フランス実存主義哲学の出発点
ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』は、近代思想に大きな影響を与えてきた。カラマーゾフ家の次男イワンは下僕(実は腹違いの兄弟)スメルジャコーフに「もし神が存在しないなら、すべては許される」と説き、暗に父殺しを仕向ける。ドストエフスキーが生きた19世紀のロシアでは、すべての価値観や規範が神の存在を前提にしていたから、人はある意味、日々の生活まで細かく縛られていた。日々神に束縛されると、むしろ安堵感に包まれて居心地は良い。慣れてしまえば、束縛から脱することの方が勇気は要る。イワンが弟のアリョーシャに語り聞かせる設定の「大審問官」の章では、キリストに見立てた“老人”に「人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはない」とも語らせる。神が存在せずに人間が自由な立場にあれば、すべての判断は個々人にゆだねられる。そのような状態を指して「自由ほど耐えがたいものはない」と“老人”は断じたわけだ。
フランスの哲学者サルトルは、神なき世にあって「すべては許される」ことが実存主義哲学の出発点であるとし、「人は自由の刑に処せられている」とも言った。同時代人のカミュも同じ立場に立つ。この二つの命題を出発点とした思想家は他にも多い。
我が貧しき“ドストエフスキー体験”
初めて『カラマーゾフの兄弟』の分厚い本を手に取ったのは高校2年生の時だったと思う。1年生かもしれず、記憶はおぼろだ。芥川龍之介と太宰治のどちらかが、自分の本でドストエフスキーを激賞していた。4つ違いの兄の本棚を見ると、古本屋で安く買ったのか、装丁の崩れかけた『カラマーゾフの兄弟』があった。そこで1ページ、数日経つとまた1ページと、きわめて不熱心かつ非効率的に『カラマーゾフの兄弟』を読み始めた。
当時は本好きでなかった。「芥川龍之介と太宰治のどちらか」と書いたが、この2人の薄い短編集以外にそれまで小説の類いを読んだことがなく、ドストエフスキーを激賞したのが芥川と太宰の、いずれとも正答できぬ程度の読者だった。ともかくも読み始めたとはいえ熱心でなかったから、高校の3年でも読み終わらない。浪人中も遅々として進まず、本は参考書とともに机の上に放置された。結局読み終えたのは大学1年生の夏頃だった。
作品に魅了されたなら一気に読んだはずだ。振り返ってもカラマーゾフ兄弟の父親殺しに絡む物語という程度で、細かなストーリーを覚えていない。ただ、自分でも不思議に思うのは、ストリーリーの大半は忘れても2つの命題、すなわち「神が存在しないなら、すべては許されるだろう」と「大審問官」で“老人”が語る「人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはない」とは、言霊(ことだま)のように後々まで記憶に刻まれたことだ。
通り一遍には小説も哲学書もカジったが、通り一遍の域は出なかった。2つのテーゼがサルトル実存主義哲学の出発点だと知るのは『カラマーゾフの兄弟』を読み終えた後のこと。だが知ると拙(つた)ないながら自信のようなものが湧いてきた。ストーリーの詳細は忘れても、いちばん肝心要の部分は読み取っていたのかもしれない、という思いだった。自分に自信のない人間は、ちょっとしたことで調子に乗りやすい。続いて『悪霊』『罪と罰』『白痴』『死の家の記録』『地下生活者の手記』『貧しき人々』とドストエフスキーの作品を読んだが、学生運動の盛んな時代だったせいか『悪霊』が記憶に残ったのみ。他にドストエフスキー研究書の類は読まなかった。
「もし神が存在しないなら、すべては許される」への疑問
まあ、そんな程度の“ドストエフスキー体験”であり「斉東野語」、つまり野蛮人のタワゴトだ。言わんとしているのは「もし神が存在しないなら、すべては許される」という命題への疑問である。
この命題を裏返せば「神が存在して初めて、たとえば『殺すなかれ』は絶対的な価値観になる」だ。絶対の神が存在するゆえに絶対的な価値観が生まれる--が、考え方の根幹である。逆に言うなら、絶対神が存在しなければ絶対的価値は存在せず、すべての価値は相対的なものにとどまることになる。「殺すなかれ」も相対的な規範に過ぎない、と。
