おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その1。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

2024-04-24 18:35:14 | 銚子往還

今回は、もう一つある「銚子往還道(従銚子港至千葉町道)」を歩く、その前に。

旧道に連なる「飯岡漁港」から刑部岬・灯台付近を探訪します。

4・19(金)。晴れ。

「旭駅」から旭市コミュニティバスを利用して、

「玉崎神社」下車。(ここまで運賃100円。)

※小学生、75歳以上、運転免許返上者は100円。通常は200円。数人乗ってきました。

飯岡漁港まで歩きます。

道路が整備され、新築のおうちが目立ちます。実は、それには背景があったのですが、後で知ります。

さらに、

19日に出かけた翌日、整髪に行ったとき。行きつけの床屋さん、飯岡の「三川」出身だということが判明。

「昨日、歩きましたよ。旭駅からバスに乗って、飯岡漁港から刑部灯台まで」

「高校まで三川に住んでいました」

そこから、話が弾んで、玉崎神社までのコミュニティバスの停留所を停留所一つひとつ挙げて、「三川」という停留所はないんですよ」と。

「八畝田」~「三川犬林」~「三川目那」~「三川曽根」・・・

そして、「3・11の東日本大震災で大きな被害があったんです。中学校も震災で高台の方に移ったんですよ」

「それでけっこう新しい家が目立つののですね」。

「自分がいた頃、30年前の話ですが、藁ぶき屋根の家もありました。自分の家は農家、兄貴が後を継いでいます。自分は、早く家を出ようと思ってました。高校を出たらすぐ、東京に」

「旭中央病院はずいぶん大きいですね。駐車場も広いし、満車でした」

「そうなんですよ、銚子の人や小見川の人もやってきます。このへんでは唯一の総合病院ですね。おじさんもおばさんもそこで亡くなりました。火葬場も旭にありますし」

・・・

海岸に出てきました。

                遠くに見えるのが「刑部灯台」。屏風ヶ浦の断崖上にあります。

飯岡漁港。

               

ここは、「屏風ヶ浦」の西端であると共に、南西に向かって「九十九里浜」が始まるところでもある。

              飯岡漁港・刑部岬の東側が屏風ヶ浦、西側が九十九里浜。

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総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その6。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-23 18:38:18 | 銚子往還

総武本線・上りの電車。 

古い石塔。

旧道沿いの街並み。

「塙廣屋」。屋号?

「柴崎町」交差点。国道356号「利根水郷ライン」を横切る。

※利根水郷ライン=千葉県銚子市から、我孫子市に至る全線に渡って利根川右岸に沿う。

角に大きな記念碑。

「銚子市立海上幼稚園」。奥に「海上小学校」。

海上=うなかみ。

海上村(うなかみむら)は、千葉県海上郡に存在した。現在の銚子市の、おおむね松岸駅椎柴駅猿田駅の間の沿線に位置していた。

海上は広域地名であり、1954年から2005年まで存在した海上町(現旭市)は本村と位置も異なる別の自治体である。銚子市立海上小学校などにその名をとどめている。

いよいよゴール地点へ。

                 正面は、「藤兵衛支店」。

来た道を振り返る。

「銚子信用金庫松岸支店」。

佐原方面から利根川沿いを進む「銚子街道」と出会う(追分)。ここから飯沼観音までが銚子街道とされる。

今回は、ここを大網からの歩いてきた「銚子往還」のゴールにします。

この付近の今昔。

(現在)〇が追分(今回のゴール)。赤い線が「国道356号(利根水郷ライン)」。

(1880年代)当時から銚子往還(従銚子港至千葉町道)との追分だったことがわかります。

松岸駅に向かいます。

少し銚子方向に戻り、右折。

銚子市のマンホール。

            中央に犬吠埼灯台と太平洋の波とカモメを描き、周囲に市の魚イワシをデザイン。

途中で見かけた「銚子ちヾみ」のお店(作業所)。

            「無形文化財 本場銚子ちヾみ 千葉県伝統的工芸品」。

       

解説板。

銚子縮(ちぢみ)

銚子縮の特徴は、木綿糸をスカイ、普通系の何倍もの縒りをかけた左縒りと右縒りの二種類の横糸を交互に通して織り込む。織りあがった生地を湯に浸けて揉むと、縒りが戻る時に互いに反発する弾力で生地に細かな凹凸ができる。これをシボ出しといい、何回洗っても縮まない丈夫な織物が出来上がる。縮の生地は丈夫で染色もしっかりしており、快適な肌触りの良さから広く庶民に親しまれている。

銚子縮の発祥は定かではないが、江戸時代後期に産業化したといわれる。しかし、大正時代を境に銚子縮の生産は途絶え、戦後、常世田真次郎氏が銚子縮の復活を心がけ、苦心の末に銚子縮を再興した。現在、銚子縮の製作技術は息子の秀雄氏を経て、孫の眞壱郎氏が継承している。

JR「松岸駅」。

「成田線」で成田まで、そこから京成線に乗り換えて帰宅しました。

総武本線・成東経由千葉行き。

成田線・車窓から。

            左手に東総台地。台地の南側から歩いてきたわけです。

小見川駅を過ぎると田んぼが広がります。

          

田植えも間近です。

「銚子往還」道は、実は、今回の道だけではありませんでした。旭駅から東に向かい、飯岡漁港を通り、東総台地の東縁を歩く道がありました。

次回、その付近を探ってみます。

 

 

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久々の「向島百花園」。4・20。ツツジ・サツキ。サクラソウ。タケノコ。タムケヤマ。カルガモの姿が。

2024-04-22 18:38:40 | 向島百花園

すっかり春めいた今日この頃。小さな花が咲きそろっています。

近所のおうちの車庫前の溝にも小さな花が。風で運ばれてきたのか、車で出かけたときにタイヤについてきたのか?

