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丘の上日記

趣味は読書、ヨガを楽しみ、おしゃべりや
庭づくりが好き。大きな犬2匹と娘との暮らしを気の向くままに

人にはどれだけの物が必要か

2008-07-21 20:31:25 | 
ふと、ダイニングテーブルで勉強している娘の問題集を見て興味深いタイトルに本文を読んだ。
鈴木孝夫氏が書いた「人にはどれだけの物が必要か」というもので、
テーマが「ゴミ問題を解決するためには何が必要かを読み取ろう」というものである。

以下本文から

私が毎夏を越す長野県の町は、自然に恵まれた広大な町の中に場所がないと言って、ゴミをわざわざ隣り町の処理場に運び、大金を出して始末してもらっている。
ところが町の人のなかには、庭の落ち葉を掃いて大きなビニール袋にいくつも詰めて、ゴミ収集車に持っていかせる人がいるかと思えば、刈った芝や木の枝を山と出す人もいる。
私はこのようなことを見るたびに、大都会と違って、広い庭や空間が充分あるのに
、ちょっと穴を掘って入れるか、それが出来なければ庭の隅に積んでおくだけで、ほどなく土に戻るものを、どうして次々と難問を生み出すゴミとして出すのかと考えてしまう。
大切なことは、私1人がやっても意味がないとか、たった一人の力で世の中の大きな流れを変えることなどできはしないなどと消極的にならないことだ。
現在の社会が全体として向かっている、社会が毎日生み出している環境汚染や資源の浪費は、結局のところ私一人ぐらいがと思う極く普通の人が集まって作り出していることを忘れてはいけない。
いま多くの日本人は、自分の日常生活が贅沢極まりないものだとは感じていないと思う。
ところがそのような人が集まって人口一億2千5百万の日本という国にまとまると、
それは世界一の豊かで贅沢な国、外国の人々から羨望の目で見られる消費大国になってしまうのである。
 だからこそ私一人ぐらいなどと、自分の力を過小評価してはならない。
自分を巨大な社会の片隅にいる無力でちっぽけな存在と思うことは、とんでもない
間違いなのである。
一人ひとりがすべての元なのだ。
自分が変われば社会も変わる、自分は社会に対して能動的に働きかける力があるのだと、自分の力に自信をもってかまわないのだ。いや持つべきなのである。

これを読んだ私はジッとしていられず、庭にしばらく放置している、何個もの黒いビニールに入った雑草を片付けようとおもった。
けっしてゴミに出そうと置いていたわけではなく、陽にあたってかさが減るまで
置いていたのだった
霧雨がふっていたけど、庭に穴を掘り、たい肥になるよう埋めた汗なのか雨なのかわからないが額から流れ落ちる
しょっぱいから汗だった
ビニール袋の塊がなくなったので、それだけでも満足だったが、気分がのってきて、たくさん出ている百日紅(さるすべり)の枝やこでまりも剪定した。

以前は私も大量の雑草や剪定後の枝をゴミに出していた反省
けれど、ここ数年、剪定後の枝はガーデンシュレッダーで粉砕して庭に敷き、草はある程度乾燥したら土に埋めている
だんだんと、赤土で固かった庭がやわらかい土になっているのがわかります
私も小さな力だけれど、なるべくゴミを出さない、すっきりした生活をしていきたいと誓ったのでした

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