だが、絶対の神が存在しなければ絶対的価値は生まれないとする考え方はどうだろうか。人間は生まれ、やがて死ぬ。これは絶対的真理だ。生まれるのだから親が存在し、親を取り巻く人間社会も存在する。人が支え合う社会では「殺すなかれ」がルールになる。人類が生きる自然環境や地球環境も絶対的な要素である。地球が消滅すれば人類も消滅するからだ。つまり神の存在如何にかかわらず人間は幾重にも連鎖する「絶対」の中で生きている。それゆえ神無き人間社会であっても「殺すなかれ」「盗むなかれ」は不動の戒めとなる。
“逃げ道”
イワンは末弟のアリョーシャに、こうも言っている。
「神はありやなしやといった問題はすべて、三次元のことしか考えられないように創られている人智には手に負えない問題なんだから」
ドストエフスキーは“逃げ道”も用意しているわけだ。万物の創造主たる神の領域に、被創造物たる人間が人智を尽くして迫ろうとも、しょせん無駄な試みに過ぎない、と。分かりやすく言うなら、幼児(=人間)がどう知恵を巡らせたところで、大人(=神)の心のうちは理解できない、という理屈に同じだ。真理が「不可知の雲」の上のみにあるなら、すべての人智は意味を失う。つまりは人智を排除する論理である。
しかしそれは同時にドストエフスキーみずからがイワンや大審問官の口を借りて語らせてきた論理の一切を帳消しにしてしまう。ドストエフスキーは人間であるから「神が存在しないなら、すべては許されるだろう」も「人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはない」も人智に過ぎない。“逃げ道”を用意したことで、示された2つの命題は当然のこと、命題を立脚点とするサルトルの実存主義も、おぼろに雲散霧消する。
繰り返すが、時代を熱狂させた考え方は、キリスト教的世界観や価値観が色濃かった欧米やロシアであればこそ、成立し得た。唯一絶対の創造主を戴かずに現代へ至った日本人であれば、そのことがよく分かる。
ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』は、近代思想に大きな影響を与えてきた。カラマーゾフ家の次男イワンは下僕(実は腹違いの兄弟)スメルジャコーフに「もし神が存在しないなら、すべては許される」と説き、暗に父殺しを仕向ける。ドストエフスキーが生きた19世紀のロシアでは、すべての価値観や規範が神の存在を前提にしていたから、人はある意味、日々の生活まで細かく縛られていた。日々神に束縛されると、むしろ安堵感に包まれて居心地は良い。慣れてしまえば、束縛から脱することの方が勇気は要る。イワンが弟のアリョーシャに語り聞かせる設定の「大審問官」の章では、キリストに見立てた“老人”に「人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはない」とも語らせる。神が存在せずに人間が自由な立場にあれば、すべての判断は個々人にゆだねられる。そのような状態を指して「自由ほど耐えがたいものはない」と“老人”は断じたわけだ。
フランスの哲学者サルトルは、神なき世にあって「すべては許される」ことが実存主義哲学の出発点であるとし、「人は自由の刑に処せられている」とも言った。同時代人のカミュも同じ立場に立つ。この二つの命題を出発点とした思想家は他にも多い。
我が貧しき“ドストエフスキー体験”
初めて『カラマーゾフの兄弟』の分厚い本を手に取ったのは高校2年生の時だったと思う。1年生かもしれず、記憶はおぼろだ。芥川龍之介と太宰治のどちらかが、自分の本でドストエフスキーを激賞していた。4つ違いの兄の本棚を見ると、古本屋で安く買ったのか、装丁の崩れかけた『カラマーゾフの兄弟』があった。そこで1ページ、数日経つとまた1ページと、きわめて不熱心かつ非効率的に『カラマーゾフの兄弟』を読み始めた。
当時は本好きでなかった。「芥川龍之介と太宰治のどちらか」と書いたが、この2人の薄い短編集以外にそれまで小説の類いを読んだことがなく、ドストエフスキーを激賞したのが芥川と太宰の、いずれとも正答できぬ程度の読者だった。ともかくも読み始めたとはいえ熱心でなかったから、高校の3年でも読み終わらない。浪人中も遅々として進まず、本は参考書とともに机の上に放置された。結局読み終えたのは大学1年生の夏頃だった。
