狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

合うは離れの始めにして、楽しみは憂いの伏する所なり。

2020年07月15日 14時51分10秒 | VSの日記
 「私達の稼業は人が豊かでないと成立しません」と、ある知人は微笑んだ。「私達の仕事は人の生存という意味では人に必要なものではありません。豊かな生活を彩る為に存在します。なので私達の稼業は緊急事態になれば経済が止まった状態になれば真っ先に切り捨てられます。人の心がさもしくなると私達の仕事は必要とされなくなります。この稼業をしている者は、そのことを常に理解して覚悟しています。私達は伊達や酔狂でこの職業を選んだのですから。安定を求めるならば別の職に就けばよいのです。命令されて無理矢理この職に就いたわけではない。そして辞めることも自由なのです。辞めればそれまでの蓄積は無に帰ります。復活することはありません」
 ……。残念です。まだやれるはずです。と私・狐は云った。
 「お金の問題ならば耐えることが出来ます。根無し草なのでそれなりの備えはしています。独り者なので守る者もありません。捨て身であり続けるのならばまだやれます。辞める理由はお金の問題ではないのです。理由は述べません」
 左様でございますか……。
 「もはやここまで。君には随分とお世話になりました。もうお会いすることもないでしょう。今生の別れです」
 左様ならば、私は貴方の新たな門出を祝いこれからの人生に幸があるよう祈ることにいたします。
 「ありがとう。私も君の人生に幸がたくさんあるように祈ることにするよ。それと、よい人を見付けたまえ」
 ……。






 その知人は笑顔で手を振って去って行った。
 ……。
 無念である。


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人間に生まれ この煩悩に曇る目で無限を覗く楽しみを教えられ

2020年07月14日 23時51分10秒 | VSの日記
 本日7月14日は、安禄山らの蜂起で唐の皇帝・玄宗が楊貴妃を伴って都落ちした日で、桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂が蝦夷征討に出発した日で、パリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃・占領して政治犯を解放した日で、ルイ16世が憲法への忠誠を誓った日で、「ラ・マルセイエーズ」がフランスの国歌となった日で、米国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが久里浜に上陸した日で、アルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発表した日で、長崎奉行がキリシタン68人を捕えた日で、ビリー・ザ・キッドが保安官パット・ギャレットにより射殺された日で、中華民国で北洋軍閥同士の戦争が起こった日で、ドイツで国家社会主義ドイツ労働者党・ナチスを除く全政治政党が禁止された日で、イタリア共産党書記長パルミーロ・トリアッティが狙撃された日で、イラクでアラブ民族主義者らによるクーデターが起きて王政が打倒されて共和国が樹立された日で、内閣総理大臣の岸信介が池田勇人の自民党総裁就任祝賀会からの帰路に暴漢の襲撃を受けて重傷を負った日で、「世界知的所有権機関を設立する条約」がストックホルムで調印された日で、レフチェンコKGB少佐が米下院の秘密聴聞会で工作活動を暴露した日です。

 本日の倉敷は雨のち曇りでありましたよ。
 最高気温は二十七度。最低気温は二十二度でありました。
 明日も予報では倉敷は曇り時々雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。





 昔、天竺に閼迦衛奴国といふ国があつて、其処の王を和奴々々王といふた。
 此王も此国の民も非常に書を愛する風があつたが、其国に一人の者があつて王の愛蔵書を誤つて燃やすといふ騒ぎが起つた。
 其罪でもつて此者は死刑に処せられたばかりで無く、次の世には粟散辺土の日本といふ嶋の吉備王国の山の奥深くで狐と生れ変つた。

 此の狐はぐうたらと怠け者でぼんやりと日々を過ごす浅ましい境涯であつた。
 然るに長い時をぐうたらと過ごしてうとうとと居眠りをしていた時、ふと夕方の一番星の光を見て悟る所があつて、狐の分際でぐうたらと過ごすといふのは罪の深い事だと気が付いた。

 其処で直様御寺へ駈けつけて、段段今迄の罪を懺悔した上で、どうか人間に生れたいと願ふた。
 七日七夜、縁の下でお通夜して今日満願といふ其夜に、小い阿弥陀様が狐の枕上に立たれて、一念発起の功徳に汝が願ひ叶へ得さすべし、信心怠りなく勤めよ、如是畜生発菩提心、善哉善哉と仰せられると見て夢は醒めた。

 狐は此お告に力を得て、さらば諸国の霊場を巡礼して、人間に生れたいといふ未来の大願を成就したい、と思ふて、処々経巡りながら終に四国へ渡つた。
 こゝには八十八箇所の霊場のある処で、一箇所参れば一年ぐうたらした罪が亡びる二箇所参れば二年ぐうたらした罪が亡びるやうにと、南無大師遍照金剛と吠えながら駈け廻つた。
 八十七箇所は落ち無く巡つて今一箇所といふ真際になつて気の緩んだものか、其御寺の門前ではたと倒れた。
 其れを如何にも残念と思ふた様子で喘ぎ/\頭を挙げて見ると、目の前に鼻の欠けた地蔵様が立つてござるので、其地蔵様に向いて、未来は必ず人間界に行かれるやう六道の辻へ目印の札を立てゝ下さいませ、此願ひが叶ひましたら、人間になつて後、屹度赤い唐縮緬の涎掛を上げます、といふお願をかけた。
 すると地蔵様が、汝の願ひ聞き届ける、大願成就、とおつしやつた。
 大願成就、と聞いて、狐は嬉しくてたまらないので、三度唸つてくる/\とまはつて死んでしまふた。

 やがて何処よりともなく八十八羽の鴉が集まつて来て狐の腹ともいはず顔ともいはず喰ひに喰ふ事は実に凄まじい有様であつたので、通りかゝりの旅僧が其れを気の毒に思ふて狐の屍を埋めてやつた。
 それを見て地蔵様が云はれるには、八十八羽の鴉は八十八年のぐうたらした罪の化身である、其れが狐の身を喰いに来たのであるから勝手に喰はせて置けば過去の罪は満足して消えて未来の障りが無くなるのであつた、それを埋めてやつたのは慈悲なやうであつて却て慈悲で無いのであるけれども、これも定業の尽きぬ故なら仕方が無い、これぢや次の世に人間に生れても煩悩と迷いとで一生困められるばかりで到底ろくたまな人間になる事は出来まい、とおつしやつた……。

 といふやうな、このやうな狐があつて、其れが生れ変つて私になつたのではあるまいか?
 其証拠には、私は煩悩と迷いに塗れてほとほと困つているのであります。



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言葉は翼を持つが、思うところに飛ばない。

2020年07月10日 23時45分57秒 | VSの日記
 本日7月10日は、デュッラキウムの戦いがあった日で、乙巳の変で蘇我入鹿が暗殺されたとされる日で、奥州の藤原秀衡が鎮守府将軍に任命された日で、北条時政が武蔵・二俣川で畠山重忠一族を滅ぼした日で、ポーランド・イェドヴァブネで非ユダヤ系住人がユダヤ人を虐殺した日です。

 本日の倉敷は雨でありましたよ。
 最高気温は二十五度。最低気温は二十三度でありました。
 明日も予報では倉敷は雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。




