クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

横浜を目指す

2014-07-06 21:28:29 | 日記

終戦を耕一少年は館山で迎えた。15歳であった。

その当時、彼は館山にあった船舶のエンジンを造る軍需工場で働いていた。

6歳から12歳までお寺に預けられ、その後、その工場の社長に引き取られて、働きながら中学校(当時の尋常高等小学校)に通っていたのだ。

 

神州不滅の大日本帝国が太平洋戦争でアメリカに敗れ、敗戦国となった。

敗戦国となったわが国は、これから進駐軍(米軍)の占領下に置かれるという。

わが国有史以来初めて遭遇する国難であった。

生き残った我が同胞達は茫然自失となり、これからこの国はどうなってしまうのだろうかと、全国民が不安の中で暮らしていた。

 

そんな中で、耕一少年は目を輝かせて明日を見つめていた。

もともと天涯孤独の境涯である。物心つくころから、「自分の人生は自分で切り開く」と心定めて生きてきたのだ。

失うものは何もなかった。

日本の社会が大きく変わろうとしている今こそ、自分にとって大きなチャンスが巡ってくるはずだと、この少年は心の底で予感していた。

 

終戦の翌年、耕一は船に乗って横浜へ向かった。

彼の内胸ポケットには、一通の採用通知が入っていた。

それは横浜の船舶会社から送られてきた機関士見習い採用通知であった。

耕一は館山の船舶工場で働いていた時に、時々漁船に乗って航海に出ていた。

戦時中の食糧難の時代に、それは食料確保のための大事な仕事でもあった。

よって少年とは言え、彼は既に小型船の操縦が出来たのである。

その技能を自分のこれから人生に活かそうと考え、新聞に載った求人広告を見てその会社に履歴書を送ったのであった。

 その会社は横浜税関がある関内にあった。

 

新天地を横浜と定めた耕一は、内房の木更津から出航している定期船に乗り、横浜港の高島桟橋を目指した。

定期船は、朝日を浴びながら木更津の港を出航した。

船が港から出ると、かなた三浦半島のその先に、白雪を頂く富士の山が現れた。

霊峰富士が朝陽の中で輝いていた。

「日本にはこの富士山がある!」

神々しいまでのその富士の雄姿を見た耕一は、胸の前で両手を合わせると、その富士山に向かって合掌した。

「我に力を与え給え」

彼は心の中でひたすらに念じた。

 

 

 

 

 

 

 

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耕一青年の憂鬱

2014-07-06 09:22:09 | 日記

 

 

竜宮城のような別世界で、耕一は夢のような生活を送っていた。

 しかし、そんな生活が3日、4日と続くうちに、さすがの耕一にも疲れが出てきた。

疲れと共に言い様の無い虚しさが彼の心を支配し始めた。

「俺はこのアメリカの女に買われているのだ。そして奴隷のように扱われている・・・」

そう思うと、耕一は一刻も早くそこから逃げ出したくなった。

 

 

しかし金髪女人の欲望はまだまだ収まる気配が無い。

彼女は1ヵ月後に帰国する予定であった。本国に帰ったらこんなカミカゼ的な素敵な男に巡り会うことはないであろう。

そんな思いの金髪女人も必死である。疲れた耕一に栄養ドリンク剤を与え、回復するとお酒を飲ませて酔わせた。そして更に求めた・・・・・・・。

しかし、そんな努力も1週間が限界であった。

耕一はベッドから立ち上がることが出来ないほど疲労困憊していた。

 

翌朝、1週間前ホテルに耕一を迎えに来た運転手がドアをノックした。

トランクがいっぱいになるほどのプレゼントを積んだ将校用の車は、耕一を乗せてゆっくりと竜宮城を離れた。

緑の芝と抜けるような青空。耕一の耳には軽やかなジャズのメロディが流れていた。

 

キャンプのゲートを出ると、戦後の焼け跡の痕跡が残る横浜の街並みが見えた。

シートにゆったりと腰をおろした耕一は、金髪女人からもらったタバコを一本口にくわえ、火をつけた。

深く煙を吸い込み、そしてゆっくりと白い煙をはいた。

白い煙はゆらゆらと漂い、そして消えた。

 

走る車の窓から外を眺めると、所々に瓦礫が山となって積まれている。

その瓦礫を眺めながら、耕一はあの頃の事を思い出していた。 

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