狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

白雲の峰も崩れて秋風に棚引く空となりにけるかな

2019年08月31日 22時32分38秒 | 季節の御挨拶





 本日8月31日は、徳川家康が豊臣秀頼が再建した方広寺の鐘の「国家安康」の文字に言いがかりをつけ落慶法要を延期させた日で、イギリスで「切り裂きジャック」による最初の殺人事件が発生した日で、郡司成忠海軍大尉ら千島報效義会が占守島に上陸して開拓を開始した日で、ドイツ工作員がポーランドのラジオ局襲撃を自作自演したグライヴィッツ事件が起こった日で、マラヤ連邦がイギリスから独立した日で、トリニダード・トバゴがイギリスから独立した日で、キルギスがソビエト連邦からの独立を宣言した日で、49年間旧東ドイツに駐留していたロシア(旧ソ連)軍の撤退が完了した日で、ダイアナ元イギリス皇太子妃が交通事故で死去した日で、北朝鮮が弾道ミサイルテポドン1号を発射してミサイル実験を行った日で、2004年8月に盗難に遭い行方不明となっていたムンクの「叫び」と「マドンナ」がオスロ市内で発見された日で、キャラクター・ボーカル・シリーズ「初音ミク」が発売された日です。

 本日の倉敷は晴れ時々曇りでありましたよ。
 最高気温は二十七度。最低気温は二十一度でありました。
 明日は予報では倉敷は雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。





 今日で葉月が終わり。
 明日から長月です。

 朝夕は虫の音が響くようになりました。
 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響あり
 沙羅双樹の花の色
 盛者必衰の理をあらはす
 驕れる者久しからず
 ただ春の夜の夢の如し
 猛き人もついには滅びぬ
 ひとへに風の前の塵に同じ。
 夏様の天下はそろそろ終わりが近づいてきているやうです。
 さようならば夏よ。疾く去るがよい。

 皆様は如何お過ごしでせうか?
 夏の暑さにバテていませんか?
 私はバテバテでありますよ。
 何とか立て直したい、と思っているところであります。

 気候が変わりつつあるようです。
 夏のお疲れが出ませぬよう、お祈り申し上げます。



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恐るべき者は、1万通りの蹴りを1度ずつ練習した者ではない。たった1つの蹴りを1万回練習した者だ。

2019年08月31日 22時18分08秒 | サッカーに関する日記



 明日は明治安田生命J2は第30節の日。
 我らがファジアーノ岡山は、アウェの維新みらいふスタジアムでレノファ山口FC様と対戦いたします。
 キックオフは、19時です。

 怖い怖いJ2の終盤戦に入っております。
 ここからの勝負はとても厳しく油断をすれば一気に相手にペースを明け渡すことになります。
 
 目の前の試合に集中しましょう。
 そしてやれることをやりきりましょう。
 やれることをやりきることはとても難しいことではありますが、全力でやりきりましょう。
 やれることを全力でやりきってやれることを増やしましょう。
 その為には本質から外れたものを削り取る必要があります。
 やれることを増やす為にやることを厳選して減らすのです。
 


 明日は楽しい試合が観たいです。
 期待していますよ。

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『西城秀樹のおかげです』/森奈津子

2019年08月31日 21時09分28秒 | 小説・本に関する日記
 


 昨日の夜は、森奈津子の短編小説集『西城秀樹のおかげです』を読み返していました。
 私は森奈津子先生の作品は、SF与太話を集めたアンソロジー『SFバカ本』に収録されていた『哀愁の女主人、情熱の女奴隷』がファーストコンタクトでした。
 森奈津子先生の小説は「電脳娼婦」も好きです。
 「電脳娼婦」の後書きのSF論は超秀逸。面白いです。

 この『西城秀樹のおかげです』は抱腹絶倒のエロ&SFの短編集。
 収録されている作品は、「西城秀樹のおかげです」、「哀愁の女主人、情熱の女奴隷」、「天国発ゴミ箱行き」、「悶絶! バナナワニ園!」、「地球娘による地球外クッキング」、「タタミ・マットとゲイシャ・ガール」、「テーブル物語」、「エロチカ79」の8篇です。



 私は莫迦小説が好きで色々と莫迦小説を読んでいますが、森奈津子先生の短編「哀愁の女主人、情熱の女奴隷」があまりにも衝撃的過ぎて、その短編を読んで以来、私は森奈津子先生を莫迦小説界の神様と崇め奉っています。
 なので、神様の作品は本屋さんで見つけ次第買うことにしています。
 後で買おうと思って見逃したら次に行った時に無かったというケースが多いのです。
 好みの作家さんの作品は見つけたら即買いが鉄則です。

 こんな小説があってよいのだ。と私の常識を一変させた怪作にして超傑作の短編集です。
 抱腹絶倒の莫迦話が詰まっている作品です。
 お勧めでありますよ。


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人間は歴史の教訓からあまり多くのことを学べないものであり、この事実こそ、歴史の教える教訓のうちで最も重要なことである。

2019年08月31日 15時06分23秒 | その他の日記




 以下の文は、衆議院議員河野太郎・外務大臣の公式ブログの『日韓請求権・経済協力協定』と題した記事の転載であります。

 『日韓請求権・経済協力協定
 日韓請求権・経済協力協定に関して、ミスリーディングなニュースが流されていますので、きちんと説明をしたいと思います。
 日韓請求権・経済協力協定は、日韓間の財産・請求権の問題を一括して解決するとの方針にしたがって日韓両国で合意されたものです。
 この協定によって、個人の請求権を含めた日韓間の財産・請求権の問題は完全かつ最終的に解決されました。
 日韓両国は、請求権・経済協力協定第二条1で、請求権の問題は完全かつ最終的に解決されたものであることを明示的に確認し、第二条3で、一方の締約国及びその国民は、他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権に関して、いかなる主張もできないとしていることから、個人の請求権は法的に救済されません。
 この個人の請求権は法的に救済されないということはどういうことでしょうか。
 日韓請求権・経済協力協定そのものが、この協定でいうところの個人の財産や請求権を消滅させたわけではありません。
 この協定を実施するために、日本では「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」という国内法を制定し、この法律によって、法律上の根拠に基づき財産的価値が認められる全ての実体的権利、つまり財産、権利及び利益を消滅させました。
 日韓請求権・経済協力協定でいうところの請求権、つまり法律上の根拠の有無自体が問題となっているいわゆるクレームを提起する地位を指す概念は、この実体的権利には含まれていません。
 そのため、個人の請求権は日韓請求権・経済協力協定や国内法で消滅したわけではありません。
 しかし、日韓請求権・経済協力協定により、一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずるべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅し、その結果、救済は拒否されます。
 つまり、こうした請求権は権利としては消滅させられてはいないものの、救済されることはないものとなりました。
 しんぶん赤旗電子版は、2018年11月15日号にこう載せています。
 『河野太郎外相は14日の衆院外務委員会で、韓国の元徴用工4人による新日鉄住金に対する損害賠償の求めに韓国大法院(最高裁)が賠償を命じた判決(10月30日)をめぐり、1965年の日韓請求権協定によって個人の請求権は「消滅していない」と認めました。
 日本共産党の穀田恵二議員への答弁。大法院判決について「日韓請求権協定に明らかに反する」としてきた安倍政権の姿勢が根本から揺らぎました。』
 「個人の請求権は消滅していない」ということは以前から答弁していることですし、個人の請求権は救済されないということにはなんら変わりはないわけですから、何かが根本から揺らいだわけではなく、極めてミスリーディングです。
 さらにこの記事は続けて、
 『また穀田氏は、大法院判決で原告が求めているのは、未払い賃金の請求ではなく、朝鮮半島への日本の植民地支配と侵略戦争に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員への慰謝料だとしていると指摘。
 これに関し柳井条約局長が、92年3月9日の衆院予算委員会で日韓請求権協定により「消滅」した韓国人の「財産、権利及び利益」の中に、「いわゆる慰謝料請求というものが入っていたとは記憶していない」としたことをあげ、「慰謝料請求権は消滅していないということではないか」とただしました』
 請求権は国内法で消滅させてはいませんが、請求権が救済されないということは、常々申し上げてきたとおりです。
 衆議院外務委員会で何か新しいことがあったわけではありません』

