公園の水飲み場で耕一が顔を洗っていると、シロが寄ってきた。そしてズボンのすそをくわえて引っ張った。
「どうしたシロ、どこかへ行きたいのか?」
耕一がそう尋ねると、シロは黙って歩き始めた。
シロの後を付いて耕一も歩いた。
大きな通りに出た。
都会の朝の喧騒がそこにあった。
走る車が「パアパア」と警笛を鳴らして通り過ぎ、会社へ急ぐ男女が歩道を足早に歩いて行く。
耕一はシロを見失わないように、瓦礫が方々に積まれている道を懸命に歩いた。
「横浜は大きな町だ!」
歩きながら耕一はそう思った。
ビル街を過ぎると商店街になった。
もう一時間近く歩いているが、人家が途切れることがない。
シロが後ろの耕一を確認するように時々振り返りながら歩く。
次第に辺りは雑然とした雰囲気の街並みになってきた。街角の電柱標識を見ると伊勢佐木町と書いてある。
シロが路地に入って行った。
シロの後を追って路地に入って行くと、うまそうな煮込み料理の匂いがしてきた。
やがて少し広い道に出た。その道の両脇に小さな屋台や露天が並んでいた。
客を呼ぶ威勢の良い男達の声が聞こえる。女達のかしましい声も聞こえる。
そこは闇市と言われる場所であった。
地獄の底で必死にうごめき、たくましく生きる名も無き庶民の群像がそこにあった。
街角に立つ復員傷病兵の物乞い、ガード下の孤児達の靴磨き、そして夜の街角に佇む女達。
戦火の焼け跡で、地獄、餓鬼、畜生、修羅の姿をこの世に現じて、人々が必死に生きている。
何のために、誰のために生きているのか、そんな事を考えている暇はない。
ともかく生きなければならないのだ。
耕一も生きようと思った。
どんなことがあっても生きたいと思った。
なぜ生きるのか・・・・。
十六歳の少年の心に、ひとつの思いがこみ上げてきた。
「父母に会いたい・・・・・・」
それはもの心付いた頃から、彼の心の奥底にあった小さな思いであった。
その小さな思いが、今、ひとつの希望となって彼の胸に突き上げてきた。
「自分を生んでくれた父母に会うまでは死ねない。死ぬわけにはいかない」