悠翠徒然

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変わり者ばかり

2024-10-06 06:59:00 | Weblog
我が社のスタッフは変わり者ばかりです
普通変わり者も職場では自分が変わり者である事を隠して仕事すると思うのだけれど、我が社のスタッフは自我全開バリバリな者がたくさんいます

いいね!
と思うし、目をかけてやりたくなるし、実際目をかけています
行き過ぎれば叱る事もあるけれど、潰しはしません
だってカルチャーに関わる仕事ですからね
個々の良さを伸ばさないと面白さに辿り着けません
悪いところを潰すのは時間もかかるし面倒だし、結果無理なこと
悪いところも良いところと同様にその人の特性ですから、他人には直せません
やるなら本人が自主的に取り組まないと、
です

書道塾にくる子供の中に、タメ口をきいてくる者がたまにいます
小学四年以上にもならば使い分けられるはずなのですが、不器用なのか意図的なのかは分かりませんが、それは『変わり者』の自我とは違うでしょう
教育不足でしょうね
家庭がそうなのか学校がそうなのかは分かりませんが、理不尽な事だらけの社会に出たら辛い目にあうでしょう
そう思った途端に、せめて今のうちは自由にさせておくべきかもな、と思い直すのです

孔子の教えの基本は
『全ての相手を敬う』姿勢だと思います
見た目で判断せず、出会った全ての人を敬う姿勢が必要だと説いていると思います

初めて会った見窄らしい格好をしたおじいさんと、いかにも金持ちそうなおじいさんの二人が目の前に現れたら、どちらに敬意をもちますか?
どちらのタイプもできれば避けたい人も多いのではないでしょうか
孔子はどんな人にもそれまでの人生があり、その人生で育まれた人格があるのだから、その優劣に関係なく、出会った時にはすべからくそれぞれの人生とその人格に敬意をもつべし、と言っているのだと思うのです

それが挨拶を含めた『礼』というルールであり、それを皆が守る事で秩序が生まれ、皆が生きやすくなるのだよと言っているのだと思うのです
『礼』は時に拡大解釈され、理不尽で不自由な規則も生み出すこともあります
日本の社会に存在する理不尽なことの多くは、そこから出ていのかもしれません
かといって、没交渉を決め込むのは私のスタイルにあいません
話し合っても分かり合えるかどうかはわかりませんが、話し合わなければ前には進まないからです
結果、前に進まず立ち止まってしまったとしても、話し合いによって分かる何かを得るはずです
時間が解決する事もありますしね

我が社のスタッフの変わり者は、同様に変わり者である私の事を敬ってくれます
センスありますよね(⌒▽⌒)
もちろん私も同様に彼らの人生と人格を敬っています
そして顧客や塾生との関係性も同じだと思っています
それが私の思い込みだとしてもありがたいことだと常に感謝しています

その関係性があればこそ、ライトミュージックシーンの底上げとそこに携わる者たちのそれぞれの夢の実現に近づけることもできるでしょうし、高橋鵞翠の書体と書法を伝える事を通して関係性を深めてつながり続けて行くこともでるでしょう
私の仕事はそんなシステムを作り多くの後継者を育てることです
ミュージシャンやアーティストが楽しみながら自分の人生と向き合い成長できる環境を未来の日本に残す事だと考えています

私はあのタメ口をきく子供にもそんな事を伝えたいし繋がりを深めていきたいと思っています

向こうはそんなことしったこっちゃないでしょうけれどね〰️( ̄∇ ̄)










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