                             転載終わり。




 続いて、以下の文は「アゴラ 言論プラットフォーム」の『日韓条約破棄なら日本資産の返還要求が可能(特別寄稿)』と題した八幡 和郎氏の記事の転載であります。

 『日韓条約破棄なら日本資産の返還要求が可能(特別寄稿)

 半島からの日本人追放がそもそも国際法違反
 日韓請求権協定をめぐる不幸の始まりは、朝鮮半島の独立が日本の了解なく決められ、在韓日本人が不当に退去を命じられ、財産も没収されたことにあることを前提に論じられるべきだ。
 もちろん、日本が受諾したポツダム宣言には、「日本国の主権は本州、北海道、九州および四国と我らの決定した島嶼に限定されるべきだ」とあるから、朝鮮の領有を続けられないことは仕方ないことだった。
 しかし、具体的にどのように分離しどういう国にするかについては、将来において結ばれる講和条約において決定するべきものと考えるのが国際法の常識であったし、それまでは、日本の統治機構が存続すべきでもあった。
 さらに、朝鮮半島が日本の領土でなくなったとしても、日本人が退去したり、財産を奪われるべき理由などなにもなかった。
 しかし、連合国は日本の賠償の一環としてそういうことをさせたらしい。
 ただし、そのかわりに、純然たる賠償は連合国に対してしないで済んだのだから、日本にとって経済的に損だったかどうかは別なのだが、在留邦人にとっては災難だった。
 独立した韓国とのあいだで複雑な問題をいまだ生じさせていると言うことになる。
 ここでは、終戦ののち、日韓会談が始まるまでの経緯を正確に追っていこう。

 日本の賠償をめぐる考え方の変遷
 このころ、アメリカから1945年11月に来日したポーレー賠償調査団は、12月に中間報告書を発表し、日本の工場設備の撤去とアジア諸国の戦後復興への転用を主張。
 それは、日本の主要産業部門の半分を賠償指定し、鉄鋼生産能力を1930年と同一水準の年産250万トンに抑えるというものだった。
 また、ポーレーは「かつて、朝鮮の資源と人民を搾取するために用いられた日本の工場・施設の、いかなる部分を日本本土から移転するか研究すべし」と主張した。
 しかし、この賠償案はマッカーサーに反対され、冷戦が進む中で実現することはなかった。
 1947年1月、来日したストライク調査団は、ポーレー案の中止と純軍事施設以外の一般工業部門の撤去を大幅に緩和した新しい賠償案を立案した。
 そして、1948年1月以降、GHQ賠償局の指導で1億6500万円に相当する工作機械などが軍工廠から撤去され、中国・フィリピン・オランダ・イギリスに搬出された。
 そして、1948年5月の実業家のジョンストンを団長、陸軍次官ドレーパーらが加わった使節団の報告書で、6億6200万円(1939年価格)の賠償額を提示し、翌年には均衡財政、終戦処理費の削減、公定価格の修正、徴税の強化、為替レートの設定、民間貿易の拡大、軍用交換レートの改定、集中排除法の緩和などを内容とするドッジ・ラインが示された。
 こうして、アジア諸国の工業生産力の平準化路線から、日本の復興を通じてアジアの経済を振興しようという現実路線に転換され、同時に主要連合国は賠償請求権を放棄していった。

 終戦でも帰国するつもりがなかった在韓日本人
 終戦時に朝鮮には70万人余の日本人が住んでいた。
 彼らにとっても、朝鮮人にとっても、8月15日の玉音放送は意外なもので戸惑いをもって迎えられたが大きな混乱はなかった。
 ただ、8月15日の朝に朝鮮総督府政務総監・遠藤柳作は、穏健派の独立運動家、呂運亨を招いて、朝鮮建国準備委員会を設立させた。 
 16日には安在鴻が京城放送局のラジオで韓国民に委員会の意志を放送し、独立準備のようにみえた。
 しかし、『京城日報』 は
  「かかる間題は、 当局は目本帝国の名に於て将来四国代表との間で折衝決定すべきものであり、 個々の団体の関与すべき筋合のものではない」(8月20日)、
 「朝鮮の独立には極めて多大の前提条件を必要とするが、なかんづく日本の停戦に関する処理が来だ解決されず、 右に関する権限を附与されたマッカーサーと日本帝国代表との間に話し合いが未だ開始されてない今日に於ては、 独立政府の樹立は未だ議題たり得ないのである」(8月21日付)、
 「朝鮮に於る帝国の統治権は厳として存し」、「朝鮮軍は厳としてとして健在である」とし、治安を乱すなら武力行使する(8月20日付)とした。
 ただ、 8月24日の外務次官から朝鮮政務総監に充てられた指示では、「 朝鮮二関スル主権ハ、 独立間題ヲ規程スル講和条約批准ノ日迄法律上我方二存スルモ、 カカル条約締結以前二於テモ、 外国軍隊に依リ占領セラルル等ノ事由に因リ、 我方ノ主権ハ事実上休止状態に陥ルコトアルべキコト」とした。
 8月11日、 北緯38度線以南は米軍が、 以北と満州はソ連軍が担当することになった。
 8月26日ソ連軍が平壊に進駐し、米軍は9月8日に仁川上陸。 
 9月9日朝鮮総督府で日米間の降伏調印式が行われた。
 降伏交渉はハリス代将と速藤政務総監の間で行われ、朝鮮総督府で行われた降伏調印式には米国からは在朝鮮米国軍司令官ハツヂ中将、 キンケード海軍大将、 日本からは阿部総督、上月朝鮮軍司令官らが著名し、日の丸が降ろされ、星条旗が上がった。
 このころ在留日本人は、内地に帰りたいという人もいたが、主流は残留だった。
 京城日本人世話会の伊藤事務局次長は呆然自失、不安と悔悟に暮れるよりも、我らは朝鮮語を習つて、新朝鮮に新たなる協力をなすぺきである」と述べ、朝鮮語講習会が組織され盛況だった。
 なかには、独立を見越して、帰化したいという者もいた。
 こうした世話人会は、引揚者の荷物預託事務、不動産売買事務、 日本人財産管理などの体制を整備するとともに、朝鮮の独立後には、日本人居留地を建設しようとしていたらしい。

