石長松菊園・お宿いしちょう 許せぬ罪

いきなりいしちょう首になった悔しさに裁判をしました!
職場復帰の約束を守ってもらえず、いきなり電話一本で首でした。

第12回 やっておかないと後悔するかも?!

2016年12月25日 | 裁判


8月31日に引き継ぎの段取りに(膨大な量の資料が倉庫にあっり、PCに保存されていたりしていて整理する一覧表と記載の整理整頓に出掛けたのです。

そのときには淡々として事務作業をしている感じでしたので、特に問題もなく、必要なデータ~を持ち帰り家でゆっくり整理をしていました。

企画プランを宿泊と宴会に別けてスタート順に時系列で整理してとか旅行代理店での交渉の方法や内容等、出入りの業者との折衝内容や社内の管理しているPCのシステムの内容、予約システム構築と継続の引き継ぎ、館内の防犯システムや館内電話等など、あまりにも自分がしていたことを誰かに伝えるのがどこまでの引き継ぎが必要なのかと考えてしまう量になっていました。

8月1日からの引き継ぎの資料作成が自分のデスクで始まって感じたことは、以前日記のメモとして書いていた通りで、何故こんな目に会うのか、社長が予約センターのみんなの目の前で言った「仕事に戻るなんて聞いていない」「それより業務の引き継ぎをして、机を明け渡してくれ、引き継ぎは副支配人にしてくれれば良い」の言葉が耳から離れない1日となりました。

引き継ぎ資料作成2日目は11時30分から18時まで担ってしまいました。

この日は背中に注がれるみんなの目が気になって、惨めな自分と戦っていました、確かに事故を起こして会社に迷惑をかけていることも確かで、皆さんにも要らない負担をかけているのも事実です、そんな引け目が心の中で渦巻いているのを今でも覚えています。

ふと考えたのが、こんなに仕事の出来る環境にいるのに、そしてまともに仕事をしているのにどうして職場に戻してもらえないのか、疑問かわいてきていたのです。

6ヶ月間は我慢をしろと言う事なのか?

でもなんかおかしいのだと、言葉すくなになった仕事の仲間の顔色をうかがっていると、疑問が膨らむ一方でしかなかったのです、でも総務部長の話しを信じてはいないものの従わないといけない立場であることも身に染みて分かったのです。

8月3日の引き継ぎ書の作成は12時30分から5時までになりました。

本当にこれからどうなるのかが頭のなかを過り、今日で完成してしまう引き継ぎ書を作りながら、どおにでもなってしまえと半分やけくそになっている自分を覚えています。

どうして職場に戻してもらえないのか、ひょっとしてと頭によぎったのは家内の事です、私的なことになりますが裁判でも尋問で話していたのですが、実は家内と再婚するときに、いしちょうの会長と今の大女将に報告に行ったときにもう反対をされてい待ったのです、何故なのか最初解らない話しでしかなく、理由を聞いても言ってもらえないでの反対に本当は何か裏であるのではと考えましたが、その事が原因のひとつかもと、再婚してからは大女将は私の事を無視をしているかのような対応が目立ち、会長からもつかず離れずに対応をしてもらっている感じに受け止めていました、後にそんなに家内の事が気に入らないのか、と反抗的な感情さえ持つようになっていました。

ここで引き継ぎなどの業務命令にたいしては企業としては文章での通達をしていた方が良かったと言う点、休職命令にしてもなんら文章的なものもなくただ言っただけ、になってしまっていたのです。

本来なら会社としての辞令や指示書、命令書なりを発行しなければならないのです、そうしておかないといつ誰がなんお目的をもって業務の変更を指示したのか、また法的にも有効なのかが問われることになるのです。

この裁判以後は社内のでの辞令もしっかりと出されるようになり、休職者に対しても何らかの説明と書類が渡される様になった見たいですが、どんなものでしょうか、まだまだ改善の余地があるのではと聞いています。

