謝し、何かしなくては、何ができるのだろうかと考えているところです。

今は、学校や知人などの呼びかけで、ランドセルの提供とか、通学バック、制服ブラウス、靴や洋服を
その都度段ボールに詰めて届けてもらっています。
こういった何が必要かがわかると、力になりやすいので、そういう情報がメールを通じて友人の輪で広がるといいですね。

明日から4月、日が経つにつれ支援の内容も変化してくるでしょう。
自分にできることに出会ったら力になれるよう、心も体も健康でいようと思っています。









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買い出し

2011-03-28 09:59:28 | 日常
9時半から生協に並んでいます。
10番目です。
さきほどから、お日様いっぱい浴びたベランダに干されてるおふとんの気分。
風もなく、お日様ポカポカなんですもの。
二週間前は雪降る中を5時間も並んだよね…牛乳買えるかな?
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大地震

2011-03-13 13:11:18 | 日常
11日午後、今まで体験したことがない大きな地震が起きた!
想像を越える大きな揺れ!根岸交差点そばのロイヤルホストでLunchを食べ終え珈琲を飲んでいる時に地震が起きたのです
揺れが止まらず、次第に強くなってテーブルの下に身をかがめたけれど、食器が落ちて壊れる音、叫び声がして、パニックでした。

ご自身も立っているのがやっとのはずなのに、女性店員さんが大丈夫ですか?と声をかけてもくれました。
娘がジャック、チョコと家に残してきたワンちゃんの名前を呼び、早く帰ってあげなきゃと犬を心配して泣き出すし
ところが、テーブルの下の私は、泣いている娘のほうが、私の肩を抱き寄せかばっていたのです。

長い揺れに、外に避難するよう指示が出て、駐車しておいた車は小舟のように揺れ、地面は揺れるし、とにかく怖かった。
揺れが弱くなったところで、会計を済ませて、一刻でも早く帰ろうと店内に戻ると、店内は散乱していて、会計はいいから
避難するようにいわれました。

車に乗り込み家路を急ぐのですが、地震は続き、電気が消えた交差点の信号に車は混乱し、建物から外に避難した多くの人々の姿
が沿道のいたるところにみられ、頭上の揺れる信号機や電線、煙の出ている電気設備、とにかくパニック状態で家にたどり着けるか
不安でした。

ようやく家に着き、玄関を開けると、2匹ともすぐ外に出てきて、その足は震えていました。
どんなに怖かったことか・・・・

玄関に入った途端、倒れている雪かきや位置がずれている物、リビングに入るとカップボードからグラスが飛び出し、割れたガラスが
床に散らかっていました。
犬達が踏まなくて幸いでした。
飾り棚からもトールペイント作品が落ちていたり・・・
壁に飾っている方は無事だったのですがね
神棚のろうそく立てや何やらも落ちていました
2階に上がってみると、ずれている物が多かったですね。
冷蔵庫、ステレオ、本棚など

これまで岩盤が強いから、強い地震でもビクともしなかったこの丘の上の住宅地ですが、今回はその凄さにただ事ではないことを
知らせていました。
余震は続いていましたが、グラスの破片だけは片付け、小さな破片を掃除機で吸おうとしたら、電気はストップしていました。

今思うと、その頃もう大津波が襲ってきていたのですね・・・・

いつも癒されていた太平洋の広く青い海、仙台の街並み、景色が一変しました。

無数のサイレンの音、立ち上る煙り

電気が消え、携帯も電話も通じず、情報源はラジオだけ。

ロウソクを用意はすぐに出来たけど、ラジオを探す。
ラジカセを見つけても、電池が入っていないし、単1が6個も必要で力が抜ける・・・・
いつか夫がもらってきた非常用セットを思い出した。
その中に、暖をとるアルミマントだったり、懐中電灯を兼ねた携帯ラジオが入っていました。

そのラジオつけて初めて、三陸沿岸の広範囲で大津波が襲ってきて、被害者の数が甚大だと知ったのです。
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再スタート

2011-03-10 21:52:23 | 日常
娘の高校卒業とともに、お弁当作りも卒業しました。
3年間、時には学食で食べればいいのに・・・と愚痴をこぼしながらも
見た目の美しさより味と手作りを大切にしました。

お弁当日記を始めたのも、途中で挫けないためでした。

その娘も、今では一緒に料理をするようになったのですから、嬉しいことです。

今度は管理栄養士をめざし大学で勉強を始める娘に、私の方がいろいろ教えてもらおうと思っています。

なので今日からはタイトルを変えて、日々のことを気楽に書いていこうとおもいます。



最近の私の楽しみは本を読むこと

火坂雅志著「臥竜の天」に始まり

大石静著「セカンドバージン」

山本兼一著「利休にたずねよ」

池上永一著「テンペスト」と次々に面白い本と出合った。

お風呂で読むのも好きで、お風呂の蓋をテーブル代わりに、本が濡れないようにタオルを敷き
老眼鏡がくもらないように換気扇を回す。
時間が経つのも忘れ、何ページでも読んでいられる。
ただ、湯気で本が傷んでしまうのがもったいないのだけどね。

次に読むのは「津軽百年食堂」森沢明夫著
「津軽の地で、百年の刻を超え、受け継がれていく美しい心の奇跡と感動の物語」だという。

本は自分で物語を想像して読み進めていけるのがいいんだよね。





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