 予想外の退去命令と財産没収
 しかし、9月14日にトルーマン大統領が 「朝鮮滞在の日本人は放逐する」とラジオで方針を明らかにし、10月13日からは、単独帰還軍人の引揚げが開始され、軍人復員者、一般民の引揚げが米軍の指揮の下で行われることになった。
 最終的には、12月の法令33号により全面的な日本人撤退が強制されることになった。
 9月25日の法令第2号 「敵産二関スル件」では、 8月9日以後財産処分禁止と現状維持義務が命じられ、 1o月の連合国総司令官令では、引き揚げる際の持ち出し財産と荷物の制限が決められた。
 民間人は一人当り千円に限り港で交換でき、 金と銀、 有価証券、 金融上の書類、銃、カメラ、宝石、美術品、收集切手などの持ち出しが禁止され、携行荷物も自分で持ち運べるだけに限定された。
 しかし、米軍施政下の地域では、それほど大きな混乱はなく、内地人と朝鮮人のあいだで別れを惜しむ光景も見られた。
 一方、北ではソ連軍が日本人にも朝鮮人にもひどいことをしたことがよく知られた通りだ。
 当初は5年の信託統治ののちに政府が組織されるはずだったが、米ソ共同委員会は1947年9月に決裂、米軍占領地域では国連臨時朝鮮委員会の監視下で1948 年5月10日単独の総選挙が実施され、7月に国会で憲法が制定され、 8月15日に韓国政府が樹立された。
 他方、ソ連軍占領下の38度線以北では、最高人民会議の選挙を経て、9 月9日に北朝鮮政府が樹立された。

 日本政府の反撃
 こうした朝鮮半島での米軍の独走になすすべがなかった日本政府だが、1907年にハーグで調印された「陸戦の法規慣例に関する条約」の第46条に「私有財確はこれを没収することはできない」とあるのを根拠に抗議し、返還を要求する。
 しかし、韓国政府成立後の1948年9月に、「米韓財政及び財産に関する協定」の第5条「大韓民国政府は、在朝鮮米軍政庁法令第33条により帰属した前日本人の公有または私有財産に対し、在朝鮮米軍政庁がすでに行なった処分を承認かつ批准する。本協定第1条および第9条により、米国政府が取得または使用する財産に関する保留のものを除き、 現在までに払い下げられない帰属財産(中略)を次のとおり大韓民国政府に委讓する」とされたことによって韓国政府に委譲されてしまった。
 日本政府部内では、講和条約交渉に臨む準備と言うこともあり、理論武装を進めた。
 外務省に設置された「平和条約問題研究幹事会」は1949年12月に「割譲地に関する経済財政的事項の処理に関する陳述」をまとめた。
 論点は、
 ① 後進地域だった朝鮮の近代化は日本の貢献のお陰であることは広く国際的にも認められてきたし、そもそも、「持ち出し」であった。
 ② 日本人の私有財産の没収は国際慣例上、異例である。
 ③ 日韓併合は国際法と慣例において普通の方法で取得されたもので世界各国に認められていた
 といったものだった。
 また、大蔵省の在外財産調査会は、京城帝国大学の教授だった鈴木武雄らに委嘱して、経済発展、教育の普及、財政資金の投入などを引き合いに出して、カイロ宣言が使った「奴隷状態」という言葉に厳しく反論した。
 また、終戦の時点での日本財産は47億ドルだったとして、将来の交渉に備えた。

 サンフランシスコ講和会議
 1951年に、サンフランシスコ講和会議が開かれた。
 このときに、韓国の李承晩政権は、亡命政府の存在を理由に戦勝国として参加しようとした。
 米国は戦勝国としてかどうかはともかく、参加には肯定的だったが、英国と日本が猛反対した。
 つまり、日本の一部であった韓国は、日本と戦ったわけでないというわけであり、その言い分が通った。
 まず、領土については、以下のように書かれた。韓国は竹島についても書いて欲しかったのだが、認められなかった。
 第二条 
 (a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
 ついで、在外資産について以下のように書かれた。
 第四条
 (a)この条の(b)の規定を留保して、日本国及びその国民の財産で第二条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。第二条に掲げる地域にある連合国又はその国民の財産は、まだ返還されていない限り、施政を行つている当局が現状で返還しなければならない。(国民という語は、この条約で用いるときはいつでも、法人を含む。)
 (b)日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその指令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する。
 最初は、(b)はなかったので、日本の韓国内の資産については、「日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする」、つまり、日本と韓国との話し合いで決めろと言うことであった。
 そこで、韓国から要望があって、(b)が挿入され、これによって、米軍による日本資産の接収が有効になった。
 これについて、国会で社会党の曾根益氏の質問に外務省の西村熊雄局長は、「第四条につきましては日韓で話し合いをする場合に、日本にとっては、なんと申しましょうか、話し合いの範囲とか、話し合いの効果というものが大いに制約されることになる条項でございまして、面白くないと存じております」と答弁している。
 つまり、全面的に日本資産を放棄させられたとはいえないが、主張に制約が出るだろうということだ。
 ただし、サンフランシスコ講和条約は賠償については、日本にそこそこ寛大なもので、以下のようにされていた。
 第十四条
 (a)日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。
 第1次世界大戦のベルサイユ講和条約でのドイツのように、支払い能力を無視した賠償は否定されたわけで、第四条(b)は不満だったが、全体としては、まずまずだったわけである。