さて、引き継ぎも無事に終えて仕事のたまっていたものや改善して欲しいものを引き継いだ途端に、私はいらない存在なんだなんて感じるようになりました。

正直、言い方は悪いですが、自分の仕事も取り上げられ、机も取り上げられ、いざ戻る場所さえなくなってしまった、総務部長の言う社長も了承している身体が治ったら仕事に復帰したら良いの言葉が薄っぺらいものとしか感じないのは何故なのだろうか、早く治りましたと言えるようにならないといけないと感じたのです。

労働法の中でも従業員の立場を守るものと、会社の立場を書いたものがあり、今回もその内容が今でこそ分かるものとなったのです、

業務内容が適切に行われているのか、行われていなければそうすれば良いのか、雇い主側は管理責任と権利が保証されています、ただし法に定まった範疇で行われるのです、ですから私に対しての業務命令も有効だと判断されかねないものであるのと、労働者を守る立場では、職場での改善要望や地位保全の権利が認められている部分もあるのです、勿論会社の風紀を乱したり業務を妨げたり、著しい損害を与えたりしないことが皆さんの会社にもある就業規則の中に書かれています、この就業規則は各部署の長が管理するか誰でもが閲覧できるようにしておかなければならないのです、何時で皆さんは閲覧でいるし、反対に見ておかないと損をする事になるかもしれません、特に通常の業務の中での給与規定や退職規定、労働条件の規定、等など色々と記載されています、私のような事が起こってからでは遅いので、立場的に難しいかも知れませんがコピーを持っておくのも良いかも知れません、転用複写禁止の記載がない場合ですが。

と言うことで今回は引き継ぎの時にはこんな事がの話しにしておきたいと思います、雇用主と従業員のそれぞれの立場と決まり事は色々と複雑だと思います、そんなときには相談してください、ユニオンに、ちゃんと秘密厳守で優しく教えてくれますし、アドバイスもいただけます。きょうとユニオンホームページ

今年も残り少なくなってきました、お身体大切に年末を乗りきってください。

失礼します、長文お読みいただき有り難うございます、そしてコメントでの応援も本当に有り難うございます、励みになります。

ありがとうございました。
そして、メリークリスマス皆様に幸大き事祈っています。


第11回の2 アドバイス1

2016年12月16日 | 裁判
いじめではないか!?

私の場合は、総務に仕事を再開しますと診断書を出しているのに、社長から業務引き継ぎを命令されて、何故仕事に復帰できないのだと疑問を抱いたのが始まりです、それからは証拠となるもを残す様にしました。
もちろん会話の録音もありますし、就業規則の新しいコピーや就業状況のわかるもの(石長の場合はタイムカードがありません、一時復活したのですがあまりにも多い残業の経費が膨らみ、各部署の長が責任をもって調整し、支配人の最終チェックをする様になりました。現場で働いている者にとっては残業がどこまで認められるのか定かでなく、自分なりの時間を記録していたものと比べて文句をいっている従業員もいたと記憶していますが、最後には諦めてしまうのが現実だったと思います。)と言う状況のなか唯一出勤表が一ヶ月ごとにあり、その保存や給与明細の確認などを、何よりも大事に思ったのは事実を何時、誰と、何をしたかをメモでも良いので残して行く事だと思いました。
弁護士の先生との話しの時も、本当に役に立ったと感じています。
普段から手帳なりにその日の行動や思ったこと、感じた事をメモするのが必要で、習慣にするのがいいのかも知れませんね、営業の人間でなければなかなか手帳に予定を書いて等はしないと思います、個人的な予定しかメモしていないのでは? 
ここまでは、今回の裁判で痛感した事を書きました。