作品に魅了されたなら一気に読んだはずだ。振り返ってもカラマーゾフ兄弟の父親殺しに絡む物語という程度で、細かなストーリーを覚えていない。ただ、自分でも不思議に思うのは、ストリーリーの大半は忘れても2つの命題、すなわち「神が存在しないなら、すべては許されるだろう」と「大審問官」で“老人”が語る「人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはない」とは、言霊(ことだま)のように後々まで記憶に刻まれたことだ。
通り一遍には小説も哲学書もカジったが、通り一遍の域は出なかった。2つのテーゼがサルトル実存主義哲学の出発点だと知るのは『カラマーゾフの兄弟』を読み終えた後のこと。だが知ると拙(つた)ないながら自信のようなものが湧いてきた。ストーリーの詳細は忘れても、いちばん肝心要の部分は読み取っていたのかもしれない、という思いだった。自分に自信のない人間は、ちょっとしたことで調子に乗りやすい。続いて『悪霊』『罪と罰』『白痴』『死の家の記録』『地下生活者の手記』『貧しき人々』とドストエフスキーの作品を読んだが、学生運動の盛んな時代だったせいか『悪霊』が記憶に残ったのみ。他にドストエフスキー研究書の類は読まなかった。
「もし神が存在しないなら、すべては許される」への疑問
まあ、そんな程度の“ドストエフスキー体験”であり「斉東野語」、つまり野蛮人のタワゴトだ。言わんとしているのは「もし神が存在しないなら、すべては許される」という命題への疑問である。
この命題を裏返せば「神が存在して初めて、たとえば『殺すなかれ』は絶対的な価値観になる」だ。絶対の神が存在するゆえに絶対的な価値観が生まれる--が、考え方の根幹である。逆に言うなら、絶対神が存在しなければ絶対的価値は存在せず、すべての価値は相対的なものにとどまることになる。「殺すなかれ」も相対的な規範に過ぎない、と。
だが、絶対の神が存在しなければ絶対的価値は生まれないとする考え方はどうだろうか。人間は生まれ、やがて死ぬ。これは絶対的真理だ。生まれるのだから親が存在し、親を取り巻く人間社会も存在する。人が支え合う社会では「殺すなかれ」がルールになる。人類が生きる自然環境や地球環境も絶対的な要素である。地球が消滅すれば人類も消滅するからだ。つまり神の存在如何にかかわらず人間は幾重にも連鎖する「絶対」の中で生きている。それゆえ神無き人間社会であっても「殺すなかれ」「盗むなかれ」は不動の戒めとなる。
“逃げ道”
イワンは末弟のアリョーシャに、こうも言っている。
「神はありやなしやといった問題はすべて、三次元のことしか考えられないように創られている人智には手に負えない問題なんだから」
ドストエフスキーは“逃げ道”も用意しているわけだ。万物の創造主たる神の領域に、被創造物たる人間が人智を尽くして迫ろうとも、しょせん無駄な試みに過ぎない、と。分かりやすく言うなら、幼児(=人間)がどう知恵を巡らせたところで、大人(=神)の心のうちは理解できない、という理屈に同じだ。真理が「不可知の雲」の上のみにあるなら、すべての人智は意味を失う。つまりは人智を排除する論理である。
しかしそれは同時にドストエフスキーみずからがイワンや大審問官の口を借りて語らせてきた論理の一切を帳消しにしてしまう。ドストエフスキーは人間であるから「神が存在しないなら、すべては許されるだろう」も「人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはない」も人智に過ぎない。“逃げ道”を用意したことで、示された2つの命題は当然のこと、命題を立脚点とするサルトルの実存主義も、おぼろに雲散霧消する。
繰り返すが、時代を熱狂させた考え方は、キリスト教的世界観や価値観が色濃かった欧米やロシアであればこそ、成立し得た。唯一絶対の創造主を戴かずに現代へ至った日本人であれば、そのことがよく分かる。
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