危険ドラッグの取り締まりが厳しくなり、それなりの成果がでているようです。でもきっと本当の闘いはこれからなんだろうと思う。取り締まりはイケイケドンドンでやったはいいが、依存症の人が絶望の果てに自殺したり、とんでもない犯罪行為に走ったりする可能性が大いにあります。
夜回り先生こと水谷修氏は、ものすごい勢いで中高生に広まっており、それを助長しているのはデリバリーだと指摘しています。
日本はデリバリー天国です。田舎に住む私なんぞは大変ありがたく思っています。(と言いつつ、滅多に利用しませんが…高いから)簡単に欲しいものが手に入るのは便利で嬉しいことだけど、危険も簡単に引き寄せるということ…わかっちゃいるけど、便利さとの比較においては相当分が悪い。
10年以上前のイギリス映画に『スウィート・シクスティーン』(ケン・ローチ監督)という作品がありました。
スコットランドの小さな町に住む15歳の少年が主人公です。母親は薬物中毒かなんかで服役中で、祖父、義理の父といっしょに暮しています。ふとしたきっかけでドラッグの販売を手掛けるようになるのですが、この少年すごいアイデアマンなのです。友人がアルバイトするデリバリーピザ屋に目をつけ、配達のときにドラッグを一緒に売りつけるのです。売上はまたたく間に急上昇、当然街のボスに目をつけられ、誰の手下か問い詰められます。しかし、誰の命令も受けていないこと、自分の考えでやっていることがわかると、その腕を見込まれ手下となります。そしてボスの豪華マンションを貸し与えられるまでになります。
少年がピザの配達を利用してドラッグを売りさばいていることに対し、赤ちゃんを抱いた若い母親は泣きながら少年をなじっていました。「あんたのやってることは最低だ。赤ん坊を抱えた母親にまでドラッグを売りつけるなんてひとでなしだ。あんまりだ。あんたには良心がないのか」というようなことを泣いて訴えるのです。でも少年はただお金が欲しかっただけなんです。何のために?自分の母親が男に頼らなくても、自分たちと暮らせるように。ただそれだけのささやかな夢を実現させたくてドラッグをあらゆる人に売りつけていたのです。
人間はいろんなものを開発する。どのような目的で作り出すのかは人それぞれだ。高尚な目的もあれば、邪悪な野望もあるだろうし、良かれと思って作り出したものが、邪悪な目的に使われることもある。
取り締まりが強化されることで、取引がより巧妙になっていく可能性は大きい。
取り締まり偏重ではなく、依存症の治療にも力点を置くべき、との認識はもっともです。
私は富山の出身なので、小さなころから薬には親近感がありました。売薬さんが置いていく薬箱が常に2~3個あり、適当に絆創膏や風邪薬を使っては、祖母に𠮟られていました。預かってるだけで、使った分は後で売薬さんにお金を支払わないといけないからです。私は頻繁に薬を飲むほうではなかったけど、友達の中にはあきらかになんかハマってるらしい子がいました。
風邪薬は決して違法ではありません。でもそもそも毒と薬は紙一重。違法ではないから依存症にならない、危険はないかといったら、違いますよね。取り締るったって、限度があります。
「依存症」を軸に考える必要は大いにあると思います。ドラッグだけではなく、買い物、ギャンブル、異性、食べ物なんでも。時間がかかるとか、裾野が広がりすぎるといった批判もあるでしょうが、取り組む価値はあると思います。
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