 日韓会談における日本の最初の主張
 1951年の条約締結を受けて、日韓の予備会談が始まったが、それに先だって、池田勇人大蔵大臣は、国会で、①韓国はサンフランシスコ講和条約の調印国でないので賠償はしない。②日本資産の処分は第四条によって認めたが、日本人の財産については、今後、韓国と話し合うとした。
 つまり、とりあえず、米国による接収と韓国政府への移管は有効だが、それに補償する権利は放棄しないと言うことだ。
 そして、日韓第1次会談は1952年2月に開始された。
 日本側の代表は松本俊一外務省顧問(元事務次官)だった。
 このときに、「インドは独立したときに、インド国内にあったイギリス人の財産を認めた」「敵の財産の処分を行ったときに、その財産に対する元の所有権は消滅しない。たとえば、売却代金に対しては日本側の所有者が請求権をもっている」という方針だった。
 これに対して韓国側は、「日本が真に誠意を示そうとするなら(韓国に対する)請求権は撤回しろ」と主張した。
 それに対して、日本側はとりあえず、そうした問題は棚上げにして、合意できる問題から合意したらどうかと提案したが、韓国側が拒否したので、日本側は会談打ち切りを提案。
 韓国側も日本が請求権を撤回しない限り話し合いを続ける意味がないとしたので、日本は無期延期を提案し、韓国側もこれに合意するしかなかった。
 これが、日韓会談における日本側の日本資産請求権についての出発点である。
 そして、これが話を通じて妥協が行われ、1965年の日韓請求権協定に結実しているのだから、もし、韓国側が日韓基本条約や請求権協定を否定するなら、日本側もこの1952年の主張に戻るしかないということになってしまう。
 なお、こののち、サンフランシスコ講和条約第四条(b)の解釈について、1957年に米国政府が「解釈」を出している。
 その内容については、また、機会を改めて紹介するが、「日本国は、これらの資産またはこれらの資産に関する利益に対する有効な請求権を主張することはできない。もっとも、日本国が平和条約第四条(b)において効力を承認したこれらの資産の処理は、合衆国の見解によれば、平和条約第四条(a)に定められている取極を考慮するに当たって関連があるものである」というものであった。
 つまり、直接に返還を要求したり、その代金をよこせということはできないが、最終的な請求権交渉にあたって、それが韓国政府に与えられたことを考慮することは可能だということである。
 そして、これを日韓両国は受け入れた。
 それが何を意味をするかは微妙である。
 それに拘束はされるのか、交渉を進めるために受け入れる判断をしたので、交渉の結果である条約を韓国が否定するなら日本はこれも拘束されないのか、そもそも、サンフランシスコ講和条約に基づいた話し合いの結果において結ばれた条約を否定するなら、日本は何も拘束されないのか、なかなか難しいところだ。
 いずれにせよ、いったん結んだ条約を実質的に否定して、裁判所の決めたことだから知らないという大統領が登場するなどというのは想定外なのである』

                             転載終わり。






 日韓基本条約を事実上否定するということは、日本と韓国との国交樹立に向けて多大な努力をしてきた先人達を無視する行為であり、歴史を否定する行為でもあります。
 そして日韓基本条約を破棄するというのならば、何が噴き出てくるか分かりません。
 様々な問題を何とか解決していたものを無力化するということなのですから、様々な問題が再び浮上することになります。
 それは日本にとって都合の悪いことが発生するだけでなく韓国にとって都合の悪いことがたくさん発生することになるのです。
 韓国政府が歴史を無視し歴史を書き換えようとするのならば、我が国は歴史の事実を突きつけて対抗するしかありません。

 日韓基本条約が破棄されて再交渉となるのならば、ありとあらゆる問題を全て議題に上げなければなりません。
 そして、日韓基本条約が破棄されて再交渉となるのならば、日韓基本条約で双方が得た利益を双方が返還した上で再交渉をするのが筋のはずです。
 そうしたことをせずに一方的に条約を事実上破棄するという行為を行うのは、国家として異常な行為であり、条約を締結することに関わった多くの人達の尽力を無視して歴史を無視するということなのです。


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9月の倉敷美観地区周辺のイベントの情報。

2019年08月31日 13時50分19秒 | 案内、告知、宣伝



 今回の記事は、9月の倉敷美観地区周辺のイベントの情報を(私が知り得た限りではありますが)御紹介いたしませう、という趣向でございます。



 まずは大原美術館の情報。
 大原美術館は9月は2日と9日と30日が休館日です。
 開館時間は9時から17時です。
 倉敷にお立ち寄りの際は、是非是非、大原美術館の名画を御覧になってみて下さい。


 

 毎月第3日曜日恒例の「くらしき朝市三斎市」は9月15日に開催です。
 倉敷近郊と高梁川流域の鮮魚や農産品や工芸品や郷土加工品等を販売している朝市です。
 開催場所は倉敷駅前商店街とその周辺。
 開催時間は8時から11時です。

 毎週土曜日に阿知町東部商店街北側の広場で『倉敷路地市庭』をしています。
 岡山県内の野菜や加工食品などがならんでいるそうです。
 時間は、9時から15時まで。

 毎週水曜日には有隣庵で無農薬野菜や新鮮野菜や手作りケーキや木工品やお弁当などを販売する「水曜市庭」を開いているそうです。
 時間は8時から12時45分です。
 興味のあるお方は是非是非行ってみて下さいませ。





 以上が今現在で私が知っている倉敷美観地区周辺の9月のイベント情報です。

 他に何か分かったら、またお知らせいたします。


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吐き気をもよおす邪悪とは何も知らぬ無知なる者を利用する事だ。自分の利益だけの為に利用する事だ。

2019年08月31日 13時00分57秒 | その他の日記




 最初から事実を無視して論点をズラしていく。
 論点をズラしながら都合の悪い情報が増えると『嫌韓を煽るな!』と主張して都合の悪い情報を牽制する。
 そもそも論点をズラさずに事実を報道しているだけならば、盛り上がるような話でもないのに、自分達で火を点けておいて『嫌韓を煽るな!』と都合の悪い情報を牽制して実際には嫌韓を煽っている。
 観光業とか文化交流だとかは今回の件では全く関係ない話だし歴史問題も関係ない話だし韓国政府がきちんと対応するならば経済にも全く関係ない話であるにもかかわらず、全てをリンクさせて煽りに煽っている。
 本来ならば、貿易上の優遇処置を廃止しただけの話であって大事でもないのに、関係無い話をごっちゃまぜにして話をズラして大事のように騒ぎ立てる。
 このような行為を日本で平和主義者と名乗っている人達や所謂左派集団が行っているのです。

 で、最初に話をズラして全く別の話に誘導しているから、話はどんどん大きくなる。
 そうなると論点がどんどんズレていくから収拾が取れなくなります。

 日本政府は韓国への貿易上の優遇処置の廃止の件では最初から韓国政府に「説明してください」と「危険物資をきちんと管理してください」としか述べていないのですよ。
 そして貿易上の優遇処置が廃止されても審査が通れば輸出されるのです。
 単なる安全保障上の問題でしかないのです。
 安全保障上の問題が何で歴史問題と関係があるのですか?
 安全保障上の問題が何で食品の放射線量の問題(←しかもこれはデマ)と関係あるのですか? 
 安全保障上の問題が何で世界経済のサプライチェーンの問題と関係があるのですか? 
 安全保障上の問題が何で民間交流の問題と関係があるのですか? 
 安全保障上の問題が何で観光業の問題と関係があるのですか? 

