(田んぼに咲く野花)
人通りの少ない裏道のビルの陰で、耕一はその晩野宿した。
翌朝、近くの公園の水道で顔を洗った耕一は、朝一番で船舶会社のオフィスへ行った。
「おはようございます!」
入り口で耕一は精一杯元気な声を出し、一礼して中に入った。
お茶を飲みながら雑談していた社員の一人が、怪訝な顔をして耕一を振り返った。
「すみません、千葉の館山から出てきた須崎耕一です。社長さんはいらっしゃいますか?」
そう言って、耕一は大事に持ってきた採用通知を出してその男に見せた。
「なんだお前、今頃ノコノコやってきたのか。待っていたけど来なかったから、別の男を採用することにしたよ。悪いけど他を当たってくれ」
「・・・・・・・・・」
その男は剣もほろろに耕一にそう言った。彼は人事担当幹部のようであった。
耕一は何か言おうとしたが言葉が出てこない。
採用通知書を持つ手が震えてきた。
「リンリンリンリン」
電話のベルがオフィスに鳴り響いた。
「さあ仕事だ、仕事だ!」
人事担当幹部はそう言うと、忙しそうに奥のデスクに向かった。
千葉の田舎から出てきた16歳の少年は、何も言うことができず、すごすごとそのオフィスから退出した。
頭の中が真っ白になった耕一は、これからどうしたら良いのか分からず、トボトボとあてもなく歩き出した。
「山下公園」の標識が見えた。
その矢印の方向に向かって歩いて行くと、公園の向こうに海が見えてきた。磯の香りが強くなった。
耕一は深呼吸しながらその磯の匂いを深く吸い込んだ。
もの心付く頃から肌が知っている匂いだ。
全身に生気がよみがえってくる感じがした。
耕一は公園のベンチに腰掛けて海を眺めた。
白いカモメが数羽、海の上を軽やかに飛んでいた。
しかしその動きを良く見ると、獲物の魚を探して、カモメ達は波間を懸命に飛び回っているのだ。
「負けてたまるか!」
耕一は持っていた採用通知書を破いて海に投げ捨てた。
(奇跡のカボチャ君)