グローバルだろうが、ローカルだろうが学ぶことの楽しさに差はないでしょ

2015年04月09日 | 日記
この春小学校3年になった姪っ子が通うのは、全校生徒50人ほどの小さな学校である。

どの学年も10人に満たないような状態なので、複式学級となっている。

祖父の葬儀で新学期が始まっても学校に登校できない姪のため、担任の先生と補助の先生が教科書やノートを家まで持ってきてくれ、今後の話をされていた。

3年になったから、これからは漢字で名前を書く、と張り切ってノート類に名前を書いていた。

教科書の表紙を見たら3・4年用と書いてあり、そのような教科書があることを知った。社会や音楽・図画工作が3・4年用で、算数や国語・理科は3年用だった。

先生はどうやって学年の違う子どもたちに勉強を教えているのだろう、昔の寺小屋みたいにマンツーマンで順番にやってるのかな…と疑問に思っていた。授業参観日では、3・4年一緒に同じ内容のものをやったということだ。

学校からのクラスだよりを読むと、これからは理科が始まり…と書いてありびっくりした。1・2年では理科がないのか…社会科も低学年ではないらしい。知らなかった。生活科とかなんかそういう総合学習のようなものになっているのか?

姪っ子の教科書を見せてもらうとイラストや写真がふんだんに使われていて、とてもカラフルで楽しそうだった。物質的には少子化などもあり、ずいぶんよくなっているなと思った。

子どもが学ぶことを「面白い」と感じるには何が必要なのだろう。楽しい教科書はもちろん必要だ。でも、写真やイラストが入った印刷物は珍しくなく、大人が思うほど子ども自身は嬉しいとか楽しいとか思っていないのかもしれない。

斎場へ行くバスの中で、姪っ子としりとりをして遊んだ。普段は5歳の娘が相手なので、さすがに8歳の子だと知っている言葉の数も圧倒的に多くとても楽しかった。意外な言葉を知っていて驚いたりもするが。

ところで、今学校をエリート校対象のスーパーグローバル大学と、その他のローカル大学に分けるという取り組みがなされているが、やなかんじ。大学だけではなく、高校までスーパーグローバルハイスクール指定校なるものができたらしい。グローバルとされた学校はそれを誇りに思っているのか?お上からお墨付きをもらうのが最も栄誉なこと、とは卑屈な根性だなぁ。やりたきゃ自分で勝手に勉強してりゃいいだろ。
グローバルがエリートでローカルがノンエリートって、バカじゃね?エリートと言われて喜ぶバカがエリートとは恐れ入るよ。
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