 これらの問題を解決する為に、大量破壊兵器を世界中に拡散させても構わないと日本の所謂左派集団は述べるつもりですか?

 日本の所謂左派系マスメディアや所謂左派集団が最初に論点ズラしをした所為で韓国政府がどんどん論点をズラしてきているのですよ。
 そして根本の危険物資の管理に関する回答は0のままなのです。
 状況をエスカレートさせて瀬戸際外交を行っているのは韓国政府なのですよ。
 日本政府は、韓国政府が危険物資の管理に関する回答を拒否したままならば、貿易上の優遇処置を廃止したままにするしかないのです。
 なにもかもをごっちゃにすると両国民が盛り上がっておかしな方向に行ってしまいますよ? 
 それがエスカレートをすればどのようなことになるか? 
 事実を無視して論点をズラしながら平和を訴えるような連中こそ、問題の解決を望んでおらず、問題を複雑化させて揉め事を起こして憎悪を増幅させるのです。
 それは私達は太平洋戦争で学んだはず。
 日本を太平洋戦争へと導いた手法をとる輩は例えどのような理想を述べていようと信用すべきではありません。
 問題なのは、どのような主張であるかではなくどのような手法であるかなのです。
 話をズラしていくのならば、問題は解決しません。
 話をズラしながら正義を語る輩こそ要注意の連中なのです。



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歌仙草(カセンソウ)その4。

2019年08月30日 23時37分54秒 | お花に関する日記




 本日8月30日は、徳川家康が江戸城に公式入城した日で、江戸幕府が武家諸法度を発布した日で、リッチモンドの戦いが始まった日で、第二次ブルランの戦いが南軍の勝利で終わった日で、壬午事変での日本公使館焼き討ち事件等の事後処理の為に日本と李氏朝鮮の間で済物浦条約が締結され日で、気象学者の野中到が富士山頂に私費で測候所を開設した日で、松岡洋右外相とアンリ仏大使が北部仏印進駐に関する協定を締結した日で、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着した日で、日本軍陸軍第102師団歩兵第77旅団長河野毅陸軍中将がネグロス島西ネグロス州アシエンダ・サンタ・ローザで米第503連隊戦闘団に降伏した日で、英第111.2任務群が香港島へ到着して軽巡洋艦スウィフトシュアからハーコート海軍少将が上陸した日で、スターリン批判を受けて北朝鮮で同国の幹部が最高指導者金日成の個人崇拝や工業政策を批判した日で、アメリカのホワイトハウスとソ連のクレムリンの間を直接結ぶホットラインが開設された日で、植村直己がマッキンリーに登頂して日本人初の五大陸最高峰登頂に成功した日で、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件・三菱重工爆破事件で8人が死亡・376人が負傷した日で、イラン首相府の爆弾テロでモハンマド・アリー・ラジャーイー大統領・モハンマド・ジャヴァード・バーホナル首相らが死亡した日で、堀江謙一が超小型ヨットでのアメリカから日本への太平洋横断に成功した日で、NATOによるボスニア・ヘルツェゴビナ空爆が開始された日で、信用組合最大手の木津信用組合と第二地方銀行最大手の兵庫銀行が経営破綻した日で、日本で第65回世界SF大会が開催された日です。

 本日の倉敷は雨のち曇りでありましたよ。
 最高気温は二十八度。最低気温は二十二度でありました。
 明日は予報では倉敷は曇りとなっております。




 上の写真に写っているお花は、「歌仙草(かせんそう)」です。
 歌仙草のお花に関しては、2018年9月3日の記事2017年9月3日の記事2015年10月18日の記事もよろしければご覧くださいませ。
 2018年と2017年と2015年の歌仙草のお花の記事です。



 歌仙草のお花の花言葉は、「美しい人」です。


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『能面女子の花子さん』第四巻/織田 涼

2019年08月30日 20時50分13秒 | 漫画・ゲームに関する日記



 昨日の夜は、織田 涼の漫画『能面女子の花子さん』の第四巻を読んでいました。

 家庭の事情で外では能面をつけて生活している高校生の花子さん。
 当然、周囲の人は能面をつけた高校生に驚くのだけれども、花子さんは平然としていて……。



 今巻ではさぶちゃんのお兄さんやお姉さんが出てきます。
 ボケ役のはずの花子さんが徐々にツッコミ役に変化していますね。
 でも、花子さんのメンタルの強さは健在であります。


 面白かったですよ。
 続きが楽しみです。

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芸術を表して、芸術家を隠すことが、芸術の目的なのだ。

2019年08月30日 12時42分40秒 | その他の日記




 以下の文は、毎日新聞の『「表現の不自由」考   肖像燃やす作品「天皇制批判の意図なし」 制作の大浦信行さん』と題した記事の一部を転載した文です。
 
  『「不敬だ」「不快だ」――。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった問題では、従軍慰安婦問題を象徴する「平和の少女像」だけでなく、昭和天皇の肖像を燃やしているように見える美術家の大浦信行さん(70)の映像作品「遠近を抱えて PartⅡ」にも批判が相次いだ。
 ただ、大浦さん自身は「天皇制を批判する意図は全くない」という。制作の意図を聞いてみた』
                            転載終わり。



 この記事はこの後が有料となっていますが、ここまでで充分です。
 もう既に完成されていて公開されている作品は、その作品を鑑賞する人達にどのように評されても文句は言えません。
 多くの人がその作品に感じる感想と自分の製作意図が本当に違うのであれば、それはただ単に制作能力が未熟であるだけです。
 言い訳をしたところで意味はありません。
 作品は公開された時点で作者の手を離れて独り歩きするのです。
 その作品を鑑賞した人の感想が全てです。
 作品外で釈明したところで意味はありません。
 作品で勝負するとはそういうことなのです。
 作品外で釈明することになったということは未熟な表現であることの証明となります。
 優れた表現であるならば、そのようなことをする必要がないのですから。

 さてさてそのような屑といってよい作品であっても、公開する自由はあるのですよ。
 「表現の不自由」というわけではないのですよ。
 その代わり、公開した作品は鑑賞した人に評価されるのです。どのように評価されるかは鑑賞した人それぞれに委ねられるのです。
 その意味で、「表現の不自由展」と銘打って芸術の表現をテーマにしたにもかかわらず芸術における表現を粉砕した「表現の不自由展・その後」の主催者達は、愚かとしか言いようがありません。

 どんな屑な作品であっても、公開することは出来るのです。
 そして屑な作品には自由に「屑だ」と述べる自由は存在しているのです。

 それと税金を投入した公共事業での税金の使い方に関しては、話が全く違うのです。
 「表現の不自由展」と銘打って芸術の表現をテーマにしたにもかかわらず自分達の政治的な主張を喧伝し特定の政治勢力のプロパガンダの場として企画展を利用したことは、税金を投入した公共事業として問題が発生しているのです。


