今朝は6時前に散歩に出かけました。
山道は日陰が多く、厳しい暑さが避けられるので助かります。
(本文)
秋の取り入れが終わった田舎の砂利道を、高下駄を履いた少年がゆっくりと歩いていた。
陽が傾きかけた田舎道に、カランコロンと小石を蹴る音が響く。
かなたに小高い山並が見えた。
その山並みの麓から関東平野の田畑が広がっている
故郷で見る田園風景とは大分違うな、と少年は思った。
昨晩、故郷の秋田から夜行列車に乗って上京した少年は、今朝、上野駅に着き、常磐線に乗り換えて岩間駅で降りた。
そして今、少年は合気道の開祖・植芝盛平の道場に向かって歩いている。
開祖の最後の内弟子になるために、今こうして歩いている。
それにしても、東京上野駅の雑踏は想像以上であった。
田舎者の少年を驚かすに十分であった。
時は昭和41年、日本経済が高度成長の坂を懸命に登り始めた頃である。
誰も彼もが、忙しそうに動き回り、大きな声を出してうごめいていた。
《自分にはあんな喧騒の都会より、こんな田舎の方が性に合いそうだ》
少年はそんな事を思いながら、カランコロンと歩いて行った。
少年の名前は本間学。16歳。
しかし、本間少年の顔は妙に大人びて見えた。
その目は憂いを含み、暗く沈んでいるように見えた。
夢と希望を胸に、未来に生きる16歳の少年の顔ではなかった。
彼の懐には父から植芝開祖に宛てた紹介状が入っていた。
「自分の息子は暴れ者であるが、根は真面目で辛抱強い。なんとか一人前の男にして頂きたい」
そんな言葉が綴られた手紙が入っていた。
一時間ほど歩いただろうか、田んぼと畑の中に広い屋敷森があった。
屋敷森の入り口に「合気苑」という看板がかかっていた。
「こんなところで、俺はこれから生活するのか・・・・」
ぽつりとそう呟くと、少年はゆっくりと合気苑の門をくぐった。
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