韓国・文政権「即位の礼」を政治利用!? “反日暴挙”連発も「日本側の前向きな措置」勝手に熱望し… 識者「まるで“ご祝儀泥棒”だ」 室谷克実 新・悪韓論
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権が、策謀をめぐらせている。天皇陛下の「即位礼正殿の儀」(22日)に合わせて李洛淵(イ・ナギョン)首相が来日するが、常軌を逸した「反日」暴挙を繰り返しておきながら、「日本側の前向きな措置」を勝手に熱望しているのだ。韓国国会議長による「天皇陛下(現上皇さま)への謝罪要求」や、いわゆる「元徴用工」の異常判決、韓国海軍駆逐艦による海上自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件などを、日本人は決して忘れない。ジャーナリストの室谷克実氏は「何かを得ようと祝賀の場に来るとは“ご祝儀泥棒”の発想」と一刀両断している。
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韓国は大統領制の国家であり、今の大統領は就任前、「自分は反対派が何を言おうとグラつかない」と述べている。つまり、文大統領自身が考えを変えない限り、韓国の対日政策は変わらない。
この簡単すぎる事実が、日本ではなぜか理解されていない。そこに、韓国が日本に揺さぶりを掛ける、別の言葉でいえば、日本国内の雑音を高めさせる隙が生じる。
国家意思を決定するのは大統領府であり、内閣はそれを執行するだけ-これが韓国の政体だ。従って、日韓の外相同士が「日韓関係を新しい高みに引き上げようと意気投合」(=河野太郎前外相の発言、文芸春秋11月号)したところで、実は何の意味もないのだ。
河野氏は今年8月、韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相と中国で、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)について話し合った。しかし、康氏がソウルに戻ったとき、韓国の国家安保会議はすでにGSOMIA破棄を決めていた。
外相は国家安保会議のメンバーだが、“お飾りもの”がいようといまいと、大統領出席の下で国家安保会議は結論を出してしまったのだ。
日本の外務省は、河野氏に対して「対日外交事案は、大統領の独断専決事項であり、外相は省内も把握していない」「文氏の対日観は…」と正直にレクチャーしていなかったのだろうか。
文氏のかねてからの持論は「国内保守派=親日派」であり、保守派を壊滅させて主流勢力の交代(=つまり文在寅流の革命)を成し遂げるには、「韓日条約体制」を打破しなくてはならないとするものだ。
現状は、いわゆる徴用工問題に関する韓国最高裁の判決により、「韓日条約体制の崩壊」状態にある。これは文氏にとって歓迎すべき状況だ。それを元に戻すようなつもりはサラサラない。だから事あるごとに、「司法判断は尊重せざるを得ない」と述べているのだ。
同じ原告による同じ訴えに対して、日本の裁判所はとうに「棄却」を申し渡している。それなのに「日本も韓国の司法判断を尊重すべきだ」と言うのは、彼の脳内に韓国人独特の「昔から文明的には韓族が倭人より上」とする“対日優越論”がみなぎっているからなのだろう。
いま韓国のマスコミは保守系も左翼系も、天皇陛下が国内外に即位を正式に宣言される「即位礼正殿の儀」での日韓接触に「関係改善への期待」を表明している。
しかし、文氏の日本に対する根幹的な考え方が変わったわけではない。だから、韓国の李首相が即位の礼に参列し、安倍晋三首相と話し合ったところで、根源にある問題は解決しない。
それでも韓国側は「隣国がいつまでも疎遠なのは…」「地政学的に見ても…」といったレトリックを連ねて、「新時代に向けた共同行動宣言を」などと提案してくる可能性がある。
この場合、「新時代に向けた…」とは、「韓日条約体制の崩壊状態」はそのままにしておいて、ということでしかない。
そもそも、即位の礼への参列を、懸案解決の場に利用しようとする発想自体が、韓国の政権による「天皇の政治利用」ではないのか。何かを得ようと祝賀の場に来るとは“ご祝儀泥棒”の発想ではないのか。
安倍内閣は、韓国のレトリックに同調する国内の雑音に惑わされてはならない。隙を見せず、原則を貫き通すべきだ。
■室谷克実(むろたに・かつみ) 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。著書・共著に『悪韓論』(新潮新書)、『崩韓論』(飛鳥新社)、『韓国リスク』(産経新聞出版)など多数。