 自分の作品を鑑賞してもらっておいて、鑑賞してくれた人の感想を受け止めることができない。
 作品を言葉で説明しないと分かってもらえない。
 これは芸術家として未熟であるとしか言いようがありません。
 作者が意図したことを鑑賞した人が感じ取らなければならない。それ以外の感想は拒否する。そんなことはあり得ません。
 鑑賞する人は、作者の意図とは全く違う感想を抱く自由があるのです。
 そして、作者の表現が見事であるならば、作者が言葉で説明しなくても鑑賞する人は作者の製作意図は見抜きます。
 作品外で釈明をするということは、ただ単に表現が下手ということなのですよ。



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ジャーナリストは人に革命やら破壊やらを唆して置きながら、いつも自分はするりとそこから逃げて汗などを拭いている。実に奇怪な生き物である。現代の悪魔である。

2019年08月30日 10時47分15秒 | その他の日記



 以下の文は、衆議院議員河野太郎・外務大臣の公式ブログの『輸出管理とは』と題した記事の転載であります。


   『この夏、「輸出管理」という言葉がニュースを賑わせました。
    輸出管理とはなにか、まずは入門編です。
    冷戦時代には、西側諸国は、対共産圏輸出統制委員会(ココム)を設立し、東側諸国に対して厳しい輸出管理を行っていました。
    冷戦終了後は、通常兵器が特定の国・地域に過剰に蓄積されることを防ぐために、通常兵器そのものに加え、通常兵器と民生品の両方に使用可能な物資や技術の輸出を管理するためにワッセナー・アレンジメント(WA)が、1996年7月に設立されました。
    意外なところで民生品が大量破壊兵器やミサイルの開発に転用される可能性があります。だからこそ、輸出管理は厳格に運用されなければなりません。
    例えば、ラケットやゴルフクラブのシャフトに使われる炭素繊維は、ミサイルに利用されます。
    シャンプーに含まれるトリエタノールアミンは、マスタードガスの原材料となります。
    フリーズドライ食材の製造機は、生物兵器の製造に使われます。
    そして2001年の911同時多発テロとその後続発したテロ事件を契機として、テロ対策としても大量破壊兵器やミサイルとその製造に必要な物資の管理が必要となりました。
    共産圏の国々を規制対象としていた冷戦時代と違って、大量破壊兵器、ミサイル及び通常兵器の不拡散のための輸出管理は、すべての国が協調して、すべての国・地域を対象とするのが特徴です。
    また、テロリストのような国家主体でないものも対象としなければなりません。
    大量破壊兵器に関しては、核兵器不拡散条約(NPT)、生物兵器禁止条約(BWC)、化学兵器禁止条約(CWC)といった条約があります。
    さらに不拡散を担保する国際輸出管理レジームがあり、大量破壊兵器など、また、それらの開発、製造、使用、貯蔵等に転用可能な原材料や技術、部品などの輸出管理のために、原子力供給国グループ(NSG)、オーストラリア・グループ(AG)、ミサイル技術管理レジーム(MTCR)の3つの国際枠組みがあります。
    さらに、湾岸戦争後の国連決議に基づくIAEAのイラクに対する特別査察によって、それまでの国際的な輸出管理による規制レベル以下の技術や原材料・部品を利用して、イラクが大量破壊兵器の開発を進めようとしていたことが明るみに出ました。
    これがきっかけとなって、大量破壊兵器やミサイルの開発を防ぐために、あらゆる物資や技術が大量破壊兵器やミサイルの開発に使われることを輸出者が「知った」あるいは「知らされた」場合に輸出許可の申請を行うことを義務付けるキャッチオール規制が導入されました。
    そして2004年4月には、国連安保理で安保理決議1540号が採択され、非国家主体への大量破壊兵器の不拡散のための措置が国連加盟国の義務となりました。

    リスト規制とキャッチオール規制
 
    日本の輸出管理は、外為法に基づいて行われます。
    外為法で規制対象とされている物資と技術を輸出する場合は、経済産業大臣の許可を受けなければなりません。
    この規制にはリスト規制とキャッチオール規制という二種類があります。
    リスト規制では、国際輸出管理レジーム(原子力供給国グループ、オーストラリア・グループ、ミサイル技術管理レジーム、ワッセナー・アレンジメント)に基づいて、一定の機能やスペックを持つ物資や技術がリスト化され、そのリストにある物資の輸出や技術の提供をする場合に経産大臣の許可が必要となります。
    リスト規制の対象は、1武器、2原子力、3化学兵器、3の2生物兵器、4ミサイル、5先端素材、6材料加工、7エレクトロニクス、8電子計算機、9通信、10センサ、11航法装置、12海洋関連、13推進装置、14その他、15機微品目の15項目に分かれています。   
    リスト規制の対象地域は全地域ですが、特に国際的な懸念がある地域として、イラン、イラク、北朝鮮があげられています。
    キャッチオール規制は、湾岸戦争終了後のイラクに対するIAEAの査察の結果、イラクがリスト規制に該当しない製品を使用して大量破壊兵器の開発を行っていたことが判明したことから、導入された規制です。
    キャッチオール規制には、大量破壊兵器キャッチオール規制と通常兵器キャッチオール規制があり、需要者や用途に着目した規制です。
    大量破壊兵器キャッチオール規制の対象は、リスト規制の対象となっている物資と技術以外の物資と技術(原則、食料品、木材等を除く)で、それらの輸出が下記の客観要件またはインフォーム要件に該当する場合は、経産大臣の許可が必要となります。
    大量破壊兵器キャッチオール規制の客観要件には、用途要件と需要者要件があります。 
    輸出者が、契約書等の文書や輸入者等からの連絡により、輸出する物資や技術が核兵器等開発等に使われる恐れがあることを知った場合(用途要件)、または輸出する物資や技術の輸出相手が核兵器等開発等を行う恐れがあることを知った場合(需要者要件)には、輸出許可を申請しなければなりません。 
    また、輸出される物資や技術が大量破壊兵器等の開発等に使用されるおそれがあるものとして、経済産業大臣から輸出許可の申請をすべき旨の通知を受けたとき(インフォーム要件)は、輸出許可を申請しなければなりません。
    大量破壊兵器キャッチオール規制は、カテゴリーA(旧ホワイト国)以外のすべての国と地域が対象です。
    輸出管理に関する国際的な条約及び4つの国際的なレジームに参加し、自らキャッチオール規制を厳格に実施している国(26カ国)は、カテゴリーA(旧ホワイト国)に分類され、我が国のキャッチオール規制の対象から除かれます。
    通常兵器に関するキャッチオール規制では、国連武器禁輸国・地域(アフガニスタン、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、イラク、レバノン、リビア、北朝鮮、ソマリア、南スーダン、スーダン)が仕向地の時、インフォーム要件または用途要件に合致すると許可申請が必要です。
    さらに仕向地がカテゴリーAと国連武器禁輸国・地域以外の場合は、インフォーム要件に合致する場合、許可申請が必要になります。 