出だしから書いておきたい事書き出しましたが、今さら和解したのにと言うコメントを頂戴しましたが、今さらだかこそ、少し変えてでも、今回はこの11回の掲載した中身の解説と言うことにしたいと考え、色々と書くことも多いのでよろしくお付き合いをお願いできればと思っています。
そして今も皆さんの会社で起こっていることの解決法や、対処法になって、参考になれば嬉しいと思います。
まずは最初の出だしの部分ですが、診断書を出したのに仕事をさせてもらえないと言う事が揚げられます。
私は事故が起こってから救急救命の先生からはリハビリを含めての大体もとの生活に戻れる期間を診断書に書いておきますと言うことで治療を含めて6っヶ月間の療養が必要だと言う記載内容になっていました、その後整形外科の先生がこんな怪我で6っヶ月の診断書を出すのはおかしいと言って、事故から1っヶ月の診断書に書き換えられました、それを改めて総務に提出して仕事を一ヶ月してから始めたいと思いますのでと、伝言していましたが、実際にはその診断書ではなく最初の6っか月の診断書を有効とされてしまったのです。
話しの途中ですが。
法律上では医師の診断書があれば社内での社会復帰を手助けしないといけない事になっていて、本人との面談で仕事内容や部署の選定が行われないといけないのです、が、たまたま私の仕事はPC相手がほとんどで力仕事もなく、医師の判断では軽作業なら可能と言う診断書だったにも関わらず労災をもらっているのだ、6っか月の診断書が出ているのだから休め、仕事をしたら会社が困る等と言う難癖をつけて来たのですが、この時の私にはそこまでの知識はなく、はい、はいと答えるしかなかったのです、もちろん高圧的な、命令口調で話す総務部長に対しては従うざるを得ないような雰囲気になってしまったのです。
本来ならここで、医師の診断書の法律効果をご存じないのですか、と言い返したり、診断書が出ている以上会社としては本人の職場復帰にたいして前向きに堅実的に配慮して考えないといけないのをご存じですか、とか、 労災の給付金の需給に関してはご心配いただかなくてもこちらで総務の係長を通じて処理いたしますので、とか、私がいなくても仕事が流れているのはわかっています、ただ私しかできないことも多々あるはず、他の部署になるのかもしれませんが回復に向かっている限りは会社として私に仕事をさせてください、とか言っても良かったのかもしれませんが、診断書を出しなさいと言って、医者の治りましたと言う事がと言っておいて、"を治りましたと言うのはないはなー"なんて訳の解らない事言ってどうしたらもとのように働けるの?って考えてしまいます。


今だからわかること、皆さんは絶対に会社の圧力には屈しないつもりで頑張って下さい、そして復職出来たとして、一般的には、事業主は労働安全衛生法上の安全配慮義務に基づいて、従業員に安全で衛生的な職場環境を提供する「義務」があります。そして従業員をどのような待遇で扱うか決定する「権利」もあります。
そして医師の診断書は、それを決定するにあたっての意見の位置づけになるのです。
診断書に何と書いてあろうが、それを受けてどのような処置を取るかは、職場に決定権があり、決定義務があるのですが、その決定した扱いが不当である(安全配慮義務に従っていない)と考えられた場合、従業員は就労に関する相談公的な相談場所(労働基準監督署)に訴えて、法律に沿った対応をしてもらうよう監督署の側から是正してもらう依頼をだすことができます、そしてそんなときに味方になっていただけるのがユニオンです、迷わずにご連絡をして下さい、難しくもないし怖くもありませんから。 

そんな流れの中で総務部長からのこの話があって本当に怪しいと考え出したのです、まさか勤続20年の私をと言う気持ちもありましたが、疑わざるを得ない状況だったのです。
まあ事故を起こしてしまって会社に迷惑をかけているのも事実だし仕方ないのだろうと言う気持ちもどこかにあったのも事実でした。
ちなみに労災関係などは一時中断も可能だそうです、そして覚えておいて欲しいのが、保険関係の処理にしても遅いとしか言いようがなく、この頃にも保険会社に相手方からのお詫びもない、どうしているのかと喧嘩腰に話していたのも覚えています。 

いよいよ引き継ぎの資料を作成することが始まりましたが出勤して会社の私のPCを使って、資料を作成しているのも現実的にあった事実でこれで仕事ができないなんていじめでしかないと感じた事もありました。 
私はちゃんと仕事しているじゃないか?!

あとこの続きは次回にしたいと思いますのでよろしくお願いします。
長文お読み頂きありがとうございました。

第11回 6っヶ月の休みがあるのだから今会社に出て来ても困る!

