(長屋入り口)
トボトボ歩く耕一の足は南京町に向かっていた。南京町とは現在の横浜中華街のことである。
南京町には中国系の人達がレストランや大衆食堂を経営しており、そこへ行けばなんとか残飯がもらえるという噂を聞いたのだった。
伊勢佐木町を過ぎると、耕一は途中から川沿いを歩いた。その川は石川町、元町と流れ、南京町の脇を抜けて海へ至る。
南京町が近づいてくると、その川面に白っぽい棒のようなものがいくつも浮いているのが見えた。
《あれは何だろう?》
耕一はしばらくぼんやりとそれを眺めながら歩いていたが、その棒と一緒に犬や猫の頭なども浮かんでいる。
耕一は「ギョッ」として顔をそむけた。
どうやらその棒は動物の骨のようであった。あるいはそれは人骨であったかも知れない。
戦後の大混乱期である。至る所が無法地帯であった。この大都会では何が起きてもおかしくないカオスの状況であったのだ。
警察など名ばかりで無きに等しく、ヤクザ、チンピラ、愚連隊、第三国人(主に朝鮮人)が縄張り争いをして、随所で抗争を繰り返していた。
浮浪児の仲間にさえ入れてもらえず、人間として扱ってもらえないその時の耕一の存在は、野良犬や野良猫と同様であった。
星の光が見えない真っ暗闇を歩くような思いの耕一の小さな胸は、不安で今にも押しつぶされそうであった。
しかしともかく、耕一は食べ物を求めて南京町を目指した。
(イノシシ捕獲用檻と墓地)
南京町に入ると中国料理の小さな大衆食堂が何軒も並んでいた。
中国料理独特の香辛料の匂いが漂っていた。
耕一は小奇麗な店構えの食堂を見つけると、その裏側へ回って残飯を探してみた。
一匹の野良犬が汚いバケツに頭をつっこんで残飯をあさっているのが見えた。
食べ物がまだ残っているようだ。耕一はその野良犬を追っ払おうと近づいて行った。すると店の裏口のドアが急に開いて、太ったおばさんが顔を出した。手に鍋を持っている。
「オヤ、アンタモフロウジカイ。カワイソウニネ・・・・。ホラ、コレアゲルカラタベナ」
中国人のおばさんが、そう言って残飯の入った鍋を耕一の前に出した。
「おばさん、ありがとう」
耕一は、小さな声でそう言うと、かぶっていた帽子をとり、その中に残飯を入れてもらった。
残飯の入ったその帽子を両手で大事に抱えながら、耕一は山下公園の方へ向かって歩いた。
耕一は情けなくて涙が出そうになった。だが、もう涙は出てこなかった。
涙も涸れてしまった。