介護現場にみる卑屈と傲慢

2015年03月12日 | 日記
介護界の異端児・三好春樹が「卑屈と傲慢」について書いている。

かつて、奉仕の心を強調する福祉関係者の大半に傲慢さを感じたものだが、その人たちは介護保険制度になると、ご利用者様などと呼んで卑屈の側に転じている。

卑屈にもならず、傲慢にもならずに介護することが難しい以上に、卑屈でもなく傲慢でもなく介護を受けることは難しいだろう。

卑屈と傲慢、これは人間関係ではない。関係が文字どおり相互的なものだとすれば、これはむしろ関係を破壊するものだ。

これは介護に限った話ではない。

あらゆる面にこのような関係が見える。

支援する側とされる側。メーカーと取引先。医者と患者。……

人類の弱点ではあるが、とくに日本人にはこの傾向が強いように思う。

三好の指摘によれば、上に対しては卑屈、下に対しては傲慢という態度は日本の歴史上古く、最も典型的だったのが大日本帝国軍隊で、その伝統は敗戦と民主主義によっても変わらず、学校の部活や会社組織の中などに受け継がれている。日本人の美徳とされる礼儀正しさやおもてなしの心も、実は卑屈さの表れに過ぎず、何かをきっかけにすぐにも傲慢さに転化するのではないか、とのこと。

三好さんてば、おもてなしの心にまでケチつけて…

でも、おもてなしには胡散臭い欺瞞のにおいがプンプンしてやなかんじだったので、はっきりとその正体を看破してくれてよかったです。

卑屈と傲慢は正反対でありながら、容易に入れ替わるのが特徴ではないか。

傲慢は卑屈の裏返しであり、卑屈は傲慢の裏返しである。

自分たちの卑屈と傲慢にうすうす気づいている人間は、そこから目を逸らす。

過去の過ちを反省し謝罪することを自虐という。

こんないいこと、あんないいことをしたと話をすり替える。

著名人の活躍を拠り所として卑屈さを覆い隠している。

個が確立されていないと言ってしまえばそれまでだが、これも自虐と言われそうだ。
コメント
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