  『鉄仮面の異名を持つ無表情で子供の頃から損ばかりしています。
   小学生にいる時分、のべつまくなしに駄洒落を連発したことがあります。
   何故そんな無闇をしたと聞く人があるかもしれません。
   別段深い理由でもないです。
   教室の中で無表情でいたら同級生達に気味悪がられて悲しくなってみんなを楽しませようそうしようとTPOをわきまえず駄洒落を連発してみたのです。
   無表情のまま駄洒落を連発する姿は、同級生達の内で血中莫迦濃度の高い連中には大いに喜ばれました。
   しかし真面目なお方や大人達にはより一層気味悪がられ怖がられてしまいました。
   パパならぬものですもとい儘ならぬものです。
   親族には「人を怖がらせててしまうやつがあるか」と言われたので、「より一層、駄洒落に磨きをかけて笑いを取ってみせます!」と答えました。

   時と場所と場合をわきまえることは大事な事であります。
   TPOをわきまえず無表情で駄洒落を連発すれば人に不快な思いをさせることがあります。
   そんな時は様々なお方によく叱られたものでありました。
 
   そんなお方のお叱りの甲斐あって私・狐は駄洒落を一切言わない真人間に更生しました。
   しかし、そうなると今度は「君は固いね。かっちかちに頭が固いね」等と言われてしまうのです。
   「もっと柔らか頭にしなくてはいかんよ。君」などと言われたりしました……。

   そして無表情のまま駄洒落を連発していた者が突如として駄洒落を云わなくなったら周囲の人はどの様な反応をするでしょうか?
   ほとんどのお方がまず不審に思いそして勝手に私の心情を想像しそして怖がるのです。
   奴に何があった? と怯えるのです。

   何もありはしないのですけれどもね。
   ただ単に駄洒落を云うのを止めただけなのですけれどもね。

   周囲の人を怯えさせるのはよくないことです。
   子供の頃から鉄仮面の異名を持つ無表情で駄洒落を連発してきた私は、もはや駄洒落を云うことを止めることが出来ない宿命にあるのです。
   定めとあれば是非も無し。
   私はこれからも駄洒落を述べ続けなければならないのです』



 下らない駄洒落を私が連発するという件に関して、上記の言い訳を思いついたので友人に述べてみました。
 友人には、「え~と??? それはボケているのかな? よく分からないのだけれどもボケているのかな?」と言われました。


 自分の考えていることを人に伝えることは難しいことでありますね。
 今は無念な気持ちでいっぱいなのでございます。



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肺は綺麗か? 息を切らしてないか? 頭はどうだ? 空の下に屋根、屋根の下に机、手を働かせているか? 心が渇いてないか? 近くに林はあるか? 夜、星を見ているか?

2020年07月09日 23時43分16秒 | VSの日記
 本日7月9日は、1623年以来途絶していた日英間の通商再開を求めてイングランド船・リターン号が長崎に来航した日で、エカチェリーナ2世がロシア皇帝に即位した日で、在リトアニア日本領事代理・杉原千畝がユダヤ系難民に日本通過ビザの発行を始めた日で、サイパンの戦いが終結した日で、アラスカ州のリツヤ湾で高さ500メートルの観測史上最大の津波を観測した日です。

 本日の倉敷は雨が降ったり止んだりしていましたよ。
 最高気温は二十八度。最低気温は二十三度でありました。
 明日は予報では倉敷は雨となっております。お出かけの際はお気をつけくださいませ。




 当ブログの一昨年の7月9日の最終の記事を読み返して、意味が分からず少し混乱したのだけれども、すぐに思い出しました。
 一昨年の今の時期は、周囲は大変なことが起きていて、でも私の周囲は何も変化が無い。このことに酷く動揺して戸惑っていました。
 重大な事態に対して私は空虚な言葉しか持っていない。そのことを改めて知ることとなり落ち込んでいました。それは今も変わりません。がっくし。
 そして、その後に起こることを全く予測していませんでした。少し考えれば分かることなのに。orz。
 ま、嘆いても落ち込んでも何も始まらない。
 天岩戸が開いたのは、空元気であっても元気を示したからであって嘆いても泣いても天岩戸は開かないのであります。
 頑張ってお仕事をしよう。と思っているところなのでございます。



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闇よりもなお昏きもの 夜よりもなお深きもの

2020年07月08日 23時26分47秒 | VSの日記
 本日7月8日は、北条時頼が鎌倉幕府評定衆・三浦泰村を討って三浦氏が滅亡した日で、ヴァスコ・ダ・ガマ率いる船団がインド航路開拓のためリスボンを出港した日で、大北方戦争のポルタヴァの戦いが行われた日で、ルイ18世がパリに帰還して国王に復位した日で、マシュー・ペリー率いるアメリカ海軍所属の東インド艦隊艦船4隻が江戸湾浦賀湾に来航した日で、池田屋事件がおこった日で、北越戦争で長岡城が陥落した日で、第三次日露協約が調印されて内蒙古の権益地域をロシアと日本で分割することが協約された日で、孫文らが東京で中華革命党を結成した日で、アメリカ合衆国空軍が初めて女性兵士を採用した日で、GHQが警察予備隊の創設と海上保安庁の増員を日本政府に指示した日で、警視庁がD・H・ローレンス作で伊藤整訳の『チャタレイ夫人の恋人』を猥褻文書として摘発した日で、砂川事件がおこった日です。

 本日の倉敷は晴れたり曇ったりしていましたよ。
 最高気温は二十八度で最低気温は二十四度でありました。
 明日は予報では倉敷は雨となっております。お出かけの際はお気をつけくださいませ。






 枕に就いたのは黄昏の頃。
 之を逢魔時、雀色時などといふ一日の内で人間の影法師が一番ぼんやりとする時に起つた事。
 狐が十の夏の初め。

 部屋は四疊敷けた。
 薄暗い縱に長い一室。兩方が襖で他の座敷へ出入が出來る。
 詰り奧の方から一方の襖を開けて、一方の襖から玄關へ通拔けられるのであつた。
 一方は明窓の障子がはまつて、其外は疊二疊ばかりの漆喰叩きの池で金魚が居る。

 其日から數へて丁度一週間前の夜。
 夕飯が濟んで私の部屋の卓子の上で燈下に美少年録を讀んで居た。
 前後も辨へず讀んで居ると、私の卓子を横に附着けてある件の明取りの障子へ、ぱら/\と音がした。
 忍んで小説を讀む内は木にも萱にも心を置いたので、吃驚して振返へると又ぱら/\ぱら/\といつた。

 雨かしら?
 時しも夏の初め。
 洋燈に油を注す折りに覗いた夕暮れの空の模樣では、今夜は眞晝の樣な月夜でなければならないがと思ふ内も猶其音は絶えず聞こえる。
 おや/\裏庭の榎の大木の彼の葉が散込こむにしては風もないがと、然う思ふと、はじめは臆病で障子を開けなかつたのが、今は薄氣味惡くなつて手を拱ぬいて思はず暗い天井を仰いで耳を澄ました。
 一分、二分、間を措いては聞こえる霰のやうな音は次第に烈しくなつて一時は呼吸もつかれずものも言はれなかつた。
 しばらくして少し靜まると、再びなまけた連續した調子でぱら/\。

 思ひ切つて障子を開けた。
 池はひつくりかへつても居らず、羽目板も落ちず、月は形は見えないが光は眞白にさして居る。
 とばかりで、何事も無く手早く又障子を閉めた。
 音はかはらず聞こえて留まぬ。
 何だか屋根のあたりで頻りに礫を打つやうな音がした。ぐる/\渦を卷いちやあ屋根の上を何十ともない礫がひよい/\駈けて歩行く樣だつた。

