子育ても「結果」がすべてなのか?

2015年03月16日 | 日記
ホームレスの方が販売している『ビッグイシュー』という雑誌に、自閉症の作家・東田直樹さんと精神科医・山登敬之(やまとひろゆき)さんによる往復書簡が掲載されています。往復書簡といっても、東田さんは自閉症なので、共通のテーマについて、2人がそれぞれ勝手な意見を述べているというかんじで、それはそれで面白いです。

東田さんのお母さんは「抱っこ法」というやり方を実践して、そのおかげで今の東田さんがあると思われています。抱っこ法というのは、泣いたり暴れたりする幼児を大人が抱きしめて、その子が泣き止むまでじっと待つ方法で、ポイントは泣き切らすことだそうです。

東田さんにとって、その方法はよかったみたいです。著書『風になる~自閉症の僕が生きていく風景~』のなかで、「抱っこ法で気持ちを受け止めてもらいながら泣くと、心に羽がはえたような気分になる」と言っています。

そのわりには、お母さんのことを評価してないのがおもしろいです。

母が僕にしてくれたことでお手本になるようなものは、あまりなかったように思います。……

いいかんじ。

多くの人は、東田さんの現在の活躍を見て、その理由を療育や育て方に見出そうとしているようですが、東田さん自身はその考えに懐疑的です。

自分に合った方法で母が上手に子育てしたから今の僕が存在するのかどうかは、わかりません。

たしかに。

僕が現在のようになるまでは、母の子育てを評価する人など誰もいませんでした。

痛っ。

そういう意味では結果がすべてなのかもしれません。
世間体を気にしている自分が子どもに強いてきたことを思い返すと後ろめたい気持ちでいっぱい…

療育や子育てに正解はないのです。なぜそんな風に育ったのか、本当のところは誰にもわかりません。僕の場合、母が誰の言うことも聞かなかったのが功を奏したのではないかと考えています。母は僕に障害があるとわかった時、「自分の好きなように育てよう」と決めたそうです。それは決してほめられたことではありませんが、リスクもなく僕のような人間が育つわけがありません。母が立派すぎなかったことも救いになりました。人間は失敗するし、失敗すればやり直せばいいと、母を見ていて僕は思うようになったのです。
地域社会が崩壊し、他者への関心が薄れ、自己中心的な人間が増えているにもかかわらず、昔よりもなお一層「世間体」に縛られているような現在において、「自閉症の東田さん」の言葉に救われる気がしました。
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