(田んぼに咲く野花)
耕一は山下公園を出ると関内のオフィス街に向かった。
その界隈には10社近くの船会社の事務所があった。
「機関士見習い」の募集ポスターを出している会社はないかと、耕一は探して回った。
その中で「機関士募集」のポスターを出しているオフィスが一軒あった。
耕一はその前で立ち止まった。
「ここで雇ってくれるかもしれない」
そう思った耕一は、深呼吸をひとつすると、入り口のドアをノックした。
「どうぞ!」
と、中から男の声がした。
耕一はドアを開けると、恐る恐る中に入った。
「なんだ、小僧じゃないか」
男の大きな声が中から聞こえた。
その声の方向に向かって耕一は大きな声で言った。
「すみません、千葉から仕事を探しに出てきました。機関士見習いの仕事はありませんか?」
しばらくして大きな声の男が言った。
「おい小僧、お前いくつだ」
「十六です!」
「機関士の経験はあるのか?」
「館山の網元のところで、機関士の手伝いをしたことがあります」
「手伝いじゃダメだ。うちが今欲しいのは正機関士経験者なんだよ。お前じゃ役に立たん」
「・・・・・・・」
「ところでお前の父ちゃんは戦争に行ったのか?」
「・・・・・・・」
「そうか戦死したのか・・・。だけど、お前、若いのに随分しっかりしてるじゃないか。そのうち良い働き口がきっとみつかるよ。元気だしな」
そんな慰めの言葉など、今の耕一にとっては哀れみの言葉でしかない。
「親の顔を知らないみなし子です」と言えば、更なる哀れみの言葉が追い討ちをかけるだろう。
みじめな思いで耕一は外へ出た。
外はもう陽が暮れかけていた。
耕一は猛烈な空腹を覚えた。
朝から何も食べていなかったことに気がついた。
大衆食堂の看板が見えたので、その裏口へ回った。残飯があれば分けてもらおうと思ったのだ。
ところがそこには、既に数人の浮浪児がたむろしていた。
薄汚れた顔に、目だけがギラギラした少年達がそこにいた。
耕一が近づいて行くと、彼らは一斉に暗く冷たい目で彼を睨んだ。
「よそ者は他へ行け」と、その目が言っている。
それは耕一が人生で初めて味わった、少年達の冷酷な視線だった。
地獄の世界を見てきた子供の目はそんな目になってしまうのだろう。
飢えたオオカミの目もきっとこんな目をしているんだろうなと、耕一はその時思った。
(あぜ道に咲くクローバーの花一輪)