 一週間經つた。
 黄昏は少し風の心持ち、私は熱が出て惡寒けがしたから掻卷にくるまつて寢てゐた。
 眠くはないのでぱちくり/\目を明いてゐても物は幻に見える樣になつて天井も壁も卓子の脚も段々消えて行く心細さ。

 枕頭へ……ばたばたといふ跫音。
 ものの近寄る氣勢ひがする。
 枕をかへして頭を上げた。
 が、誰れも來たのではなかつた。
 ちうちう鳴く奴等かしらん?
 怖ひ。

 しばらくすると再び、しと/\しと/\と摺足の輕い譬えば身體の無いものが踵ばかり疊を踏んで來るかと思ひ取られた。
 また顏を上げると何にも居らない。
 其時は前より天窓からの景色が重く見えた。
 顏を上げるが物憂かつた。

 繰返へして三度、また跫音がしたが其時は枕が上がらなかつた。
 室内の空氣は唯彌が上に蔽重つて、おのづと重量が出來きて壓へつけるやうな重さ。
 鼻も口も切なさに堪へられず、手をもがいて空を拂ひながら呼吸も絶え/″\に身を起こした。
 足が立つと思はずよろめいて向うの襖へぶつかつたのである。
 其のまゝ押開けると、襖は開いたが何となくたてつけに粘氣りけがあるやうに思つた。
 此處では風が涼しからうと、其れを頼みに恁うして次の室へ出たのだが矢張り蒸暑い。
 押覆つたやうで呼吸苦い。
 最う一つ向うの廣室へ行かうと、あへぎ/\六疊敷を縱に切つて行くのだが瞬く内に凡そ五百里も歩行いたやうに感じて、疲勞して堪へられぬ。
 取縋るものはないのだから、部屋の中央に胸を抱いて、立ちながら吻と呼吸をついた。

 かの恐しい所から何の位ゐ離れたらうと思つて怖々と振返へると、ものの五尺とは隔たらぬ私の居室から不気味な気配がする。
 ちうちう鳴く奴等ぢゃない!
 大きな蒼白い不気味な何か!
 薄ぼんやりと揺ら揺らふらふらとゆつくり近づいてくる!

 思はず駈け出した私の身體は疊の上をぐる/\まはつたと思つた。
 其のも一つの廣室を夢中で突切つたが、暗がりで三尺の壁の處へ突當つて行處はない。
 此處で恐しいものに出遭うのかと思つて、あはれ神にも佛にも聞こえよと泣き叫んだ。
 恐しいものに出遭つた時に唱えるやうに教えられていた呪文を叫んだ。
 そして熱に魘されながら叫んでいた私は其の儘気絶した。

 其の時、何が現れたのか知らない。
 熱に魘されていたので幻を見たのかもしれない。
 禍々しき昏いぼんやりとした蒼白い何か。



 気絶していた狐は家の者に起こされた。
 其処にはもう禍々しき昏い蒼白い何かはいなかつた。
 其の時以来、禍々しき昏い蒼白いものを見ていない。
 呪文が効いたのかしらん?

 でも時々、暗闇の中に奇妙な気配を感じる時がある。
 闇の中で息を殺し此方をぢつと見る不気味な気配。
 そんな時は其処から直ぐに離れるやうにしている。




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黄昏よりも暗き存在、血の流れよりも赤き存在。

2020年07月03日 12時09分05秒 | VSの日記
 今は昔。狐がまだ幼かった頃のこと。
 枕に就いたのは黄昏の頃。
 之を逢魔時、雀色時などといふ一日の内で人間の影法師が一番ぼんやりとする時に起つた事。
 狐が十の夏のはじめ。

 部屋は四疊敷けた。
 薄暗い縱に長い一室、兩方が襖で他の座敷へ出入が出來る。
 詰り奧の方から一方の襖を開けて、一方の襖から玄關へ通拔けられるのであつた。
 一方は明窓の障子がはまつて、其外は疊二疊ばかりの漆喰叩きの池で金魚が居る。

 其日から數へて丁度一週間前の夜。
 夕飯が濟んで部屋の卓子の上で燈下に本を讀んで居た。
 前後も辨へず讀んで居ると、狐の卓子を横に附着けてある件の明取りの障子へ、ぱら/\と音がした。
 忍んで小説を讀む内は木にも萱にも心を置いたので、吃驚して振返へると又ぱら/\ぱら/\といつた。

 雨かしら?
 時しも夏の初め也。
 洋燈に油を注す折りに覗いた夕暮れの空の模樣では、今夜は眞晝の樣な月夜でなければならないがと思ふ内も猶其音は絶えず聞こえる。
 おや/\裏庭の榎の大木の彼の葉が散込こむにしては風もないがと、然う思ふと、はじめは臆病で障子を開けなかつたのが、今は薄氣味惡くなつて手を拱ぬいて思はず暗い天井を仰いで耳を澄ました。
 一分、二分、間を措いては聞こえる霰のやうな音は次第に烈しくなつて一時は呼吸もつかれずものも言はれなかつた。
 暫くして少し靜まると、再び怠けた連續した調子でぱら/\。

 思ひ切つて障子を開けた。
 池はひつくりかへつても居らず、羽目板も落ちず、月は形は見えないが光は眞白にさして居る。
 とばかりで、何事も無く手早く又障子を閉めた。
 音はかはらず聞こえて留まぬ。
 何だか屋根のあたりで頻りに礫を打つやうな音がした。
 ぐる/\渦を卷いちやあ屋根の上を何十ともない礫がひよい/\駈けて歩行く樣だつた。


 一週間が經つた。
 黄昏は少し風の心持ち。狐は熱が出て惡寒けがしたから掻卷にくるまつて寢た。
 眠くはないので、ぱちくり/\目を明いて居ても、物は幻に見える樣になつて、天井も壁も卓子の脚も段々消えて行く心細さ。

 枕頭へ……ばたばたといふ跫音。
 ものの近寄る氣勢ひがする。
 枕をかへして頭を上げた。
 が、誰れも來たのではなかつた。

 しばらくすると再び、しと/\しと/\と摺足の輕い譬えば身體の無いものが踵ばかり疊を踏んで來るかと思ひ取られた。
 また顏を上げると何にも居らない。
 其時は前より天窓が重かつた。
 顏を上げるが物憂かつた。

 繰返へして三度、また跫音がしたが、其時は枕が上がらなかつた。
 室内の空氣は唯彌が上に蔽重つて、おのづと重量が出來きて壓へつけるやうな!
 鼻も口も切なさに堪へられず、手をもがいて空を拂ひながら呼吸も絶え/″\に身を起こした。
 足が立つと思はずよろめいて向うの襖へぶつかつたのである。
 其のまゝ押開けると、襖は開いたが何となくたてつけに粘氣りけがあるやうに思つた。
 此處では風が涼しからうと、其れを頼みに恁うして次の室へ出たのだが矢張り蒸暑い。
 押覆つたやうで呼吸苦い。
 最う一つ向うの廣室へ行かうと、あへぎ/\六疊敷を縱に切つて行くのだが瞬く内に凡そ五百里も歩行いたやうに感じて、疲勞して堪へられぬ。
 取縋るものはないのだから、部屋の中央に胸を抱いて、立ちながら吻と呼吸をついた。

