(中庭からみた長屋)
♪ 赤いリンゴに 口びる寄せて
だまって見ている 青い空 ♪
♪ リンゴはなんにも 云わないけれど
リンゴの気持ちは よくわかる ♪
♪ リンゴ可愛や 可愛やリンゴ
焼け跡の闇市に「りんごの唄」が流れていた。
チンピラ風の若い男が、その唄声に合わせて口笛を吹きながら向こうから歩いてくる。
肩で風を切って歩くそのチンピラ風の後ろから、すばしっこそうな3人の浮浪児が辺りをキョロキョロとうかがいながらついて来る。
耕一のリュックをかっぱらおうとした浮浪児とは別の連中のようだ。
耕一は背負ったリュックの紐をしっかり手でつかみ、彼らから目をそらして露天の雑貨を眺めた。
シロはどこかに姿を消していた。
近づいてきたチンピラ風が耕一に言った。
「おい小僧、お前よそ者のようだがどっから来た」
「ち、千葉の、た、館山です」
「なんだ千葉の芋か。カネは持ってんのか?」
「・・・・・・・・・」
「ドブロク一本持ってくりゃ、俺達の仲間に入れてやってもいいぞ。何もないならトットトここから失せろ!」
チンピラはそう言うと、また肩で風を切りながら闇市を歩いて行った。
耕一は、それまで世話になっていた船舶工場の社長に無断で、家出同然に館山から出てきたのであった。もはや死んでもノコノコと館山には帰れない。
ここで浮浪児として生きていくには、やつらの仲間に入れてもらう以外、生きて行く道はないのであろう。しかし、耕一の財布には、その時すでにドブロクを買うおカネが無かった。
さっき、我慢できずに煮込みどんぶりを食べた。丸顔のおばさんに払った代金は5円だった。その当時、その金額はかなりの高額であった。耕一は、自分の持っていた有り金を叩いてそのどんぶりを食べたのである。
何度財布の中をのぞいても、ドブロクを買うカネはない。しかし彼らの仲間に入れてもらえなければ、ここでは生きていけない。耕一の目の前は真っ暗になった。
途方に暮れた耕一はシロを探したが、その姿はどこにもない。
耕一はまたあてどもなくノロノロと歩き始めた。
(ニューサマーオレンジの木一本)