狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

自由よ! 汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか!

2019年10月09日 18時30分18秒 | その他の日記

とりわけ鼻もちならんのは、本来ならば最も自由な道を進まなければならないはずの芸術家たちの群。これは何なんだ。
芸術家の自由な生き方とは、要するに独りでどこまでツッパレルかを実践することではないのか。
そうした姿勢から強烈な個性が生まれ、個性的な芸術作品が生まれ、芸術の幅がぐっと広がるのではないのか。





 国から或いは市からお金を貰わなければ活動不能ににある芸術ってあり得ますかね? 
 国から或いは市からお金をせびらなければ活動ができない芸術ってあり得ますかね? 
 勿論、大規模な芸術祭となるとお金が必要になるというのは分かるのですが、公のお金を貰えなければ活動できないということ自体が、芸術として弱いということになりませんかね? 
 自分達だけで人を呼び込みお金を集めることができる。そのくらい強力な発信力を持つ芸術祭である。と堂々と言えるくらいの芸術祭を運営する能力が無いということになりませんかね? 
 国のお金も市のお金も必要なく自分達の力で芸術祭を成功させることができる。と言えるくらいの自負はない、ということになりませんかね? 
 芸術祭を成功させて尚且つ芸術祭を行っている自治体に多くのお金も落として芸術祭を行っている自治体に貢献してみせる。という自信がまるでない、ということになりませんかね? 
 発表する自由はあるではないですか。
 発表する自由だけでなくお国からお金を貰えないと満足できないのですか? 
 自立することができない芸術活動のままでよいと思っているのですか?
 そうであるのならば何故に運営体制や警備体制が不備のままで芸術祭を開催したのですか? 

 運営の在り方が滅茶苦茶でしかも申請していたことと行ったことがまで違うのならば、公はお金を出すことは出来ませんよ。
 展示物の内容よりも、開幕して3日で一部の展示会が中止になったことが問題なのです。
 一部の展示会が中止になった理由がはっきりとせず、運営体制も警備体制も不備だらけであったことが問題なのです。
 運営体制も警備体制も不備のまま展示会を開いたことが問題なのです。
 そしてそのことを申告していないことが問題なのです。

 展示会の内容については観た人が判断すればよいのですよ。
 公に公開された作品なのだから、観た人はどのように評価しようと自由です。
 下種な作品ならば下種な作品であると評価されても仕方のないことなのですよ。
 公に公開された作品なのだから、批判されることがあるのは当然なのです。
 そして批判することを批判することも自由です。
 そこで論争が生まれる。これこそが自由でしょ。
 論争が生まれることを阻害しようとする者こそ自由の敵です。
 それ故に展示会を中止にしてはいけなかったのですよ。
 作品を観る人に自由に作品を評価してもらわなければならなかったのですよ。
 運営体制や警備体制を事前に万全の状態にして展示会を開くべきだったのですよ。
 ど素人を芸術監督にして無用な混乱を招き、運営体制や警備体制が不備なまま展示会を開いた運営側はその責任を取るべきです。



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