 かの恐しい所から何の位ゐ離れたらうと思つて怖々と振返へると、ものの五尺とは隔たらぬ狐の居室からちうと鳴き声がする。
 ちう?
 思はず駈け出した狐の身體は疊の上をぐる/\まはつたと思つた。
 其のも一つの廣室を夢中で突切つたが、暗がりで三尺の壁の處へ突當つて行處はない。
 此處で恐しいものに出遭うのかと思つて、あはれ神にも佛にも聞こえよと叫んだ。
 小さな獣め。ちうちう鳴くあ奴等。天井裏で跋扈するだけでなく室内にまで版図を広げたか。
 怖いよぉ。


 熱に魘されながら叫んでいた狐は其の儘気絶した。
 ちうちう鳴くあ奴等がどうなったのかは知らない。
 其の日からあ奴等の足音は聞こえなくなつた。
 何処かにお引越しをしたのだろうと思ふ。


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「漫画とかゲームって暇潰しのものでは?」 「お前は食事や呼吸を『暇潰し』と呼ぶのか?」

2020年06月27日 22時54分31秒 | VSの日記
 本日6月27日は、来目皇子の病により新羅征討が中止となったとされる日で、鹿ケ谷の陰謀で藤原成親・俊寛らが流罪になった日で、伊藤博文・井上馨ら長州藩士5人が英国留学のため密出国した日で、箱館戦争終結して新政府軍と旧幕府軍との戦いが終わった日で、ジョシュア・スローカムが史上初の単独世界一周を達成した日で、ロシアで戦艦ポチョムキンの水兵が蜂起した日で、中村大尉事件が起こった日で、韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織・国民保導連盟の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを少なくとも20万人あまりを大量虐殺した保導連盟事件を起こした日で、ハリー・S・トルーマン米大統領が北朝鮮に宣戦布告して陸海軍に出動を命令した日で、北ベトナムからの第4次集団引揚げ船上海丸が元軍人5名を乗せてハイフォンより門司港へ入港して最後の集団引揚げが終焉した日で、長野県松本市でオウム真理教がサリンガスを散布して死者7人・重軽症者144人のテロ事件を起こした日です。

 本日の倉敷は曇りのち晴れでありましたよ。
 最高気温は二十九度。最低気温は二十二度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。






 昭和か、平成か、兎に角遠い昔の事である。
 ヲタクの御教を奉ずるものは、その頃でももう見つかり次第火炙りや磔に遇わされていた。
 しかし迫害が烈しいだけに、ヲタクを統べる御主も、その頃は一層この国の宗徒にあらたかな御加護を加えられたらしい。
 秋葉原あたりの街々には時々日の暮の光と一緒に天使や聖徒の見舞う事があった。
 現にあの聖・手塚治虫でさえ一度などはヲタク達の聖堂に姿を現したと伝えられている。
 と同時に悪魔もまた宗徒の精進を妨げる為、或いは厳格な教師の姿となり、或いは舶来の草花となり、或いは網代の乗物となり、しばしば同じ聖堂に出没した。
 夜昼さえ分たぬ土の牢に、或るヲタクを苦しめた鼠も実は悪魔の変化だったそうである。
 そのヲタクは平成八年の秋、十一人の宗徒と火炙りになった。
 ――その昭和か、平成か、とにかく遠い昔である。

 或る田舎町に、おぎんと云う童子が住んでいた。
 おぎんの父母は京の都から、はるばるその田舎町へ流浪して来た。
 しかし、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。
 勿論、彼等は、ヲタクの御教を知るはずはない。
 彼等の信じたのは基督教である。
 旧教か、新教か、希臘正教か、何にもせよ基督の教である。
 独逸のマンフレート・クレメントは、天性奸智に富んだ基督は以色列の各地を遊歴しながらヤハウェと称する神の道を説いた、と述べた。
 その後また日本の国へも、やはり同じ道を教えに来た。
 基督の説いた教によれば、我々人間の霊魂=アニマはヤハウェと称する神の判断次第で天界に行くか地の底に堕とされるかが決まるそうである。
 のみならず基督は羅馬に対する反逆を扇動したと云う。
 基督の教の荒誕なのは勿論、基督の大悪もまた明白である。と。

 しかしおぎんの母親は、前にもちょいと書いた通り、そのような話を知るはずはない。
 彼等は息を引きとった後も、基督の教を信じている。
 寂しい墓原の松の影に、末は「真のいんへるの」に堕ちるのも知らず、儚い天国を夢見ている。

 しかしおぎんは幸いにも、両親の無知に染まっていない。
 これはその田舎町居つきの農夫、憐れみの深いじょあん孫七は、とうにこの童子の額へ、ばぷちずもの御水を注いだ上、聖なるヲタクの二つ名を与えていた。
 おぎんは、「深く御柔軟、深く御哀憐、勝れて甘しくまします童女さんた・まりあ様」が、自然と身籠った事を信じていない。
 十字架に懸かり死し給い、石の御棺に納められ給い、大地の底に埋められた基督が、三日の後甦った事を信じていない。
 ただただヲタクの神を奉じている。
 御糺明の喇叭さえ響き渡れば、「ヲタクの御主、大いなる御威光、大いなる御威勢を以て天下り給い、土埃になりたる人々の色身を元の霊魂=アニマに併て甦し給い、善人も悪人も他者の趣味を蔑ろにしない限りは快楽の世界に連れ行く」事を知っている。
 殊に「御言葉の御聖徳により、麺麭と酒の色形は変らずと雖もその正体は御主の御血肉となり変る」尊いさがらめんとを信じている。
 おぎんの心は両親のやうに、熱風に吹かれた沙漠ではない。
 素朴な野薔薇の花を交えた、実りの豊かな麦畠である。
 おぎんは両親を失った後、ヲタクであるじょあん孫七の養子になった。
 孫七の妻、じょあんなおすみも、やはり心の優しい人である。
 おぎんはこの夫婦と一緒に、牛を追ったり麦を刈ったり、幸福にその日を送っていた。
 勿論そう云う暮しの中にも、町の人の目に立たない限りは本を読んだり漫画を読んだりゲームをしたりしてヲタクの活動を怠ったことはない。
 おぎんは井戸端の無花果の陰に、大きい三日月を仰ぎながら、しばしば熱心にゲームで遊びそして祷った。
 この童子の祷りは、こう云う簡単なものなのである。
 「憐みの御主。御身に御礼をなし奉る。流人となれる冤罪の子供。御身に叫びをなし奉る。哀れこの涙の谷に柔軟の御眼を巡らさせ給え。あんめい。」

 すると或る年のヲタクの聖なる夜。悪魔は何人かの役人と一緒に、突然孫七の家へ入って来た。
 孫七の家には沢山の本の山が積み重なっている。
 漫画本や映画やアニメのDVDが並んでいる。
 役人達は互に頷き合いながら、孫七夫婦に縄をかけた。
 おぎんも同時に括り上げられた。
 しかし彼等は三人とも、全然悪びれる気色はなかった。
 ヲタクの楽しみの為ならば、霊魂=アニマの助かりの為ならば、如何なる責苦も覚悟である。
 ヲタクの御主は必ず我等の為に、御加護を賜わるのに違いない。
 彼等は皆云い合せたように、こう確信していたのである。

