ハリウッド映画が長年描いてきた『伝統的男らしさ』が、『有害な男らしさ』を描き始めたと評する記事が目に止まりました。
映画の主人公ではないけれど、
『トランプ』と『ジョーカー』の違いの事を言っているのでしょうか。
『トランプ』の自信満々で強引で傲慢で拝金主義で非常時には頼りになるかもしれないけれどとても暴力的な感じ、、、
『ジョーカー』にはそんなところはないけれど、負の連鎖を断ち切れず、ダークサイドに取り憑かれて怪物になってしまう。
我々が日々ニュースで目にする大小悪人のほとんどは、ダークサイドに堕ちた『ジョーカー』達です。
そもそも『トランプ』と『ジョーカー』って、そんなに違うのでしょうか。
調子に乗ってりゃ『トランプ』になり、負の連鎖を断ち切らなければ『ジョーカー』になっていくのではないでしょうか。
『トランプ』を『バットマン』に置き換えてみました。
『バットマン』も幼少期、両親を暴漢の凶行によって目の前で殺されてしまいます。
でも彼は、その負を連鎖させる事はありませんでした。
高度な教育を受ける事と、彼を見守る後見人の存在によって断ち切る事ができたのです。
突き詰めると、『バットマン』と『ジョーカー』の違いの発端は、お金と教育の違いなのかもしれません。
お金の差によって教育の差が生まれ、自由に大きく育まれるべき人間性の差になるのだとしたら、国家はその責任において高度な教育を国民全員に受けさせなければなりません。
そこで獲得した知識や技術は、社会に出て実践で磨かれ、人間として幸せに生きる為の知恵となるはずです。
『バットマン』は、自分の中にいる『ジョーカー』(それを『サイコパス』と言っても良いけれど)その存在と自分も他者もダークサイドに堕ち易い、弱い存在である事を認識している。
けれど『ジョーカー』の中に『バットマン』は居ない、、、。
自分以外の存在はゴミのように扱って構わないと思っている、、、。
『アメリカファースト』の思想には、それに似た感じがするのです。
だから私はトランプが嫌いなのでしょうね。
彼は『ジョーカー度』の高い『バットマン』なのです。
私の中にも『トランプ』や『ジョーカー』は居ます。
他の『トランプ』や『ジョーカー』から、仲間や組織を守る為、彼らの力を使う事だってあります。
『そこに知恵がなければ、取り込まれてしまうだろう』
なんて言い草は、偽善者でしょう。
年齢を重ねる事で、しでかしてきた悪行が希釈できる事を願って止みません、、、、。
でも、薄まるだけですから、、、。
だからこそ、子供達の笑顔や塾生達の清らかな精神に触れなければ生きていけないのだと思います。
生かされているって事です。
今年もなんとか無事に大晦日を迎えることができました。
感謝しかないです。
一年間ありがとうございました!
来年も『有害な男らしさ』を封印するよう努めますので(^○^)、よろしくお願いいたします〰