2016年12月06日 | 裁判
今回からは事件の事実関係をそのままお伝えいたしたいと考えて掲載いたします。
本当はどうなっていたのかを皆様にも知っていただきたくそして、私の行動が、心情がどうだったかを参考にしていただければ幸いです。
あくまでも和解をした事は事実ですので、いしちょうに対しての悪意などは決してございません、
事実だけをお伝えいたしますのでお理解ください。

引き継ぎを言い渡され、ついに突入した進退問題を今回は始まりの会話としての裁判記録から掲載いたします、これは引き継ぎに入る前に総務部長と話した版訳になります。
2013.7.29   (人物A 総務部長  人物B 私 にて記載)
A:今も話し聞いてきたんやけどね、あれ以降まだ顔出しているようやけど、言うたけどこの前、お医者さんの診断書を、正式に働こうと思えばお医者さんの診断書をだしてこれで働けるんやと、言う事でこの前診断書を見せてもろた、軽量の仕事やったら働ける言う事やけど、軽量の仕事というのはもともとどういう事を言うのか、わしゃ解らん、あなたの場合は今労災をもうとる訳でしょ、労災で給料を保障されている、だからそれで保障されていながら、ここへ出て来て仕事、完全に仕事出来るんやったらええで、にもかかわらず中途半端な事をしとると会社のほうも困るわけや、ただで仕事つことるん違うかと、労災だしとるほうからそう言う事言われる。
B:勿論そうなんで、一応任意保険の会社と労災係の手続きをする会社と労災の担当者と話をしているんです。
どうしても業務がたまっていて、行かんと処理が出来んので・・・
A:それは会社がな、そんなことしてまで出て来てもらわんでいいんや、ちゃんとしてから出来てもろたらいいんや、え、だから会社は会社でやっぱりここで必要やったら誰か来てもらわにゃいかん、ないも仕事はそこだけと違うんやから、それとなにもあなたがやっている仕事はあなただけしかでけんちごて誰かが知らなあかん訳や組織としては、ある程度幅広く知ってもらってやれるという事も必要なわけや、それでどうするかは知らんけども、いずれにしてもあなたがおらんから言うてあなたの業務がたまっているから言うて、そんな中途半端な事で来てもらうと、さっき言うた話と以外で仕事そのものが困るのと、会社そのものが、他のものも困るやないか。
B:すみません。
A:だから、はっきりと六カ月の休みがちゃんと言われとるやったら、休んで、それから出勤して完全に治ったとそして顔出してそのうえで、そのうえでそうするか会社と話したらいいわけで。
B:そうしたらたとえば、お医者さんのほうが一応仕事しても大丈夫と診断書があればいいと言う訳ですか?
A:いや~やっぱりお医者さんの場合はね、お医者さんといえどもどういう仕事でどれだけ負担かわからへんねやから、だいたい仕事したという意向を持ち出したら、それは可能なような抽象的な表現でこの前のような診断書のような形になってくる訳や。
B:それで当初六カ月と言うのはリハビリ期間含めての六カ月やったんで、それで、それで六カ月間と言う診断書を書いておきますと言う事だったんです。
A:そしたらリハビリいってからこっち来たん。そしたらそしたら労災どうするんやな。あんたはわしには労災がどうなっとるとか何も話しせんとやな、そえでこないだ言うたにも関わらず、わしがこの日に顔だしとると、わしは、月曜日・木曜日来るとわかっとるねやから、そうしてちゃんとこなあかんやないか、それが本当に誠意と言うやつや、一生懸命やるというか、そう言う事をちゃんとせなあかんやかいか、それから病気で、怪我したという事もこれも労災認められとるんやから、今見た限りでは腰おさえたりしてなんかして来てる限りは、そんなん仕事をまともに出来る訳がないやん、六ヶ月間の診断書がわざわざ出とるんやから、それまでに完全に治ったらまたな、完全完治したという事であればな、そしたら改めてその時点でね別に六カ月たたんでも、はよ治ったほうがいいわけで、その時点で又色々考えたらいいわけで、話ししたらいいわけで、だから中途半端な形で来てもらうと、まず労災関係はどうなっとるんやと、それはちゃんとこういう風に片付いて、他から見てもそう言う変な眼で見られんようにちゃんと処理出来とるんやと言う事がまず一つ、せないかんね、わしは医者の診断書を持ってこないかんと言うとるのはそう言う意味で言うとるんやで。
