発達障害のワークショップで発見した意外な事実

2015年03月03日 | 日記
 先日、発達障害児を持つ親の会主催の講演会・ワークショップに行ってきました。

「なにか自分にできる支援はないか」「発達障害や不登校、精神障害について学ぼう」という動機をもっての参加でした。

講師で(NPO)PONTEとやま代表の水野さんの話や、質問・相談でのお母さんたちの話を聞くうち、思いがけない発見がありました。

私は保育士養成校時代、まだ今ほど知られてはいなかったけれども「発達障害」について自分なりに勉強したし、診断名がつかないまま社会人になっている人が多いことも知っていました。学校や職場で困っている人が潜在的に多数いるだろうことも予想できましたし、そういう人を支援するのも社会保険労務士の仕事だと思っていました。いや、今も思ってるんだけど…

「困っている人たち」の話は自分にも当てはまることばっかりだったんです…

一旦空想しだすと60~90分が過ぎ去ってしまい、気づいたら授業が終わってしまっていて、2回留年した薬学部の学生や、専門学校に行っているのだが、実習がうまくいかず材料が余分に必要なのにもかかわらず、親や同居の家族に言えず自分で解決しようとして大変なことになっている学生…

極端な例を出されると、自分とは違いすぎるので安心して他人事として「支援」だの「思いやり」だのと悠長なことを言っていられたのですが、今回このワークショップに参加してみて、はじめて我がこととして考えることになりました。

以前の職場ではよく、「どうして誰にも相談しないの」「ひとこと言うべきでしょう」と叱られていました…

どの職場でもそんなかんじでしたから、長く続けた仕事はないのです。

発達障害というとなんか診断名みたいですが、そうではないですし、診断名がついたからどうというわけではないと思います。ホッとする人もいればそうではない人もいるでしょうし。

自分はこういうことができない、苦手なんだという自覚が必要なんだと思いました。じゃないと、今度こそうまくやろう、なんでできなかったんだろうと思うだけで、同じことを繰り返して自信をなくすばかりなんです。

あるお母さんから聞いた息子さんの話ですが、その子は中学生ぐらいから他の子ができることができなくなったそうなんです。今までは指示通りにできたことができなくなり、家族でテレビを観ててもその子だけ理解できないことがあり、お母さんは「なんでだろうね~」と軽く思ってただけでした。でもその子はすごく悩んでて引きこもりみたいになり、それでもネットで調べてどうも自分は発達障害ではないかと思ったそうです。思い切って医師の診断を受けたところ、限りなく学習障害に近い数値ではあるが、障害はないと言われました。

親子ともども2つの意味でホッとしたと思います。できなくなった理由がわかったことと、障害はないと言われたことで。

できないとわかったら、そこをどうやって補うかという前向きな姿勢が生まれるのですね。

アスペルガー症候群の藤家寛子さんが自分の体験を語ったものを読んだことがあります。藤家さんは販売員として働きながら自身の障害についての講演や執筆も精力的にされています。

次のような感覚を話されいます。

中学生になっても男女の概念がなく、恥ずかしいという気持ちがなかった。
何時間も絵を描き続けてごはんを食べるのを忘れることがよくあった。
予定していたものがなくなるのは天と地が引っくり返るような衝撃ですごく腹が立つ。
人の死を口にするのが不謹慎であるということがわからず、お父さんが死んだらこれちょうだいと言ってすごく叱られた。一事が万事で友達にも失礼なことばかり言っていた。
感覚器官から入ってくる情報を自動で取捨選択できず、すべてが押し寄せてくるので激しく疲れる。
朝起きると体が布団の中に隠れているのでどうやって動かしていいかわからない。
右左右左というふうに号令・マニュアルがないと歩けない。
テーブルの下にある(隠れた部分の)脚は存在を忘れてしまう。脚を組むとほどけなくなる。

これらのことは程度の差はあっても、多くの人に思い当たることではないかと思います。
私はとても他人事とは思えないです…

でも自分に支援が必要だからといって、他の人の支援ができないわけではありません。

こんな発見にいたるとは、本当に思いもしませんでした。
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