    何が変わったのか
 
    今回の輸出管理の見直しは、リスト規制対象品目の韓国向け3品目の運用見直しと、輸出管理の適用対象地域を見直して韓国の分類をカテゴリーA(旧ホワイト国)からカテゴリーBに変更するという二つからなります。
    まず、レジスト、フッ化ポリイミド、フッ化水素の3品目がリスト規制の運用見直しの対象となり、韓国向けには個別許可となりました。
     半導体製造用のフッ化水素は純度が高く、ほぼすべてが生物化学兵器関連のオーストラリア・グループに基づく規制の対象ですが、レジストとフッ化ポリイミドに関しては、一部の非常に高スペックなものだけがワッセナー・アレンジメントに基づく対象となります。
    例えばレジストでは、極めて波長の短い紫外線を使うEUVリソグラフィ用のものだけが対象となります。
    個別許可と言っても、出荷ごとではなく契約ごとの許可となり、許可の有効期間は六ヶ月で、この期間の船積みをカバーします。
    許可のための標準処理期間は90日ですが、いずれの品目でも懸念がないことが確認されれば速やかに許可が下ります。
    輸出許可を取るのは韓国企業ではなく、輸出する日本企業です。
     最初は各種の書類の準備が新たに必要になりますが、二回目からは同じ手続きです。
    カテゴリー見直しでは、韓国がカテゴリーA(旧ホワイト国)からカテゴリーBになります。
    カテゴリーA(旧ホワイト国)の場合、リスト規制の対象品目について、「一般包括許可」と呼ばれる包括的な許可が与えられます。これは、比較的簡単な自主管理を行っている輸出者でも取得することができます。
    しかし、カテゴリーAから外れるとすべての輸出が個別許可になるわけではありません。
    包括許可には「一般包括許可」の他に、「特別一般包括許可」と「特定包括許可」という制度があります。この二つはカテゴリーAでなくとも使えます。
    「特別一般包括許可」とは国際輸出管理レジームに参加している国向けの輸出が対象で、厳格な自主管理を行っている輸出者に付与されます。
    「特定包括許可」とは継続的な取引関係にある輸入者に輸出している輸出者に付与されるものです。
    ある程度の規模の企業ならば、「特定一般包括許可」や「特定包括許可」を取得しているはずなので、カテゴリーAでなくともいずれかを利用して包括許可で輸出ができます。
    また、カテゴリーA(旧ホワイト国)の国は、キャッチオール規制の適用が免除されますが、カテゴリーAから外れると、キャッチオール規制が適用されます。
    しかし、そもそもキャッチオール規制の対象は、大量破壊兵器や通常兵器の開発等に使われることを輸出者が実際に知った場合、及び経産省から許可申請をすべきというインフォームがあった場合ですから、キャッチオール規制が適用されるようになったと言っても、「実際に許可を取得しなければならない案件は極めて少ない」はずです。
 
    今回の措置に関して、誤解と思い込みに基づく情報発信が多く見られました。
 
    実際には、国際的なサプライチェーンへの影響はほとんどないと言ってもよいと思います』

                             転載終わり。




 マスメディアはこの件で多くの誤情報を大量に撒き散らしました。
 今でも輸出管理強化を輸出規制と表現しているメディアもいます。このメディアは意図的に誤情報を撒き散らしていると考えてよいでしょう。
 マスメディアが流した大量の誤情報が状況をより一層エスカレートさせているのです。
 マスメディアは揉め事を起こし増幅させることができます。
 つまり、マスメディアは戦争を起こすことができるのですよ。
 マスメディアは、「戦争反対」、「話し合いで解決しろ」と述べながら、揉め事を起こし増幅させて戦争を起こすことができるのです。

 民生品が兵器の開発や兵器の原材料にもなることがあるから、日本政府は韓国政府に説明を求め続けた。
 それを韓国政府が拒否し続けたのならば、輸出管理を強化せざるをえません。
 しかしそれは輸出管理の強化に過ぎず、手続きが整っているのならば、輸出は許可されるのです。
 これは日本政府は最初から説明していました。
 世耕弘成経済産業大臣は最初から延々と詳細を説明していました。
 日本政府の説明を無視して誤情報を流し続けてきたのはマスメディアです。
 選挙対策だとか朝鮮半島出身者の労働者の賃金未払い問題での韓国への報復だとか全く関係のないことをリンクさせて騒ぎを大きくさせてきたのはマスメディアです。
 このようなマスメディアが戦争を生むのですよ。
 戦前の日本もマスメディアが日本を社会主義全体主義戦時体制を作り出し、戦争へと扇動していったのです。
 マスメディアは「対立を煽るな」と主張しながらせっせとマスメディア自身が対立を煽ってきたのです。
 そして今も誤情報を拡散させているメディアが存在しているのです。
 反権力の為ならば事実を無視しても構わない。そのような馬鹿が対立を生み出し人々を分断させ世界を混乱させて憎悪を増幅させているのですよ。
 そのようなメディアが日本の中心部に存在しているのです。
 恐ろしいことであるよ。と思っているところなのでございます。


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人は忘れる為に夢を見る。

2019年08月29日 22時09分28秒 | VSの日記




 本日8月29日は、銅銭「和同開珎」が発行された日で、鑑真が唐律招提を建立した日で、筑後川の戦いがあった日で、豊臣秀吉が刀狩令を発布した日で、渡島大島・寛保岳噴火に伴っての津波が発生して1467人の死者を出した日で、プロイセン王フリードリヒ2世がザクセンに侵攻して七年戦争が勃発した日で、ポルトガルがブラジルの独立を承認した日で、マイケル・ファラデーが電磁誘導を発見した日で、清国とイギリスの間で南京条約が締結されてアヘン戦争が終結した日で、江戸幕府が異国船打払令を廃止して薪水給与令を制定した日で、廃藩置県の詔書が発布された日で、「韓国皇帝が大韓帝国の一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝に譲与する」ことなどを規定した日韓併合条約が発効された日で、東京朝日新聞が「野球と其害毒」連載を開始して9月22日まで22回に渡って野球に対するネガティブ・キャンペーンを展開した日で、ドイツの飛行船LZ 127が22日間で世界一周飛行に成功した日で、スロバキアでナチス支配に反対するスロバキア民衆蜂起が始まった日で、ジョン・ケージ作曲の「4分33秒」がニューヨーク州ウッドストックで初演された日で、薬害エイズ事件で東京地検刑事部が帝京大学副学長の安部英を逮捕した日です。