ちゃんと完全に治ったという医者の・・・ところがこの前のはそうじゃないやんか、あんたが今言うたようにおそらくリハビリしながら、どんな仕事してるか医者が知ってるか知らんか知らんがね、いずれにしても仕事やから、仕事してもらったら給料払わないかんねやから、ところがあなたの場合はちゃんと給与保障をされとる訳や、保険はどうなっとるか知らんけど少なくとも労災保険はおりおうる訳や、そしたらその保険でやる以上はね、ここで働く訳にはいかんねや労災に対しても、給与を会社は払わんとただ使いしとるわいと、悪い見方を、そないなことはないけど極端な言い方をすればそう言う見方も出来る訳や、そう言う事をきちっとせないかん、それと、仕事はあなたがおらんとたまっておるのかも知らんけどね、これは組織やからあなたが人間やから誰がなんぼあれしても何時どうなるかわからん、その時に組織おいうものはそこのポジションを変えてちゃんとできるようにしとかないかん、あなた一人に頼っている訳にはいかんねやから、組織は。
自然の流れでも歳いったら定年で辞めていく訳やから、次の人が育ってないかん訳や。ましてやそう言った突発事故もある場合も予想して、ちゃんともしそう言う事があっても誰かが代わりにそう言う事が出来るようにしとかないかん、育てておかないかん、今回はねどうなるか知らんけどね、あなたがそう言う長いこと座ってれば当然手立てもせないかん、あなたが回復したら回復したでまたその時は考えたらええ訳で、その人は二人いようが三人いようがええ訳で、仕事が出来る沢山同じ仕事が出来る人がおったほうが良い訳や、だからとにかく診断書をおえ、ああいう診断書じゃなく完全に働くのであれば、やっぱり完全に働けると言うところまで、まあ六カ月過ぎてのと言うのであれば、それに医者の診断に見合った仕事と言う事もまたこれも一つの方法や、考えた見たら、けども完全に治ったらどこでもいける訳や少なくとも六カ月の間は、ちゃんと休んで保障も労災もおりる訳やから、だからちゃんとせんと他の者が困るやろ、わしゃそう思うで、だからそういうときはこれは災難や一つの、事故があると言う事は、こんな時はどんと腰据えて一つの自分を見直すという機会でもある訳や、見直して、自分を見直してさらに、飛躍していったるんやと言うね落ち着いて自分を見直し、周囲を見直しきかいでもそれぐらいの気持ちで治してからでないと困る。
B:とりあえず医者のほうから治ったら治ったで診断書お願いしますと言う形で提出させていただきます。
A:でも医者は完全てないわな・・・。
B:完全てないと思います。あのう、普通・・・・・
A:それであんた見てたら腰を押しながらあるいとるやろ、そんな事で仕事出来ひんやんか、医者がなんぼ言うたかって仕事出来ひんやは。
B:わかりました、これに関してはリハビリしてますんで、それは続けて治療して・・・
A:六カ月あるやないか、まだ一カ月か、二か月か。
B:二か月
A:別に六カ月まで出てくるなと言ってるわけやないんや、完全に治ったら出てきたら良いんや。
B:わかりました。
A:中途半端はあかんと言うとるんや。それはさっき言うた理由や。
B:わかりました。
A:あせって自分がおらなんだらどうなる、こんな事組織の問題や、前言うたようにあんたおらなんだら組織うごかんと言うならば、そんなそ組織あかんわけや。
B:わかりました。
A:こういう機会に誰かが取得するなら取得したらいいわけで、しごとはそれだけ違う色々ある。
B:わかりました。
