狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。

2019年08月04日 19時07分41秒 | その他の日記



 日本共産党の志位和夫氏は、Twitterで以下のように述べています。

 『「表現の不自由展・その後」の中止は、きわめて深刻な事件だ。テロ予告など脅迫が許されないことは当然だが、そうした脅迫から展示を守るべき行政の側が、展示を許さない態度をとったことは言語道断だ。自由に表現し、自由に鑑賞する。この当たり前の権利が侵害される「検閲国家」にしてはならない』

 日本共産党は、圧力をかけてイベントを数多く潰しています。
 日本共産党は、自分達が気に入らないイベントや表現物を圧力をかけて脅して潰してきています。
 日本共産党は、まずは自分達が行っている表現への弾圧を反省し謝罪し止めるべきです。

 税金を使って芸術のふりをしてプロパガンダの場とする。
 この行為を行政が行うことは、税金の使い方として正しいのですかね? 
 これは検閲とは全く違う話なのですよ。
 政治家であるならば、検閲とはどのようなものなのかは知っているはずです。
 知っているにもかかわらず、全く違う話なのにわざわざ検閲という言葉を使うのは他者を間違った認識に誘導する行為となります。
 
 税金を使って芸術のふりをしてプロパガンダの場とする。
 この行為を行政が行うことは、恐ろしいことになるとは思いませんか? 
 それを許すということは、税金を使って行政が特定の政治団体の政治的な主張を行う場を提供することが可能となりますよ? 
 それって法律違反になりませんかね? 
 そして、税金を使って行政が特定の政治団体の政治的な主張を行う場を提供することが可能となった場合、どのような社会が誕生するのですかね? 

 そもそも、主催者は展示に対して社会がどのような反応をするのかを予測して対応策を立てなければならなかったのに、何もしていません。
 表現の不自由展と銘打っていながら、万全の準備をせずに展示を行い、何も対応策を取れず、脅迫者の脅しに屈した。
 芸術における表現を問うておいて、芸術における表現の自由を狭める行為を行ったのです。
 愚かとしか言いようがありません。

 公的資金が投入されなくても、表現の不自由展を開く自由を日本国は持っていますよ。
 公的資金なしで私的に表現の不自由展を開催すればよいのですよ。
 しかし、その場合も人はその展示物に対して好きに自由に評価する自由もあるのです。
 ヘタレでないのならば、万全の準備をして私的に表現の不自由展を開催すればよいのですよ。
 これは、検閲とは全く違う話なのです。

 もし、再び、表現の不自由展を開催するならば、日本共産党の圧力によって潰された表示物やイベントの骨子も展示していただけないですかね? 
 全方位に喧嘩を売らないとこのような芸術における表現を問う展示会の趣旨に合致しませんよ? 

 どんな表現であろうとも、それが犯罪でない限りは発表されることは許されるのです。
 今回の表現の不自由展は、主催者が考え無しに行って対策を全く取らずに何も対策を取ることができずに、勝手にヘタレただけです。
 残念ですよ。
 今後、同じような手口で脅しをかける輩が出てくるでしょうから。

 日本共産党も同じような圧力を様々な方面にかけて多くのイベントを潰し多くの表現物を抹殺していますよね。
 やめてもらえませんか。



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