 役人は彼等を縛いましめた後のち、代官の屋敷へ引き立てて行った。
 しかし、彼等はその途中も暗夜の風に吹かれながら各々好きな物語の話をはじめた。
 悪魔は彼等の捕われたのを見ると、手を拍って喜び笑った。
 しかし彼等の健気な様には、少からず腹を立てたらしい。
 悪魔は一人になった後、忌々しそうに唾をするが早いか、たちまち大きい石臼になった。
 そうしてごろごろ転がりながら闇の中に消え失せてしまった。
 じょあん孫七、じょあんなおすみ、おぎんの三人は、土の牢に投げこまれた上、ヲタクの御教を捨てるように、いろいろの責苦に遇わされた。
 しかし水責めや火責めに遇っても、彼等の決心は動かなかった。
 たとい皮肉は爛れるにしても、ヲタクの楽しみを捨て去ることはできない。
 趣味を他者によって批判されて無理矢理辞めさせられることなど許しはしない。

 のみならず尊いヲタクの天使や聖徒は、夢とも現ともつかない中に、しばしば彼等を慰めに来た。
 殊にそういう幸福は、一番おぎんに恵まれたらしい。
 おぎんは聖・手塚治虫が大きい両手の平に、蝗を沢山掬い上げながら、食えと云う所を見た事がある。
 また聖・水木しげるが美しい金色の杯に、水をくれる所を見た事もある。
 代官は、オタクの御教は勿論、釈迦の教も基督の教えも知らなかったから、なぜ彼等が剛情を張るのかさっぱり理解が出来なかった。
 時には三人が三人とも、気違いではないかと思う事もあった。
 しかし気違いでもない事が分かると、今度は大蛇か一角獣とか、とにかく人倫には縁のない動物のような気がし出した。
 そう云う動物を生かして置いては、今日の法律に違うばかりか、一国の安危にも関わる訣である。
 そこで代官は一月ばかり、土の牢に彼等を入れて置いた後、とうとう三人とも焼き殺す事にした。

 じょあん孫七を始め三人のオタク宗徒は、町はずれの刑場へ引かれる途中も、恐れる気色は見えなかった。
 刑場はちょうど墓原に隣った石ころの多い空き地である。
 彼等はそこへ到着すると、一々オタクである罪状を読み聞かされた後、太い角柱に括りつけられた。
 それから右にじょあんなおすみ、中央にじょあん孫七、左におぎんと云う順に、刑場のまん中へ押し立てられた。

 おすみは連日の責苦の為、急に年をとったように見える。
 孫七も髭の伸びた頬には、ほとんど血の気が通っていない。
 おぎんも――おぎんは二人に比くらべると、まだしも普段と変らなかった。
 が、彼等は三人とも、堆い薪を踏まえたまま、同じように静かな顔をしている。

 刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が取り巻いている。
 そのまた見物の向うの空には、墓原の松が五六本、天蓋のように枝を張っている。

 一切の準備の終った時、役人の一人は物々しげに、三人の前へ進みよると、オタクの御教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もし御教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやると云った。
 しかし彼等は答えない。
 皆遠い空を見守ったまま、口元には微笑さえ湛えている。

 役人は勿論見物すら、この数分の間くらいひっそりとなったためしはない。
 無数の眼はじっと瞬きもせず、三人の顔に注がれている。
 が、これは傷しさの余り、誰も息を呑んだのではない。
 見物はたいてい火のかかるのを、今か今かと待っていたのである。
 役人はまた処刑の手間どるのに、すっかり退屈し切っていたから、話をする勇気も出なかったのである。

 すると突然一同の耳は、はっきりと意外な言葉を捉えた。
 「私は御教を捨てる事に致しました」
 声の主はおぎんである。
 見物は一度に騒ぎ立った。
 が、一度どよめいた後、たちまちまた静かになってしまった。
 それは孫七が悲しそうに、おぎんの方を振り向きながら、力のない声を出したからである。
 「おぎん! お前は悪魔に誑かされたのか? ただただ楽しんでいることを否定されただけで楽しむことを諦めたのか?」
 その言葉が終らない内に、おすみも遥かにおぎんの方へ一生懸命な声をかけた。
 「おぎん! おぎん! お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ。祈っておくれ」
 しかしおぎんは返事をしない。
 ただ眼は大勢の見物の向うの天蓋のように枝を張った墓原の松を眺めている。
 その内にもう役人の一人は、おぎんの縄目を赦すように命じた。
 じょあん孫七はそれを見るなり、諦めたように眼を瞑った。
 「万事に適い給う御主。御計らいに任せ奉る」

 やっと縄を離れたおぎんは、茫然と暫く佇んでいた。
 しかし、孫七やおすみを見ると急にその前へ跪きながら、何も云わずに涙を流した。
 孫七はやはり眼を閉じている。
 おすみも顔を背けたまま、おぎんの方は見ようともしない。

 「御父様、御母様、如何か勘忍して下さいまし」
 おぎんはやっと口を開いた。
 「わたしは御教を捨てました。その訣はふと向うに見える天蓋のような松の梢に気のついた所為でございます。あの墓原の松の陰に眠っていらっしゃる御両親はオタクの御教も御存知なし。きっと今頃は真のいんへるのにお堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今私一人、快楽に耽る世界に入っては、どうしても申し訣がありません。私はやはり地獄の底へ御両親の跡を追って参りましょう。どうか御父様や御母様はオタクの神様の御側へお出なすって下さいまし。その代り御教を捨てた上は、私も生きては居られません。………」

 おぎんは切れ切れにそう云ってから、後は啜り泣きに沈んでしまった。
 すると今度はじょあんなおすみも、足に踏んだ薪の上へほろほろ涙を落し出した。
 これからオタクの天界へ入ろうとするのに、用もない歎きに耽っているのは勿論宗徒のすべき事ではない。
 じょあん孫七は、苦々しそうに隣の妻を振り返りながら、癇高い声に叱りつけた。
 「お前も悪魔に見入られたのか? オタクの御教を捨てたければ、勝手にお前だけ捨てるが好い。俺は一人でも焼け死んで見せるぞ」
 「いえ。私も御供を致します。けれどもそれは――それは」
 おすみは涙を呑みこんでから、半ば叫ぶように言葉を投げた。
 「けれどもそれはオタクの天界に参りたいからではございません。ただ貴方の、――貴方の御供を致すのでございます。」

 孫七は長い間、黙っていた。
 しかしその顔は蒼醒めたり、また血の色を漲らせたりした。
 と同時に汗の玉も、つぶつぶ顔に溜まり出した。
 孫七は今、心の眼に彼の霊魂=アニマを見ているのである。
 彼の霊魂=アニマを奪い合う天使と悪魔とを見ているのである。

 もしその時足元のおぎんが泣き伏した顔を挙げずにいたら、――いや、もうおぎんは顔を挙げた。
 しかも涙に溢れた眼には不思議な光を宿しながらぢっと彼を見守っている。
 この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。
 あらゆる人間の心である。
 「御父様! 真のいんへるのへ参りましょう。御母様も渡しも、あちらの御父様や御母様も、――みんな悪魔に攫われましょう」
 孫七はとうとう堕落した。


 この話は我国に多かったオタク達の受難の中でも、最も恥べき躓きとして後代に伝えられた物語である。

 何でも彼等が三人ながら御教を捨てるとなった時には、オタクの何たるかを弁えない見物の老若男女さえも尽く彼等を憎んだと云う。
 これは折角の火炙りも何も見損なった遺恨だったかも知れない。
 さらにまた伝うる所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜中、刑場に飛んでいたと云う。
 これもそう無性に喜ぶほど悪魔の成功だったかどうか、狐は甚だ懐疑的である。



