東京は雨だ。空は重い雨雲におおわれている。気分も重い。政治的固い話をするのはいいだろう。少し難しい話だ。日本の象徴は国旗だ。例の日の丸だ。国旗に日本人なら敬意を持つのは当然だと、私は思う。政治的に右寄り、左、リベラルとかの話ではない。右翼の街宣車は車に日の丸を掲げて走行している。暗殺された安倍元総理の街宣でも良く聴衆は日の丸を持って集まっていた。日本では、日の丸を掲げる、持つのは右翼、右寄りの人々と思われているようだ。左の代表、共産党の集会では、日の丸を掲げているのは、見たことない。立憲民主党の集会にも良く行ったが、日の丸を掲げているのは見たことない。日本のため、日本人のために政治を行うのだろう。なぜ、日の丸を掲げないのか。私は、一貫として自民党を支持したことはない、安部は大嫌いだ。それでも、国旗には敬意を持っている。私が自転車に日の丸を掲げて走ったら、右翼や自民党支持の人と思われるのだろうか。いちいち釈明しなければいけない。私は右翼はでない。このあたりが今の多くの日本人が誤解、混同する原因だ。日の丸を簡単に右翼に結び付けたがる。日本社会は、右傾化している事は間違いない。それでも、町を歩くと日の丸を掲げている店や役所などほとんど見ない。政府の出先機関なら頻繁に日の丸を掲げてもいいと思うのだが、ほとんど見かけない。日本を愛するなら日の丸に敬意をもつべきだし、愛国心を持つべきだ。左も右もリベラルも関係ない。愛国心を持てば、足元から腐ってゆくいまの日本の現状を憂うのは当然だろう。日本の悪口を言うのは良くない、おとしめる事を言うのは良くない、これが愛国心なのか。ネット右翼なんかに見る自画自賛ナショナリズムは、真の愛国心ではない。愛国心にもいろんなタイプがあるようだ。私の愛国心は、左、右、リベラルを超えたところにある。愛国というより愛民だ。順番は愛民愛国だ。国家は人間あっての国家だ。国家あっての人間ではない。国民を不幸にする愛国心は、愛国心と呼べない。過去に愛国心の美名にどれだけの人間が死んでいったのか。日本の戦前の軍国主義を見ればわかるだろう。愛国心を利用して多くの国民を死に追いやる政治を許してはいけない。自転車に日の丸を掲げて走るおじさんを見つけたら、あいつは右翼だ、だから石を投げつけてやれ、やめてください。日の丸イコール右翼ではない。難しい話で混乱したかもしれません。