 本日の倉敷は雨でありましたよ。
 最高気温は二十八度。最低気温は二十四度でありました。
 明日は予報では倉敷は曇りとなっております。


 本日は私はお仕事がお休みの日でありました。
 今日は久々のお仕事がお休みの日であったのでプライベートでの雑事が溜まっていてその雑事を片付ける為にお外をぐるぐるぐるぐるぐるぐる廻っていました。
 いつもより余計に廻っていました。
 ぐるぐるぐるぐるぐるぐる廻っていたので目が廻りそうです。
 今夜はぐっすりすやすや寝よう。と思っているところなのでございます。


 
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『空の中』/有川浩

2019年08月29日 21時17分39秒 | 小説・本に関する日記



 昨日の夜は、有川浩の小説『空の中』を読み返していました。

 日本初の超音速旅客ジェット機「スワローテイル」が高度2万メートルを試験飛行中に突如爆発炎上する事故が起きる。
 続いてスワローテイルの事故空域を飛行実験中の航空自衛隊所属のF15Jイーグル2機編隊が同じく高度2万メートルで1機が爆発炎上する。
 生き残ったほうのパイロットの証言は奇怪なものだった。
 スワローテイルの開発にあたっていた日本航空機設計の事故調査委員にそのパイロットは「事故空域に連れて行く。話は現場を見てからだ」と言う。
 高度2万メートルの事故現場に何があるのか?

 事故で亡くなった斉木三佐の息子・斉木瞬は海で海月のような奇妙な生物を見つける。
 「フェイク」と名付けたその生き物は携帯電話を介して拙いながらも意思疎通ができる。
 瞬の幼馴染の佳江は未知の知的生命体であるその不思議な生き物を大学に預けるべきだと主張するが、瞬は天涯孤独の寂しさを埋め合わせるかのようにその生物を可愛がって手放そうとしない……。

 SF小説です。






 間違ったことを間違ったまま突き進んでも正解にはたどり着けない。
 でも間違っていることは分かっているのだけれども他に進む道が分からないから間違ったまま突き進むしかない。
 と、思ってしまった男の子の物語。
 そして、大人の分別ある対応と子供の独り善がりな行動についてのお話です。

 勿論、有川浩の小説のお約束、甘々なお話もあります。
 面白いですよ。
 お勧めであります。


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誰にでも友人にもなろうとする人間は、誰の友人でもない。

2019年08月29日 21時02分56秒 | その他の日記




 ある人物が明らかに間違った主張を述べたり良くない手法で何かをしていたとします。
 あなたがその人物と友人であるならば、その人物にその事に対して注意したり警告したりすると思うのです。
 その人物と一緒になって事実無根の主張を述べたり良くない手法で何かしたりするのは友情ではないと思うのです。
 友人に嫌われても友人に忠告すると思うのです。


 さて、日本には所謂親中派や親韓派と称する人がいます。
 しかし所謂親中派や親韓派と呼ばれる人達の中には中華人民共和国や大韓民国と本邦との間を割くような言動を繰り返し行って中華人民共和国や大韓民国を窮地に陥れている人達がいます。
 そして中華人民共和国や大韓民国の主張ならばどのような主張であっても全面的に肯定する人達がいます。
 そのような人達の言動に乗せられた中華人民共和国や大韓民国は面子の問題もあって引くに引けない状態です。
 そして本邦も出まかせの主張ならば引くわけにもいかないのです。
 平和だとか戦争反対とか述べていながら戦争を呼び寄せることをしておいて彼等彼女等は何ら責任を取る気はありません。
 彼等彼女等は本当に親中派とか親韓派と呼んでよいのでしょうか?
 彼等彼女等の言動は中華人民共和国や大韓民国の主張を全面的に肯定することで中華人民共和国や大韓民国を窮地に陥れているのです。
 彼等彼女等は本当に親中派とか親韓派と呼んでよいのでしょうか?



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汝が富者ならば喜ばしきときに食べよ。汝が貧者ならば食べられる時に食べておくべし。

2019年08月29日 09時47分19秒 | 休日の日記




 本日は私はお仕事がお休みの日であります。
 久々にお仕事がお休みであります!!!!!
 お休みの日なのでお休みしたいぃぃぃぃ!!!
 しかしですよ。暫らくお仕事をお休みしていなかったので雑事が溜まっているのです。
 さすがにこれだけ溜まっていると片付けねばなりません。
 嗚呼。お休みの日なのに忙しいとは是如何に。
 人は休むべき時に休まねば駄目になってしまいます。
 ま、休日ですから体を休めるという意味からもですよ、休日にプライベートとはいえせっせと働き蜂のように動き回るというのもなんなのでありまして……。
 然し乍らかの親鸞も申しておりますように、善人なおもて往生すまして悪人においてをや。
 人は皆、ただ一人旅に出てふり返らずに泣かないで歩くのであります。
 嗚呼。誰が知るや、百尺下の水の心……。
 人間誰しも悩み苦しみ過ちそして成長し、桃太郎は満州に渡ってジンギスカンになるのであります。
 かの大ギョエテ曰く、苦悩を経て大いなる快楽に至れ、と言うような訳でして、何はともあれ、怪我一つせずくれぐれも安全第一で張り切って無理せずに自分のペースで雑事を片付けていこう。
  と思っているところなのでございます。


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アンスリウムその8。

2019年08月28日 23時45分30秒 | お花に関する日記




 本日8月28日は、西ローマ帝国の将軍オレステスが皇帝ネポスを追放して政府の全権を掌握した日で、第2次主教戦争のニューバーンの戦いがあった日で、土佐藩の中岡慎太郎が京都で倒幕浪士軍・陸援隊を組織した日で、ズールー戦争に敗れたズールー王国の国王セテワヨ・カムパンデがイギリス軍に拘束された日で、独ソ不可侵条約締結を受けて平沼騏一郎首相が「欧州情勢は複雑怪奇」と声明し内閣総辞職した日で、デンマークでナチス・ドイツによる占領に反対するゼネラル・ストライキが始まった日で、占領軍の先遣隊が厚木基地に上陸して横浜市に連合国軍最高司令官総司令部の本部を設置した日で、アメリカワシントンで行われた人種差別撤廃を求める市民集会でキング牧師が有名な「I have a dream」の演説を行った日で、全身に大やけどを負ったソ連サハリン州の3歳のコンスタンティン・スコロプイシュヌイが超法規的措置により札幌市に緊急搬送された日で、ゴトゥーザ様のお誕生日です。

 本日の倉敷は雨でありましたよ。
 最高気温は二十六度。最低気温は二十四度でありました。
  明日は予報では倉敷は曇りとなっております。




 上の写真に写っているお花は、アンスリウムです。
 アンスリウムのお花に関しては、2018年12月16日の記事2016年12月27日の記事2015年8月30日の記事2014年9月20日の記事2013年6月27日の記事2012年8月6日の記事2009年5月21日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2018年と2016年と2015年と2014年と2013年と2012年と2009年のアンスリウムのお花の記事です。


 アンスリウムのお花の花言葉は、「強い印象」です。



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