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眠りよ。御身此の世の安らぎよ。おぉ眠りよ。御身この上なく優しき神よ。魄の平和よ。不安を払い除ける者よ。

2020年06月23日 23時54分57秒 | VSの日記
 本日6月23日は、弘安の役で元軍が九州に再襲来した日で、ウィリアム・ペンがペンシルベニアのレナペ族と友好協定を結んだ日で、ナポレオン率いるフランス軍がロシアに侵攻して1812年ロシア戦役が始まった日で、国際オリンピック委員会が設立された日で、ドイツのソ連侵攻に乗じてリトアニアがソビエト連邦からの独立を宣言した日で、昭和新山が誕生した日で、沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決した日で、国民義勇兵役法が公布された日で、戦後の混乱期に密造酒の販売を行っていた在日韓国・朝鮮人集落を取り締まった税務署の職員が税務署からの帰宅途中に在日朝鮮人数名に囲まれて暴行を受けて殉職した日で、自衛隊機乗り逃げ事件が発生した日で、中国共産党の第13期4中全会で総書記の趙紫陽が全職務を解任されて自宅軟禁下に置かれた日です。

 本日は倉敷は晴れでありましたよ。
 最高気温は三十二度。最低気温は二十一度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。




 本日は私はお仕事がお休みの日でありました。
 今日はのっぴきならない用事があって午後過ぎからお外に出ていました。
 某所で体を隅々まで弄られて体の内部を調べられてしまいました。(/ω\)
 異常は無かったらしいです。
 お部屋に帰ってからはこんこんと寝ておりました。

 明日からまたお仕事です。
 お仕事頑張ります。


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名も無く地位無く姿無し。されど、この世を照らす光あらばこの世を切る影もあると知れ。 天魔覆滅。

2020年06月19日 23時49分37秒 | VSの日記
 本日6月19日は、倒幕に転じた足利高氏らの攻撃により六波羅探題が陥落した日で、応永の外寇で李氏朝鮮軍が対馬に上陸した日で、アメリカ合衆国議会がドレッド・スコット対サンフォード事件の判決を破棄してアメリカ合衆国の領域内での奴隷制を禁止した日で、メキシコの自由主義勢力がメキシコ皇帝マクシミリアンを処刑した日で、黒河下流の乾岔子島と金阿穆河島でソビエト連邦・満州国両軍が衝突した日で、玉川上水で太宰治と山崎富栄の心中遺体が発見された日で、ローゼンバーグ事件のローゼンバーグ夫妻が処刑された日で、新日米安保条約が自然成立した日で、バスク地方の分離独立を掲げるバスク祖国と自由・ETAがバルセロナのショッピングセンターで車爆弾によるテロを起こした日で、韓国で漣川軍部隊銃乱射事件が起こった日です。

 本日の倉敷は雨のち曇りのち晴れていましたよ。
 最高気温は二十四度。最低気温は十八度でありました。
 明日も予報では晴れとなっております。





 先日、洋服を買いに行きました。
 夏用の服を買っておこうと思ったのです。

 お洒落なお店に行くのは緊張してしまいます。
 小洒落た服が沢山並んでいるお店は気後れしてしまいます。
 「お前のようなちんちくりんはこの店から出ていけ! 今すぐにだ!」と言われるのではないかとぷるぷると怯えてしまいます。
 それに私は目立ちたくないのです。
 できれば周囲に溶け込むような保護色のような服を着て存在感0になりたいのです。
 目立たぬように生きていきたいのです。
 ひっそりと影の存在でいたいのですよ。
 我が命我が物と思わず、武門の儀、あくまで陰にて己の器量伏し、御下命如何にても果すべし。尚、死して屍拾う者なし。
 お洒落な場所は場違いとしか思えません。
 アウェ感たっぷりです。
 怯えながら隅っこで服を物色し、できるだけ地味な服を持ってレジに行きました。
 レジのお姉さんに「お前のようなちんちくりんはこの店から出ていけ! 今すぐにちんちくりんの国に帰れ!」と言われるのではないかと震えながら会計をしました。

 地味な服と地味な靴を買ってきました。
 この服ならば闇に紛れて生きていけそう。
 明日からより一層周囲に溶け込んで地味に目立たぬように生きていこう。と決意をしっかと新たにした次第にございます。



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配られたカードで勝負するしかないのさ。

2020年06月14日 23時50分10秒 | VSの日記
 本日6月14日は、桓武天皇の曾孫で高望王が平姓を賜り上総介に任じられた日で、藤原定家が古今の和歌百首を書写した日で、北ノ庄城で柴田勝家・お市の方が自害した日で、星条旗がアメリカ合衆国の国旗に制定された日で、アメリカケンタッキー州の牧師エライジャ・クレイグによってバーボン・ウイスキーが初めて作られた日で、メヒコから分離独立してカリフォルニア共和国が成立した日で、柳田國男の『遠野物語』が発刊された日で、ピエール・ド・クーベルタンが考案した五輪のマークがオリンピック大会旗として制定された日で、ジョン・オールコックとアーサー・ブラウンが世界初の大西洋無着陸横断飛行のためカナダを出発した日で、ドイツ軍によってパリが占領された日で、ソビエト連邦がバルト三国への侵攻を開始した日で、バルト三国でソビエト連邦による大規模な国民のシベリアなどへの国外追放が開始された日で、映画倫理規定管理委員会が発足した日で、結社の自由及び団結権の保護に関する条約が日本に対して発効された日で、フォークランド紛争が終結した日で、2002FIFAワールドカップでサッカー日本代表がチュニジアを2-0で下して初めて決勝トーナメント進出を決めた日です。

 本日の倉敷は曇り時々雨でありましたよ。
 最高気温は三十度。最低気温は二十五度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。





 或る夜のこと。
 友人宅で友人の歓待を受けながら友人に「浮世の風が身に沁みる」などと愚痴って溜息を吐いていたら、友人のDNAを1/2引き継いでしまったにもかかわらず良い子に育っている小さきお子様に「ためいきばかりついていたらふこうになるのよ! ためいきはだめ!」と叱られてしまいました。
 友人のDNAを1/2引き継いでしまったにもかかわらず良い子に育っている小さき者は見るたびに大きくなっていくような気がします。
 どこまで大きくなるのだろう?
 このペースのまま大きくなるなら10年後くらいには巨神兵くらいになるかもしれない。
 淡白でもよいわくましく育て。大きくなれよ。巨神兵くらいに。
 楽しみであります。


 「『溜息を吐いてばかりいたら不幸になる』のではなく、『不幸だから溜息を吐いている』のだよ」と友人のDNAを1/2引き継いでしまったにもかかわらず良い子に育っている小さき者に述べたら友人のDNAを1/2引き継いでしまったにもかかわらず良い子に育っている小さき者は目を丸くして「〇〇(←私の名)はふこうなの? ふこうなの?」と私に訊いてきた。
 いやそう云うわけではないのですが。正面切って問われても困るのですが。言葉遊びのような返しをしただけなのですが。
 友人のDNAを1/2引き継いでしまったにもかかわらず良い子に育っている小さき者は涙目で私を見るので慌てて否定しました。
 うん。不幸ってわけでもないよな。うん。私は不幸ではない。多分。そうだよな? 不安になってきた。

 友人のDNAを1/2引き継いでしまったにもかかわらず良い子に育っている小さき者が申す通り確かに私は最近溜息を吐いてばかりいて駄目であるな。
 ストレスが私を駄目にする。
 
