看取りの意味もわからないまま介護の仕事をしていました

2014年12月02日 | 日記

緩和ケア医として100人以上の患者さんを見送った大津秀一さんの、看取りについての話を聞き、かつて勤務していた老人ホームのことを思い出しました。

私はユニットタイプの特養ホーム(全室個室)に約4年、従来型の特養ホームに1年間勤務した経験があります。特養ホームですからその間何人もの方が亡くなられました。研修会で看取り介護・看護が取り上げられたこともありましたし、介護部長の口から看取りという言葉が出ることもよくありました。しかし、私には「看取り」がなんなのか、まったく理解できませんでした。

研修で言われる看取り・朝礼などで介護部長が語る看取りというものが全くなかったからです。看取り以前に、人が亡くなるということも、特養ホームにおいてはベッドが空くこと、また新たな入所者が入ってくること以外の意味はなかったように思います。

日勤者が帰ると遅番の職員と夜勤者で30人の入所者をケアするため、亡くなってもすぐには気づきません。人が亡くなればいろいろと手続きがあります。だからといって日常業務がなくなるわけではありません。できてなければ古参職員から「ヤキを入れられる」だけですから。当然勤務時間は超過しますが、手当がでるはずもありません。普段の介護が、まるで物を扱うかのような作業となっているので「人が亡くなった」というきがしません。やるべき仕事が増えた…ついてない…と思うだけなのです。

従来型の施設に異動になってまもないころ、勤務が終わった後、ある入所者のケアプランを立てていました。そしたらそのご本人が亡くなっていました。遅番職員と夜勤者が慌てています。私はもとより勤務時間外、なにより当の入所者が亡くなったのでケアプランはもう立てる必要がありません。手伝おうにもまだ異動から日が浅くやるべきこともわからず、でも帰るに帰れず残っていました。

遅番の看護師と夜勤の介護士がエンゼルケアをするというので、今後の参考のためと思って見せてもらうことにしました。全身の清拭や体液の流出を防ぐ処置、化粧などをするのですが、こういう作業は慣れないと難しいようです。看護師と介護士は悪戦苦闘していました。不謹慎と思うかもしれませんが、私は笑いをこらえてみていました。二人で手分けをして、家族が駆けつけるまでになんとか終わらせるつもりですが、なにせ不慣れですからスムーズにはできないのです。「ちょっと!まだ顔拭いてないよ!化粧とって顔拭いてよ!」「あ~~両手がうまく組めない~縛ろうか?」「もっと丁寧にやってよ!!」二人は本当に大変そうでした。

次の日の朝、職員間では「死んだんだってよ~」みたいな会話があっただけでした。その後も何人もの人が亡くなりましたが、人が死んだというかんじがせず、まるで物が入れ替わっただけのような気がしました。

大津さんは、体をさすったり、手を握ったり、やさしく声を掛けたりすることが苦痛の緩和に役立っていると言います。

介護現場ではよく「看取り」について言われます。けれども、多くの現場が看取りには程遠いと思います。相手が「物」なのになぜやさしい気持ちになれますか。専門職と言いながらそれに相応しい知識や技術もなく、やさしい気持ちさえ持てない介護現場でどうやって看取りなどができるでしょうか。

働く人ひとりひとりは決して悪人ではないと思います。友人や家族には優しい気持ちで接していると思います。それなのに、介護という仕事になると、相手を物として扱うのはなぜなのか。それが介護業界の仕事なのか。それがプロフェッショナルなのか。低賃金の問題なのか。介護報酬の問題なのか。

今後ますます看取りが重要視されていくと思います。家で死んだ、地域で死んだ、施設で死んだ、病院で死んだ、そんなことが重要なのではないことは本当は誰もがわかっているはずです。

孤独死は家庭でも施設でも、病院でも、ひとりでも、多くの人が周りにいても起こります。

 

 

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