A:六カ月期間たっても治らんと言うのも予想しとかなあかん、それもひとつの区切りとして六ヶ月間過ぎた過程でこれも医者の診断もいる医者の話しも聞かないかんし、で、あなた自身の事もいるし、労災の関係もあるやろし、そう言う事をきちっと話しして、それから出てこんと、あの、困るわな実際にあんた自身も困ると思うで、会社も困るし、周囲の人も困る、どないなっとるんや、みんなおろおろしなあかん、だからこの前言うたように、ただ席はなくなっとるわけやないんで、リハビリ行った時にちょっと顔出してね、こうして
リハビリ行ってます、すんませんな、と言うぐらいの気持ちを持ってそれで顔出すねやったら良いで、けども、やっぱり完全にでてこんのであれば、会社もいつまでも開けとく訳にいかんやろおそらく、と言うてあんた来て無理して労災貰いながら中途半端な状態で、はい仕事してます、これこそなおさら将来的に見ても非常に不透明で不確定でなんや、ふやふやとして、その人自身もこうなるんかいな、そう言う事をきちっとしなあかんし、そう言うこともきちっと、ほかのひとの影響も考えなあかんしあんた自身もここにおったのも長いわけやし。
B:わかりました。
A:何も出てこなくていいと言うてへんし、席切れてるわけやないやからね、こうして元気にだんだん良くなっとるんやと言うぐらいの、そうすれば皆がねそう見てくれて早く治ってやと言う気持ちになってくれるやろし、と言う事でわしはそう思とるし、社長もそう言う意向やと思うで、わし先に確認して言うとる訳で、わし個人で言うてへん訳や、個人で動いてへん、個人でどうなることでもない、会社の方針に従ってこれが筋が通おっとると思えばその筋が通おっとる方向で処理してる、と言うことで。
B:わかりました、まああの~前回に近づくように努力してリハビリしたいと思います。
A:そやからそういう事でな、あせりもするんやと思うけども、気持ちはわかるけどもな、やっぱりこうして休んで給料もうてる以上はそれなりの理由があってもうとる訳なんやから、それらしき・・・・・(社長の別の話しが入る)
だからあれや、そんな毎日、毎日でてきとるんかどうか知らんけど、毎日出てこんでもええやん。
B:はい、わかりました。
A:別にきになるんやったら一週間に一回でもちょっとこうして行ってきましたと、えらいすんませんと言う気持ちで。
B:わかりました。
A:なかなかわしはわかるで、、それともう少し胸張って自信もたなあかんわ、生き方に対して、これまたはずれるけどな、そうせんと組織というのは周囲から信頼されんとあかんね、周囲から信頼されたらどさっと仕事はあるね、あんたの事やから、キャリアはあるんやから、別に今のところにかじりついとらんでも、でも今の仕事をさらにやろうとすれば、周囲の人間関係を作り、変わった地点から物事を見ておれば、また広がってくるかもしれん、それと合わせてあんたは今は課長や、課長と言うものは自分だけで仕事するポストと違うんや、人から、人に頭を下げて、協力してもらって自分の仕事が出来る管理職的要素が十分にある、仕事をしようと思ったら一人では出来ひんねやは、上に行けばいくほど頭を下げて頼まな、そしてみんなに協力してもらって初めてみんなが動くんや、みんながまた又意見を出してくれるわね、そしてまた自分だけ目立つとか自分だけ保身で動
B:わかりました。
A:余分な事言うけどね、社会とか組織と言うものはそんなものや、何にも知らんでも、人が助けてくれたら出来るとか、健康で五体満足であれば、そう言う気持ちでなある意味そう言う気持ちに帰っていく機会であると思うんやで。
B:わかりました。
A:君は保障されてる訳や、去年も暑かったな、何人も倒れて、けども会社の規定から言えば手当も出えへんし、かわいそうやな、六ヶ月間で治った人も治らん人も、治っても出てこん人もおる、出れん人もおる、なんの一銭も保障されてへん、かわいそうやなと言うように思とった、でもあんたの場合はな、幸か不幸かの問題やない、そう言う形で労災的なものに給与だけでも保障されとるだけでもよかったと、会社によってはそら公務員の場合は、それはちゃんとあるから、会社によってはいろいろ内部規定があってそう言う規定になっとるところもあるし、大きな会社は公務員とほぼ同じようになっとる訳や、でもこれぐらいの会社であればみなだいたいそんなもんや、そしたら自分からね、気を付けなあかんし、それでも気をつけておっても世の中どういんもならん災難ちゅのはあるし、これは日本の国は幸いにして制度がちゃんと出来とるから、ちゃんと保障も出来るようになっとるし、だから、そういう事でな来るんやったら、来んなとは言わん社員やから、それで段々良くなってるんやと言う事ぐらいを見せにくるぐらいにしとかんと、それで仮に向こうで誰かが来てやるとるとなれば、ちゃんと教えてやるぐらいの度量の深さを持って、そこでちゃんとする、そのほうの姿勢のほうが会社に対して改めてこういう気持ちになってくれたんやな、というとこ出すチャンスやないかな、ほで、自分が今までの仕事一緒にしてたらそれまでや、孤立してやってたら、でもそう言う気持ちになって会社の為にパット動くようになればまた見方が変わってくる、開けてくるやんか。
B:わかりました。
A:なかなか言葉で言えても、なかなか実現は難しいと思うよ、それでわしらは苦労して来とるんやから、なんでもわしは自分で実践して失敗沢山して怪我もし、事故も処罰も受け、でもそれをバネにしてね、生きてきたんや。
だからわしは出来ん事ないと思うし。
B:わかりました。
A:でも、あんたの場合はそれをしなんだら今の時代にうけるとこないよ。
B:わかりました。
A:わしも歳なんやから、それでちょっとは心入れ替えてな、焦る気持ちはわかるけど、今まで色々迷惑かけたこともあるやろし、たすけてもろたこともあるやろし、また自分が助けたこともあるやろ、でもそれはね、何時までもそれにこだわっとらんと、それを糧にして今よりも良くなると、努力せなあかんわな、並大抵の努力やないで。
B:わかりました。
A:だからそうしなまたあんた、あの人来とるでとまたわしが来るたんびにそう言う、わいわはなわざわざな今まで会わなかったら、おう、来とるやないかわしのところに来とるんやったら、あんた待っとって言うつもりやけど、なにもそこまでする必要もないとわしはこの間そこまで言うとるんやから、もうはよからわしが出勤する日はわかっとるんやから、だからその時になにか言う事あったら言うてもろたらいいし、
B:わかりました。
A:そういうことやね。そうし。
B:まあ、リハビリに努力します。
A:まだ、六カ月間あるんやろ、その間で努力して完全に治るのが一番いいし治らなかったら治らなかった時点で素直にな頭下げるところは頭下げて・・・、
頭下げるところは頭下げて礼儀を尽くして頭下げてそれからや、それから出発や、余分な汗に、そんなん出したってどうしようもないんやから、組織は待ってくれへんよ、厳しいよ、まあ、そう言うことやし。
B:はい。
A:だからましてやあそこに、ポジションに誰か来たらそこ行って必要なことは、そんなもん集中してずーと来る必要ないし、一週間に一回くらい着て、を育てるくらいの気持ちでね、なんかわからんかったら言うてとわかるまであれするしと、それでわしは今休職のみで他から保障受け取る身やから、ずっと来るわけにはいかんのでと、そう言う事をすると会社に迷惑もかかるし、治療に専念したいけども、まあ幸い動く事が出来るからしゃべることもどうむないし、その範囲で一週間に一回、必要があれば二回、おそらく短時間や、分からんことがあったら、またメモしておいてもうたら見ますからと、言うぐらいのそお言うてまた机行ってまたその人にいってるとその人もまた迷惑することもあるからな、その辺のところはもう大人としてその時の空気を読んでいかんとな。
B:わかりました。
A:まあそう言う事や。

以上があの時の総務部長の話しのすべてです。
何かおかしいと考えつつ、威圧感から聞いているだけになりましたが、診断書なを出したら良いのかと思ったのです、そして上手く話しを組み立てているものだと関心したものですが、相手が総務部長なので反論しても仕方ないと考えていました。
始まりがここにあった様です。
お読み頂きありがとうございました。