 もっとちゃんとしなければ。
 子供の頃に夢想したちゃんとした立派な大人にはなれていないけど、それでもできる限りきちんとしなければ。
 そう思う今日この頃なのでございます。



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お前の体は宇宙の全てと繋がっていながらお前にしかなり得ない。お前の魂は宇宙の全てを含んでいながらお前でしか有り得ない。それはこの私も。そして誰しも。

2020年06月13日 23時37分36秒 | VSの日記
 本日6月13日は、ロードアイランドがイギリス北米植民地で初めて奴隷の輸入を禁止した日で、清とロシアが天津条約に調印した日で、シュタルンベルク湖で前日に廃位させられたバイエルン王ルートヴィヒ2世の水死体が発見された日で、陸海軍省官制改正により軍部大臣現役武官制を廃して大臣・次官の任用資格が予備役まで拡大された日で、アメリカで戦略事務局と戦時情報局が発足した日で、太宰治が愛人山崎富栄と玉川上水へ入水した日です。

 本日の倉敷は雨でありましたよ。
 最高気温は二十五度。最低気温は二十三度でありました。
 明日も予報では倉敷は雨となっております。お出かけの際はお気をつけくださいませ。





 或る夜の事。

 何心なく場内を眺めている内に狐は不思議な事に注意を引かれた。
 其の夜は、大正、昭和、平成と経て白寿になつた或る藝術家の御方の為に開かれた祝賀の会なのであつた。
 狐は其の宴席の末席で火酒入りのミルクを靜に舐めていた。
 此の燈火の煌いた華やかな宴席には、もう何年も前に名を聞き知っているばかりでなく多くの業績を目の当たりにして狐なりに其々に受け入れているような大家達も席を連ねている。
 狐は大家達の強烈な威圧感にぷるぷる震えながら只管に火酒入りのミルクを舐めていた。
 迂闊に発言をすると喰われてしまいそうな恐ろしさがある。怖い。

 主催者の何か特別な意図が含まれていたのであらうか?
 祝宴の主人公である其の御方の坐つている中央の卓子は純然の家族席として纏められている。
 夫人。成人して若い妻となつている令嬢。其の良人。其の他幼い洋服姿の男の子達。或は先夫人かと思わるるやうな婦人。
 正座の画家をめぐつて花で飾られた卓子の周囲をきつしりと取り囲んでいるのである。
 一応は和気藹々たる其の光景は主人公が他ならぬ白寿の御方であるといふことから、寧ろ異様に孤独に鬼気さえも孕んで忘れがたい感銘を与えられた。
 怖い。ぷるぷる。

 藝術の道を往く時、藝術家にとつて道連れは今こうやつて卓子に何か雑然と無意味な賑やかさで着いている大小様々の家族達であらうか?
 其れとも友達や同時代人、或は先輩後輩達であらうか?
 仮に狐が当夜の主人公であり、藝術家として何十年かの果にかういう席の割当ての白寿の祝を催されたとしたら狐は戦慄を禁じ得なかつたであらうと思う。

 藝術家は孤独を恐れない勇気を常に持たなければならない。
 けれども恐るべき性質の孤独があるとをいふことをも知らなければならない。



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この道は茨の道。しかし茨にもほのかに馨る花が咲く。あの花が好きだからこの道をゆこう。

2020年06月12日 23時56分53秒 | VSの日記
 本日6月12日は、桶狭間の戦いで織田信長が桶狭間山附近で今川義元を討ち取った日で、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家側についていた前田利家が羽柴秀吉に降伏した日で、自由党員による箱根離宮落成式襲撃・閣僚暗殺計画が発覚した日で、甲府・雨宮製糸場の女工達による日本初のストライキが決行された日で、フィリピンの独立運動指導者エミリオ・アギナルドがフィリピンのスペインからの独立を宣言した日で、国鉄宇高連絡船が運行を開始した日で、杉本京太が邦文タイプライターの特許を獲得した日で、アンネ・フランクが13歳の誕生日プレゼントとして日記帳をもらった日で、マン島TTレースで本田技研工業チームが125ccと250ccの2クラスで初優勝した日で、ソ連のロシア連邦共和国が主権宣言を採択した日です。

 本日の倉敷は雨が降ったり止んだりしていましたよ。
 最高気温は二十九度。最低気温は二十三度でありました。
 明日は予報では倉敷は雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。





 狐  「本屋さんに寄っもよろしいですか?」
 友人 「どうぞ。ところで君は一ヶ月にどれくらい本を買うのですか?」
 狐  「一ヶ月の本の購入予算は3万円です」
 友人 「成程。ところであそこにベンツが停まっていますね」
 狐  「停まっていますね」
 友人 「もし30年間、君が本を買わなかったらあれくらい買えるのですよ」
 狐  「メルセデス・ベンツとは1886年にドイツの技術者であるカール・ベンツによって創設された世界最古の自動車メーカーの一つである。
     1886年に世界初の自動車として初の特許を取得している」
 友人 「……おい」
 狐  「当時は自動車の有用性に気が付く者はなく交通の主役である馬を怖がらせる邪魔者であった。そうした中でカール・ベンツの妻のベルタ・ベンツは」
 友人 「おい。やめろ」
 狐  「夫の発明を世間に認めて欲しいと考えて1888年8月5日に夫が寝ている間に二人の息子と車に乗りマンハイムの町を出発した」
 友人 「Wikipediaを丸暗記して暗唱するのはやめろ。この活字中毒者め」
 狐  「当時の道は舗装されておらず空気タイヤもまだ自転車用が発明されたばかりでその過酷さは余りあるものだった。
     ガソリンスタンドもなく薬局でシミ抜き用のベンジンを購入してそれを給油しながら旅を続けた」
 友人 「頼むからやめて。私が悪かったです」
 狐  「やがて陽の暮れる頃。106km離れたプフォルツハイムの町に到着する。車の回りには人々が集まりベルタ達に賞賛の声を送った」
 友人 「やめて。お願いだから。後生だから」
 狐  「その時の速度は当時の馬車なら10頭以上の馬を乗り換えなければならないほどのもので、
     この成功により夫の発明は知られるようになり妻は世界初の女性ドライバーとして自動車長距離旅行の歴史に名を残すことに……」
 友人 「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 狐  「わかればよいのです」

 狐と友人は二人並んで本屋さんに向かった。



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誘惑が去ってしまわないうちに、急いで誘惑に負けよう。

2020年06月11日 23時52分21秒 | VSの日記
 本日6月11日は、京都・神護寺の再興を後白河法皇に強訴した僧・文覚が捕縛された日で、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗北し越前北ノ庄城に敗走した日で、伊能忠敬が日本地図作成に備えた第一次測量のため蝦夷地に向けて出発した日で、明治新政府が政体書を発布した日で、徳島本藩からの分離を求めていた淡路洲本城代の稲田家を本藩側の過激派藩士が襲撃した日で、中国清朝で政治改革運動「戊戌の変法」が始まった日で、義和団に呼応した清国軍の董福祥配下の兵士が北京の日本大使館員・杉山彬を殺害した日で、セルビアでクーデターが起こり国王アレクサンダル1世と王妃ドラガが暗殺された日で、日本海軍の駆逐艦「榊」が地中海でオーストリア潜水艦に雷撃されて艦長以下59人が戦死した日で、ヨシフ・スターリンが軍参謀部長ミハイル・トゥハチェフスキーら赤軍首脳8人を粛清した日で、シカゴ大学の科学者が原子力の社会的政治的影響を検討して「政治ならびに社会問題に関する委員会報告・フランクレポート」を大統領の諮問委員会に提出した日で、アメリカ上院が共和党のヴァンデンバーグ上院議員の提案による地域的・集団的防衛協定の推進などをトルーマン大統領に勧告した日で、東京都が失業対策事業の日当を245円に決定した日で、ベトナムの僧ティック・クアン・ドックが当局の仏教弾圧に抗議して焼身自殺した日で、アメリカ合衆国議会が決議案269によってアントニオ・メウッチを電話の発明者と認めた日で、日本の月周回衛星「かぐや」がその使命を終えて月面へ落下した日です。

