食べちゃった!
動物園に1人で行くことなど滅多になかったが、なぜかサルが見たくなり、カメラに望遠レンズを着け替えて出掛けたことがあった。10年以上も昔のこと。マイカーで小1時間の距離にある都立多摩動物公園(東京都日野市)。ゴリラが放し飼いにされた小山、というか人工の谷に隔てられた人工の小山の前に、真っ先に足を向けた。現在の多摩動物公園にゴリラはいないが、当時は繁殖計画の一環としてゴリラも飼育していた。
動物園の人気者と言えば今ならパンダやコアラだろう。筆者は昔からサルの仲間が好きだ。人間に共通する面が多く、「おお、わが友よ!」と思わせるところもあって、見ていて飽きない。園内に人影もまばらなウイークデイのことで、ゴリラの谷を見下ろす柵の前では筆者が1人眺めていただけ。すぐ1頭のゴリラが飼育棟の陰からノソリと出てきた。大きな体は貫禄十分、急ぐでもなく棟の裏手へ悠然と歩いて行く。
<ここらへんで、いいか……>。そうつぶやいたのか、どうか。立ち止まり、ゆっくり頭上を見上げて、筆者をギョロリと一瞥(いちべつ)した(ように見えた)。<よいしょ!>とも言ったか、どうか。筆者には背を向け、飼育棟の軒下から延びるU字溝にドッカと跨(また)がる。何をするつもりか、何をしたいのかは、すぐに分かった。ヒトが和式トイレを跨ぐ格好そのものだったからだ。
筆者は感心してしまい、何度もカメラのシャッターを切った。さすがは「ヒト上科、ヒト科、ヒト亜科」に、ヒトやチンパンジーとともに並ぶゴリラだ。出したウンチが自分の尻にくっ付いてしまうのが嫌なので、U字溝の底へ落とそうとしたのだろう。いや、ご清潔なこと! いやいや、ご立派!
ところが感心したのは一瞬だけ。ゴリラの右手が尻の下に延びると、落ちてきた黒いカタマリをつかみ、そのまま自分の口へ運んだ。もぐもぐとコメカミの辺りが動いた!
対照的な「森の人」オランウータン
大いに感心して感情移入さえしかけた矢先だったから少々コタえた。ちょうど腕時計の針が正午を回った頃のこと。ウンチタイム、ではなくてランチタイムには大盛りご飯とハンバーグ定食をと考えていたが、黒いカタマリの残像がハンバーグのイメージとダブってしまい、いちどきに食欲は失せた。「なに、今すぐ食べなくても……」と思い直してオランウータン(=orangutan、オラウータンの発音は誤り)の飼育舎へと向かう。
マレー語で「森の人」を意味するオランウータン。野生では単独で行動することが多く「森の哲人」の別名もあるが、動物園の中だから集団生活も仕方がない。それでも樹上高く孤独然として佇(たたず)むサマは、しっかりした<個>をそなえているようで実にいい。赤ちゃんに乳を与える母親の目も、人間の母親に劣らずやさしく慈悲深そうだ。
ひときわ大きな体で威風堂々あたりを払っている1頭を探す。しかし、それらしきボスは見当たらなかった。ボスになると顔の両脇にフランジと呼ばれる出っ張りが自然に出て来て、ボスの目印になるとか。フランジのあるオスは、フランジのないオスとは決して喧嘩をしないというのも面白い。メスは通常フランジのあるボスの子を宿すが、実はフランジのない小さなオスもボスに隠れてこっそり子孫を残している。しかしボスはことを荒立てず、集団の平和は保たれているとも。ヒトが「わが友よ」と叫ぶのもオコがましいほど、彼らのボスは賢い。
ニホンザルには辟易したが……
ニホンザルの猿山を訪れた時は、たまたま争いごとが起きた直後のようだった。ボスザルらしき1頭が、中程度の大きさの1頭を追っていた。追う方も追われる方も一目散だが、こんな時の野生動物のスピードは想像以上だ。ボスザルに追従するサルの数がたちまち増え、けたたましく鳴きながら1頭を追い回したから、猿山全体が大騒動になった。ボスへの非礼を我がことと受け止めているようで、どのサルも目を見開いて歯をむき、興奮し切っている。
見ていて、ほとほと嫌になった。親分絶対のヤクザ世界か、半世紀前のサラリーマン社会か、現代ならイジメッ子ばかりの小学校か。1頭ぐらい、弱きを助け強きを挫(くじ)こうという正義ザル(?)が出て来ないものか。まッ、無理だろうけど……。
ニホンザルは日本社会をサル真似しているように思えた。どうしてニホンザルという名がついたのかと、おかしなことを考えてみる。日本人と日本社会が揶揄(やゆ)されているようで、嫌な気分はゴリラのフン事件にも劣らなかった。
サル社会とヒト社会
気を取り直してサルソバを、いやザルソバをすすりながら考えた。ニホンザルの狂騒を嘲(あざ)けるのは浅はかなサルヂエ、いやヒトヂエだろうと考え直す。ヒトは意思疎通のコトバを持ち、噛(か)み合わない議論ばかりながら国会という立派なものも持っている。警察も裁判所もないニホンザル社会で秩序と平和を最優先させるには、唯一絶対のボスに一切の采配権を委(ゆだ)ねる以外に方法がない。理の通った采配か否かは二の次としても、強いボスザルの存在はサル集団の平和を担保する。単独行動の多いオランウータンのようには、いかない。
筆者の最近作に時代長編『雄鷹たちの日々 畠山重忠と東国もののふ群伝』がある。貴族政治が崩壊し、混沌として荒らぐ東国で、平和をもたらす絶対強者として出現したのが源頼朝だった。それを知ればこそ畠山重忠たちは頼朝に従い、頼朝をさらに強い存在にと盛り立てた。強い頼朝に平定されて初めて東国に平和が訪れた。人間社会も800年と少し前までさかのぼれば、ニホンザルの社会とあまり変わらない。
世界の秩序をリードしてきた大国と、新たに台頭してきた強国。サルとヒト、どちらも二大勢力が拮抗しつつある時こそが危機だ。先日来、大国のボスがプロレスのリングサイドで金髪を振り乱しながら、CNNに見立てた人物を一方的に殴り付ける動画が、テレビニュースなどに流れている。呆れてモノが言えない。
こちらの大国に親しみを感じてきた国民ほど、この動画に落胆したのではないだろうか。見る人をがっかりさせる度合いで言えば、堂々として貫禄十分なゴリラが、みずからの排泄物を悠然と口へと運ぶシーンにさえ、それは匹敵する。
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