先月末にようやく、初めての障害年金の請求代行を終えました。ひとまず、書類提出ということですが。
4か月がかりでした。
障害年金の手引書や精神障害に特化した専門書を十分読んだつもりでしたが、審査請求に備えて再読してみると、やっぱりきちんと読んでなかったことが判明。
できているつもり、やったつもりがいかに多いことか。
「全力を尽くす」
言うのは簡単だが、実際にはできない。全力を尽くしたつもりでも、振り返れば尽くしたとはいいがたい。
全力を尽くすことがどれほ難しいか、3割ぐらいしかやるべきことを実行できない、とわかった。
もうひとつ、はじめての障害年金請求でよくわかったのは、人間は間違えるということ。
誰もがわかっていることなのだけれど、時に「行政窓口がそういうのだから間違いないだろう」「国の決定だから間違いない(翻すことは無理)」「本人がそう言うのだからそうなのだろう」と、即決してしまう。
そうすることがラクだからだと思う。とりあえず、すぐに動かなくていいし…
でも自分を誤魔化したままでうまくいくはずもなく、後で(しかもずーっと後で)痛ーい思いをするのですが…
障害年金関係の書籍をいくつか読むなかで、年金証書の記載事項が間違っていたというのがありました。人間がやってることだから間違いもあり得るのだけど、きちんとした証書が間違っているとはまず考えないです。
私が一番最初に行政窓口で聞いた「なんかへん」な説明は、20歳到達月の翌月に初診日がある場合、国民年金の手続きを取ってなくて保険料を払ってないと「保険料納付要件を満たさない」から「障害年金はもらえない」というものでした。保険料の支払いを見るのは初診日のある月の前々月までですよね。
窓口でこのような説明を受けて障害年金を断念した人はどれだけいるんだろう
不支給決定を受けた人が、社労士に「国の決定だから覆すのは不可能」と言われたとかいうのもあったな
なんでもかんでも不服申し立てをすればいいというものではないが、しかし行政不服審査法やその特別法として社会保険の審査請求等があるにもかかわらず、「国の決めたことが絶対」とは、あまりにも卑屈で卑怯な態度ではないか。
支給を待つ依頼者には長い時間かもしれないが、次に備えなければならない社労士にとっては決定までの数か月はすぐなんだろうな。
気持ちばかりが焦り空回りの毎日だが、がんばらねば。
4か月がかりでした。
障害年金の手引書や精神障害に特化した専門書を十分読んだつもりでしたが、審査請求に備えて再読してみると、やっぱりきちんと読んでなかったことが判明。
できているつもり、やったつもりがいかに多いことか。
「全力を尽くす」
言うのは簡単だが、実際にはできない。全力を尽くしたつもりでも、振り返れば尽くしたとはいいがたい。
全力を尽くすことがどれほ難しいか、3割ぐらいしかやるべきことを実行できない、とわかった。
もうひとつ、はじめての障害年金請求でよくわかったのは、人間は間違えるということ。
誰もがわかっていることなのだけれど、時に「行政窓口がそういうのだから間違いないだろう」「国の決定だから間違いない(翻すことは無理)」「本人がそう言うのだからそうなのだろう」と、即決してしまう。
そうすることがラクだからだと思う。とりあえず、すぐに動かなくていいし…
でも自分を誤魔化したままでうまくいくはずもなく、後で(しかもずーっと後で)痛ーい思いをするのですが…
障害年金関係の書籍をいくつか読むなかで、年金証書の記載事項が間違っていたというのがありました。人間がやってることだから間違いもあり得るのだけど、きちんとした証書が間違っているとはまず考えないです。
私が一番最初に行政窓口で聞いた「なんかへん」な説明は、20歳到達月の翌月に初診日がある場合、国民年金の手続きを取ってなくて保険料を払ってないと「保険料納付要件を満たさない」から「障害年金はもらえない」というものでした。保険料の支払いを見るのは初診日のある月の前々月までですよね。
窓口でこのような説明を受けて障害年金を断念した人はどれだけいるんだろう
不支給決定を受けた人が、社労士に「国の決定だから覆すのは不可能」と言われたとかいうのもあったな
なんでもかんでも不服申し立てをすればいいというものではないが、しかし行政不服審査法やその特別法として社会保険の審査請求等があるにもかかわらず、「国の決めたことが絶対」とは、あまりにも卑屈で卑怯な態度ではないか。
支給を待つ依頼者には長い時間かもしれないが、次に備えなければならない社労士にとっては決定までの数か月はすぐなんだろうな。
気持ちばかりが焦り空回りの毎日だが、がんばらねば。
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