 本日の倉敷は雨でありましたよ。
 最高気温は二十四度。最低気温は二十二度でありました。
 明日も予報では倉敷は曇りのち雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。




 先日のこと。
 友人宅におじゃました私の前には『ふーまん』が大量にあった。

  ふーまんとは? 
  解説しよう! 
  ふーまんとは倉敷えびす通商店街にある回転焼きのお店・えびす饅頭で売っている回転焼きである。
  安くてしかも絶品の味である。倉敷っ子のソウルフードの一つなのだ。私も大好きである。

 友人は私の目の前にある『ふーまん』を「好きなだけ食べてよいよ?」と言った。
 普段の私なら目の前にある『ふーまん』を貪り食っただろう。甘いものは大好き。
 だが断る。
 何故ならば、これはあからさまな挑発であったからだ。友人は意地悪な笑みを浮かべていた。

 私は今、適正体重に戻る為に粉骨砕身悪戦苦闘苦心惨憺している。
 時に勝利し時に負けている。負けた時は酷く落ち込む。
 友人は敗けた時の私の無様な姿を見ていつも嗤っている邪悪な奴だ。
 そしてその日は酒宴だった。
 お酒だけでかなりの量のカロリーを摂取することになる。
 ここであんこのたっぷり詰まった『ふーまん』を貪り喰えば私は後で必ず後悔する。例え『ふーまん』であったとしても。私が倉敷っ子であったとしてもだ。きっと食べた後で落ち込む。
 友人は、私の落ち込んでいる無様なさまを酒のつまみにしてお酒を飲もうという算段に違いない。
 友人は邪悪な笑みを浮かべていた。
 友人の思惑には乗らない。
 酒のつまみにされてたまるか。

 し、しかし、倉敷っ子のソウルフードを目の前にして食べずにいられる倉敷っ子はいるだろうか? 
 じゅるり。




 結局、私は「ふ~まんを食べたい」という誘惑に勝てなかった。orz。
 我が食い意地を恥じる。

 其の夜。
 友人宅では友人の邪悪な高笑いが止まらなかった……。orz。
 無念である……。orz。


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胸の奥を渡る声が決して変わらぬものもあると言う。真実の前に祈る朝。愛は再びここへ戻るだろう。

2020年06月09日 23時53分09秒 | VSの日記
 本日6月9日は、ローマ皇帝のネロが自殺した日で、壱岐・対馬に高麗の兵船が襲来して元寇・弘安の役が始まった日で、天海による日本初の木活字による経典『大蔵経(寛永寺版)』が完成した日で、ウィーン議定書が締結されてナポレオン戦争後のヨーロッパの新しい国際秩序・ウィーン体制が始まった日で、清とフランスが停戦協定を締結して1884年の天津停戦協定に定められたコーチシナ・トンキンのフランスによる植民地化を容認した日で、「展拓香港界址專條」が締結されてイギリスが香港の新界の99年間の租借権を獲得した日で、チャールズ・キングスフォード・スミスがアメリカからオーストラリアまでの太平洋横断飛行に成功した日で、中国国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で黄河を氾濫させた為に河南省・安徽省・江蘇省の住民に100万の水死者と600万人の被害者が出た日で、日本国とインドとの間で平和条約が調印された日で、サッカー日本代表がFIFAワールドカップで1-0でロシアに勝ってワールドカップで初勝利をあげた日です。

 本日の倉敷は晴れでありましたよ。
 最高気温は二十九度。最低気温は二十度でありました。
 明日は予報では倉敷は雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。



 本日は私はお仕事がお休みの日でありました。
 今日は何も予定を入れていなかったので、お部屋に籠ってゆっくり休んでおりました。
 だらけきっておりました。
 体育座りをして中空の一点をただひたすら見つめ続ける……。
 悟りが啓けそうな気がしました。
 北斗神拳究極奥義・無想転生が習得できるような気がしましたよ。
 また無駄な休日の過ごし方をしてしまった……。
 善き哉善き哉。

 明日からまたお仕事です。
 お仕事頑張ります。



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Why are you shaking like a leaf? Come on, come talk to me.

2020年06月08日 23時48分28秒 | VSの日記
 本日6月8日は、フン族の王アッティラがイタリアに侵入した日で、ヴァイキングがリンディスファーン島の修道院を襲撃した日で、豊臣秀吉建立の方広寺大仏殿が完成した日で、小石川の水戸藩邸に『大日本史』を編纂するための施設・彰考館が開設された日で、アイスランドでラキ火山が噴火した日で、日露通商航海条約が調印された日で、蒋介石が率いる中国国民党の北伐軍が北京に入城して国民政府が中国全土をほぼ統一した日で、福島競馬場で、史上唯一の全頭落馬による不成立レースが発生した日で、中東戦争解決のためにアメリカのホワイトハウスとソ連のクレムリンとの間のホットラインが初めて使用された日です。

 本日の倉敷は晴れでありましたよ。
 最高気温は三十一度。最低気温は十八度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。





 以前に「御趣味は?」と訊かれる席に出たことがあるのです。
 アウェーで一対一で向かい合う。眼前のお方は当然のことながら知らない人。
 私は極度の緊張状態に陥り、元々表情に乏しい私の顔はより一層無表情となり、思考回路はショート寸前。今すぐ逃げ出したいよと心の中で呟きながら眼前のお方と相対峙したのでございます。
 そこでお相手のお方に「御趣味は?」と訊かれたのです。
 テンパっていた私は、私の趣味を聴いて貴方は私をどないするつもりだ? と思いながら、「映画を観ることや本を読むことです」と答えてしまったのでございます。

 即座に思いましたよ。
 『しまった。ここから愉快な会話につなげることができるのか?』と。
 『面白おかしい話につなげてお相手のお方をどっかんどっかんと大爆笑に陥れることが出来るのか?』と。

 映画や読書を話題にした時って意外と話が広がらないことが多いんだよね。どん引きされる時もあるし。
 しかも、私は観た映画や読んだ本の内容をすぐに忘れてしまう鳥頭でもある。
 それに好みの映画や本は非常に偏っている。
 そして詳しいわけでもない。


 詳しい人は本当に詳しいので吃驚してしまいます。
 さらに上手く解説できる人は本当に上手く解説できるので尊敬してしまいます。

 
 「御趣味は?」と訊かれた席では「どんな映画や本が好きですか?」とさらに訊かれてしどろもどろになってしまい、上手く答えることができませんでした。orz。
 それは今も無念なのであります。
 テンプレートなのに。予測しておけばよかった。愚かであります。



 せめて、私のことはどうでもよいから映画の素晴らしさや読書の楽しさをお相手のお方に少しでも分かってもらいたかった。
 無念であります。


コメント
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