医療事故を引き起こしているのは患者である私たち自身かもしれません

2015年04月30日 | 日記
週刊文春4月30日号に、「名医」を疑え!という特集がありました。

電車の中吊り広告には

”神の手”慈恵医大血管外科大木多隆生教授が患者遺族に訴えられた
腹腔鏡11人死亡千葉がんセンター医師「世界に例のない手術」に固執
生体肝移植4人死亡神戸新病院広告塔世界的パイオニア院長の汚名

など最近の医療事故が並び、手術の巧拙からセカンドオピニオンまで失敗しない病院選び最新5か条なるものが書かれています。

この特集を読んで思ったのは、こういった医療事故を引き起こしているのは患者である私たち自身ではないかということです。

私は比較的健康に恵まれていて、あまり病院のお世話になることはありません。しかし、家族や親せきの中には透析を受けていたり、長年通院し薬を飲み続ける者もいます。公的医療保険が適用され日本全国どこの病院でも受診できることはとてもありがたいことだと思います。しかし、自分の生活習慣を変えようとせず悪くなれば保険のきく病院へ行き、保険のきく薬を飲めばいいという考えで安易に病院を利用すれば、医療現場は疲弊してしまいます。医療はどれだけ使っても尽きることのない魔法の泉ではないのです。

週刊文春の特集のなかでは「名医」「神の手」「パイオニア」「世界に類のない」といった言葉がでてきます。これらの言葉は医師の功名心・虚栄心をくすぐるものです。医師自らがこのように名乗っているわけではありません。患者である私たちがこれらの言葉で医師をランク付けしているのです。

医療従事者に対して持たなければならないのは命を扱う者に対する畏敬の念です。にもかかわらず、医師というだけで無条件に恐れたり、根拠なく崇拝したりする一方、名声などという不確かなものに惑わされて少しでもお得な医療を受けようと考えていないでしょうか。また、保険料を支払っているという権利意識から、医師に対し過剰な要求をしていないでしょうか。

命にかかわることなので医師を選ぶことは大事ですが、あたかもサービス商品を選ぶかのような感覚で選んでいないでしょうか。

「名医」「神の手」という言い方は一見相手を敬い評価しているように見えますが、生命の神秘に対する冒頭であると思います。

神でない者に神の名を冠することは慎むべきです。

人間である以上、どんなに優秀な医師であっても間違いを犯すのです。

名医でなくとも、目の前にいる一人の患者の命を救うため、最善の努力を尽くしている医師が日本中、世界中にいるのです。

国民皆医療保険を当然の権利と思い乱費するのではなく、自分たちの手で守っていかないと崩壊してしまうものと認識すべきです。
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