土もなさそうなところに、けなげに咲いています。       

路地裏にも、         

  

       

これは我が家の鉢植え。

そういえばサクラソウの咲く時期。毎年、百花園でも地元の方々が丹念に育てた「展示会」が開かれるはず、今年も、と出かけます。

ところが、今年は中止。暑さで生育が思うようにいかなかった、とのこと。今年は園内で育てた花のみが。

                        

              それでも、様々な色合い、姿のサクラソウが咲いています。

満開のサツキ。

ツツジとサツキは、それぞれ似た特徴をもった植物のようです。では、どうやって見分ければいいのでしょうか。

「ツツジとサツキはどちらも花が非常に良く似ていることから、間違えてしまうことも多い植物です。一般的な見分ける方法をお伝えします。ただし、品種によっては相違がない場合もありますので、注意してください。

まず、花の違いから見ていきましょう。大きさはツツジが6cmくらい、サツキは4cmくらいとやや小さめです。おしべの数はツツジが5本以上に対し、サツキは5本です。花の咲き方は、ツツジが一斉に咲くのに対し、サツキは“パラパラ”と咲きます。

葉の違いで見ると、大きさはツツジが4~5cmくらい、サツキが2~2.5cmくらいです。ツツジは表面に柔らかい毛があり、サツキはつやつやしています。

開花期はツツジが4~5月頃で、新しい葉が出てから花が咲きます。サツキはやや遅い5~6月頃で、新しい葉が出る前に花が咲きます」(小山さん)

(この項、「ウェザーニュース」HPより)

とうことは、上の写真は、サツキそれともツツジ?

             

タケノコも顔を出しています。

タムケヤマもしっかり色づいて、

※タムケヤマの名は奈良にある、古からの紅葉の名所「手向山」にあやかったもの。『古今和歌集』で、菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。この歌の季節は、秋。

ふと叢に目をやると、カルガモが二羽。

池の方にもカルガモの姿が。

百花園では毎年カルガモの親子が見られますが、複数の成鳥のカルガモは見たことがなかったので、ビックリ! 

池の中に飛び込んだカモを追いかけるかと思ったら、叢に佇む一羽。池の中のカモは二羽で仲良く? 泳いでいます。

鳥の世界も・・・。

池の中には、もう2羽の姿が。<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/0e/6dabfa839cf6a247873e7197676d1447.jpg">

合計3組+1羽。(そういえば、水面から飛び立って去っていった組も)この中でどのカルガモ組が定着し、親子連れの姿が見られるのか? 他のカルガモは? そして叢で佇んでいた1羽は? 興味津々。

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総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その5。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-21 13:35:11 | 銚子往還

収穫済みのキャベツ畑。

 平地が広がる。

「標高8.5m」。約50m下がってきたわけです。

前方遠くには「JR線」。

東方向。

西方向。

キャベツ畑。

JR総武本線踏切。

                      「柴崎街道踏切」。

  

銚子方向。                 旭方向。  

 成田線「柴崎踏切」。

  

佐原方向。                 銚子方向。

この際、まとめて路線図。

成田線

総武本線佐倉駅から北へ分岐し、成田駅を経て、利根川南岸に沿って、再び総武本線との合流駅である松岸駅へ至る本線と、成田駅から分岐して我孫子駅に至る支線(我孫子支線)と、成田駅から約2 km北の地点で本線と分岐し空港第2ビル駅を経て成田空港駅に向かう支線(空港支線)を持つ路線である。本線の佐倉駅 - 松岸駅間では総武本線よりも13.4 km営業キロが長い。成田線の正式な起点駅は佐倉駅であるが、千葉駅を発着する成田線発着・経由列車は、総武本線成東駅方面行きの列車との誤乗車防止の観点から、同駅以東で列車の前面・側面表示を含めて「成田線」と案内表示される。(「Wikipedia」より)

表示上の「成田線」線路図(千葉~銚子)

  

総武本線

安孫子線

                                 (「ジョルダン」より)

※成田線は、「松岸」から帰途に利用し、「成田」で京成電車に乗り換えます。

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総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その4。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-20 13:31:58 | 銚子往還

三叉路に石碑などがいくつか。

小さな集落に入ります。

右手には畑が広がります。

路傍には明るい色のキク科? の花々が。

            ガーベラ?

この花の名は?

            

右手下にも住宅が。 

剪定された見事な槙。

県道に合流します。

その手間に作業所。

       ダイコンを水洗いながら先端を切り落としています。カートに山積みされたダイコン。  

その作業所の前に、

                木彫りの熊?   

振り返る。

合流地点に記念碑。

この付近、旧道の道筋ははっきりしません。

                     (1880年代)丘陵と丘陵の間を進む。

                     (現在)黄線が県道。白線が旧道。

西側には畑が広がる。

この道が旧道の一部? 

東総台地の北端から下り坂にかかります。台地に上った分、下るわけです。

坂の途中に古い石碑。

          

右手は谷筋。

前方が開けてきます。

平地に降り立った印象。

来た道を振り返る。<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/6d/428b626acd34f3efbb30651c71411e5e.jpg">

                      遠く東総台地を望む。

 

 

 

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